建設タイムズ2004新年特集号 寄稿  

「町家改修に参加しませんか」----市民参加型の町家再生のこころみ

 現在、学生たちに手伝ってもらいながら進めている町家の改修工事について取り上げたい。以前にもこの欄で「よしやまちの町家」の改修について紹介したが、耐震補強を目指した根本的な改修はそれ以来のこととなる。昨年の秋に相談に来られたお施主さんはまだ若いご夫婦で、インドの言語や生活に関わる研究をされている。このほど購入された京都市下京区にある明治期の町家を大地震に耐えられるよう修復、補強できるかどうかと。

 改修前の土間奥から入り口を望む

明治期の庶民的な町家 

 見に行けば、東南の角地に立つ間口四間、奥行き五間半の中二階屋、一階は南全面がサッシュで、いかにも商店という構えだ。朽ちて今にも倒れそうということはないが、軒や庇の水平線にかなりの歪みが見えている。サッシュを開けて中に入ると、家の半分が奥まで石張りの土間がひろがっている。ミセの間は建具もないオープンな板の間で、奥に四帖半が二間見えている。ミセニワから奥のハシリの途中に井戸があり、東にタイルを張ったかまどがある。大きく真黒なヒブクロの吹き抜けに、十文字に松梁がかかり、天井に開けられたトップライトから白い光が梁と束を透かして土間に落ちている。何とも重厚で美しい空間だ。その後も幾度か訪れてはしばしこのほの暗い台所にたたずみ、時の経つのを忘れて眺めた...。

 改修前の台所風景

土間空間に感動

この目の前にあるのは、どう見てもきれいでも立派でもない、どちらかと言えば貧相で汚ならしい台所の空間だ。いったい、この何に感動しているのか?それとも、単なる一時的な感傷にすぎないのだろうか?------私は正月のこの欄で、民家のもつ美しさについて触れた。ここで出会っている感動はそれと同質のものだ。それは一つには骨格に比せられる梁柱の構造のもたらす美しさ、力の表出であり、また一つには粗粗しい石や土壁や梁などの質感、自然な素材感であり、またそれらを長年の間磨き込んできた住人の日頃の手入れの積み重ねがもたらす人間とものとの付き合いの歴史の厚みである。これら民家に共通して見出せる感動の道筋を、私はかつて「大地性」、「大地への帰属」という故郷的な感覚と呼んだ。洗練や抽象化とは逆の方向にある土着的基盤的な領域に属する感覚である。

 

感動を残したい

 この空間をなんらかの仕方で補修し補強して、果たしてそのような特質の美しさを保存することができるだろうか。おそらく柱の沈下を修復するために、土壁は大部分を塗り替えねばならない。柱は根継ぎをするか、取り替えねばならない。土間の下に眠っている排水土管を新しいものに取り替えるために、土間の石敷きを一旦はすべて剥がさねばならない。厨房機器もおそらくは今様のものになるだろう。つまり今見えているほとんどのものは新しい別のものに変わる。その変化によってなお、この民家的な空間の質を落とさず保存するというのは、ほとんど不可能であろう。この空間は今のものとは別の面目を携えて現れると考えた方がいい。ただできるならば、ここで受けた感動を少しでも伝えるものであって欲しい。

 

土間を活かす

 そのために、できればこの特徴的な土間空間を保存したい。土間は内なる外部という二重性によって、民家に独特の空間である。キッチンだけの狭い空間ならば、一日に数限り無く繰り返される昇り降りは避けられないが、この家の土間のように十分な広さがあれば、ダイニングスペースも設けられる。今の土間石をそのままに敷き直そう。冬の冷えは床暖房で対処できる。ただし、床暖房はあくまで冷えを止めるために用いる。暖かな輻射熱を積極的に利用するというのはエネルギーの無駄使いに繋がる。ここではせいぜい蓄熱層のようなものと考えておきたい。

 土間床は柱脚を床下の根絡みで一体に結ぶという補強ができない分、耐震上不利であるが、要所要所に仕切りの建具を入れ、その敷居(蹴放し)で柱を繋ぐことで対応できる。既存の柱梁はずいぶん使い回しの材が多いが、根継ぎさえしてやれば、概ねそのままで行ける。火袋の吹き抜けは、耐震的には不利だが、小屋組を貫などで固めることによって、そのままに保存する。壁は耐震補強のために、間口方向にも数カ所に新たに入れ、中塗り土壁で仕上げる。現在のような煤けた壁が実に素晴らしい風合いを見せているのだが、新たな壁に煤を混ぜ、黒く仕上げるのがいいかどうか。キッチンは、できれば大工仕事でつくりたいが、今風のシステムキッチンでも、古い柱や土壁が要所要所に透かし込めれば、それもいいと思う。風通しは今以上にうまく流し、若い施主夫婦が望むように、できるだけエアコンは使わずに済ましたい。------家全体の改修・リフォームの基本仕様はこの空間から決まって行く。

 改修前 六条通りに面している正面

 

虫籠窓の修復

 表は、現在は商店風のアルミサッシュが全面にわたって出格子位置にはまっているが、これはすべて取り去り、もともとのファサードに修復する。施主の希望もあって、出格子を設けることにした。ただし、入り口は既存の柱間の幅に制約があるので、引き違い戸とし、両脇の腰壁には京下見板張りではなく、縦破目板張りとする。妻面は現在の波トタン張りとしておく。将来、杉板張りとしたい。中二階は写真に見るように、現在は中二間が引違戸の窓で、両端にかつての虫籠窓の端が見えているといったものだが、それをもとの全面虫籠窓に戻すかどうかということで施主ともに悩んでいる。

京町家作事組の梶山氏によれば、虫籠窓は戦争中の統制で、焼夷弾による火災時の避難のために、無理矢理窓に造り直されたのだそうだ。とすると、今尚古いままに虫籠窓が残っている家は、それが嫌で抵抗したものということになるのだろう。でも、案外、喜んでオープンな窓にした家もあったのではないか。現在の町家ブームで格子と並んで珍重される虫籠窓も、住人にそれほど喜ばれたものであったかどうか。少なくとも、二階に人が住むようになってからは、明るく通風も調整できる引き違い戸窓の方が合理的である。例え戦争が原因であっても、かような窓の変遷もまた歴史であり、横にずらりと並べられた虫籠は壮観ではあるが、この庶民的な町家にはやや堅苦しいかもしれない。ただ、施主の言うように、虫籠窓を通した斑のあるほの暗い光もまた町家の落ち着いた空間の魅力には違いない。

 

二段階の契約

 さておおよその設計が定まったところで、限られた予算ではあったが、この傷みの激しい町家の改修と耐震補強、全面にわたるリニューアルをまとめ、まずは耐震補強を主眼とした補修工事を行うことにした。施主の意向にも、現場の側にも、工事をしてみなくては分からぬことが多々あるので、構造体の健全化の段階までまず契約を交わし、その後のリニューアルのための工事は後に契約をするという二段階の契約方式を採るというわけだ。二月から始められた第一期工事がほぼ終わった五月末、結果的には、そう大きな見積上の差異は発生しなかった。というのも、そもそもこの町家がほぼ旧態のままであまり改修されていないこと、事前に小解体をして要所要所の傷み具合を知ることができたということが大きい。もう一つは、人出のかかる土間石の撤去や土の鋤き取り、既存土壁の除却搬出などの雑仕事のほとんどを学生のボランティアに依ったということも大きい。

  土間の石を撤去した学生たち

 

学生の協力

 学生たちに手伝ってもらうというのは、今回たまたま考え付いたというわけではない。よしやまちの町家以来、町家や伝統的な木造住宅に興味ある学生たちにとって、それをつくって行く工事作業はいつも体験してみたい魅力的な作業である。学生たちの勉強にもなり、熱心な学生の協力は工事をするプロたちにもいい励みになる。この種の古屋を改修しようという工務店には、若者にいい仕事を学んでもらいたいという奇特な人が多いが、分けても、担当の棟梁は日頃より若手大工の教育に熱心である。ローコストと言えども、余分な手間暇のかかる学生仕事であるが、お施主さんにも了解していただけた。学生たちも、進んで手伝ってくれる頼もしい者が多かったのはよかった。ただ毎年こううまく行くとは限らない。

 学生たちはもちろんそれほど高度な仕事はできないが、それでもこの種の庶民的な町家の修復には、かなりの作業量がある。まずは不要な間仕切りや天井などの内装材を除却して、不要な土を鋤き取り、100枚近い土間の石をはがし、搬出する。始末した土砂ガラは800袋を超えた。土壁を剥がし、200袋ほどの壁土を搬出し、また後日、それをすべて練り上げて、40枚ほどの壁の竹小舞いを編み、荒壁付けをおこなった。春休みで動きやすかったこともあって、延べにして200人近い人数が動員された。その手間の合計はかなりのものになる。今後も床板張りやベンガラ塗り、土壁の中塗り、天井板の張り付けなどなどの作業を行う予定である。そして最後に、床暖房を施行した後で、剥がした土間の石をパズリングしながら一枚一枚敷く作業が待っているはずだ。

 土壁を落とす学生たち

 

市民参加の町家再生

 こうした町家修復作業を無償で手伝いたいと思うのは、学生に限らない。今回は専門学校のホームページで、一般市民にも参加を呼び掛けた。従って、広く一般市民の知るところとは言い難いが、学校のホームページを見た大学生や社会人の方々数名が参加してくれた。中には東京や大阪から駆け付けた人もいる。大好きな町家を遺すために、少しでも力を貸したいという人もいれば、単に一遍、そんな作業をしてみたかったという人もいる。文化的な社会問題として生真面目に取り上げるよりも、もっと肩の力を抜いて軽く考えておいた方がいいかもしれない。

また、今後のこうしたボランティアによる協力を期待するときの一般的な注意事項として、気がついたことを二,三挙げておこう。第一に、作業は主に週末の休日に行われるために、週末工事作業の可能な現場でなくてはならない。第二に、なにしろボランティアに責任は持たせられないので、作業の確実性をそれほど期待してはならないし、時間も長目に見ておかなくてはならない。つまり工期を急ぐ場合や高度の仕上げを求める場合には難しい。第三に、すべての学生が辛抱強く作業を続けてくれるわけではない。連絡や管理の核になる積極的な学生二,三人が必須である。また作業内容や段取りと安全確保をきちんと教えられる技術者がいないとうまく行かない。今回は私が教員という立場で指導管理を行う、いわば一種のゼミ形式の演習授業のようなものとも見られるが、そうでない場合に、いつでもうまく運ぶとは限らない。最後に、最も気を付けねばならないのが、作業中の怪我や事故であることは言うまでもない。

 竹小舞いを編む学生たち

 

町家は直しやすい

今回の工事を見ていて、つくづく町家は直しやすい構法でできていると感心した。相当に歪んでいても、それなりの工夫と技術は必要であるが、ほぼ元に戻る。全体が柔らかな構造で、あまりがちがちに一体化していないために可能なのだ。堅すぎる構造は融通が利かないので、部分的な修繕は難しい。伝統的な構法は長年の地盤の変形にも、自然に応じて、無理がない。これは変形を一切認めようとしない今日の考え方よりも、修理という点からは、絶対に有利である。また、重要な基礎となる地固めや基礎石を置き直す作業も、それほど高度な技術を必要とするわけではなく、最も重要な耐震要素である土壁にいたっては、学生や一般市民の手で十分に作りなおせるのだ。そして、特に石や壁土は再利用ができ、有害なゴミを出さない。土はそれだけで、ある程度の厚みさえしっかりとつければ、構造的にも強く、火災にも素晴らしい抵抗力を示し、断熱性もそこそこにあり、湿気や有害物質を吸着し、しかも内部結露をおこさないので、木材との相性は最高なのだ。これからの木造建築は、金具を口喧しく強要することよりも、土壁をもっと有効に働かせていくことを学ぶべきだと思う。

 揚げ前作業風景

生きた生活文化を遺す

京都にはたいへん立派な美しい町家がまだまだ数多く存するが、その数倍もの庶民的な町家があり、ともに日々、減少している。今日、この庶民的な町家、長屋の類いでも、それが近代的なマンションよりも低い文化性によって貶められるとはもはや誰も考えないだろう。ようやく、京都の文化が、視覚的な形の美しさによってのみ認められるものではなく、それを日常的、非日常的に支えている生活の生きた文化として認識されるようになりつつあるのではないか。全国各地にある文化財的な保全を施された町並みが、カメラの被写体としては美しいけれども、歩いていて、よそよそしく、生きたまちの感じがしないといった感想はよく耳にするところである。われわれの関心は、つまるところ、町家にかぎらず、織物、陶磁器といった制作されて出来上がった美しい作品から、それが生まれてくる生産現場ないし使われている生活へと広がり、さらには、その作者、生活者の内面の精神文化へと深まって行くものだろうからである。

 みせ土間2階の床板を張る学生たち

 とすれば、かような建築に憬れて全国から集まって来ている京都の学校として、われわれの今後の仕事は、町家を見て歩きながら学ぶという段階から、それを自らの手で直し、再生するということ、さらには、そういう町家に住みこんで生活を学ぶという段階へと歩まねばならないのかもしれない。

 

                         荒壁塗りを終えたところで記念写真

(文と写真 さのはるひと)

件名「K氏邸改修工事」/ 設計・監理 京都建築専門学校よしやまち町家研究室(佐野春仁・薦野愛・学生・ほか)/ 工事(株)木村工務店/ 耐震補強指導 秋田県立大学木材高度加工研究所 鈴木有 / 左官指導 森田一弥 / 協力「町家改修を手伝う会」/ 後援 財団法人啓明社