音戸山通信第45話      01/01/16

稲荷山の住宅(6) べんがら塗り

 裏返し塗りも一挙に 南面 12/23

 今年の年末は天気がいい。おかげで南面の壁は早く乾くけれども、内部の北側はなかなか乾かない。ストーブを入れて暖めては風を通し、一刻も早く乾かそうという手に出た。これは中で仕事をする大工さんたちにとっても、温かくて評判は悪くない。そんな学校も冬休みに入る12月23日、学生精鋭によるベンガラ塗り隊が稲荷山の現場に集結した。とてもいい日和だ。折から、大工さんたちは、南廂の建て方の最中であった。この写真で見るように、大妻面には破風板を用いず、垂木仕舞いとしている。4寸角の母屋を強調した格好としたわけだが、どうだろうか。

 南面の廂の柱と肘木 心継ぎの桁に込み栓止めとしている

 肘木に桁が載るところ 心継ぎの桁はメチ継ぎとして引きボルト そこに主屋からの繋ぎ梁が蟻落としで来る 12/23

 南廂はいわゆる濡れ縁を含む、土廂(どびさし)と呼ばれる土間にかかる廂の空間である。退職の頃合いのお施主さん夫婦のための住宅なので、陽のたまる縁側でのんびりしている風景が似合いそうだと、最初にイメージしたものであった。ちょっと大勢でも楽しめるよう、広めにとったので、なかなか贅沢な空間だ。

 ここには前から試みたかった肘木による軒桁受けを設計した。当初は肘木に繰り形を入れて楽しもうと思っていたのだが、さすがに、大変な手間である。ただでも、そろそろ大工さんたちが音を上げそうな気運なので、ここは単純にして、ほっとさせることにした。もっとも、単純にしたのは、入口上のまぐさに、古寺より頂戴してきた古材にみごとな唐草の繰り形が彫られているので、これを邪魔してはいけないと思ったまでである。そうでなければ、学生たちで手分けして彫りつけるつもりであった。この彫りについては、後で紹介することにしよう。

 組み上がった廂 01/05

 この写真はそれから2、3日後のもの。ちゃんと組み上がっていた。3箇所に火打ち梁が来ている。できれば入れたくなかったのだが、振れ止めとして効果はある。柱の根元は、みかげ石の靴石にステンレスボルトを長めに差し込んであるが、止めていない。

 

 さて、次の作業はいよいよ床板を張るのだが、今回はいわゆる大和天井、すなわち化粧床天井なので、床板がそのまま階下の部屋の天井板となる。葭屋町でなかなか具合のよかった美山の杉板(厚さ38mm)を今回も同じように使う。張る前にベンガラを塗らなくてはいけない。さっそく、ベンガラの材料を調達。

 ベンガラ材料と道具 左から、ホワイトリカー 荏油 ベンガラ(1kg袋)墨汁 缶 はけ ウエス

 今回は、葭屋町の時とはちょっと違う調合をしてみようと、厄介な松煙の代わりに市販の墨汁を用意した。手軽なのがいい。ただ、人によっては、塗り重ねの際に、表面に皮膜が出来て、乗りが悪いとも言われる。ここで実験している暇がないので、それは後に試すことにして、さっそく、調合。ベンガラ1kgに対して、墨液200cc程度で合わせることに。それを練って、酒で薄める。ここでは焼酎だ。葭屋町では膠を炊いて水で薄めたが、もっと手軽に。アルコール分は、ベンガラと煤分をよく混ぜ合わせ、馴染みをよくするという期待から。それで原液を作り、使うごとに塗缶に入れて、そこへ荏油(えのあぶら)を混ぜ、掻き混ぜると、ほどよく乳液状態になった。これを刷毛で塗って、布切れでタンポンのように刷り込み、別の布で拭取るという仕方で行う。葭屋町の本格的な方法に対する疑問から、一度やってみたかった方法だ。

 ベンガラ塗り見本 杉板にはけ塗り(右)とそれを拭取ったもの(左 木目が見える)

 すると、...案外、うまく行った。葭屋町では、本格好みの木村棟梁の方法に従ったが、それは、水で溶いたベンガラを一度塗って、乾かしてから、荏油を塗り、布で拭取り、さらに後で乾拭きするというものだった。この方が、厚塗りが利くという印象だが、せっかく塗ったベンガラを、大量の油でほとんど拭取る、というところがいかにも無駄のように思えた。今度の方法では、それを一遍にやってしまおう、といういわば手抜き方法。確かに、木への染込みが十分に行われていない分だけ、淡くなるのかもしれない。が、薄塗りにより木目が浮き出て、これはこれでなかなかよろしい。色合いは、葭屋町よりも幾分赤目にしてみた。田舎に行くほど赤いという印象である。 

 工藤夫人も加わってのべんがら塗り作業風景 なお、衣服に付いたべんがらは、落ちない 

 板の目のきれいなもの、割れや抜け節など難の少ない板を選びだし、運び込む作業班が2人、刷毛で塗る作業に2人、ウエスで刷り込み、拭取る班の2人、きれいなウエスで仕上げの拭取りを行う2人、仕上がった板を運び出す者1人の9人ないし10人がかりだ。それに、軒の柿渋塗作業班に3人が当たった。城市、中島、大菅、北浜、小井戸、谷本、小寺、川嶋、橋本、須田、徳永、福田、中西ら昼と夜の1年生たちに的場、佐野の合計15人の参加である。作業を手分けして塗り出した学生諸君、作業に夢中で休みそうにない。

 天井板にベンガラを塗る 12/23

 これだけそろうと、昼飯の用意にしても、大変。ガスレンジや大鍋を持ち出し、施主の工藤さんにお願いして、うどんを20人前ほど作って拵えた。ほとんど木匠塾のノリである。道路でうどんを作り出したものだから、さぞかし近所の人たちの目を引いたことだろう。なお、残り汁は、夕方に御飯を入れて雑炊とし、すべて胃袋に納めた。陽が落ちてからの寒気の中、片付けと洗物に冷えた身体をあたためる最良の手段だ。

 柿渋を塗る福田君 むらになっていないことを祈る大壁の土をつけるための下地ごしらえに登り梁の面に縄を打っている 12/23

 柿渋塗りもまた葭屋町の経験から。2階の木部分に用いる。外部も、キシラデコルにするかどうか、考えたが、なるべく自然な材料ということで柿渋に。塗りにくい部分の柿渋塗りはベンガラ塗りよりも楽とはいえ、やはり大変。多少の斑は致し方ない。

 西の部屋の梁を塗る中島、北浜、小井戸の3人  12/23

 ベンガラ塗りは、続いていよいよ歳の暮れも28日の午後にも行われた。この日は、終わってから、お施主である工藤さんの家で忘年会もやろうということで、皆、張り切って参加。残念ながら、暮れで多忙のもの、帰省したものは参加できなかったが。杉とちがって、木目の立つ松の梁は仕上がりがよく、拭取って美しい木目が現われて来るのがなかなか嬉しい。

 玄関の間を塗る西本、小井戸、城市、小寺、谷本、石田 12/28

 同上

 年明け頃から、床板を張り出している。玄関の間はまだ張っていなかった。下から見上げると、なかなか不思議な光景だ。床板は、38mmの杉板を木表を下に張り、化粧床天井とし、その上に根太35mmを流して、床板としてやはり美山の杉板27mmを張る。その根太の部分の空きに電気配線などを通すわけだ。畳部分は、その隙間を作るために、15mmほどの捨て板を敷く。

 玄関の間 まだ床板がないので、2階の部屋が透けている 2階は柿渋塗りが基本となる  01/05