中国広西少数民族の木造建築を訪ねて---風雨橋・鼓楼・吊脚楼の里 2009夏

    程陽風雨橋

少数民族の建築 

中国華南の山がちな地域に、楼閣が載った美しい木造の橋「風雨橋」や、数多くの軒を重ねた集会所「鼓楼」、上に行くほど大きくなる木造住宅「吊脚楼」といった、独特な木造建築文化がある。貧しい山間の村にどうしてこんな立派な建築が存在するのか?この3月に桂林から奧に150kmほど入った三江地域の少数民族の村々を学生たちと見て歩いた。この地方には壮(チワン)族、苗(ミャオ)族、人同(トン)族といった多くの少数民族の人たちが住んでいて、広西自治区となっている。ちょっと前までは「風雨橋」など、知っている旅行社などほとんどなく、どの辺りかもわからなければ、果たしてこの地域に入れるかどうかもわからなかった。今はインターネットでたちどころに検索出来るし、観光案内の現地旅行社にいともたやすくメールで連絡が取れてしまう。いつものことながら、この国の変化のスピードには驚かされる。

龍勝苗族の集落

 さて、われわれ一行の旅行は桂林から始まった。桂林空港からバスで1時間半ほどのところに、棚田で有名な龍勝がある。道路整備によって漓江下りで有名な桂林から日帰り旅行ができるようになり、年々旅行客が増えているそうだ。山合の道をひたすら走り、やがて、観光地ターミナル風の町に入った。土産ものを並べた店が並び、観光センターのような建物があった。ここから奧へは、この地域の人によるバスに乗換えることになっている。

 龍勝の街で見かけた木造6階建ての家

 まず目についたのが、新しい6階建ての木造建築。1、2階はコンクリート風であるが、丸太の通し柱は下まで伸びているようだ。丸太の柱は桁行き2スパン、梁間2スパンで9本だけでこの建物を支えていることになる。  1スパンはおよそ4.5mと見られることから、各階の床面にかかる荷重を200kgm2とみれば、一本の柱で4/階、木造の4階分で16t、丸太の直径が36とすれば、断面積はほぼ1000cm2なので、16kgcm2の軸力が働いていることになる。

   龍勝棚田観光施設

 この苗族の村でわれわれは、特徴的な木造建築群に迎えられた。吊脚楼と呼ばれる建て方で、4、5階建てというのも珍しくない。あちこちに新築の家があり、工事現場も少なくない。その多くはレストランか民宿ホテルで、観光ブームによる建築ラッシュというところだ。1階を煉瓦や鉄筋コンクリート造でつくり、その上に貫構法の木造が載る。急な斜面の上に乗り出す迫出しの建て方は、ろくに足場もない工事にもかなりの危険を伴うであろうが、細い部材で建てられた5階建ては本当に大丈夫だろうか?と心配になる。食事に入ったレストランで5階まで上がってみた。特別な補強材が入っているわけではなく、最低限の貫で縦横に結ばれているだけの割には、多少揺れが感じられもするが、見かけよりはしっかりしていて、思ったほどには揺れない。よほど個々の柱と貫の差し込みの仕事がきっちりと出来ているのだろう。

伝統の景観と観光開発

 見渡す限り、同様の構法で建てられているところを見ると、それなりの建築規制が行われているのだろうが、規制は材料、構法、意匠について伝統の風情を守るもので、棟数制限など、本来の集落の景観構成を保とうというような意図はないようだ。だが、路はあいかわらず人や馬が何とか歩けるほどの山道のままであるから、観光客は自分で急な路を歩くか、ミコシに担がれて行くしかないし、物資はかついで行くという制限されたインフラ状況は、逆に伝統の集落の形態をそれなりに保ってくれているのかもしれない。どんどん民宿ホテルやレストランが増えはするが、なかなか面白い景観が生まれつつあることは確かである。一方で、下水などの問題があちこちで露出している。これから先、上級の観光客を迎える宿泊施設をどのように考えるか、とても興味があるところである。

トン族最古の鼓楼

翌日、古い木造の集落に案内してもらった。古宜鎮から小一時間ほどの距離である。山を縫って走る道は舗装されていて、何とか車がすれ違い出来るほど。鉄道も通っている。いくつか集落を抜けて行く中に、煉瓦工場をあちこちに見かける。牛で鋤を引かせて田を起こす男たち、お茶摘みをしている女たち、昔懐かしい風景を見ながら、川を遡って行く。途中にいくつか風雨橋が散見された。

 馬畔鼓楼

銀水トン族が住む馬畔(月半)という村には最も古いと言われる鼓楼がある。川を渡って丘を登ると、正方形平面、九重屋根の鼓楼と、その前に向かい合って立つ舞台小屋からなる広場に出た。鼓楼という名前は、中のやや高所に置かれた太鼓から来ており、太鼓は火事の際などに打たれるのだそうだが、普段は鳴らされることはないという。内部は4本柱の間に囲炉裏があり、それをめぐってベンチがあるところから、村の集会所といった施設のようである。大抵の村では、この内部で、男性のお年寄りが煙草をくゆらしているか、将棋を興じていた。鼓楼と舞台楼のある広場は、大抵、山の斜面にある集落の下端、眺望のよいテラスに位置し、広場は少数民族の祭りの折りに総出で行う舞踊の大事な場所である。

 鼓楼内部    鼓楼内部木組

鼓楼の構造

 鼓楼の内部を見上げてみれば、天井は無く、てっぺんまで吹き抜けており、すべての軒が開いていて、風や太鼓の音がよく通るようになっている。この何重にも重なる軒を支えている木組みの構造が素晴らしい。中央の4本の通し柱を3段に梁で結び、柱から隅の3方に繋ぎ梁が延びている。梁は柱に直角であれば1/2ずつ上下に、三方向であれば、1/3ずつ段を変えて突き刺さしている。1階の外周には12本の側柱が建ち、上部では12本の束柱(添柱)が繋ぎ梁に乗る。(写真参照)各段の添柱が胴で受けるつなぎ梁はそのまま貫いて軒先の出桁を支えている。よく見れば、差し口には楔が使われていない。外側の端で、鼻栓が打たれている。内側では大仏様でお馴染みの簡素な繰り型の木鼻が見えている。

 隣の村の鼓楼は頂部に6角形の屋根を載せ、内部の木組みをつぶさに観察すると、柱梁のシステムは馬畔の鼓楼とほぼ同じものの、繋ぎ梁が細く、上に乗る添え柱も細く、貫状の繋ぎ梁の上に跨がって乗っているなど、全体にすっきりした木組みとなっているところに、建設年代の違いが見られるように思う。

  隣村の鼓楼   同鼓楼内部 

鼓楼の構法については、近年、建築学会の論文に京都大学の小松幸平教授グループによる詳細な調査があるので、それをご覧いただきたい。

「中国トン族の杉による伝統木造建造物の研究: 1報貫構造による鼓楼の構造と構築システム、 片岡靖夫、北守顕久、越智弘幸、豊田洋一、小松幸平:日本建築学会構造系論文集2007

吊脚楼の構法

 「吊脚楼」と呼ばれる伝統木造住宅の構法も鼓楼と同様の手法が駆使されている。基本的には杉丸太を杉の太目の貫が縦横に貫いて骨組みが構成されている。前掲論文に詳しいが、貫穴よりも太い貫を差し込んで楔なしに固めるその木工技術の確かさはこの民族の誇りともなっている。地震や台風がない地域ではあるにせよ、高温多湿の環境下で長持ちさせている構法には、素材の用い方を含めて大いに学ぶものがあるだろう。

 新築中の吊脚楼住宅

集落を歩く

 集落の中は人がやっと通れるほどの細い道が3?4階建ての家の間を縫って通っている。1階ないし2階には豚が飼われていて、陽もあまり射さない路地を歩いて行くのは空間の面白さから興奮を覚えるが、見た目も不潔で臭いもかなりのものである。老婆などが門口で髪を洗ったり、野菜を整理したりしている美しい光景に出会うが、こちらの気配を察するやいなや、挨拶や撮影する間もなく、途端に家の中に逃げ込んでしまう。後で訪れる有名な観光地になりつつある程陽村に比べれば、家の風情は簡素である。1、2階は豚や牛などの家畜がいることもあって、煉瓦か丸太を製材した部材を縦に目透かしで張ったもので、上階は板が張られている。戸がない窓もあるようだ。幾重にも重ねられた軒や足元の石積みの備えや、風通しのよい設えは、雨が多く湿度の高い風土への対処と思われるが、人や動物たちの排泄などが混じる排水に対して日光を配るというような衛生上の配慮が感じられないのは、どうしてだろうか?

 家の間は狭い  馬畔村眺望

集落の景観

 馬畔村の斜面に沿って集落が形成され、丘の墓地から望むと、瓦屋根の美しく重なる光景が広がっている。屋根はすべてが等高線に沿って並び、ほとんどが妻面にも軒を別に回した切妻型の屋根で、屋根は同様に反り、破風などの妻飾りはない。屋根は軒でほぼ隣と接しており、隙間を感じさせない。妻面側に空き地を持ち、棟の並びを特に揃えていないので、恰も三角波を立てる海面を見ているようだ。川を挟んだ隣の集落に、頂きに六角屋根が載る鼓楼が見えている。村には年寄りの姿しか見当たらない。学校らしい建物もあったが、すでに廃校となっていた。男たちは外に出稼ぎに出ており、女性はちょっと離れた工場に働きに出ているそうだ。

  八江鎮風雨橋

八江鎮風雨橋

 風雨橋で名高い程陽村に向かう途中で、八江村というこの辺りの小さな中心地の風雨橋に車を停めて立ち寄った。街には市が立ち、大勢の人で賑やかだ。橋は市の喧噪からちょっと外れた辺りにあり、街道から反対側の集落への渡りとなっている。八江橋は川の両岸の玄関部に2層、両岸から張り出した橋脚の上に3層、中央には5層の、併せて5棟の楼閣屋根が載る壮観の風雨橋である。石段で橋に上がれば、両側に腰掛けが連なって、そうそう、京都の東福寺にある通天橋とほとんど同じ。ただ、中央の5層の楼閣の部分では鼓楼と同様の構造となっており、外側に膨らみ出た柱まで腰掛けが広がっている。腰掛けてみれば、川の風景とともに、川面に流れる風が何とも心地よい。買い物帰りの老人や子どもを抱いた婦人が憩いをとっていた。ニイハオ。ともに座れば、すぐに打ち解けて話ができる。

 風雨橋にて   橋桁の構造

風雨橋の構造

 橋の下部構造はどうなっているのだろう?石積みの橋脚の上に、丸太桁が二列、4?5段の持ち送り構造となって組まれている。橋を支えている柱や床の荷重がこの桁組に掛かっていて、特に中央では、両側に渡された桁丸太のつなぎ目に、上部の5層の楼閣の重量が掛かって、この部分に逆向きの曲げモーメントを働かせ、桁中央部のたわみを減らしている。橋の上に載せられた楼閣は単なる飾りではない。これはしかし、丸太桁にとってはたいへんな曲げモーメントが常時かかるので、曲げに強い材でなければならない。確認できなかったが、ほとんどの建築には中国で言う杉が使われている。コウヨウザン(南洋杉)は、亜熱帯生で、油分が強く、腐朽に強い。山には日本の松のような立派な木も生えているが、これはダメだと。腐朽やシロアリに弱いということなのかもしれない。先の鼓楼でも、住宅でも、以前に訪ねた福建省の客家土楼でも、木材にはすべてこの杉が使われている。そんなに素晴らしい木なら、同様に多湿なわが国でも植えて育てたらよかったと思われるのだが、せいぜい庭木に見るくらいなのはどうしてだろうか?

 程陽風雨橋

程陽風雨橋

さて、程陽。憬れの橋を渡る際に、入村料を払う。この辺り一帯の村が全体で一つの民俗テーマパークという格好である。ここでも伝統的な木造のレストランや民宿ホテルを営む店が多く建ち並び、路には土産物が賑やかに溢れている。すでにこの有名な橋ですら、土産物ギャラリーと化している。直前に見た八江の風雨橋の方が地元のまちの人たちのものという風情でよかった。が、気を取り直してよく見れば、さすがに美しい。外観では、先の八江橋とは違って、両端と中3カ所にいずれも三層の楼閣屋根があるが、微妙に形と高さを変えている。全体のスケールもさることながら、橋脚の高さと楼閣建築の高さとのプロポーションも素晴らしい。中央の3つの屋根には彩色された五輪塔がアクセントも可愛らしい。内部の部材の選定、加工、細部意匠ともに、格が違うといった印象がある。トン族を代表する立派な建築と言ってよい。程陽の辺りには、ほかにも数個の集落があり、それぞれに風雨橋と鼓楼を持っている。それらをぐるっと一回り歩くようにコースが整備されている。

 橋は土産物ギャラリー   小屋組み

少数民族の暮らしと文化

集落を歩いていると、一体、この人たちはどんな生活をしていたのかと不思議になる。かつてはどこでも、集落は外襲に備えるための構造を持っている。集団で防御するために必要な統率者がいて民を支配し、自然、被支配者である民よりも立派な城や宮殿といった住まいを建設して住んでいた。ところが、ここには民のための集会所や舞台、広場や立派な橋があるけれども、宮殿も城も代官屋敷も見当たらない。鼓楼はどうみても、外敵の襲来に備えるための施設には見えない。斜面に沿って隙間無く建てられた木造家屋はどう見ても、たやすく燃えてしまうだろう。もっとも、急峻な山に気が遠くなる様な棚田をこしらえてようやく営まれる集落に、富の集中という余裕や征服する魅力はなかったのかもしれない。貧しいが故に、集落の絆を大事にし、個々の家の富よりも共同の集会所や橋、広場を豊かな空間にしてきたトン族の高く貴い文化を愛おしく思う。

 風雨橋からの眺め

(京都建築専門学校 さのはるひと)