この村に来た理由

 私が大学3年の時、コメの自由化が問題になりました。ちょうど私が週刊金曜日の読者会に参加しているときでしたので、その中でコメの話をしたり、シンポジウムを開いていました。そんな本も何冊か読みました。

 自分の中で関心が大きくなり、勉強していても頭の中で、農村に住む方法がないか、農業で食っていく方法がないかなどと考えるようになりました。別に何かを調べたわけでもなく、ただ、そんなことを考えていただけでした。そんな時、ニュースで岩手県和賀郡東和町に住みついた人の話をやっていました。その人は農水省の職員で研修で東和町に派遣され、そのままそこが気に入って、農水省を辞めて町役場の職員になり、子牛を飼っているそうです。

 これを聞いて、役場の職員という手があることに気付きました。しかし、コネやツテがあるわけではありませんから、地図を眺めているだけでした。友達には縁故採用でないと無理ではないかと言われました。この時すでに、熱塩加納村のことは有機農業の本を読んでいて、村の約半分で減農薬栽培をしているのは知っていましたが、採用されないだろうと思っていました。

 最初に手紙を出したのは岩手県の沢内村でした。住職をやっている村長さんがいて、高齢者医療を国の方針に反して無料化した村です。そんな村ならもしかして採用されるのではないかと思って、その村長さん(当時、前村長)に手紙を出したのですが、村内出身者優先ということで断られました。

 やはり無理かと思ったものの、諦めきれずに、もう一度だけどこかに手紙を出して断られたら、今度こそ諦めて、浪人してでも大学院(社会学)に進もうと思いました。

 そして、この村に手紙を書きました。どうせどの村でも採用される見込みが少ないのなら、有機農業の進んでいるところにしようと思ったからです。テストを受けて合格、偶然が重なり合った結果です。


 中国に留学した友人を訪ねて、旅行に行った時、その友人に留学した理由を聞きました。友人は、中国語を勉強したかった、一旦会社を休みたかったなど、幾つかの理由を話してくれました。しかし、いくら聞いても、何か、物足りなさを感じました。何かを隠しているように思えたり、何か重要な理由を聞き逃しているように思えました。
 そして、私が「なぜここに来たのか」を問われた時と同じだということに気づきました。主たる表立った2、3の理由を挙げて説明するのは簡単です。しかし、実際には、理由というインプットがあって、決断というアウトプットが出てくるのではないような気がします。主たる理由を発端にしつつも、そこから、イメージを膨らませ、小さな理由を(時には些細な、どうでもいいような理由を含みつつ)積み重ね、更にそのイメージをもとに、気持ちをそちらに向けていく。私はそんなことを2、3ヶ月続けていました。多分、友人も同じように長い決断へのプロセスを経たのだと思います。
 そのプロセスを説明するには、あまりにも長く、複雑で、些細で、プライベートなことであり、十分に説明することはできません。

 決断する時、決断した後のことは不確定的です。今のまま、そのままであれば、未来は確定的です。「もう一つの道」など存在しないという幻想すら抱く程に、強固に確定的です。決断した後が不確定だからこそ、私は決断したような気がします。であれば、なぜそう決断したのか?という問いへの答えは「分からなかったから」となります。


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