對龍山荘遊山記 2001.11.28

 南禅寺の近く、名勝庭園で知られる「對龍山荘」(たいりゅうさんそう)が公開され、もう期間も終わる寸前になってあわてて学生たちを連れて見学に行ってきました。今年は秋の終わりがじわじわと長く、じっくり仕上げられた紅葉が例年になく楽しめました。テロや景気の悪さもあって、京都の観光はいつになく盛況、南禅寺畔は観光バスが数珠つなぎになっておりました。山荘にも大勢の観光客が押し寄せ、われわれもその中に混じって一緒に観光です。以下、観光案内をかねて、僕の印象レポートです。

 門前は前にも通ったことはあっても、まさかその背後にあのような庭園があるとは思いもよらない。それほど門は質素な印象。(よくよく見れば、相当に手も念も入った素晴らしい門なのです。)案内によれば、もともとは薩摩藩出身の伊集院兼常が開いたもので、その後、市田弥一郎が所有、明治35〜39年に手を入れて現在に至っているとのこと。庭は植治こと小川治平、数寄屋建築は島藤こと島田藤吉(東京)によるものとあります。

 平面(パンフより)

 配付されたパンフレットに屋敷の平面図があり、庭園と建築の全体の構成が読めます。観光客は左手(西)の門から入り、北に向かい、「吟風」という円窓のある腰掛待合から回遊することに。まず、東山を背景とした大きな池を眺望。東の方向にもっとも奥深い軸線が取られ、手前の石から右手の石組み、左手の島、奥の水車小屋、高い杉木立と、ジグザグに目を移して東山に落ち着くように出来ている。紅葉もあって、なんとも賑やかな印象でした。

池越しに東山を望む

 おっと驚かすのは、その池に乗り出す建物。石垣を組んで、その上に濡れ縁を回した軒のぐっと出た書院風の座敷が張り出し、池の縁を歩く踏み石列はなんとその床下を通る!どうやって手入れをしたものか、床下からもみじが出て空中の座敷の招きとなっている。どうもこれは京風とは違うぞ、と。

 

 池に張り出した八畳二間(入側付)の座敷「對龍台」

 まず、この座敷は縁側を廻していることもあるが、太い断面の材が見えて来ない。非常に軽々とすっきりした見えになっており、さらに3尺ほど出た北山の出桁(40尺の長さをほとんど径の変わらぬ5、6寸の丸太で通している)を柱なしに納めている。銅板葺きとはいえ、かなりの技巧が要求されるところだ。ちょっとやり過ぎの気がしないでもない。縁板も1本で通し、まさに材料自慢に腕自慢といったところ。すごいすごい!座敷はさて、居心地がいいものかどうか、どうもこのアクロバットばかりが目についてしまったのでした。

「聚遠亭」附近北側

 ここから茶室を2つ過ごして、庭は急に迫った山の景に入って、流れを脇にこの建築と庭園全体のかなめとなっている「聚遠亭」へと至ります。名の通り、北と南に遠景を取り入れるこの8畳の座敷がまた実に凝っていること。やりたいことをみんなやってみたという印象。南側にしつらえられた竹縁がうーん、とうなってしまう。これもちょっと京都ではないなあと思いますが、ご覧になられた方はどう思われたでしょうか。

 「聚遠亭」南側

 聚遠亭から南は東に築山があり、そこから茂みの隙間からせせらぎが細かな音を立てて落ちてくる。もう一筋、南の庭を走る流れが手前の小池に入って来ている。どうもここの庭には流れ込みの手法が随所に試されており、あたかも滝口の手法集のようだ。ここから南はゆるやかに登る植治特有の芝の庭(無鄰庵や西園寺公京都別邸清風荘と同じ趣向)が続く。周囲を木立に囲まれた真中を流れとし、背の低い松をリズミカルにあしらっている。

 オープンな芝庭に石や松を配し、流れをゆったりとつくるという景は、何も明治の特許ではなく、江戸でも大名方の大きな庭にはあちこちに見られるもの。ただ、植治の扱いにはそれらとは違った工夫と風趣がある。ちょっとその辺に焦点を当てて、勉強してみようかな。先ほどの案内には、伊集院兼常が植治に作庭手法を教授したようにある。面白そうです。

南奥の高所から北側を望む

 南側に登ってくると、一番上に木立に隠れてお社がある。ここから北側を見れば、建築が屋根ともども見える。屋根の配し方は複雑で、あまり整理がなされているといった感じはがしない。何か苦労した、というような印象。2階にある円窓が妙な感じなのは、全体に壁が少ないからかな。壁が少ないとどうも品がないような気がするのは僕だけだろうか。ここに灯籠がある。笠の耳が異様に大きい妙な灯籠だ。そういえば、明治の新風を意識してか、灯籠を点景に使って要所要所引き締めるという古典的な手法をあまりとっていない。この灯籠は、座敷から望んだ時にもっとも遠い位置を印象付けるのに用いているのだろう。

 流れの東側にはちょっとした植え込みがあって、その向こうが見えそうで見えないようになっている。その東側にはさっぱりとしたオープンスペースがあって、傘亭風の四阿(あずまや)のある芝庭の広場となっている。園遊会のためのしつらえといった感じ。

水源の石組み

 最奥の秘されたスポットに流れの源がありました。みごとです。奥の衝立様の石、そこから湧き出る源を隠しているせり出した勢いのある石、落とし込みの縁を作っている石、手前の石、いずれもいい表情のもの。古風にたいそうにはせずあっさりと扱っているけれども、ここは伝統の手に依っているようだ。

水車小屋からの眺め

 芝の広場を過ぎ、水車小屋まで降りてくると、北の池に出る。先の張り出した書院を池越し正面に望むところ。ここでフィルムが無くなってしまった。池全体を撮りたかったのだが、残念。

 桂離宮などもそうだが、僕のようなぼんやり者には、一度歩いただけではほとんど何も掴めず、何度も尋ねてやっと意を汲むことができる。30分ほど、それも急ぎ足で観光客に紛れて歩いただけでは本当に印象記以上のものにはならない。いや、たいへん素晴らしい庭園と建築でした。その割にはずいぶん悪しざまにずけずけと書いてしまったかな。でも、素晴らしい紅葉もあって、いいものを実に沢山ごちそうになり、学生たちともども満足したのでありました。また公開の機会あれば、ぜひ足を運び、暇を掛けてじっくりと味わって来ようと思います。          

 (記 さのはるひと)