音戸山通信 プロヴァンス紀行 2003春−9

 

 第六日目 アルル〜ニース  3月31日の2

 アルルへの道すがら

ポンデュガールを出、タラスコンの町をかすめてローヌ川の畔をドライブ。この辺は意外に工業地帯なのだ。やがてアルルに向かう道に入るあたり、突然、目の前に砂塵が上がった。羊の群れである。農場主がトラックで農場に向かい、白く大きな犬が羊の隊列を整えて農場へと導入している。車を止めて写真を撮ろうとすると、くだんの犬君、こちらを向いてポーズ。一瞬遅く、かわいいその表情が撮れなかったのが残念でたまらない。

 アルル サン・トロフィーム教会(Eglise St-Trophime)

 さて、ローヌが広く青い水面を湛えるアルルの町に着いた一行は、まず中心部にある12世紀ロマネスク寺院、サン・トロフィーム教会へと向かった。いきなり古代ローマ時代の共同浴場がある。アルルは2000年の町なのだ。そこを広場へと抜けると、市庁舎は工事中だ。白い埃が朦々と上がる中、この2000年の歴史のある明るい広場から名高い教会をしばし眺める。驚くほどそっけない教会の西面ファサードに、まさに取って付けたような素晴らしい玄関回りの彫刻群構成がある。近年、ファサードをきれいに修復したばかりと聞く。出来たてのごとくに洗われた白い石彫からは、900年の歴史の重さもまた洗い流されたようだ。

  タンパンの彫刻

 ここには人目を驚かす大きさに代わって、親しく微笑みかけ迎えてくれる近さがある。動物たちも聖人たちも同様に、生き生きとしたいい表情と姿態で、見飽きることはない。この玄関前はすぐ車通りなので、ゆっくり味わっていられないのが残念、一向は内部に入る。厚い壁で構成される内部も素っ気無い。灰白色の静かな教会の全容は、一旦外に出て、有名な回廊に向かう途中ではじめて見上げられた。交差部の鐘楼が実にいい。こういうどっしりとした建築は、基本的な形はできるだけ単純な方がいい。着飾らないことが好ましいと心から思う。

  サン・トロフィ−ム教会 回廊

 明るい日射しが緑の樹々を透かして回廊へと差し込み、回廊の青黒く沈む石柱列と響き合って、海の底にある遺跡にいるような、透明に冴えて実に美しい空間を味わえた。修復の跡をのこす愛らしい柱頭彫刻群はいつもながら、ひとつひとつ、見飽きることがない。またいつの日か再び参じて、ゆっくり彫像たちと対話し、スケッチでもしよう。

   回廊の彫刻

 

  円形闘技場(Amphitheatre)

 アルルは古代ローマ都市そのものだ。ローヌに港を持ち、城壁で囲い、内部に円形闘技場と劇場、神殿、フォルムと共同浴場を有する格子パタンの都市の基本形そのものが、そのまま今日のアルルの町に遺されている。案内図を手にしながら、まさに、2000年前の街路を歩き、2000年前の人たちが見ていた光景を見て歩いているのだ。目の前に偉容を現わす闘技場こそ、その古代ローマの建築で最高のものだ。何という単純で説得力のある造型だろう!

  全景

 午前中のポンデュ・ガールで参ってしまった筈だったのだけれども、日が西に傾く頃になって、またローマ人にがーんとやられてしまった。ついさきほどまで、ロマネスク彫刻をかわゆいかわゆいと愛でていたのに。はるかに大きなスケールで、しかもなんというボリュームを扱うセンスのよさ!石を知り尽くしているのだ。マッスと、マッスを支え、大地へと流れる力の見事な造型。古代ギリシャ人たちは、ローマ人たちのように決して建築で全視覚世界を凌駕しようとはしていない。もっと控えめだ。建築はそれが立地する山や谷、海などの大地の神性に敬意を表するためにみずから遜る(へりくだる)かのよう。神の降臨する風景を活かす建築観があるといってもいいだろう。しかし、古代ギリシャ人とは対比的に、古代ローマ人は、建築で圧倒する。ギリシャの円に対するローマの楕円。円が調和と祈りならば、楕円は勢いと力。静と動。

  たいへんな迫力

  床が抜け落ちた外周廊

  闘技場屋上からの眺め

 アルルと言えば、思い浮かぶのは、ひまわりのゴッホ。今も、ゴッホが描いたとおりの姿で、あの黄色いテントのあるカフェ・テラスがある(Cafe Van Gogh)。あの激情の画家は、しかし、(僕の記憶では)ローマの劇場を描いていない。円形闘技場の屋上からのアルルの赤い屋根の町並みは、その向こうの青いローヌに映えて、うつくしい。ゴッホは、しかしこの風景を描いていない。

 ニース夕景

 プロヴァンスの旅行もアルルで最後だ。ここから、夕方、日も傾きを増す中、どうしてもヨーロッパの最後の夕景をニースで迎えたかった。子供たちのたっての願望でもある。急いで高速道路を東にひた走り、何とか落日に間に合った。子供たちは、ニースがお気に入り。都会的で、オシャレで、ロマネスクや修道院もないからだろうか。

  展望台からの眺め

 出来上がったばかりの日時計

 地中海の夕

 我が家では家族で旅行すると、いつも海辺に出て、石なげをする。普段はばらばらな行動なのだが、不思議に海辺に出ると、揃って、水切り石を探し、水面を切って遊ぶのだ。ニースの海岸ほどそれに適したところはない。ほとんどの石が、大きさと言い、形と言い、丸く平たく、投げるのにうってつけなのだから。たくさん気に入った石を拾い集め、持ち帰ってお土産としたのである。

 

 

旅の終わりに

 長い旅行記をご覧下さり、ありがとうございました。もうこれでおしまいですので、ご安心を。最後の最後に、ニースのコートダジュール空港を出る直前まで、ドライブをしてきました。4月1日です。最初の日の黄昏れ時に、モナコまでドライブしましたが、その折に、その道すがらの風景が忘れられなかったからです。さすがに、モナコまで走る時間はなかったので、ニースの隣の町まで海辺の町を眺めに走って来ました。素晴らしい海の青。コートダジュールの青です。マチス、シャガール、デュフィ、そしてイヴ・クライン

  Villefranche-sur-Mer

  Villefranche-sur-Mer

 岬を回ったところで美しい眺めが現れた。車を止めてしばし眺める。見れば、たもとに記念碑があった。この素晴らしいドライブウエイを「グレースケリーの道」と呼ぶのだと。碑の先、竜舌蘭の傍らに、ステッキに凭り、静かに風景を眺めているひとりの老紳士の姿があった。散策の途中にここに腰掛けているのだろう。その品のある姿は、もの憶いに満ちた表情とともに、なぜか忘れられないでいる。....今にして思えば、あのように、しずかにゆったりとものを憶いながら眺め入る、そんな習慣も、人も、場所も、風景も、極東の多忙な国には喪われてしまったのではないかと。ほんの小さいところでもいい、少しずつでいいから、そういう場面をつくって行きたいものだと、つくづく思うのです。

(文と写真 さのはるひと)