音戸山通信  京北の山見学会 2005/10/2

「京北の木で家をつくろう」ネットワーク現地見学会

 秋の気配も落ち着いた10月2日、ネットワークの皆で山の現地を訪れ、京北の木と山を実際に見てみようという勉強会を行いました。午前中は森林組合の勝山さん、吹上さんの案内で、木材総合センターの製材工場や乾燥炉、倉庫を見学、午後は三間さんの案内で、片波川源流域の伏条台杉を楽しみました。

 京北マップ(京北町片波自然観察インストラクター連絡会制作)

 地図で左下が京北の役場がある周山で、京都の中心からおよそ1時間ほどである。ここから車で5分ほどのところに森林組合などの工場がある総合木材センターがあり、ここから東に20kmほど桂川の上流側に行ったところに支流の一、片波川がある。その源流域が京都府の自然環境保全地域第一号指定となった伏条台杉の群生地となっており、そこからソトバ峠を西に越えた小塩川の谷に京都建築専門学校の山の合宿セミナー拠点「小塩の家」がある。この民家も三間さんの紹介で勝山さんの親戚の方に借りている家であった。川下の京町家の改修再生の活動を行っている学校のいわば川上の拠点である。今回の京北地域における林業ネットワークにはこういう伏線があった。

森林組合製材工場

 当日は日曜日なので、広いセンターに誰もいない。静かなものだ。製材工場には土台や柱を取った後の皮付きのコアが台車に積まれている。しばしこのコアについて質問が続出した。これはどうするのか?−−チップ業者に二足三文で売る。皮付きなので、単価も安い。皮をバーカで剥けば、皮の処理に困る。今は以前のように焼却処分ができないからだ。ペレット加工するというのは?−−ペレット加工の施設が高価であり、まだペレットの需要がないので、資金回収の目処が立たない。木材の乾燥炉の燃料に利用できないか?−−薪用のボイラー施設をつくるのがなかなかたいへんであるし、誰かが付いていて24時間体制で燃やさねばならない。今のところ、乾燥炉は灯油を用いている。

製材コアを囲んで

 ついで乾燥炉、プレーナー工場、プレカット工場、桁丸太倉庫を見学。乾燥炉は最初高温で外周を固めた後は温度を6、70℃に落としてゆっくり芯を乾燥させて行く。どうしても内部に含まれている液の灰汁分で黒く焼けたような風合いと臭いになる。10日くらいかけて乾燥させている。

 四面プレーナーでは、床板を一挙に加工整形するモルダーほどまでの性能がなく、様々な断面寸法への刃の調整がかなり難しい。まだ板材の量産体制はできていない。

 同じセンターにあるプレカット工場は森林組合の施設ではない。ここでも、集成材や外材がかなり多い。一日の生産量は通常1.5棟、月間で50棟というところのようだ。ちょうどここに積まれていた木材で、他所の県の産のひのきと、京北材との違いを見ることができた。写真の上が他府県材で、下の数字のあるのが京北材だそうだ。一目して、上の材では年輪が荒く、下は細かい。色はほとんど変わらない。京北のひのきは、概ね、そういう傾向にある。杉は黒い芯を持つものが多い。黒い芯は乾燥すれば、そう目立たなくなるが、しっかり水を含んでいて、なかなか乾燥しないのが厄介だ。

 上が他府県材で下が京北材

片波川源流域見学

 午後から楽しみにしていたあの大きな杉の株が見られるとあって、皆、表情がいい。山を登って行くに連れ、折から降り出した雨が強くなって行く。今はこの保全地域に勝手に入ることはできない。以前見学した折は、誰でも自由に出入りができる状態であったので、古い株の保全のために、出入りを押さえ、とくに根の張った木の回りは極力足で踏み固めることがないよう、木道や柵で保護することが求められた。最近はそれがまずまず守られているようで、ほっとしている。

 広域林道からすぐのところにこの伏条台杉の群生がある。一の峰と称する高度678mの辺りにいきなりたくさんの杉株立が迎えてくれる。これらの杉は全く自然の手付かずのものというわけではなく、天然杉ではあるけれども、古くから人間の手によって利用されて来たものという意味で、屋久杉とは根本的に異なる。芦生スギとも呼ばれる「根曲がり杉」で、枝が雪の重みで押さえられて曲がり、地面に接触したところから根が出て新しい株に成長して行くという伏条更新を行う。年齢は正確にはわからないが、400年以上ではないかと言われている。この黒田地域が南北朝時代から御料地として、台杉仕立ての林業形態が行われていた名残りであろう。この辺りは奥山であるために、その後も開発されず、残されたものなのだ。

 アシウスギだけではなく、この山にはイヌブナやクリ、シキミなど様々な木が大きく育ち、独特の深山の雰囲気がある。この日は雨雲に包まれて、煙霞の幽玄な雰囲気となった。

全員で記念写真

奥に大主杉を迎えたところ

 圧巻 大主杉

 以前にここを訪れた時もこの圧倒的な杉に釘付けとなった。斜面から辺りを望んでいる巨像のような姿は最も印象的だ。案内に大主杉とある。かつてはこのような名前はついてはいなかったが、まずまずのネーミングと思う。この大きな株の前に人が立たなければ、その大きさはわからない。現地でさえ、その大きさがよく飲み込めないのだ。今は柵が設けられて、近くに立ち寄ることは許されないのは残念であるが、それでこの木の寿命が護られるのであれば、致し方ない。

 三本杉

東尾根別れを上がったところ

 三本杉やそこから谷を少し降りたところに臨める谷守杉も印象的な巨木である。また、そこから尾根別れに出て、上に上がって出発点にもどる辺りの巨木たちのダンスの風景もまた忘れられない。いつまでもこうした風景を残したいと思う。だが、ブナが温暖化の影響か、傷みはじめていると聞く。大きなクヌギの株が今年、立ち枯れ始めた。いくつかの木が異変を顕わしはじめている。すでに調査が検討されていると聞くが、何とか彼らを護りたいものだ。

 山を降りるとどんどん雨足が強くなり、小塩の家に着く頃は土砂降りとなっていた。小塩の家に逃げ込むようにして、温かいコーヒーと菓子をいただきながら、今回の見学会を閉じることにした。

(文と写真 さのはるひと)