椋川の民家を残す  2009  


 muku00.JPG椋川集落のスケッチ さの

 話は3年前の冬のこと。町家研究室の顧問をお願いしている鈴木有先生に、滋賀県の湖北の椋川(むくがわ)という小さな山村に茅葺き民家がある。それを何とか保存したいので、手伝って欲しいと頼まれた。行ってみれば、12、3軒の家がある集落で、ひときわ大きな茅葺きの家。お住まいの老夫婦の話は、例にもれず、子どもたちは町に出て、もうこの家のお守りもできないので、壊して住みやすい家を新築したいという話。

muku01.JPG 「長五郎」家

 「長五郎」という屋号のある家はひときわ目立っている。見たところ比較的新しいつくりの農家で、明治14年の上棟とか。この辺りでは「大浦型」と呼ばれているタイプに属する家である。この集落のほとんどがもと茅葺きの家で、その大部分がトタン板を被ってしまっていて、半分近くは空き屋状態、いくつかは廃屋状態という。若い人に直して住んでもらいたいとのこと。もっと近けりゃな〜。京都から1時間半なので、大学教授のような身分なら、それも可能かもしれない。

muku07.JPG 小屋裏に昇れば、立派な小屋組みが

 くだんの家のツシ(屋根裏)に昇ってみて驚き!すごい大きな梁組が目の前に!
この写真ではわかりませんね。断面図を見て下さい。
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 人が住んでいる部屋は一番下のところで、中二階はかつて蚕を飼っていたそうな。中央は火袋となっていて、およそ5mの大きな空間。上部には太い松梁が井桁状に噛み合ってしっかりとコアをなしている。「枠の内」とも称される雪国に多い構造形式である。その上に太い合掌組があり、大きな茅屋根を支えている。何とも素晴らしいみごとな構造!こんな家を壊してしまうなんて絶対にイケナイ!本腰を入れて、何とか保存するために仲間に呼びかけて保存活動を始めることとなった。

  この椋川の里には、田舎で子どもを育てたいと家族もろとも都会から移り住んだ若い夫婦がいて、この元気な家族から、村の年寄りたちの意識はいわば内側から少しずつ変わり始めていたようだ。彼の熱意のもと、茅葺きの里に元気を取り戻したいと、幾度も幾度も現地に集まる内に仲間が増えて、どうしたらこの家を残せるか、意見を出し合った。村の人たちにとって、都会の他所者が勝手なことを言ってるだけだと映るのは仕方ない。われわれはこの村をまもろうと、まず組織をつくり、活動を始めた。すでにこの地域で昔ながらの農業形態を復元し、その自然生態系を調査していた滋賀県立大学の先生やチームが柱となり、牛を使って田を耕す実験、焼き畑、茅刈りなどを行い、村の人たちとの交流を行って来ている。その一方で、われわれはくだんの民家の実測調査を行った。

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 「椋川の里をまもろう会」会合風景

 住人がこの家をあきらめつつあった理由の一つに、やや歪んで倒れた合掌の悩みがあった。冬は雪に埋もれる地域であるが、山を回り込む強い西北の風で雪が偏り、屋根を歪めてしまったようだ。下の実測断面スケッチを見ればその歪みようがわかるだろう。すでに、危険な状態にある。そこで、まず、これ以上倒れない様に、応急の処置として筋交いを入れることにした。そして屋根の材料となる茅の確保が悩ましい。この大きな屋根に必要な茅の量はかなりのものである。毎年の季節には毎日のように茅を刈ってストックして来た苦労が、老いては重荷になってくる。そこへ来て、近年、鹿が増えて、里や山にあった茅が食いつくされてしまった。仲間で琵琶湖の葦や自衛隊の演習地の茅を刈り集めてみた。そんな努力の積み重ねが、いくらか功を奏したのだろうか、高島市長の口添えもあって、ついに、所有者氏はこの家を残すことを決意された。

muku03.JPG 実測時の断面スケッチ 合掌材がずいぶん転んでいる

 かくして、村のシンボル的存在であった茅葺きの家は、高島市に寄贈され、村の交流拠点施設として、生まれ変わることとなった。改修工事費が市の予算に計上され、具体的な修繕、改修内容が検討された。工事は2008年の秋から、屋根の茅葺き作業、特に足元回りの耐震補強の作業などが行われ、2009年の春に竣工した。町家研究室は実測調査から改修案の設計、工事の助言などを行って来たが、別に、この家のもっとも重要な構造をよく理解するために、構造模型を制作させてもらい、竣工に際して納めた。次回の便で模型製作作業の様子を紹介しよう。

muku06.JPG かや降ろし作業 2008 夏

 この家を残すために自分たちにできること、それはこの家のよいところを一人でも多くの人に伝えること、村の人たちにとって意味のある交流の場所として使いやすい施設として適切な建築計画を行うこと、また耐震のための補強を提案することなどなどである。及ばずながら、出来うる限りのお手伝いをさせていただいた。耐震補強を念頭に、構造の実測調査を行い、それに基づいて限界耐力計算法による診断を行った。さいわい、構造部材の断面が大きく、接合部も相当によくつくられているので、いくらかの補強を行いはするものの、全体として、まずまずの耐震性を有することがわかった。補強は主に脚もとを繋ぎ合わせることと、土壁によって剛性の不足を補うというようなことである。また、今回は屋根の茅を全面的に葺き替えたので、古い茅の単位重量を測定する機会が得られたことを付け加えておきたい。茅は乾燥の度合いで重量が変ると思われるが、東西南北、ほぼ10%程度の誤差で60kgm2(葺き厚55cm程度)であった。

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 構造模型 火袋部分からつくる

 もう一つ、この家のもっとも素晴らしい構造をより理解するために、学生たちと一緒に構造模型をつくることを提案し、地元の人たちの同意を得て、改修工事の竣工に合わせて制作することになった。
 縮尺は1/30、松の曲がった梁を、実際の曲がりを拾って一本一本削りながら拵えていくのだが、作業は思った以上に手間がかかった。小さい内反りの鉋を購入したのだが、これがなければ、あきらめていたかもしれない。

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 隅の部分の梁構成

 それにしても、どうしてこんな面倒な梁の掛け方をするんだろうと、模型を作りながら考えた。屋根の荷重を中央の火袋コアと、建物の外周部へと流している。ストレートに柱で受けずに、幾段もの梁で受け継ぐことで、接点の数と動きの自由度を増してやり、そのことで、柔軟に力を伝え流してやることができる。その分、各接点に力が集中しないという利点がある。こんな込み入った梁組を、その前の家がお盆の火事で消失してわずかに1年程で着工し、上棟しているというスピーディーさなのだから、引受けた若狭の棟梁氏は大した力量である。  

muku11.JPG 合掌がようやく載った

 
 椋川古民家の構造模型制作はなかなかたいへん。毎日、夜遅くまでこつこつ作業をして一ヶ月、ようやく、完成に近づいた。図面を10枚程つねに見比べないと、梁の掛かり具合がわからない。これは建築図面を読む力をつけるにはなかなかいい方法かもしれない。

muku12.JPG ようやく完成

 当初は1階の床を張ろうと、床の束や束石を省略していたが、やはり床板を入れると平坦になって、詰まらないと、急遽、束と束石を入れることにした。僕のいかつい手では入らないので、女子学生にやってもらった。ダイドコと称する中央の火袋吹き抜けのある部屋にいろりが切られるのだが、粘土でいろりとクドをこしらえてはめてみた。クドはまだ現場でも築かれていないはずだ。

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 模型内部を覗いてみる

 構造を見るのにつくった模型であるが、やはり母屋やたるきなどを入れないと、屋根の形が見えて来ない。といって、これらをきちんと入れると、中の構造が見えなくなってしまう。たるきは実際のものよりもまばらに透かして入れ、裏側では一部省略して内部を覗けるようにした。

muku13.JPG つしを覗いてみる  muku15.JPG 完成した模型(正面)


 やれやれ、やっと模型は完成。ただ、これはあくまでもタルキの構造ラインが見えているもので、実際の建物はこの上に60cmほどの茅が厚く被せられており、全体のプロポーションはずいぶん違って見えてくる。アクリルのカバーも何とか出来上がり、現地に納めに行ったのは、竣工披露の前日のことであった。

 
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 模型を搬入する

 4月22日、ようやく完成した構造模型を竣工なった椋川の民家「おっきん椋川交流館」(旧栗田邸)に納めた。茅葺き屋根もきれいに完成し、誇らしげな家となって僕たちを迎えてくれているようだ。 
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 楽しそうな額もできている muku53.JPG 中二階に上がると小屋組が見える

 中二階が耐震補強で新たに塗られた壁も美しく、魅力的な空間となっている。ここは灯り展のような企画には持って来いだ。ただし、下でいろりを焚いているので、煙が充満するが。もっとも、今も焚いているはずだが、そんなに煙くない。いい薪が用意されているのかな。

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 新調なったいろりとアマ

 いろりもくども村の人の手によって築かれていた。まだ土が濡れているところをみると、つい昨日あたりに拵えられたようだ。完全に乾かし、ゆっくりと火を入れないと割れてしまう。ここで地元の野菜をつかってのんびり料理したら美味しいだろうな。

muku19.JPG 裏手にて

 それにしても、茅葺きの屋根はむっくりしていて、実にいい。今回は高島市の施設として生まれ変わったことで、予算がついて復元できたが、これからはこの家のファンたちの手で毎年、少しずつでも茅を集め、蓄えて行かねばならない。かつて村の山にたくさんあった茅場も、近年の鹿の被害でほぼ消失してしまった。まずはその辺りから何とか復元して行きたいものだ。


 椋川(むくがわ)は、滋賀県の湖北、朽木から10分ほど車で北に走ったところにあります。閑かな里の風景や優しい人たち、有機農法のお米、野菜が魅力的。ぜひおいで下さい。交流館では、この家や里のファンクラブ員を募集しています。どうぞ、お気軽に参加して仲間になってください。秋にもなれば、会員があつまり、いろりで鹿肉や獅肉の料理もやってみたいですね。

(文と写真 京都建築専門学校 さのはるひと)

*以上は京都建築専門学校のHPに載せられたブログ記事から引用したものです