Nのこと。

Nとはじめて会ったのは、わたしが21〜2でヤツが27〜8の頃だった。

以来わたしたちはずっと仲間だったし、これからもそれは変わらない。

Nの生真面目さや優しさは、ふざけていても滲み出てくる種類のものだったので

わたしたちはNを信頼したし、すぐに打ち解けた。

Nの信念はとても誠実だったので、しばしば彼の胃をいためていたが、

それを滑稽に見せるようなチャーミングさを、備えてもいた。

わたしたちはよく笑ったし、Nもよく笑った。

わたしたちは、Nがとても好きだった。

Nも、わたしたちのことがとても好きだった。


ある時を境にNは笑わなくなった。

わたしを含め、特に仲のよかった数人の友人は心配して、彼に尋ねた。

何かあったことを匂わせながら、いったい何があったのか、

Nは決して語ろうとしなかった。

そういうところは、Nはとても頑なだった。

なだめ、すかし、おどし、甘え、思いつく限りの方法でノックしても

誰にも何も言わないまま、1年ほどが過ぎていった。

Nが、したたかに物事を割り切れる人ではないことを知っていたので

わたしたちはとても悲しかった。

Nは、彼流に言う「断腸の思い」で、わたしたちの前から去ることを選んだ。

その年の冬に、Nからクリスマスの贈り物が届いた。

わたしは少しもうれしくなかった。ただ、泣いた。

君には世話になったという手紙が添えられていたが、

結局何もできなかったことを痛感してもいたのだ。

Nは、それからしばらくして、仕事も住むところも変えてしまった。


ひとづてにわたしの結婚や出産を知ったらしく、お祝いがしたいのだという

数年ぶりの電話があったのは、8月の半ばのことだった。

郵送するので好きなものを、と言うNを強引に説き伏せ、

8月の終わりに、わたしたちは再会した。

わたしたちは、よく笑った。

けれどやはり、Nは核心を明かそうとはしなかった。

Nの声は明るかったが、歳月は本当のところ、Nをなぐさめてはいないようだった。

電話番号も住所も頑として言わず、Nは帰って行った。

その日、わたしはたくさん泣いた。


Nと最後に会ったのは9月の終わりだった。

9月末日、Nはわたしの住む家に来ることになった。

Nはやはり、真相を話そうとはしなかった。

玄関で立ち話をしている時、Nは「ぎゅーってしてもいい?」とわたしに尋ねた。

わたしは「おう。いいぞ」と答えた。実際、同じ輪の中にいた頃

わたしたちはよく、うれしいときや悲しいときに抱き合った。

ハグした姿勢のまま、なんとなくNの肩をポンポンと叩いた。

そのあとNは口を滑らせたように、キスしてもいいかとわたしに尋ねた。

わたしは「おかあさんだからな」と断った。

駅までNを見送りに歩き、階段を上っていくNの姿を改札から眺めた。

ほっそりと几帳面なNの背中は、なんだかとても一生懸命で、とても清らかだった。

いったいどんな経験が積み重ねられて、

あれほどのストイシズムをNに強いるんだろう。

キスをすればよかったと思う。

Nとわたしの間に、一番好きな異性を思う気持ちが芽生えたことはなく、

その時もそうではなく、ただ、

そういうキスがあってもいいんじゃないかと思うのだ。


2月、Nから小包が届いた。

わたしたちが同じ輪の中で笑っていた頃、よく呑んだ日本酒だった。

2月はそのお酒をよく呑んだ季節だった。

メモの一枚もなく、宅配便の伝票にはへたくそなNの字で

むかしNが住んでいたアパートの住所が書いてあった。

驚いたのは、数年ぶりに口にした瞬間、そのお酒の味や香りに

懐かしさを覚えたこと。

きっと、ずっと忘れないのだと思う。




























オモイダシテシマウコト。