この体験は、私が高校2年生の時だったと思います。(3年かも)
私は常磐線の牛久駅から、上野へ向かう上り列車に乗りました。
昼なので車内は空いていました。ガラガラではありませんでしたけれども・・・。
階段から上り方面へ下りて待っているとホームの向かって左に電車が入って、車両の一番前のドアから乗りました。
前の車両につながった方のボックス席は、進行方向右側に女の子3人組が座っていて、
私は左の進行方向に向いた席の通路側に座りました。
走り出ししばらく経って、何気なく右のコたちの方(正確には進行方向に背を向けて座っている通路側の子)に視線をやると、
私はその子になっていました。いえ、私は私でその子を見ているんですが、そっちの「わたし」の意識は希薄で、実際の私からはよく見えない向かいの2人の女の子と、ちょっとウキウキした気分と、周りの景色がその子からの視点であることがわかりました。
今これを思い出して書きながらちょっとなかなか無い体験だったかもな〜と今さら感動しているのですが、なぜかその時は何事もないように2重の私になっていて、
ふと「ポッキー」と思いました。ここでは文字で書きましたけれど、字や音といった「言葉」ではなくて、ポッキーの箱が暗闇の中にふっと浮かんだというとイメージ的に近いと思います。
ついでにちょっと「たべたい」とおもいました。おなかは空いてるって程でもないけど、食欲が湧いたとでも言うのでしょうか。
このとき私は「えっ?ポッキー?」と思ってしまったので、彼女の主観の感覚が急激にうすくなってしまいました。
実際の私の方に意識が強くなっている中、彼女は黒いカバン(リュックにもなる合成皮革)の金具を開けて、中をゴソゴソ・・・と探ると
出した手に持っていたのは紛う事なきグリコのポッキー!
わー・・・と感心している私は、もうすっかり彼女とは無縁の「わたし」でした。
人の心がわかるってこういうものなのかな?と思いつつも、いや、ちがうなと直感的に答えた私の結論は、
「私と彼女は同じものなんである。」(ちょっと当時習ってた先生の訛り入り)
でした。
そして、きっと世界中の誰もがこうして「同じもの」で、一人の人間に集中して体や心をあやつってるんじゃないか、と思いました。
ほとんど信念に近くそう思ったのですが、もうひとつ、疑問も生まれました。
私はいつでも「わたし」を担当してるわけではないのかも知れない。。。いつも、他の人とかの中も移動しているのかも。。。
みなさんは、どう思いますか? やなヤツとか有名人とかも自分?と考えると、ちょっとそれってどうかなーと考えてしまいますが(私の心は適度な広さなもんで)。
以上でおしまいです。