山の学校をつくろう---右京区京北合併記念の森にて
管理棟の敷地
合併記念の森
毎年、京北の小塩という山里で学生たちと一緒に間伐材を用いて小屋をつくって楽しんでいる。そんな光景が目にとまったのか、ある日、地元の林家の知人に京都市有林に山小屋をつくってくれないか?と相談があった。その敷地は、京北の中心である周山から北に3キロほどの山の裏手にある、かつてゴルフ場開発がされていた二百六十八ヘクタールほどの土地である。その北半分ほどは「企業の森」エリアで、企業に管理をしてもらうのだが、南西に「観光・森林学習の森」エリアがあって、子どもや大人たちの遊び場?として活用しようという構想があるらしい。このエリアに市有林全体の管理事務所をこの山から出た間伐材でつくって欲しいというわけだ。
京都市は京都市林業研究会(代表 塔下守)と北桑田高校との間でモデル協定を結び、間伐などの森林整備やイベント活動を行っていくのだそうだ。我々はそのお手伝い、協力を行うことになる。
管理棟の配置
さて、山に入ってみれば、見渡す限り、枯れた松。国道を挟んで、東の山地は土壌もよく、杉の良材を出すが、西側は粘土質で基本は松茸山だった。その松がすべて枯れている。杉やひのき林も、この二十年程は何の手入れもされていない放置林といったところである。
当初の計画では、管理棟の予定地は谷合いの狭まった陰の場所で、眺めもよろしくない。目の前にある湿地を埋め立てて、研修広場にするとある。見れば、かつての山田に谷水が蛇行して湿地を成し、なかなかに面白い多様な生物の棲処となっている。生きたビオトープ観察にもって来いの場所をつぶしてしまうのはもったいない。ここは子どもたちの水生昆虫探索場にしよう。水の流れは下手にある調整池兼貯水池に流れ込むのだが、この池には南側に山から降りる緩やかな斜面地があって、そこがなかなかいい広がり具合だ。ここに管理棟と研修広場を設けたい。
向いの丘に登って見下ろしたのが上の写真である。池に降りるゲレンデには、いく筋かの水の流れが見える。この水はここに建てられる建物に基本的なダメージをもたらすだろう。かつての山田の湿地帯と調整池との間にある小高い丘が十五年生ほどの雑木林になっている。ここに管理棟を建てよう。森の峠道を越えてやってくる人は、湿地帯をはさんだ位置からこの管理棟を望む。まずまずの眺めとなるだろう。裏手の山の杉林から降りる涼しい空気は、ひと汗かいた来訪者を心地よく包む。
管理棟の設計
間伐材を組んでつくられる山小屋を、という注文であるが、丸太柱と貫で構成してみたい。構造のモチーフは中国にあるが、デザインは京北の伝統の中から引き出したい。この辺の集落に見かける赤蔵と呼ばれる、漆喰仕上げではなく、赤土で塗られたごつごつした土蔵と、貫と柱で構成された柴小屋とを併せたような建物を構想した。
管理棟の立面図
貫だけでは剛生がやや不足する。土壁で補剛すればいいが、赤土で塗られた壁は雨に弱い。蔵の周りをぐるりと貫構造の下屋が囲ったものにしよう。この下屋のスペースは、薪を積んだり、野良道具を立てたり、物を干したり、山里の生活の風情が滲み出るのに役立つだろう。また、雨の多い山間部によく見られる妻面の雨除け板(この地方では破風板と呼ばれている)を付けてみたい。屋根は予算と時間の都合上、瓦葺きは諦め、ガルバリウム鋼鈑葺きとした。時間と根性があれば、杉皮か、割り板で葺きたいところだが、メンテナンスに苦労するかもしれないという理由で没になった。
構造実験で耐力を確認
前回の記事(「中国江西少数民族の木造建築を訪ねて」二〇〇九年夏)に書いたように、丸太柱と貫で構成される木造建築の合理性を追いかけてみたい。出来れば純粋に貫構造としたかったが、近年、京北域が建築確認申請が必要な地域になったために、そんな実験的な建築が困難となった。学校の授業で伝統木造の耐力壁を構造実験する機会があるので、いくつか試験体をこしらえて、要素実験をしてみた。
学校での実験風景
まず、フレームと貫だけで水平力をかけてみた。厚さ二七ミリのやや厚いひのきの貫を五段に入れて、ひのきの両楔と込栓とで留め付けたものは、それだけで壁倍率にして〇、八ほどになる。おそらく、今回のように貫を二重に回した平屋の建物であれば、これだけでも耐えられるだろう。しかし、居住性を高めるためにも、土壁が欲しい。同じフレームに土壁を塗ったものは、二、五倍ほどの強い耐力壁となった。もっとも、これは長ほぞ込み栓という接合部をもつフレームにはやや剛強にすぎるかもしれない。
間伐材を調達する
春になる前に、柱や梁になる材をと、設計の目処が立ったころ合いに、間伐材の皮剥きを行った。杉とひのきの丸太を用いるので、五十?六十年生の材を必要なだけ、間伐材から採取した。
間伐皮むき風景
製材品は、すでに昨年度事業で取付道路整備にかかる伐採材から取ることができた。いずれも、なかなかの良材があった。
材を加工する
専門学校では、卒業制作として、木工と設計との部門があり、今年の木工制作のテーマがこの管理棟となった。二年生チーム十六名が総出でこの建設に参加するわけだ。
丸太を加工する学生たち
かくして、学校では二年生たちが週二日の午後、この丸太と格闘することとなった。夏の木匠塾合宿には、一年生も一緒に、この建物の仮組をしたい。一年生には、やはり木工基礎実習において、角柱の加工を担当してもらった。
ヒカリ付け作業風景
丸太同士の接合には、ヒカリ付けという厄介な作業が求められる。すでに長さが決められた材では、失敗は許されない。一日一本が精一杯の仕事である。
木匠塾での仮組み
仮組風景
何しろ大工道具を触って間も無い生徒たちが丸太組をやろうというのだから、たいへんだ。大工川崎吉三の愛情のこもった指導のもと、途中で放り出すこともなく、頑張って刻みをやってくれた。桁や母屋の天端レベルを出して、何とか柱の長さを決めるのだが、なにしろうまく合っているかどうか、組み立ててみないことにはわからない。夏の木匠塾合宿では、一年生が仮組を請け負ってくれた。
現地で本組み
棟桁が納まったところ
秋になり、後期授業でいよいよ本組みが始まった。すでに一度組み立てているので、さっさと組み上がり、杉の厚板を化粧野地として張った上に垂木を乗せて、再度野地を張る。通気層を設け、換気棟を拵えた。屋根が納まれば、貫を縦横に差し込み、開口枠をはめて、えつりを仕込み、竹小舞を編めば、後は壁土を付けて行くだけである。
と書けば、いかにも順調に作業が進行しているように思われるかもしれないが、現実はそう甘くない。まず、学校から現場までが遠い。車で一時間はかかる。現場には車の入れるような道路が整備されておらず、ぬかるみの水抜きを必要とした。やっと作業道ができたが、電気が通じていない。これは年度末にならないと望めないようだ。それまでは発電機で頑張るしかない。水もない。池の水をポンプで汲んで、荒土を練った。将来の利用を考えると、井戸を掘ってもいいように思うが、鉄分やマンガンが多く含まれていて、飲料に適さないらしい。
が、ここには迷惑のかかる近隣もなければ、通りがかりの怪しい人間もいない。山の中はいつも気持ちのよい自然が広がっていて、昼にはみんなで楽しくご飯を食べた。
上棟した管理棟
貫が納まった内部
荒壁塗りイベント
イベント風景
十一月になってようやく荒壁塗りができるようになり、十五日に林業研究会主催、建築専門学校共催で公開壁塗りイベントを催した。一般からは親子や建築を勉強している学生さんたちが参加。スタッフや応援も入れて総勢三〇人ほどで荒壁塗りを楽しんだ。
お子さんを連れて参加した設計士の方から、「昔の人が住まいを身の回りのものを集めて工夫してつくるのが当り前だったということを五感で改めて感じることができた。学生さんたちや子どもたちが、一緒に藁で遊んでいる光景がよかった。そんな自然な関わりの中で家がつくられていく、地に足がついた家づくりの意義を感じた」と伝えていただいた。
土を練る子どもたち
学習の森に望むこと
山で遊びながら動植物を観察する、それは成長してからわかる貴重な経験だ。敷地には春にはワラビやゼンマイなどの山菜、夏にはジュンサイ、秋には栗やアケビなど、食べられる植物もあり、また、非常に珍しいミヤマウメモドキの大きな株も存する。里山の風情よろしく、柿や梅、グミやナツメといった果樹も植えたい。子どもにとって、忘れられない喜びとなるはずだ。
本来の森林学習も忘れてはならない。用材の植林や雪起こし、下草刈り、枝打ちや間伐といった育林をぜひ一遍は経験してほしい。また、間伐材を利用して、ベンチや遊具、ツリーハウスや小さな小屋をつくってみるというような親子のためのワークショップをぜひ組み込みたい。来年度には、そんな作業小屋も建設する予定になっている。森の学校構想は、まず、遊ぶことから始めるのがいい。
この森の材や土で自然な家をつくって残そう
杉木立から眺めた管理棟
以前にも私は右京区京北の山里の風景を守ろうということをこの稿で書いた(「山村の風景に思う」二〇〇六年夏)。折しも、京都市はこの美しい景観を乱開発から守ろうと、京北域全体に建築確認申請の網をかけた。そのために、今回のような山の中の小屋ですら、建築基準法に従って、建てられねばならなくなった。それは、こと伝統木造の場合は、致命的な規制となる。石の上に直に柱を立て、梁組や貫格子で柔軟な構造システムで長寿命を図るという伝統の知恵が活かされないばかりではない。既存の伝統的な構造の民家の合法的な改修が困難になった。そこへ新たに瑕疵担保履行法が施行され、もはや、新築はメーカーハウス風のサイディングばかりになってしまうかもしれない。山里の風景を守るどころではない。
今回のような用途と立地の建物であれば、かつての民家のように、伝統的な構法で、里の人たちの共同作業の加わる余地を残した自然な建て方というものを認め、そんな伝統の知恵や工夫を後世に残すということがあってもよいように思う。
(文と写真 さのはるひと)