音戸山通信第15話 (改訂版) 2001.01.20(2000.03.18)

音戸山の家(4) 実施案 素顔

 講座第15話は音戸山のわが家の4回目。前回、「樹の家」、「森の家」まで到達した、という話をしました。実際、あんな家をつくりたくて仕方ないのです。でも、町中では、いろんな制約があって、実現はかなり難しい。田舎でないと無理です。(それで原田さんの朽木山荘が出てくるわけです。)

 現実にコストを考えると、とても無理なので、残念、いつまでも遊んでいるわけにも行かず、現実案をつくり始めることに。第13話の最後に紹介した「象の鼻」案がまた浮上。画像に見るように、3間×3間のコンクリートの箱(スキップしている)に木造部分を載せ、コンクリートと木との絡み合いを主眼として纏めてみた。断面的には、地下1階、地上2階だが、全体の高さを押さえたかったので、2階を屋根裏部屋にした。

平面スケッチ

断面スケッチコンクリートが2層となっている。階段の踊り場にピアノが来る

 下の画像は、そのほぼ同じ案で、室内の展開図を描いたもの。上は入口とピアノ室の方を見ている。スキップしているので、ピアノ室とキッチンとが上下に重なって一緒に見える。下は南側の縁側に立っている木の柱と筋交い柱とが、丸い大きな開口から見えているといった具合。この展望テラスもなかなか気に入って、北山杉の間に見える風景を想像してはよろこんでいたのだが。

リビングからキッチン、ピアノの方を望む展開スケッチ

リビングから縁側(展望テラスを望む展開スケッチ

 しかし最終的には、コンクリートはコストが高く、地下部分だけに。木造3階建てにして下から木造で全部組み上げる手もある。どうせ太い丸太柱を多用するので、構造的には大丈夫だろう。ただ、湿気や水回り諸室を含むこと、周囲の石垣が崩れてきた時の支え、などを考えると、コンクリートの方が安心。半地下になることもあって、コンクリート1層、木造2層の構成を考えることに。最終案の図面から1F平面図と断面図を拾っておこう。

1F平面 

 1階にはいわゆるLDKをもってきた。入口は末広がりの土間で、ガラス屋根。明るく観用植物が映える。温室ともジャングルともいえぬ玄関が欲しかった。この絵では玄関に石敷の踏み込みを作っているけれども、最終的には止めて、外で靴を脱ぐことにした。農家の感じ。そのままウッドデッキテラスへと連続している。変な形をしているのは、できるだけ長い直線を作りたかったから。南側の大きなガラスFIX窓も、平面図では今のように出窓になっていない。これは現場で変更した。入口脇の棚も現場で斜めになった。(もっとも、これは多少評判が悪い。でも、広さを感じるようにはなっているはず。)

 断面図 梁材はほとんどが60×240の合わせ梁

 断面図を見ると、この家の構造がよくわかる。いわばトラス構造になっている。最初は子供部屋を作らないで、大きな吹抜けを2、3年存分に味わって、そのあとで作ろうと思っていたのだが、家族の大反対にあって、つくることに。ピアノ側だけ斜めにして、南側は吹抜けとせずに床をまっすぐにしてもよかった。その方が落着くだろうし、また2階にちゃんとした部屋が作れる。天井高も十分に確保されている。が、それでは普通に住める。ここではすべてが一室につながっているという感じを強調したくて、敢て吹抜けとした。他者の家なら、こうはできなかったろう。作ってみると、案外、廊下の三角の空きがなかなかいい。廊下で下を見下ろしながら着替えるのが気持ちいい。着替えているのが下から見えるけれどもね。この空きから着替えや洗濯物を下にほいほいと投げられるのが、実に好評だ。さぞかし行儀の悪い子等が育つであろう。

 屋根勾配は10/10から7.5/10に落とした。全体に高さを押さえる必要があるのと、10/10の大屋根は見た目にもとてもきつい。7.5寸勾配の屋根は歩いて昇るのに掴まるものがなくとも何とかなるが、とてもこわい。もし、落ちてもお墓まで一直線には行かず、庭の植え込みに引っかかるようにしてあるが、運が悪いとお墓へ一直線だ。

 音戸山の家の素顔

かくして出来上がったわが家 3年目の冬のある日の平常の姿をご覧いただこう

 住宅が竣工すると、いわゆる竣工写真を撮影する習わしがある。ぼくもよく撮る。かつては写真屋に撮らせていたのだが、どうも彼らは建築を見ない。(写真家は違うらしいが。)ただ、竣工写真は、大抵の場合、まだ住み手が登場していないことが多い。理由はいろいろある。でも、その住み手のためにこしらえた住宅なのだから、ちゃんと住宅になってから写真を撮るべきだろう。後で比較してもらえばわかるように、実際、その方がいい。(ちょっとは中のものを移動することはあるけれどもね。)今回は、ある日、ひょいと撮ったデジカメの画像を紹介しよう。ほとんどそのままの素顔だ。もちろん、女房どのの許可もないままなので、少々具合が悪いかもしれないが、そこはちゃんとまずいところは写らないように工夫した。

玄関?吹き放しで半分外部 靴や傘、洗濯物などが一杯に並んで、ああ、アジアだなー。

冬の間は植物が家の中に避難して来る

 リビングは4本の丸太の柱で構成。各柱とも壁や棚などが扱いを変えてついていて、四天柱のような強い印象は和らげられている。リビングは当初は板敷きだったのを、最終的には畳敷きに変えた。なんといっても僕も女房も畳に寝転がるのが好きだから。

リビングの吹抜けからピアノ、キッチンを望む

れは竣工写真 空間の成り立ちはわかりやすいけれどもね

 キッチンは床を40cm下げて、立位と座位と目線を合わせている。というよりも、居間に寝転んだときに、テーブルや椅子の脚や座の裏面が見えるのはとても耐え難い。40cmの段差は腰掛けて食事するのに便利。わが家のキッチン回りは、見えよりもコンパクトな安易さを選択したが、毎日のことを思うと、遠く離れた厨房よりも、人間関係はうまく運ぶように思われるのである。

出窓からの眺望 下に一風変わった石庭が...

 BFには小さな6帖とアトリエ、水回り。土地の段差のために、完全な地下ではなく、窓がとれるので、風通しや採光が可能なのは嬉しい。6帖は客のための部屋(普段は納戸)。客のほか、留学生や姪が使っていた。アトリエというのは僕の部屋。今、パソコンを打っている部屋。この図面には暖炉がまだ入っていない。斜めの戸は案外使いやすかった。ドライエリアには他の現場で交換されたものを安く手に入れたもの。5年ほどほおっておいたので、使えるかどうか不安だったが、今のところよく動いている。暖炉も、ボイラーも、ここの便器も、再利用品。

BF 暖炉は再利用品 引き戸は斜めに倒れている

 この床下はベタ基礎になっていて、その間の空間は換気扇で室内の空気を吸い込んで外に引っ張るようにしている。そのうち、暖炉を作り替えて、床暖房ができないものかと考えている。この暖炉は多分に飾り用で、90%の熱量は逃げて行く。僕はちゃんと自分で設計するのだが、今回はお金もなく、再利用品を。

踊り場からの眺め ボルトはハンガーを吊るすのにもってこいだ

 2Fは、階段の踊り場のピアノスペースとWC、ちょっと昇って廊下の突き当たりに3帖ほどの小さな部屋。夫婦の寝室にする。この部屋は完全に宙に浮いていて、現場では、恐くて止めておけば良かった、と後悔していた。下を見ると、お墓しか見えない。何か暗示している?でも、寝ながらにして、東山から昇るお月さんが見えるのは、なかなかいい。布団もそこに干せるよう、値は高いが、樹脂サッシュのドレーキップ(内倒しと内開きが可能な窓)仕様にしました。点検や修理の時などここから屋根に伝っていく。(滑り落ちたらお墓。)

 そうそう、寝室は必ず布団を干せるように作ること。湿気た日本の鉄則だ。こどもたちの部屋も布団をすぐに干せるよう、ベランダを作った。無いのは地下の客間。よいしょと外に運んで干すか、上に持って行って、テラスの手摺で干すことになる。(もっとも、女房殿は僕の机の上に布団を拡げて干す。窓越しの日光で十分とか。)

子供部屋には簡単なバルコニーがついている 由也がガラスを洗っている 日除けの葦をガラスの上に敷く時と払う時と年2回のことだ ガラス勾配は1/10

 2F廊下からちょこっと昇ると子供部屋。床が斜めになっているので、とっても狭い。君たち、早く巣立つことだ。巣立ちで思い出した。隣の家に5角形の鳥の巣箱が飾りにおいてある。それがこの家にほとんど同じ形であることを近所の子供たちが指摘してくれた。(決してそれを真似たのではないぞ。子供部屋の窓はご覧の通り丸くはない。)

後記

 これで音戸山のわが家の紹介は終わります。長々と設計の途中経過を含めて説明して来たのは、まあ、建築家(と言えるほどではないのですが)が自邸を設計するというのは難しい、ということをつくづく実感したからです。施主が設計家なのですから、設計側がこうしたいと思えば、施主はすぐその気になる。その気持ちが痛い程よく分かるからです。そこのところで通常の場合にはたらく抵抗がないので、いくらでも設計案がうつろってばかりで、終わりがない。結局、2年間、やっていたわけです。大きな解決すべき問題が山ほどある難しい建築なら2年はすぐでも、こんなちっぽけなローコスト住宅で詳細を詰めずに2年もああだこうだとやっていた。それほど住宅は面白いということでしょう。

 建築家の自邸は、言ってみれば、自分の主張の反映です。普段他人に言っていることを大なり小なり実現している見本みたいなもの。でも、有名建築家の自邸というのは、大体が豪邸とまでは言わないけれども、たいへん立派な家が多い。ちょっとイヤミじゃないですか。そういう豪邸に住むような施主層とばかり付き合っていれば、それでいいのかもしれないけれども。それよりは、小さく貧しくても豊かな家、あるいは品のある家、と言われたほうがいいです。

 僕の場合は、品は望むべくもないので、ひたすら実験です。普通はやりたくてもできない冒険をこの機会にやっておく。自分で責任を取ればいいのだから、なんでもできるわけです。とすれば、普段は禁じ手となっているようなことを網羅してみたくなる。先の上階の部屋を犠牲にしての吹抜けや、わざわざ屋根裏部屋にする、踊り場のピアノ室、上に行くほど大きくなる不安定な形、挟み梁構造、徹底的なスキップフロアー、納まりの悪い材料、ふぞろな階段、危ない手摺、狭い子供部屋、すきま風を生じる細部、どこで靴を脱いでいいのか分からない入口などなど。

 施工に対しても、寸法誤差は5cmまで許す、きれいに納めようとするな、目違い、隙間、ひび割れ、狂い、すべて恐れるな、といった具合。それで正直さと力強さが出てくる。ローコストなんだから、そうそう細かなところで美しくできない。大工にも構造即仕上げというイメージを理解させる。カーブなどは僕自信で決めて、自分で切った。このくらい下手にやれと。それよりも、楽しくやりましょう。竣工検査に来た工務店の上司も、一目見て、チェックは不可能と断念。それほど、普通で言う仕上がりはひどいものでした。

 長くなって来たので、建築家の自邸は実験住宅であるということで今日のお話はお終いにしましょう。