音戸山通信 プロヴァンス紀行 2003春−9

 

 第六日目 アヴィニョン〜ポンデュガール  3月31日の1

アヴィニョンのホテルにて

 29日と30日の晩はアヴィニョンのホテルに泊まった。市の目ぬき通りに面したホテルの僕達の部屋からは裏にある文化財サン・ルイホテルが目の前だ。この窓の風景はとても気に入った。普段、見上げてばかりいるバロックだが、間近で見るディテールはいいものだ。合間合間にこの裏通りをぼんやり眺めていたが、どうしてこれをスケッチしなかったのだろう。ゆっくりできたのに、惜しいことをした。ちなみに、子供達の部屋は賑やかな表通りに面していて、テラスからの眺めも楽しかった。

  市庁舎

 アヴィニョンはローヌ川の水運で栄えた町であるが、何と言っても、繁栄は法皇庁が経営された14世紀。この町から法皇庁の建物とサン・ベネゼ橋を除けば、たいした見物はない。でも、その二つは素晴らしい。どう見ても、さほど美しい建築とは見えない法皇庁であるが、その重厚感、存在感には目をみはるものがあった。3日間、市内を散策しながら、この法皇庁の重みをしっかりと味わったような気がする。

  早朝の法皇庁

  重厚感のある法皇庁

 この法皇庁の建物は、広場から見る限り、教会というよりもむしろ砦といった印象が強い。全体の姿と部分の調和とか、有意味の装飾の適切な配置とか、そういった配慮が微塵も感じられない。あたかも突然の来襲に備えるように、とにかく急いで拵えたもののようである。それはローマからこんな田舎に引越を余儀無くさせられた法皇庁の状況からしても、無理からぬところだろうか。

 法王庁のスケッチ

 ここでまたスケッチを。なんだか大きさがわからなくなってくる。でも、粗粗しさに嘘がなくて、描き終わった頃には、この建物とアヴィニョンの町が好きになっていた。

 

  サン・ベネゼ橋(Pont St-Benezet)

 法皇庁からさらに北に歩くと、城壁に接続した形で、有名なサン・ベネゼ橋がある。とにかく姿の美しい橋だ。ゆったりとしたプロポーションのよい柔らかな弧を描くアーチが実にいい。見れば、ひとつひとつのアーチがみな大きさが違う。その軽やかさな印象は、第一にこの橋の巾の狭さにあるだろう。有名な「橋の上で踊ろよ踊ろよ」は、しかしこの巾ではとても無理だ。「輪になって踊る」なぞとんでもない。第二に、通常あるだろう手摺がない。もちろん今は鉄製の手摺があるが、石を積んだ壁の立ち上がりが無い分、軽やかに見える。橋を築いた12世紀のその昔、手摺はどうなっていたのだろうか?そして第三に、第二スパン目に附随して建てられたサン・ニコラ礼拝堂だ。これがまた実にうまく釣り合いを保っている。でも、建造された折には、この広い川幅に22のアーチ、延長900mもの堂々とした橋だったという。礼拝堂はもう一つ向こう岸近くにもあったかもしれないな〜と、勝手に思っていた。たまらなくスケッチをしたかったな〜。

 Sur le Pont d'Avignon

 橋の上で記念写真。背後が法皇庁の一群の建物。朝日が川面に美しい光景をもたらしてくれていた。

 橋の上からローヌ川を眺める

 朝日を浴びるサン・ベネゼ橋の上流側

 上流側は礼拝堂があるためか、やはり裏側という印象をまぬがれない。この橋の美しさのもうひとつの契機に、それが橋として機能していないということもあろう。17世紀、ローヌの度重なる氾濫にもはや再建をあきらめた市民たちも、すべてを取り払おうとはしなかった。橋であることをやめたこの建造物は、それ以来、礼拝堂と一体になってこの町のシンボルとして市民に愛され続けたものだろう。ローヌの美しい水の流れとともに、サン・ベネゼは旅人の心をおおいに潤してくれた。

 

 ポンデュガール

  Pont du Gard

 古代ローマの都市ニームへ山の水を引く水道がローヌ川の支流であるガルドン川(Gardon)を超えるために設けられたのが今日のガール橋である。と、一言では済まない。何と言っても、2000年前の代物が、いまだに当時とほとんど姿を変えずに残っているのだ。すでにローマ都市はとうの昔に滅び去っているというのに。何と言う無駄遣い!と言うべきだろうか?いやいや、今日、それはならぶもののない世界遺産として年間数百万の観光客を集めているのだから、すごい仕事だ。そんなすごい仕事は無駄を覚悟でなくては到底できっこない。

 

 とにかくでかい。男児ならこんな仕事をしてみたい!というくらい大きい。

 アーチは3段になっていて、高さは48mという。とにかく大きい。南禅寺の境内を走る疎水橋とは較べものにならない。あれだって、立派なものだ。でも、やはり明治の京都の話しなので、古代ローマとはスケールが全くちがう。そしてちっとも優雅ではない。これだけの大事業なんだから、少しくらいはちょろちょろっと端ッこに飾り柱なんか付けて、いいでしょう、なんて気取ってみればいいようなものが、あくまでもどんどんと粗石を見事に積んだままだ。土木っていうのはこうするんだ、と言っているようなものだ。事実、驚くべきことに、2000年もの間、ずっとこうして立ち続けて来た。チクショー、やるなーってなもんだ。昨日、カルカソンヌですごいすごいと感嘆してきたのは誰だ?

 こんなものを見れば、いい顔をするさ

 川もきれい 大きな鱒がいた 

このアングルでは不思議に薄っぺらに見える

 昔はこのてっぺんを歩いたんだぜ、信じられる?

 ガイドブックの写真を見ると、この水道橋の上を人が歩いている。よーし、俺も歩くぞ、と思うでしょ。でも、一番下の段を歩くと、手摺がない!こわくて川を覗くこともできない。端から1mくらいのところまでが精一杯。山に登り、水道の蓋の上には柵があって立ち入れないことがわかり、大いに安心した。巾は見たところ、2mもなさそうだった。歩いている人たちは、きっと鳶職にちがいない。

 駐車場からのアプローチにあったボリー

 今日は古代ローマと中世という二つの時代の橋を見たわけだ。どちらも強烈に印象に残った。なんというアーチの違い!でも、どちらも橋として、余計な飾りがなく、何か純粋で根本的な美を湛えている。だから、2000年、1000年もの間、すでに本来の機能を失っても、その石材を流用しようということにはならなかった。どの時代の民たちにも、すぐれて讃えらるべき仕事として大事にされてきたに相違ないのだ。

(文と写真 さのはるひと)