東北大震災に思う---原発を必要としない住まい

 三月十一日に起きた東北の大震災は、これからのわが国の行き方を大きく変えることになるだろう。十六年前の阪神淡路の震災はそれなりに大きなインパクトを与えたが、今にしてみれば、建物の耐震性、安全性への技術的な見直しにとどまったように思える。対して今回の東北の震災では、未曾有の津波被害に加えて、今後もなお脅威でありつづける原発事故によって、われわれは生活の何か基本的なところから考え直さねばならない。いや、前からそうだった。とうに原発に代表される科学技術に支えられた生活を反省し、足元の地球、身の回りにある自然を見直す時機に来ていたのだ。今回の反省が単なる省エネ規準や自然エネルギー利用拡大といった技術的方向に流れるだけに終わってはいけないように思う。

町長がアンテナにつかまって助かったという庁舎です。たくさんの方が亡くなられてます。ご冥福を祈ります。(南三陸町 防災対策庁舎 2011/04/14撮影 大江忍

大津波の教訓1:災害イメージを一人一人が持つこと

 科学技術の進化は人々に元来自然に備わっている環境対応能力を知らず内に削いでしまう。技術は元来、そういうものだ。一人ひとりが直に周囲の環境の変化や身の回りに起きるちょっとした危険信号に気づく注意力を失わせてしまう。そのことは、今回の震災で、津波なる天災に対して人々がとった行動を見て気づかされる。かの沿岸地は、かつて大津波を経験している地であり、強い揺れに、尋常ではないと誰もが大津波を予感し得たはずである。にも拘らず、避難しなかった人がかくも多数いた。予感が行動に結びつかなかったこと、大津波の具体的なイメージを抱けなかったことに、大きな問題がある。まさか、ここまで津波は来ないさ。現代人にはそう安心させる心理的な何かがはたらいている。

 こう考えている私は、ほかならぬ京都で近々起こるとされる大地震の際の被害想定を思っている。盆地全体が大揺れし、千年の都が崩壊するかもしれないそのイメージを、可能な限り具体的にシュミレーションして前もって想定しておく。その上で、われわれはどんな対処をしておくべきか、一人ひとりが備えておく必要があるだろう。

津波の予防にたぶん上げた家でしょうが、被害にあっていました。ここは、海から1キロ以上もあるところです
(コメントと写真:同上)

大津波の教訓2:天災は想定を超える

 被害の想定は確率論をもとに行う。あまりに過大な災害想定はその対処にたいへんな犠牲を払う。したがって、極端な災害想定は、無視できないにしても、平和時の対策検討から外される。まさか起こらないよね。およそ、対策は無理のない範囲内で行われる。災害想定も無理のない範囲内で逆算されることになる。いつしか対策が無理な災害は起こらないものと考えられ、結果つくられた防潮堤は安心を住民に与える。それを打ち破るマグニチュード9という大地震は起きないものとされる。人は対処しようのないものについては考えないようにすることで、不安から逃れようとするものだ。この飛行機は堕ちない。私は死なない。想定は、あくまでつくられた安心材料でしかない。したがって、人々の思いをよそに、自然はしばしば想定を超える振る舞いをする。



チリ地震の時の水位を示す看板も無残に倒れてました(コメントと写真:同上)

大津波の教訓3:首長の町づくりの仕事

 しかし、だからといって、想定に意味がないわけではない。研究者、技術者の意見をもとに、首長や議会が民に適正な負担の分配と安心な生活基盤をもたらそうと努力した結果の所産だろうから。ただしその際、これで大丈夫、安心しなさいと民に伝えながらも、それが絶対のものではないこと、その時が来るかもしれないことを忘れさせないでおくことも首長の仕事である。

 一方、住民もそこに絶対の安住や保証をもとめるべきではない。万が一の場合にどう行動すべきか、イメージの上かあるいは体験的な練習をしておかねばならない。また、その際に失われる財産をどう確保するか、考えておいた方がいい。地下に置かれる安全金庫という手もあるだろうし、あるいは高台に蓄財できる週末住宅を持ち、普段は平地の経済的な家で過ごすという方法もあるかもしれない。現実には、三陸の沿岸地では急峻な山に取り付いたわずかな平地に町を形成していたのだから、山を削って町をあらたにつくるというのは土台、無理のように思う。ましてや、海の男をはじめ海に生計を依存している人たちはかなりの割合になる以上、ふだんは沿岸を離れられないのではないか。

 たとえば、沿岸の町として、そこそこの津波にも耐えるが、今回のような想定を超えた大津波には洗われても仕方ない、ただ、流されても後の負担を軽くできるような堤に護られた町を考えることはできるかもしれない。高台の週末を過ごせる家や施設という生活スタイルが、新たな個性的な景観とコミュニティをもった魅力をもったまちづくりにつながる可能性もある。

新しい電信柱が立っていますが、まだ電気がきてません(南三陸町4月14日 コメントと写真:同上)

原発事故の教訓1:うまく機能しているところで語られる安全性は信用できない

 建築は基本的に動かない大地の上に建つものであり、動き踊る大地の上でそれがどんな挙動をとるか、イメージするのはなかなかに難しい。事故が起きてから気づかされるのが常である。昔、大学で研究している友人から、原発は人間の手には負えない化け物だと聞かされていたので、なるほど、こういう事態になるわけだと納得させられたが、そこは専門技術集団が大勢いるのだから、被害の拡大を抑えるのに、もう少し何とか手立てが考えられているだろうと思っていたことも事実である。

 日頃からもっともその危険性を肌で感じていたであろう現場職員たちの、災害を食い止めようと必死に努力している姿に敬意を表する反面、経営側のあまりにもお粗末な危機対応に失望させられた。人間の愚かさ、危機イメージを現実のものとしてしっかり把持しておくことの限界を感じる。先にも書いた想定を超える津波を想定できないのではなく、想定しなくてもよいと思ってしまっていることに問題がある。

原発事故の教訓2:原発に替わる省エネルギー開発?

 どうやら、人類は繁栄の頂点から下降に向かっているようだ。何をもって頂点とするかは当然議論の余地があるが、飛躍的な発展の夢が描きにくくなったように思う。かつて世界をリードしていたアメリカがそうであるように、わが日本の経済力にも陰が差してきている。お隣の中国では、まだまだ人類は発展途上であると言うかもしれないが。少なくとも、日本のひとびとは、化石燃料の枯渇、気候変動を起こすCO2の発生抑制、少子高齢化に加えて原発の失敗を目の当たりにして、いよいよこれからは今までのように好き勝手な発展は許されないだろうと感じている。

 いや、すでに今回の大震災以前から、一途な経済発展を計るのではなく、地球環境を横目で見ながらの緩やかな発展の必要性を誰もが考えていた。いつかはエコロジーな社会をと気分を整えているところへ、いきなり、震災、原発事故となって、節電生活が現実のものとなった。節電はそれ自体は望ましいことではあるが、経済活動を縮小させてしまう。多くの資源や食物を海外からの輸入に頼っているわが国では経済力を失うことは何としても避けたい。といって、有効な代替エネルギーが簡単に手当できない以上、省エネという新たな消費を積極的に発展させようと考えられた。すでに、石油資源の無駄遣いへの眼はまず、車に向けられた。燃費向上がメーカーの標語となり、こぞってハイブリッド車や電気自動車の開発競争が行われ、車経済を押し進めている。

原発事故の教訓3:原発を必要としない住まいイメージ

 次に、節約という名の開発の眼は住宅に向けられた。「省エネ住宅」である。大手ハウスメーカーはこぞって省エネ住宅の開発にしのぎを削り、太陽光発電パネルを頂いた高気密高断熱の家がずらりと並んだモデル地域のイメージが出来上がった。家は魔法瓶さながらの生活容器となり、電気に関しては自給自足どころか、余ったときには他所に回してあげようという。もはや、昔ながらのすきま風の吹く家など、犯罪ものと言わんばかりである。

 また総合的な「環境共生型住宅」も登場した。「地球環境の保全」、「周辺環境との親和」、「健康で快適な居住環境」の3つの環境共生理念に基づいた住まい、まち、暮らしを目ざすとある。(一般社団法人環境共生住宅推進協議会サイトより)

先ほどの省エネ住宅の考え方を基本としながら、もう少し視野が広く、そこでの住まい方も合わせて地球環境ないしは周辺環境にも配慮した住まい方を謳うものであるようだ。このサイトには、多くのすぐれた住まいや暮らし、まちづくりの実例が紹介されていて興味深い。

 京都のまち暮らしを愛する若者たちの住まいイメージ

 一方で、わが京都で伝統の町家住まいを愛する若者たちがいる。ぼろ町家の修復を通して伝統の住まい方に馴染み、通常いわれる便利さ、快適さとはまた違った居心地よさを知ったという若者たちが増えている中、そんな「まち暮らし」を広めようとグループを結成、活動しているCHOBOメンバーにこれからの住まいイメージを聞いてみた。快適なマンションよりもぼろ町家に住みたいという彼らは、先ほどの高気密高断熱の住まいとはまた違った住まいイメージを持っている。

よしやまち町家で住まいイメージを語るCHOBOメンバー(写真:筆者)

S君 現在、建売り住宅に住んでいるが、震災以降、電力消費に気をつかうようになった。

「ていねいな暮らし」とでも言うか、住むことに前よりも細かな気をつかい、ちょっとしたこだわりを持つようになって、家との付き合い方を見直している。町家でなくてもいいのかなと。

Y君 以前は民家に住みたくて、滋賀県の茅葺き民家に住んでいた。現在は鉄筋のアパートに住んでいる。民家や町家の面白さは、自分でつくれる、手をかけられるところにある。省エネ住宅という考え方、それをベースにした環境共生住宅も、何か閉じこもった空間をもとにしていて、根本的にはやはり環境をコントロールしようとしていて、本当の共生とは違う行き方のように思う。最近、鉄筋の壁に土を塗ってみたが、案外、気持ちよい。S君と同じで、民家や町家でなくても、手をかけてやることによって、住まい、暮らしに深みが出て来るように思う。

N君 下京区にある長屋の美しいしつらいに感動して、ここに住みたい!と思った。費用が抑えられるという現実的な理由から、友人とシェアーして住むことになった。住んでみて、冬はすごく寒いが、庭を通して外の自然を感じられるし、長屋の人たちとの共同社会に参加していることにも喜びを感じている。

市中の閑かな路地長屋は戦前と変わらぬたたずまい 下京区にて(写真:中村侑介)

Rさん 雨が漏って困らせたりするけれども、長屋住まいは快適。土間にしても、隙間だらけの窓にしても、暮らしの感覚に満ちている。消費する人が省エネに意識的になるのであって、消費しない暮らしには、高気密高断熱は不要に思う。消費しないことで心地よく住める。

土壁の住まいの心地好さ 中京区の長屋にて(写真:筆者)

 彼らのインタビューから一部を紹介した。彼らはいずれも社会人ではあるが、まだ多分に学生気分でいるのかもしれないが、彼らにとって、家は「快適」や「便利」を備えるべきものでは必ずしもなく、特段の立派さも美しくさも求めない。ただ、自分がそこに主体的に住む、愛情をもって暮らす、「住みごたえ」を得られることが大事だと。

 彼らの住イメージは、言ってみれば、「棲処」(すみか)、つまり、受動的に与えられる快適で便利な住宅ではなく、能動的に自分たちでつくっていく暮らしの場。ことさらエコロジーな生活スタイルを目掛けているわけではないが、結果的に彼らの暮らしはエコである。

裏路地の平和な長屋のたたずまい つどい住まうことで気づくことがある 伏見にて(写真:筆者)

京都ならではの住まい文化

 町家や長屋に代表される京都の暮らしには、彼らの住まい観にとって大事な要素がいくつかある。「京都スタイル」とでも言えるものを彼らに挙げてもらった。

第一に、町家とくに長屋の多くは借家であって、自己所有の家ではない。所有にこだわらない。

第二に、まち暮らし。まちに他人と一緒に住む。ほどほどの距離のあるつきあい方がある。

第三に、家が自然素材でできている。外なる自然との一体感、共生の空気に満ちている。

第四に、自然素材の家は常にケアーが必要。ケアーする自分が家に求められている。

第五に、すべて、やがては土に還る。

 そんな自然に開かれた町家の住まいが洗練されて一つの文化として定着し、住まいの規範として各時代を通じて目ざされるものとなっている。そして今、それを志向している自分がここにいる。その意味で、自分は京都の歴史を生きている。歴史的な存在としての自己了解と言っていいだろう。この自己了解の充実が別次元の快適さ、張りのある居心地の好さとなってあらわれる。そこに京都で発展した諸々の生活文化の基本姿勢があるように思う。 

 若者なればこその経験と人は言うかもしれない。やがて家族をもち、高齢者や障害をもつ人との共同生活をも経験して行く中でも、ほどほどの暮らしが実現できるだろうかと訝るかもしれない。だが、京都にかぎらず、このような自然体で家と一緒に育っていく暮らしは、少なくとも、そこで暮らす人に生きる力を与える。能動的な住まいの力だ。いくら快適で便利で、エコであっても、それを甘受するだけの暮らしは、人を甘やかし、いつしか動物的な生命力を弱めてしまうのではないだろうか?高気密高断熱の魔法瓶住宅は、確かにエネルギー消費を減じてくれるかもしれないが、生きた外界との細やかな関わりをも断ってしまう、何か人工飼育的な保育カプセルを思わせてならない。

 私は脱原発が叫ばれている今、その先に向かう健全な住まいのあり方として、ただ省エネを目掛けた効率的な住宅ばかりではなく、伝統的な住まいの姿勢を今一度しっかり眺め直してみることの重要性を若者たちに教わったような気がしている。

東山区の町家の改修を行う京都建築専門学校の生徒たち(写真:筆者)

(京都建築専門学校 佐野春仁)