北山杉の里の製材工場を杉丸太で組む

 〜京北森林組合製材工場新築工事苦労噺 2008

 春に竣工した製材工場

製材工場を地場産の丸太で建てる

一昨年から設計の仲間や大工、工務店、林業家たちと、京北の木で家をつくろうという林業ネットワークを始めている。活動の目的には、京都の上流に当たる京北の山の木をどんどん使っていこうという呼び掛けはもちろんのこと、われわれも京北の木や山だけでなく、京北の里の美しい風景や歴史のある民家のたたずまいに木の住いそのものを学ぼうということも含まれている。

そんな中、京北町が京都市に編入した機会に、地域の主産業である林業の振興事業として、かなめとなる製材工場の整備が行われることになった。かねてから、地域の建物は地域の材、地域の工務店の手で建てるべきと言い続けてきたわれわれに、工場ではどういう建物ができるか、森林組合から相談があった。組合としても、鉄骨ではつくりたくないという。集成材による大断面構法であれば、すでに傍らにモデルがあるが、せっかく北山杉をはじめとする杉の良材を産出している京北なのだから、杉丸太を組んでつくってみたらどうかと勧めてみたところ、限られた予算でできるものなら、やってみたいと。言い出した手前、具体的な形を提示しなくてはならないが、さて?

町家の伝統木造の構法について勉強して来たこともあって、一〇メートルほどのスパンなら、何とか伝統的な構法でできないものか?ちょうど森林組合は京大の防災研で開発された梯子フレームにも関与している。それを念頭に、長大な杉丸太を梯子状に組むフィーレンディール梁の構造を考えたのであるが、変形に強く、粘り強い特性をもつこの構造は、残念ながら、ずいぶんよく撓む柔らかい梁で、そのままではあまりに変形が大きい。部分的に合板などで剛性を補強するという方法があるが、手間がかかり、コスト面で困難である。しかし、基本的に木同士のはめ込みによる構造体としての魅力は十分にあるので、いつか別の機会に試してみたい。

半割丸太による平行弦トラス

次に考えたのが、丸太を半割にして組むトラス。A.レーモンドの教会など昔から馴染みのある構造であり、それほど難しくもなさそうだ。部材の接合部が一番の問題点だが、ここはボルトを使うしかない。とりわけ杉は、縦に簡単に裂けてしまうので、その方向に開こうとする力がかからないように設計しなくてはならない。力的には断面と材端の余長さえ確保してやれば問題はなさそうだが、二面せん断の力を受けるボルトの変形量が大きく影響する。ボルトに当たる木材のめり込みと初期の滑りも大きい。一度、実大の試験をやってみようということになった。

 トラス試験体加力試験の様子

 実大とは言っても、さすがに一〇メートル以上もあるトラスを組むことはできず、部分的なものを学生たちと加工して製作、加力試験をしてみた。やはり、ボルトが穴の中で曲がり、木にめり込んで行く。これを防ぐには、ボルト径を太くするか、硬いボルトを用いるか、太いさやをはめるしかない。コスト的には、太いボルトを用いるのが一番安上がりという結論に至った。

この構造の問題点は、接点に無理な力がかからないようにするため、部材の回転を容認し、ボルト一本で留めることだ。しかし、径が三〇?四〇ミリもある太いボルトが柔らかい杉丸太に挟まれて破断するとは考えにくい。逆に、木と鉄とのバランスを考えると、ちょっとは曲がったりめり込んだりするくらいの方が、その分だけ木材が一方的に負けてしまうことにならない。どこかで変形がなくては、構造体に粘りがない。木のめり込みか座金の降伏、あるいはボルトの曲がりが起きねば、トラス材が裂けてしまう。

学生たちと実験のための実大試験体を作成した折には、トラス組は丸太同士を噛み合わせた。が、径の異なる丸太同士を斜めに隙間なく合わせるのは、かなり面倒だ。ましてや、丸太は長大で、簡単に動かして合わせてみることができない。加工手間を考えると、そんな仕事は諦めざるをえない。となると、回転は自由で、ボルトのせん断耐力にばかり頼ることになるが、接点の膨大な数を考えれば、致し方ない。

 京北祖父谷の山にて

杉丸太を調達する

 トラスや柱に用いる丸太は、末口で六寸から八寸、長さは十メートルほどとなる。ちょうどそのくらいの材を間伐しているところがあると聞き、早速、現地に行ってみた。杉の七?八〇年生のなかなかいい材である。せっかくなので、昔ながらの葉枯らし乾燥をしてみようということとなった。

 後でこの葉枯らし材の皮を剥いてわかったことだが、高水圧で皮を剥く際に、皮とその下の層が葉枯らし乾燥によってくっついて、水圧で一緒に層状に剥がれてしまうという問題がある。なかなか力強そうな材であったが、表面は無惨なあばた面となってしまった。一般に、高水圧で皮剥きを行うには、目の詰んだ高齢木よりも、目の粗い若手の材の方がきれいに上がる。北山の床柱も、昔は頑固で力強いものが好まれたが、近年は優しい若く優美なものが好まれるという傾向に合致しているわけだ。

 今回の構造で、最も不安だったのが、長く太い丸太をうまく半分に製材できるか?ということであった。丸太は芯で二つに割れば、すぐさま外側に反ろうとする。製材している間にもどんどん開いて行って、なかなかうまく歯が中心を通らないことがある。台車は五メートルほどの長さなので、一〇メートルほどの材を製材しようとすると、前後は押さえることができない。製材を進める中で、テープで先端を開かないように縛って留めようということになった。乾燥もそのまま縛り付けておく方がいい。ただ、乾燥させれば、材は曲がってしまい、高所で押さえ付けてボルトを入れられるか?という心配もあった。

 トラス地組作業風景

 部材が加工され、出揃ったところで、ちょうど基礎も出来上がり、トラスを地組みする段になった。設計の当初には、組み立て現場で、奥から地組みして、順々に重ねて寝かして行き、建方には手前から一つずつ起こして行けばいいと考えていた。が、ボルト穴をきれいに通すためには水平に組まねば難しい。また、考えていたようにそう簡単には柱を付けたトラスを起こせず、足場がきちんと設えられていなければ、据え付けが困難という。当初の方法はあきらめ、大きなクレーンで吊り上げて足場を越してアンカーの上にそっと落ろすという方法を採ることになった。幾段か重ねて地組するのも、足下が定まらず、作業に危険が伴うので、二段しか積めない。ために、かなり広いヤードが必要となる。総合センターの協力を得て、何とか地組みができることになった。

 トラス建方風景

トラスが建ちあがる姿に感動

 建築現場では、建て方が最も楽しい。特に木造の現場は青空に白木が眩しく、美しい。上棟の神事が伴うのも感覚的に納得される。今回の工場は、桁行き三十六メートル、梁間十五メートルほどだから、そう大きなものではないが、丸太トラスが立ち並ぶ姿は、想像以上に感動的である。設計から携わってきた学生たちも連れて行って見せた。この建築が立ち上がる喜びは工事に携わる皆にとって共有のものだ。高い所で心を合わせて組み付けている大工たちの姿も実にいい。表情も明るく、誇らし気で、これまでの苦労も報われるというものだ。もっとも、棟梁はと言えば、緊張を崩さず、厳しい表情でじっと作業を見守っている。これだけの数の丸太をほぼ完璧に墨付けでき、組めているのだから、その力量には脱帽するしかない。

 製材工場内部

製材工場は片方がほとんどオープンなので、強い北風をまともに受け、強く揺さぶられるだろう。最終的には反対側の壁の上部三分の一ほどを開口とした。お陰で、木に閉じられたような重苦しさはなくなり、波トタン屋根からの照りによる夏の暑さ対策ともなったが、逆に冬季は冷たい風が通り抜けて寒い。冬にはビニールカーテンでも垂らしてもらおう。今回の設計では、デザインよりも、構造の健全性、施工の合理化とコスト軽減といったことで頭が一杯だった。普段、木造住宅ばかり手掛けている大工たちに出来るだろうかという心配からだが、始まってみれば、それは杞憂であった。都会のひ弱な大工とは違い、彼等はずっと逞しく、かつ丸太をよく知っている頼もしい男たちであった。彼等の多くが私が教えている学校の卒業生であったことも実に嬉しく、誇らしい
 製材工場内部

挽粉棟は学生による伝統の構法で制作

 製材につきものの挽粉のサイロを独立した小屋で計画した。製材工場と構造的に別物にしたかったのと、将来の移動が可能なようにしたかった。挽粉を二階に溜めて、床の穴から下のトラックに落とすというものであるが、一階の梁間方向に耐力壁が入れられないので、太い通し柱に二階部分を合板で固めて、門型のラーメン構造としている。ただ、生の材を挽く挽粉は濡れていて、サイロをびしょびしょにすることもあるという。それが常態であれば、合板も釘もあまり持たない。念のため、厚い貫を五段に通して、貫構造としても成立つ構造体とした。もっとも、それだけでは耐震上必要な剛性は不足するので、合板による剛性は必須である。

 製材工場の北側に挽粉棟が独立している

この挽粉小屋の基本構造に伝統の木組みを用い、京都建築専門学校の大工を目指す学生たちのグループの卒業制作課題として、部材加工を学生たちの実習にさせてもらった。土台、間柱ともに四寸五分角、長さはいずれも十五尺あり、長ほぞ込み栓、胴差しは成が尺三寸、四方差しの雇いを車知栓で留めている。床梁は胴差しに渡り顎で架けている。長大な四本の丸太の通し柱だけは現地で加工せざるを得ず、雪が舞う中、春休みになった一年生たちに手伝ってもらっての作業となった。(最終的には、工期の遅れにより、プロの大工の手によって建て起こされ、車知栓は込み栓に替えられている。)

 現地で柱を加工している学生たち

京北で見かける物置や木倉などでは、柱を細かに入れ、裏側を切り欠いて受け地を貫のように入れて、内側に杉板を縦張りに打ち付けている。表からは、縦横の格子が見えて、なかなかに美しい。この挽粉小屋もそんな出立ちにしたかったのだが、この方法は雨仕舞に心配がある。ただ、結構古いものでも大丈夫なので、これも別の機会に一度試してみたい。今回は貫に外側から縦に杉板を張っているので、真壁風に柱が見え、渡り顎で飛び出ている梁に付けた水切りとともに、壁面に陰影をもたらし、表情が出てこれはこれでなかなか気に入っている。

 挽粉棟の隅部

地域材による家づくりの拠点にしよう

 今回の設計は、地域の材、地域の大工・工務店で建設するということが最も大きなテーマだった。できるだけ北山杉の丸太を生のまま、ちょっと野蛮でもいい、加工度の少ない形で使いたかった。それは低コスト、低環境負荷につながるはずだ。

出来上がってみれば、あちこちに私の設計の下手さが露呈しているが、全体として、あまり前例のない構造体がよくも無事にできたと、京北の工務店や大工の技と努力に感心している。地元の林業家たちにも、見ていて元気が出ると、おおむね好評裡に受け入れられているのが嬉しい。この製材工場がその精神で良質の木の住まいづくりの拠点として大いに発展活躍するように祈るとともに、われわれも少しでも多く地元の材で家を建てられるよう今後も努力して行きたい。

最後に、このような貴重な機会を与えて下さった北川京北森林組合長、勝手な申し出に快くお引き受けいただき、始終ご指導をいただいた木の住まい考房代表の鈴木有先生、厄介な工事をまとめていただいた有限会社河鉄工務店の河合社長、ほか工事にご協力いただいた皆様に心から感謝の意を表したく思います。