音戸山通信 プロヴァンス紀行 2003春−2

 

 第三日目 ル・トローネー 3月28日

ル・トローネー修道院 

 ニースから高速道路をひた走り、山あいの田舎道を行くと、ル・トロネの小さな村を過ぎ、谷間の木立の中に目指す修道院が見隠れしてくる。付近には土産物屋も何もない。山を削っただけの駐車場があるだけだ。ウバメガシによく似た木立の中を歩くと小さな小川があり、それを小橋でまたいで、門に入る。門の横の案内所を経て、正面に簡素な聖堂がある。

聖堂正面 意外にそっけない 入り口が側廊にしかないのも珍しい

 近年の修復のおかげで、とてもきれいな石積みという印象だった。粗粗しく重厚な石造という感じがあまりしないのは、積まれている一つ一つの石がそれほど大きくなく、温かみのある柔らかいベージュ色の石灰岩ということにもよるのかもしれない。それにしても、あまりに簡素な聖堂の正面には、合点が行かない。内部ではあれほどまでに周到なデザイン意志を見せている割に、正面は面としての文節もなければ、それに代わる抱きの空間の巧みさもないようだ。ただし、それはそれで、しっかりと見据えられた美しい味のあるデザインとなっているのだが。身廊正面に入り口がなく、側廊のこれ以上ないほど簡単な入り口から入る。しかも、ここだけは、その上に穿たれた窓と軸線をずらしている。

聖堂内部 実に簡素

 聖堂の内部に入ると、外から見たよりも二回りほど大きな空間があった。シトー派らしく、原則的で簡素なかたちそのものの美しさがとても気持ちがよい。身廊と側廊との間のアーチを支える柱も、柱というよりもヴォールトを受ける壁という風に見える。そこに付けられた線状のリブも、あっさりしたもので、しかもその要所要所での受け石が実に簡素な形態にまとめられている。これは相当によく練られた形の処理で、余分な装飾を排除するという理念の元ではあるが、それに代わるしっかりとしたデザイン意志と形態処理に関する統一したコンセプトが感じられる。

  僧坊(ドーミトリウム)左を上がると回廊屋上に出る

シトー派修道院は定型の伽藍配置を持っており、ここでもそのまま忠実に守っているようだ。聖堂からいくらか降りて回廊があり、少し階段を上がって僧坊へと通じている。僧坊、ド−ミトリウムはほぼ半円形のヴォールト天井で、深く掘られた窓の連続する部分とその上部のヴォ−ルト部分との比例関係はとてもいい。そこに最小限に付けられたリブも実によくこの空間を引き締めている。この内部も、外部壁面も、ともに一貫して、無地の壁面や空間をきちんと感じながら、各部の寸法が決められている。一見おおらかで朴訥な建築とみえながら、どうしてどうして、そこにはかなりしっかりとした意図的なデザインと、計算がはたらいている。ただ、それは素直な観照にあって、いささかも邪魔するものではない。

  回廊と僧坊、聖堂交差部の鐘楼を望む

ル・トロネーの建築の妙味は、傾斜した土地のレベル差をそのまま取り込んでいるところにある。それがもっとも功を成しているのが、有名な回廊の空間だ。回廊の屋上から眺めると、この段差はあまり納まりのよいものではないが、回廊の内部を歩くと、実に楽しく美しい空間となっている。

 回廊内部 

 よほど建築家はこの回廊が好きなのだろう、段差のある回廊の景色はかつて何度となく雑誌や写真で目にして来たものである。実際、暗い聖堂から小さなドア越しにこの光射す風景がひょいと現れて来た時のおどろきといったら...。段差もそうだが、この回廊は他の寺院で今まで見て来たものとは確かに異なって、まず、壁が厚い。厚い壁に連続して穿たれたアーチ窓というよりも、ヴォールトと言った方がいいと思えるような穴が連続している。開口部の間の柱は、やはり壁の残りと見るべきだろう。その一つ一つのトンネルの間に日本の灯籠の竿を思わせる太短い柱と小アーチが納まっている。角度によって、この間のアーチの見えが少しずつ変化して、歩く位置の変化を気付かせている。この厚さと重さのプロポーションに石の粗あらしいテクスチュアがよく合っている。粗粗しいけれども、小アーチが壁柱に溶け込んで行くところなどは実によくできていて、手抜きの粗さとは全く別物である。

 泉殿

  聖堂に沿った側の回廊にはベンチが両側に設えられていて、対面して修道士たちが座して議論したりできるようになっているのだろう。この中庭を挟んで正面には泉殿があり、しゃらしゃらと細かな水音が反射しながらここに反響していただろう。

 北面スケッチ

 最後に下手なスケッチをご覧いただこう。もっと大きな掴み方で手前の部分まで入れて、斜面に抗して建てられた修道院の迫力のある一面を描きたかったのだが、葉書サイズのかわいいスケッチブックなので、ちょろちょろとしか入らなかった。普段からもっとスケッチをしておかねば、いざというときに描けないものだと反省。周囲の地形や風景を描き込んでこの建築にこめられた意気込みを表現したいものである。

(文と写真 さのはるひと)