私がここに来た頃には、田舎暮らしのための情報はほとんどありませんでした。単行本が1,2冊あるだけで、雑誌もなく、ネットもなく、情報をどうやって探せばよいのかわからない状況でした。今は雑誌・単行本・ネット等で田舎暮らし当事者・行政機関・NPO・不動産業者などいろいろな立場から情報を得ることができます。
しかし、これらの情報はほとんどすべて田舎暮らしをしたい人、移住希望者ための情報です。迎え入れる側、集落や地域の側のための情報はほとんど存在しません。稀にもともと田舎に住んでいる人が発信していても、移住する人が失敗しないために知っておいた方がよい情報を提供するというものです。
2007年に空き家を考えるワークショップなるものに参加しました(それに先立って会津短大生が中心となって空き家所有者にアンケート調査をおこない、最後に空き家データベースを構築しました)。新住民・行政担当者・学生で空き家について話し合ったのですが、最初の問題設定が「移住を推進」するとなっていました。参加者には移住を受け入れる側の集落の代表者はいません。移住する側にある視点を転換し、集落の側からこの問題を考える必要性があるのではないかと、私は考えました。
私が住んでいる旧熱塩加納村にはおそらく50軒以上の空き家があるのではないかと思います(全世帯数は900世帯ほど)。しかし、売りに出されている空き家、貸し出されている空き家はほんの数軒です。田舎暮らしが流行りといえるような今、移住したい人はいくらでもいるはずです。しかし、空き家は減りません。
田舎において空き家は公共的性質を持つと言えます。田舎には土地が有り余るほどありますが、農地を転用しようとすると農業委員会の許可が必要になります。山林原野を宅地にするにはインフラ整備にかなりの費用がかかるでしょう。簡単に田舎で新たに暮らそうとすると空き家を買うか借りるかするしかありません。空き家が空き家のままであるということは、その集落の世帯数が減るということに直結します。このまま空き家が増えれば、集落がコミュニティを維持することができなくなってしまいます。極端な例ですが、集落の半分の家が別荘になったらどうでしょう、あるいは、都市住人の投資先として買い取られ何にも利用されなかったらどうでしょう。こう考えれば空き家(や宅地)には公共的性質があると言えるのではないでしょうか。(注)
この問題、集落だけが解決できると考えます。行政が主導した場合、積極的に貸したり売ったりしたい所有者でかつ行政が把握できる者しか対象になりません。実際、空き家データベースは喜多方市全体で7軒に止まっています(把握している空き家は46軒)。集落は行政以上に空き家の所有者についての情報を持っています。維持管理を頼まれていたり、所有者の親戚がいる可能性も高いです。そして、空き家が増えることによる不利益の影響をもっとも深刻に受けるのも集落です。将来、田畑を耕す人がいない、人足は人手不足になる、行事ができなくなるといった話はよく聞きます。集落が主体とならなければこの問題は解決できないのです。
しかし、「問題」といってもそれを「問題」と認識する人がいなければそれは「問題」にはなりませんし、「問題」と認識したとしても、将来に向けてどのような選択をするかはまた別の話になります。そこで、まずは集落が、どうしたいのか意思決定する必要があります。いままでどおり何もしないのか、空き家を解消するために主体となって空き家所有者や行政と話し合うのか。
集落が後者を選択した場合、集落は空き家所有者に空き家を売るか貸すかするようにお願いします。空き家所有者が決定権を持っていますから、できることはお願いするだけです。しかし、行政のお願いと違い、集落が集落のためにお願いをすることでより多くの空き家所有者の理解を得られるのではないかと推測します。集落としては個人の持ち物に集落が口を出すことはできないという感覚があると思いますが、空き家の公共的側面を背景として「お願い」することは可能でしょう。
一方、空き家所有者の状況も多様です。アンケート調査は調査数があまりにも少なく、量的データとしては参考にならないのですが、様々な人がいることが伺えます。貸す(売る)ことによって周りに迷惑がかかるのではないかと考え空き家にしている人・維持管理を負担に感じている人・愛着があり売れないでいる人・周りの目を気にして先祖の家を売れない人等は、集落からお願いがあれば理解してくれる人が多いのではないでしょうか。また、現在貸す(売る)気がない人でも、維持管理が難しくなった時・所有者が相続によって代わった時・法事や墓参りで帰省することが少なくなった時には協力してくれる可能性があります。たとえ一部だけでも所有者から理解を得られれば、空き家解消の一歩になります。更に、現在集落に住んでいる人が引っ越したり亡くなったりした時にも、空き家にせずに集落に任せることが多くなるという効果もあるでしょう。
新しい人(「嫁」「婿」を除く)を受け入れるということは、集落にとっては比較的稀な経験であり、リスクを伴い、撹乱要因です。それを回避するために、田畑が荒れても、過疎が進んでも、行事ができなくなっても、衰退しながらでも平穏な生活を守るために何もしないという選択肢もあります。何もしない場合でも集落の知らないところで空き家が売りに出されることがあるため、誰かが移住してくる可能性はなくなりません。そして、その誰かが、挨拶もせず、集会にも出ず、区費を払わず、何をしているのか分からないような人であるかもしれません(隣の行政区の実話)。
一方で、集落が主体となって新住民を受入れ、空き家を解消して、集落を維持していくという選択肢もあります。この場合のメリットは人が入ってくるだけではなく、人が入ってくる過程に集落が関わることができることにあります。どんな人が入ってくるか噂話に一喜一憂するのではなく、こんな人に来てもらいたいと集落から希望を出せばいいのです。
例えば、○年生の子どもがいる人、どこどこの畑を借りて耕作する人、集落内の○○屋さんを引き継いでくれる人等ピンポイントで条件を出す方法もありますが、希望が一致する可能性が低くなります。農業をやる人、子どもがいる人・○○ができる人を優先するという緩い条件でもいいでしょう。挨拶・区費・人足の3つだけできればそれでいいという最低条件だけを決める方法もあります。これから集落をどうしたいのかを考えて住民の合意を得られればいいのですが、このようなことに前向きな住人が話を進めることを容認するというものでも構わないかもしれません。
集落が自発的にこのような合意をできるわけではありませんので、ここで行政がきっかけを作り、合意を促す必要があるでしょう。すでに移住している新住民は集落と行政のサポートや移住者と集落の橋渡し役・相談相手として協力することができるでしょう。
(注)この点ヨーロッパの土地利用が所有者の自由を制限して街づくりや景観等の公共性を優先していることを参考にして論理を組み立てたいところですが、よく知りません。どなたか教えてください。
集落の立場からすると、新しいことに取り組むのは不安でしょうし、総論としては理解しても一体どうすればいいのか分からないと思います。ここでは、よくありそうな質問に答える方式で具体的に述べてみます。
山都町には外から移住して来た世帯が30世帯ほどあります(注)。平成2年(1990年)から平成17年(2005年)までの熱塩加納村と高郷村の世帯数の減少率はそれぞれ8.3%と6.2%です。それに対して山都町は3.7%です。平成12年から平成17年に限ると0.7%しか減っていません。人口の減少には効果が薄いかもしれませんが、少なくとも世帯の減少を緩和する効果はあると言えます。
(注)山都町にはボランティアで空き家を紹介しているH氏がいるためです。しかし、彼の個人的資質に負うところが大きく、個人が他の地区で同様のことを行うことは困難です。
少子化が始まってから長い時間が経っていて、既に若い世代の人口=子どもを作る世代は少なくなっています。出生率が1.5(福島県)から多少上がったぐらいでは人口を維持することはできません。転出する人がいることを考えると出生率が4とか5、子どもを生まない人がいることを考えると5-10人兄弟が普通にならないと問題は解決しません。非現実的で、しかも、集落にできることはほとんどありません。仕事があれば転出する人が減るでしょうが、こちらも集落でできることはほとんどないでしょう。
以上2つのことは集落に新しい人を迎え入れることと矛盾しません。かえって相乗効果があるのではないでしょうか?
いいことだけではありません。集落がこの事業に関わる場合と関わらない場合にどうなるかを比較してみましょう。
関わらない場合・・・空き家になった家屋の多くはそのままで、管理している人の高齢化を考えると取り壊しや放置されて崩壊する家屋が増えるでしょう。一方で、少ないながらも売りに出された空き家にはどんな人が入ってくるか分かりません。また、別荘となって夏休みだけ知らない人が押しかけてくることになるかもしれません。しかし、それらを除けばおおむねの平穏は守られるかもしれません。人口が減ったとしても地元の人だけでつきあいを続けていけば、今までと同じ生活が続けられます。田畑が荒れ、行事が少なくなり、最終的には集落の機能が失われ、場所によっては廃村となるでしょう。
関わった場合・・・人口の減少は止められませんが、緩和されるでしょう。世帯数は維持でき、人足には支障が出ないでしょう。入ってくる人によっては農業をする人もいるでしょうし、食品の加工や販売をする人もいるでしょう。それが集落の人にいい影響を与えるかもしれません。しかし、都会から田舎へという普通の人とは違う生き方を選択した人が入ってくるわけですから、つきあいにストレスを感じる人もいるでしょう(それを面白い、刺激的だと感じる人もいるでしょう)。また、集落が入ってくる人を選べるとしても必ずしも思い通りの人を選べるとは限りません。この点は集落のこの事業への関わり方と集落の人を見る目にかかっていると言えますが、失敗もあるでしょう。
その通りです。そこに住む人がそこをどうするかを決めるのですから、このままがいいならこのまま何もしない、衰退の中でいかに楽しく暮らすかを追及するというのも1つの選択肢です。逆に、リスクを抱えながらも新しいことに関わろうとするのも1つの選択肢です。どちらがよいということも、どちらが上でもありません。住む人自身の選択です。
(旧)熱塩加納村・山都町・高郷村の平成2年(1990年)と平成17年(2005年)を比べてみると人口が19.2%減に対して、世帯数は5.8%しか減少していません。いままでは比較的、世帯数は維持されてきたと言えるでしょう(つまり、人が減っている割には空き家が少ない)。しかし、世帯人員が3.4人(平成17年(2005年))まで減ってしまっていることと、高齢者のみの世帯の多さを考えると、今後は人口の減少だけではなく世帯数も同じ程度に減少していくと考えられます。しかも、空き家は空き家のままそこにあるわけではなく管理されなければ10-20年で廃屋となってしまいます。空き家が増える今がその時期です。
また、団塊の世代の退職、若年人口の減少、他自治体の移住受入れ事業の充実を考えても早ければ早いほど有利です。日本の人口が減少するのは避けられないので、自治体間での人の取り合いの様相を呈することになりそうです。
集落に空き家がない・少ない場合でも、空き家にするときは集落のために貸すか売る、という了解ができていれば、転出する人が空き家を貸したり売ったりしやすくなり、スムーズな受け入れができるでしょう。集落の将来を考えながら、空き家について話し合うだけでも意味のあることだと思います。
空き家の所有者はなぜ空き家を貸したり売ったりしないのでしょうか?どこにもあっせん窓口がない・集落に迷惑がかかるというのが理由なら、集落からきっかけを作ることが所有者のためにもなります。他の理由、例えば、将来戻ってきて住むなら、それを無理に貸してもらうわけではありません(むしろ戻ってきてくれるならそれは喜ばしいことでしょう)。集落からは打診とお願いをするだけです。
まず、第一段階として集落で合意形成します。集落の総会で将来のことを話し合い、空き家を解消するために集落が関わっていこうという合意です。積極的に多くの人が賛成ならば、どのような人を受け入れるのかその場で結論を出してもよいでしょう。消極的に賛成という人が多いならば、積極的に関わろうという人が中心となって委員会のようなものを作って、そこで具体的な受入れ事業を進める形にしてもよいでしょう。
次に、空き家所有者に空き家を売却・賃貸してもらえるかどうかを打診し、お願いします。区長として(市と連名でもいいかもしれません)、集落にいる所有者の親戚や、空き家の管理をしている人を介して意向を伝えます。ここで、仮に売却・賃貸してもらえなかったとしても、その理由を所有者から聞き取ることで、今後その空き家がどうなるのかを集落として知ることができます。所有者の同意が得られた空き家について次の段階に進みます。
移住希望者を募集します。集落が独自で行うのは困難ですので、ここは市に任せます。ただ、受入れ条件を厳しく絞る場合には集落独自の活動も必要かもしれません。
希望者との情報交換。希望者が空き家を見学するのに立会い、集落の習慣・現状・期待することなどを希望者に伝え、希望者がどのような人なのか、移住して何をしたいのかを聞き取ります。希望者がどのような人なのか、集落にとって来て欲しい人なのかどうかを判断する重要な作業になります。希望者に集落の行事(人足・祭り・運動会等)に参加してもらうのもよいでしょう(希望者にとっても移り住みたい集落かどうかを判断する材料が増え、集落の人を知ることで不安を解消できます)。
双方が合意すれば受入れ=移住
ではなく、どのような人を募集するのかです。集落を会社だと考えましょう。○○行政区株式会社は退職者が相次ぎ人手不足になっています。そこで新入社員を募集することにしました。募集条件はどうしますか?若い新卒がいいですか、それとも経験豊かな人を中途採用しますか?必要なのは技術者ですか事務職ですか?これは会社=集落が決めることです。ただし、あまり募集条件を厳しくすると応募する人がいないかもしれません。それとも、募集はしないでサービス残業、休日出勤、規模縮小で対応しますか?
空き家を売却するか賃貸するかによって入ってくる人の層が変わってきます。
売却の場合(特に高価な場合)・・・資産のある人しか購入できないので、年齢的には高くなるでしょう。より長く住む可能性が高くなりますが、定年後の移住目的なら、その人の相続人が将来所有者になることも認識する必要があります。人選に失敗した場合は取り返しがつきません。
賃貸の場合・・・若い人が入りやすくなりますが、経験不足の人が入るという見方もできます。賃貸契約に集落の決議で契約を解除する条項を入れてもらうことができれば、人選に失敗した時の備えになります。
いずれにしても、その違いを考え、所有者にどのようにお願いするかを決めるべきでしょう。
普通にここに住んでいる人にとっては、雪は少ない方がよく、家は立派な方がよい、汲み取りより水洗がよい、というのが普通の感覚でしょう。ところが、新しく入ってくる人は、都会から田舎という普通ではない道を自分の意思で選んだ人です。その中にはいろいろな人がいます。雪が多いほうがいい人、ボロ屋のほうがいい人、汲み取りで十分という人、人が少なくて過疎の方がいい人、冬に寒い古民家がいい人、、、。思いもつかないようなことを考えているかもしれません。逆に考えれば、どんなに条件の悪そうな家でも入りたいと思う人がいる可能性があるということです。
もっとも、都会から田舎という方向が一般化すれば、普通の人が入ってくる確率も高くなります。どこか普通ではないところがある個性的で意思のある人を受け入れたいならなるべく早く動くべきですが、いたって普通の都会人を受け入れたいのであればもう少し待つという手もあります。
ここでは、総論で述べた行政の施策について羅列してみます。
新しい文章を書きましたので、本文章は撤回しますが、参考までに残しておきます。昔はこう考えていました。
私がここに来た時、私のように外から来たいわゆる「新住民」はほとんどいなかった。実際には、何人かいたということが後から分かったのだが、少なかった。特に同世代の「新住民」は皆無だった。それが今では、「新住民」の仲間同士で飲み会やそば会をやって楽しんでいる。ここに来て何年経ったか、という話になると、大抵は私の方が長い。5年も経たないうちに、古参になってしまったようだ。
もっとも、その仲間の多くは隣の山都町にいる。熱塩加納村にはあまりいない。最近、山の中に一人引っ越してきたが、その程度でしかない。それに対して、山都町には20組以上の「新住民」がいる。最近も10月、1月に一組ずつ、4月に2組の「新住民」が引っ越してくる。山都の方が熱塩加納よりも町(喜多方市)から遠く、山が多いために、空き家が多いということも多少影響してはいるが、熱塩加納にもそのような所があることを考えると、それが主な違いとは言えない。
決定的な違いはたった一人の人がいるかいないかである。山都には山都(とその近辺)の空き家を紹介して、都会からの移住を助けている人が一人いる。田舎の物件と田舎に住みたい人をつなげる役割を彼はボランティアでやっている。今では、借りられそうな山都の空き家は、除雪すらされない山奥ばかりになってしまったようだ。
田舎には誰も住んでいない空き家が結構ある(必ずしも貸してもらえるものではないが)。私が来た5年前ではそうでもなかったのかもしれないが、田舎に住みたい人も今ではいくらでもいる。問題はそれをどうやってつなげるかである。
私も機会があったらやってみたいと思っているが、ネックは二つ。一つは、きっかけ。来たいという人がいないと、貸してくれる物件と人を探す大義名分がない。逆に物件がないと紹介して欲しいという人は来るはずがない。もっとも、1回成功すれば、とんとん拍子で上手くいくのかもしれない。深刻なのは二つ目。紹介した人がとんでもない人だったら、どうしようか、という問題。実際、山都で、独身男性が移り住んだが、人足(主に集落単位の共同作業で、草刈りや用水路の掃除をやる)にも出ないし、近所付き合いもしないで家を借り続けられなくなったこともあったらしい(それ以来、子供がいる家族か女性しか紹介しないらしい)。これは、考えても切りのない問題でしょう。昔からいる人とまったく同じ事をする人が来るはずはないし・・・、とりあえず、最低限、人足に出ることとするしかないのでしょう。
ここ数年で田舎の物件を紹介する雑誌や体験談を紹介する情報誌が増えてきているそうです。
ここに来てから、幾度となく、なぜ来たのか、聞かれた。そのうち、「えっ!まだ、東京にいるの?どうしたの?何やってるの?」といえる時が来たら面白い。田舎と都会の人数比からいってそうはならないが、少なくとも気分的にはそう言える時がもうすぐそこまで来ていると思う。