音戸山通信 2004/04/04

カンボジア旅行記より 第二日目の2

アンコール・ワット

 カンボジアの乾季は4月ごろまでで、4月がもっとも暑いのだそうだ。昼間は軽く40℃を超える。この日もしっかり暑く、旅行の予定では無理をせず、毎日昼間はホテルでシャワーを浴びて昼寝をするようになっている。ざぶざぶ汗をかくので、ミネラルウオーターは必須だ。一つ見学する度に木陰で水を勧められた。すべて汗で流れてしまうのか、出歩いている間はトイレの必要性を感じない。朝昼晩と三食しっかり食べるので、体重が減るということはないだろうけれども、旅行の最後の辺ではたるんでいた顔がいくらか引き締まったように思う。この日は午後からいよいよアンコール・ワットの見学である。

アンコールワットの濠端 乾季で水量が乏しく、藻がはびこっている

 アンコールワットはすでに紹介したように、西向きに正面をもつヒンドゥー教寺院であった。濠と幾重にも重ねられた回廊が廻らされていることが護られた都城であることを示しているが、濠や高さのある参道などは、雨期に上がる水位に対応した備えでもあろう。構造体のほとんどは、ラテライトと呼ばれる赤味のある硬化した土壌を用いており、現在行われている修復にも同様のラテライトが切り出され使われている。

濠を渡り西塔門に向かう参道 北半分を整備しているようだ

基礎と主要構造部分はラテライトが用いられている

第一回廊手前で中央部分を仰ぐ

 西の塔門を過ぎ、経蔵も経て、第一回廊へと向かうあたりから中央部が聳え立つ寺院を見上げると、つくしの頭部のようなカンボジア様式の寺院塔建築が美しく眺められる。まず第一回廊に上がる基段部分があり、第一回廊のレベルがあり、第二回廊のレベル、第三回廊のレベル、そして塔へと勢いを増すように競り上がって行く。塔は中央が四方よりもぐんと高くなっているが、奥に下がっているために、この位置から見る限り、そう遠方から見る程に圧倒しているようには見えない。平面的な広がりと高さの設定が本当にうまくできている。

寺院全景

塔門のまぐさを装飾する蓮華紋 様式化の中に写実が残り、味わい深い

第一回廊に刻まれたレリーフ かつて木製の天井があった

 大建築と言えども、アンコールワットを含めてアンコール朝の建築には、いわゆる内部空間がないと言える。屋根と壁あるいは列柱に囲まれた空間を内部と言えば、それはほとんど回廊だけであり、わずかに塔の元に小さな祠堂の空間があるのみである。大建築に釣り合う大きな儀式の大集団を収容する場所や空間がほとんど見当たらない。あるとすれば、ゆったりとした参道や塔門前の十字形のテラスのみであり、そこには屋根はなく、純然たる外部である。中国や日本の仏教寺院のような金堂や講堂という内部空間はない。

第一回廊西面南半分にはマハーバーラタの戦闘場面が描かれている

第一回廊の東側に有名な乳海撹拌のレリーフがある 

 アンコールワットのもう一つの見どころは回廊に彫られた見事なレリーフである。要所要所に女神(デバター)が微笑み迎えてくれるが、圧巻はマハーバーラタ物語やラーマーヤナ物語、建築主であるスールヤヴァルマン二世の軍隊の行進、そして「乳海撹拌」と呼ばれる創世物語である。中央に大亀(ヴィシュヌの化身)の上に乗るマンダラ山を両側から神々と阿修羅が大蛇で綱引きをし、海を掻き回すというもの。中央部では海の魚たちが引き裂かれている。中央、マンダラ山の上で采配を振るうヴィシュヌを海より生まれ出でた天女アプサラたちが囲んでいる。先にアンコール・トムの南大門の前の濠を渡る橋の欄干が同じモチーフであった。レリーフは、今年に京都文化博物館で行われた「アンコールワットの拓本展」に行ってすばらしい拓本ですでに味わっていた。原物よりも拓本の方がひとつひとつの形がしっかり見えやすく、感動的であると、会場におかれた写真パネルを見比べながら思っていたが、どうしてどうして、実物は想像以上にスケールが大きく、やはりちからがある。拓本はまた別の作品であると考えるべきだろう。

独特の連子窓の表情

第二回廊に上がる階段(左)に比べて第三回廊に上がる階段(右)は勾配が急で踏み幅も小さく、真直ぐ登れない

 どうしてこんなに急な階段をつくったのか、現代のわれわれには合点が行かないが、とくに第三回廊に昇る階段は町家の階段以上かとあきれてしまう。とても物を運ぶというようにはできていない。儀式の時などはどうしていたのだろうか。昇るのは何とかできても、手摺もない中で降りるのは命がけである。足下を見ながら恐る恐る降りていては、群集の目前で格好がつかないだろう。王は蓮台に載せられて運ばれたかも知れないが、ことこの階段では、それは不可能と思われる。修行中の若い僧侶の一団が目の前を歩いていたが、彼等とて、われわれとそう変わりはなかった。山岳の聖地をイメージしてのことであろうが、脇に手を滑らせる手摺でもあれば、前を見ながらでも降りられたはずである。

第三回廊からの眺め 第一、第二回廊が見えている

中央祠堂外観と塔 第三回廊テラスから40mほどの高さになるとのこと

脇の祠堂にある涅槃像

中央付近の女神は念入りに存在感をもって彫られているようだ

北側を望む 境内とは言え周辺は森となっている

西側正面を望む 参道の両脇は経蔵

第二回廊西側の十字回廊 四つの沐浴場を渡る二重柱列の空間

 この高い位置に沐浴場があるということが不思議。おそらく雨水を溜めておくのであろうが、それほどの防水性をこの石組みが保有できただろうか。あるいは、ことあるごとに、奴隷や群集がバケツリレーをしていたのかもしれない。第二廻廊に上がる手前のこの十字廻廊の空間はなかなかによかった。訪れる前に平面図を睨んで、一番興味のあった場所である。ここを真直ぐ歩く以上は、正面の中央に聳える塔を仰ぎ見ることはできない。ひょっとすると、四つの沐浴場を順番に廻りながら、いわば4周して進むのだろうか、などと考えた。クメールの文化はすばらしい高度な石造の文化であったが、残念ながら、アーチを知らなかったのか、すべて迫り出しアーチと呼ばれる少しずつ持ち出して頂部に平石を据えて繋ぐという原初的な構造である。したがって、大きなスパンを架構することができず、柱列が狭い間隔で並ぶという狭小な空間しか作れなかった。廻廊は大きな見通しのできる半内部的な空間として設けられているとも考えられる。

西側正面の濠端両側には菩提樹が大きな木陰を落としている

 プノン・バケンの夕日

 アンコールワットから西北にプノン・バケンという山がある。夕陽を望む観光スポットで人気がある。シェムリアップには他にトンレサップ湖畔にあるプノン・クロム山、アンコール・トムの東方にあるプノン・ボック山があり、合わせて三聖山と崇められている。大和三山ではないが、当然、都城を定める地理的ランドマークとしてはたらいていたに違いない。プノン・バケンの山頂には9世紀末のヤショーヴァルマン一世によってヒンドゥー経寺院が建立されている。高さは60m程度というから、ほぼアンコールワットの中央塔の高さに匹敵する。寺院は東に向かって建てられ、全体は6段の基段からなるピラミッドであり、数多くの小祠堂が構成されているところは、ボロブドゥールに近い。(ボロブドゥールでは、途中から基段は円形になっている。)

アンコールワット西北の聖山プノン・バケンより東方を望む 東門は現在、形をなしていない

南東にアンコールワットが望める 中央の塔の先端がちょうど地平線に重なっているのは、同じ標高ということを示している

プノン・バケンは6層の基段と祠堂からなるヒンドゥー寺院 数多くの塔が周辺に設けられ、ボロブドゥールを思い出させる    中央祠堂脇のレリーフ

 中央祠堂には像が彫られているが、アンコールワットのものとはずいぶん雰囲気が異なる。顔だちはいかにも南アジア風であり、わずかに正面を振っている。身体も写実味が深く、まだ様式化は不十分という印象がある。蓮華を持った右腕がぐっと長く強調されているところは大和聖林寺の十一面観音像を思い出させる。左手には杖を携えているが、金剛力士というわけでもあるまい。翌日見たバンテアイ・スレイも10世紀の寺院であるが、それよりもきちんとした様式を感じられる。ただ、足を外に開いているのは他に見なかった。

5つの基段に各12ある小塔

 中央の祠堂は塔の頂部を欠いているために、そう目立たない。むしろ、整然と並ぶ小塔の印象が大きい。個々にはなかなかいい形をしているが、構成はそれほどうまく行っているとは見えない。ボロブドゥールは規模も異なるが、構成の巧さにおいて比較にならないだろう。アンコール王朝の諸王の建立寺院様式を概観すれば、初期に3塔を建てる寺院とピラミッド式の寺院があり、やがてそれが回廊で囲まれる塔の構成に変化して行くと見ることができそうだ。その間、およそ200年ほどのことである。

プノン・バケンからの落日 地平線右手に西バライ貯水池が望める

 

(文と写真 さのはるひと)