卒業制作「バラ園休憩所」2001.10〜2002.2

 2001年度の卒業制作には今までにない試みとして、設計、構造計算演習コースのほかに大工実習コースを提案したところ、大工志望の学生10名が参加した。顔振れを見れば、1、2の例外はいるが、いずれも設計や計算が好きでなさそうな連中である。まあ、好きな木工をよろこんでやってくれるのならいいでしょうと、横井博史棟梁が引き受けてくれた。主題として決めたのは、木匠塾の舞台となっている美山町自然文化村のバラ園の休憩所、そしてよしやまちの道具物置きである。葭屋町の道具庫は別のページに委ねるとして、ここでは美山のバラ園休憩所について報告したい。

バラ園の様子

 敷地 場所は美山町知井にある自然文化村の入口近くに出来たバラ園の脇である。バラ園と言っても、最近借地の田にとりあえず拵えられたいわば菜園であって、公園の風情は見当たらない。新しくロッジにつくられた浴場に「バラ風呂」と銘打って始めた露天風呂がすこぶる評判で、それを目当ての客がずいぶん増えたそうだ。せっかくなのでバラ園も見ていただこうというわけだ。この休憩所は昨夏の木匠塾で美山町側から要望があったのだが、夏の1週間そこそこの合宿ではとても無理である。卒業制作で作ろうという企画は、その頃に思いついたものであった。

 設計 設計といっても、簡単な小屋で十分だ。本来なら学生にさせようと思ったのであるが、もとより設計を苦手とする学生が揃っている上に、施主も現実にいることでもあり、ここは佐野が担当した。実際に数週間でつくれるもの、初心者の腕でできるもの、しかし、それなりの見栄えのあるもの、また、骨組みなどを解体して移築できることなど、諸々の条件を満たさねばならない。設計図

 美山町自然文化村との話合いの結果、材料費は極力押さえて町側で負担し、人件費などは学校で負担する。なにしろ学生たちが卒業する前に現地で建て、仕上げたい。美山は雪が多く、年を越すと、おそらく辺りは深い雪に覆われてしまう。どうしても年内にやっつけてしまわねばならない。材料費の制約もあって、小さくまとめ、最大長さで5mに押さえてやれば、継手を作らずに済むし、流通品で賄える。小屋の大きさを間口2間4m、奥行1間2、5mとし、テラスを奥行11、5mつけて、あわせて4m 四方としている。

 指導に当たるのは文化財を長年にわたって手掛けてきた横井棟梁である。棟梁に嫌気がささないように、やや和風の構法で、しかしバラ園に似合うよう工夫したつもりである。この種の休憩所は、とにかく、雨と陽が除けられること、暗くならないこと、適宜風除けとなること、椅子テーブルをおいて休憩したりお茶が飲めるようにしてやればいい。そう多くの人数を考えなくてもいいだろう。床は積雪を考慮し、また園を見渡せるように地面よりおよそ1mほど上げている。前にテラスを設け、小さな床面を広く見せている。柱は4寸角で6本とし、壁は背後を杉板の落とし込み、サイドをラチスで構成、これらで水平荷重を支えるように考えている。床は杉板で、4m品が使えるようにしている。この杉板は地元産を用いる。構造材なども美山の杉を使いたかったのだが、すぐに揃わず、市内で少量ずつ供給するのが難しく、結局値段も高いものになってしまうので、あきらめざるを得なかった。もっと早くから計画されていれば、地元の木材でできたのだが、残念。次回からは美山の杉を使いたいものだ。

 屋根は板葺きか杉皮葺きにしたかったが、雪や予算、工期を考えると難しい。とりあえずビニル波板で葺き、いつの日か、変えよう。足元はなにしろ田の上なので、泥だらけである。太めの丸太杭で支持することとした。高床は、床下に、肥料袋や農機具など色々なものを収納できるので、都合もいいだろう。腰掛けられるように、前面に幅広く階段をつくりたかったが、予算的に無理かもしれない。

 図面が決まり、学生たちの頭に入れるために、スケールを上げて図面を描かせ、ほぞや納まりを考えさせ、部材の拾い出しをさせた。柱と梁をほぞ差しとし、ほぞはさらに上にかかる軒桁にまで通る。棟桁を支えるのは、なにか板蟇股のようなものをデザインすることにした。接合はほとんどすべてほぞ差し込み栓打ちとしている。

仕口を合わせる横井棟梁

 加工作業 10月半ばよりいよいよ木工作業開始。墨付けは棟梁の指示に従い、土台からほぞやほぞ穴などを刻んでゆく。狭い作業場での仕事はたいへん。当初は道具庫グループと一緒に並行して作業を進めていたが、規模も小さく単純な道具庫の方はさっさと進み、バラ園班は遅れ気味のため、途中から全員でバラ園作業にかかった。精度も、寸法決めも、デザインも、はるかにバラ園は細かく複雑なため、こうした基礎作業にずいぶん手間取る。とにかく、材料に余分がないので、失敗は許されない。棟梁の眼が光り、作業場にはほどよい緊張感が漂っていた。「愚連隊」と僕が愛情をもって呼んでいる10人も、自然に削り仕事に吸い寄せられて行く。

板束を加工する学生たち

 思うに、こうして一生懸命木を削っていると、自然に心が和み、楽しくなってくる。あまりに難しい仕事や、硬くて刃が立たない素材でもなければ、刻み仕事は楽しい。自分で研いだのみや鉋が切れると、本当に嬉しくなる。刃物の切れ味の小気味よさというのは、やったものでなければ味わえない。大工が往々にして、全体のデザインよりもひとつひとつの仕上がりのよさを「仕事」にしてゆくのが、納得できるのである。それは道具への偏重にもつながり、道具自慢はその種の「仕事」自慢を産み、やがて建築は健全な姿を失ってゆく...。もっとも、われわれ「愚連隊」には無縁の話ではあるが。

反鉋で仕上げる

 道具とともに、木目も見るようになる。逆に切れば、目が立って見苦しい。順逆を手で覚えられれば、好い勉強になる。この素材は米松。何かと評判が悪い素材であるが、柔らかく、木目も美しく、塗装の乗りもいい。脂が滲み出て来るのが難点と言えば難点であるが、何と言っても安価で、大きな断面の部材でもすぐに入る。今までにもずいぶんとお世話になった木だ。そう簡単にこれに代わる材木はない。でもこれからは、敢えて、地元の杉や桧を使って行きたい。

ラチスの組立

 この休憩所の特徴の一つにこの大きなラチスがある。既成のアウトドア製品をいくつか合わせて組込めば、コストはおそらく1/10ほどで済むだろう。ただ、それでは卒業制作にならないぞ、と言い聞かせてラチスを作る。当初は枠に溝を通して掘り、それにラチス材を組み付けようと考えていたが、それでは固定は釘に頼るしかない。それで一つ一つ、穴を掘って、ラチス材を差し込むことにした。割付け墨付けの勝負である。結局、時間の都合でこれも僕がやることになってしまった。ラチス材は材取りをきちんと出せば、ほとんど余りが出て来ず、材を有効に使える。ラチス同士を相欠きにすれば、抜群の耐震補強になりそうだが、数百の相欠きをやっている時間的余裕はない。もうすぐそこに雪の季節が待っていた。

 現地に入る やっと部材が揃って美山の現地に入ったのは、もう12月も半ばを過ぎてのことである。雪こそまだ積もっていないものの、いつ吹雪いてもおかしくない。10人全員と棟梁とで、冬休みに入る直前の1週間にわたる美山合宿に入った。僕は毎日、美山と京都とを往復し、食料や資材調達である。先ずは現地にて用意された桧杭を切り、先を削り、穴を開け、打込む。基準となる2本を立てたところで、遣り方作業となる。

基礎杭打ち風景

 図面の上では三角定規ですぐに出て来る直角が、現場で原寸ではなかなか難しい。それを限られた道具で如何に素早く正確に出すかが、技術である。これを学生たちに考えさせるというのもなかなかいい訓練であるが、そんな悠長なことをしていられない。4日間しかないのだ。

杭芯出し作業

 素屋根 1日目はあえなく、数本の杭が打てたに過ぎなかった。2日目に、残りの杭を打ち、土台を据えるはずであったが、なんと美山は雨。ずぶぬれになりながらの作業は捗らず、いよいよ本降りになって作業中止。聞けば、これから数日間、雨模様とのこと。3日目、予定を変更して、木匠塾の折の足場丸太を引っ張り出し、それで素屋根をこしらえることとした。しかし、現地にあるはずの丸太が無い。どうも、色々なことに使われてしまったらしい。仕方なく、ありったけの材料を捜し、つぎはぎだらけの素屋根をどうにか拵えた。

素屋根をかける

 何とか仮屋根が架かり、杭の頭をレベルで切りそろえ、墨を出し、柱の根を入れるほぞ穴を掘り出す頃には、日は暮れて、真っ暗になってしまった。投光器を段取りしての晩方の作業となった。吐く息が白く、手が冷たい。しかし、雨で遊んでしまった昨日の遅れを取り戻そうと、懸命に作業する「愚連隊」諸君、掛け声も明るく、いい雰囲気だ。70を過ぎた棟梁には何とも気の毒なことであったが。

晩まで作業

 合宿生活 当初の話ではロッジに宿泊し、食事も出て来るはずであったが、思いのほか材料代がかさばり、経費節減のため、キャンプ場のログ小屋にて自炊生活となった。またもや木匠塾道具が活躍だ。風呂は素晴らしい「ばら風呂」を提供頂いた。高齢の棟梁は暖房設備のあるロッジで宿泊させてもらった。合宿の間、10人の内2人が食事当番となる。木匠塾のときと違って女性がいないので男料理となるが、どの料理も美味しかった。横井棟梁もこういう合宿は初めてだそうだが、楽しんでもらえたようだ。真冬の夜は寒く、薄い寝袋では持参したストーブでは足りず、大きなストーブを借りて使わせてもらった。

晩飯風景

 建て方 4日目、やっと土台が据えられ、柱を立て、梁桁を組むことができた。何にしても、思い通りにはいかないものだ。あちこち調整しながらの作業の連続となる。経験不足と言えばそれまでだが、通常の木造の現場とは様子が違い、すべてを予想することは難しい。学生たちは何ごとも初めての経験で、少しずつ形になって行くのが嬉しくて仕方ないというところだ。土台はダボで杭と結ばれてゆく。柱の長ほぞはそのまま延ばして杭に差し込む。テラスの土台は杭に蟻ほぞで取りつく。

土台据付け

 板壁とラチスが共に柱に掘られた溝に嵌め込まれ、納まってゆく。厚い杉板を落とし込んで嵌めて行く方法は、本実ねを叩き入れて行くことで、かなりしっかり固定される。もっと大きな水平耐力を持たせるには、角ダボなどで層間のズレを止めてやればいいのだが、今回はそこまで必要無い。難しいのは、左右で水平を揃えることと、最後の桁に呑み込ませて納めること。板は乾燥に伴って痩せて来るので、こういう板壁はたいてい、上部にかなりの隙間が出来る。その分を見越して呑み込みを十分に設ければいいが、人口乾燥材で残留収縮を2%ほど見込めば、2.4mで70mmを見なくてはならない。これだけの深い溝を桁につくことはできないので、あらかじめ、桁下に幕板をつけておかねばならない。どのみち、こうした板壁で水平荷重を持たせようとすれば、上下では難しく、やはり隙間はあるが、左右の柱間で考えることになる。

板壁落とし込み

 柱や梁は長ほぞで接合されるので、込栓を打たなくても結構しゃんとしている。ましてや板壁やラチスを叩き入れているので、かなり頑丈にはなったようだ。苦労の板束を組み合わせ、取り付ける。これも込栓で止め、様子を見て弱ければ、ビスで補強しようということであったが、その必要はなさそうだ。込栓を手持ちのナラでこしらえたが、樫ほどの粘りがないので、無理に叩くと割けてしまう。柱梁を留める込栓は5分(15mm)、造作を留める栓は4分(12mm)とした。

棟桁を支える板束を取り付ける

 屋根  なにしろ貧弱な素屋根のこと、屋根との間がほとんどないために、垂木を取り付けるのに苦労した。折しも、みぞれが降りしきる。床もまだ無い状態で、道具や部材を落とせば、下は泥田である。作業は難航した。学生たちに約束した4日間を過ぎ、アルバイトなど用事のために幾人かは京都に戻った。残るはもともとのバラ園グループ員の5人である。棟梁も長い合宿生活を延長することになった。格好がつくまで帰れないという気分である。

雪と泥の中で記念写真

 しかし、それも限界がある。6日目の土曜日、かなりの雪になった。皆を引き上げさせよう。雪が積もっても何とか大丈夫なようにだけはしておかねばならない。屋根上での作業はいよいよ大変。長靴が泥だらけなので、床上でほとんど全員裸足での作業だ。シートの隙間から落ちる雪に襲われながら小舞を打ち、屋根下地を張る。夕方、早めに作業を切り上げ、大工道具や合宿道具を片付け、撤収。さいわい、道路の雪は消え、無事京都にたどりつく。

 年越、作業再開  2002年となり後期試験も終わって、作業再開。学生たちもやる気満々。幸い、積雪は大したこと無く、覚悟していた雪掻きはほとんど不要であった。今度は合宿では無く、天気のよい日に日帰りで作業をすることにした。もう素屋根を払ってしかできない作業だからだ。しかし、一日中天気がよいなどということはない。朝、好くても午後にはしっかり雪になる。でも、雪は雨よりもましだ。2月14、15日と屋根葺き作業を行なった。

断熱パネルを葺く

 ビニル波板はポリカーボネイト製、断熱および日除けを兼ねて下に樹脂のパネルを敷く仕様としている。いわばビニル製の段ボールであり、通常は養生に用いるものだが、以前、やはり屋根下地に使ってなかなかよかった。半透明ものもあるが、白が却って明るく、多少の汚れも隠れる。ただ、つなぎ目に小舞を打たなくてはならないが。

ビニル波板を葺く

 ビニル波板は雨の音がうるさいが、なかなか使い勝手はいい。明るく、陽が抜けて床に届くので、湿気た美山でも床を乾かしてくれるだろう。ただ、見てくれが芳しく無い。けらばで破風を立ち上げて妻面でビニルを見せない工夫は可能だ。軒側は、樋でカバーするしかない。軒樋を工夫したいが、塩ビ樋はいやなので、竹の樋を考えた。近所にも案外竹林があるではないか。さっそく自然文化村館長に竹の調達を依頼した。

北茅葺き集落

 竹の軒樋 2月21日、美山での作業はこれがとりあえず最後の日となる。床を張るのと、竹の軒樋を作って懸けるのが仕事である。森林組合から床板が届き、館長から竹が届いた。見れば、やはり雪国の竹だけあって、曲がりくねっている。6mの長さで元末の落ちが大きい。あらためて、京の竹屋はいいものを持っていると認識した次第。しかしせっかく館長が努力したのだから、これを使うべしと、半分に割り、節を抜き、樋受けを取り付け、銅線で縛り付けて納めた。が、いかにも貧弱で、見るに耐えない。床を仕上げ、手摺と階段を取り付ける時に、樋はやり直したい。

竹樋つくり

 とりあえず完成 床を張り、樋をつけている間に、足場を払い、片付けると、かわいい休憩小屋が田畑の中に登場した。ラチスがまるでうさぎ小屋のような印象を与えている。夕方になって、暗くなる前に記念写真。次は春休み中に床を仕上げ、階段を拵え、手摺を取り付けに来なくてはならない。バラの咲き誇る5月の連休あたりまでには完成させなくてはと思う。プレ木匠塾として、新たなメンバーでまた来よう。

足場を撤去

 妻面から見ると、ビニル波板が見えないこともあって、まあまあの眺め。塗装は河鹿荘のスタッフでやるとのこと。上手にやってくれよ。屋根全体の長さを5mに押さえているので、妻面でのけらばの出がちょっとさみしい。正面の桁に頬杖が欲しいと棟梁。水平の動きに対して正面を押さえるものがないので、正面が振れる。しかしなにしろ軒高をぎりぎりに押さえているので、頬杖をつけると頭を打つ。しばらく様子を見ることにしよう。

とりあえず完成

 振返って 今年初めて卒業制作として取り組んだ木工であるが、大工や現場管理を希望する彼らにとってこの作業の意味は如何であったろうか。小さな小屋ではあるが、少なくとも、デザインや設計図、詳細や納まりを考えることの意味、図面から部材を拾い出し、発注すること、搬入された材料の狂いを取り、墨を付け、刻む仕方、調整の仕方、建てる段取り、共同作業の面白さ、難しさなどなどすべてを一応は経験し、あるいは目の前で見てきたことになる。もう少し力があればもっと主体的に関われただろうが、それはこういう経験を毎年重ねて行かないことには難しい。学校そのものの経験が必要だ。学生は誰しもその都度初めての挑戦なのだが、学校の側に経験が蓄積されていると、全く状況が異なる。年々、同じことを繰り返しても、同じレベルには留まらず、年々、少しずつ前の年よりも歩を進めるものである。おおよそ完成の姿が目に浮かぶようになれば、各自に目指す方角とそこへの作業量の感覚が掴め、今の作業の位置を理解し、確実性が増すということがある。しかし、この一連の作業をルーティーンの繰り返しとして、マニュアル化するということがあってはならない。結果としての産物が問題では無いからだ。プロセスとそのプロセスを自覚的に生きること、言い換えれば、特に上手く行かない際に発揮される頑張りと創意、工夫が最も貴重なのだとも言えよう。(文と写真  さのはるひと)

 

  課題名: 美山町自然文化村バラ園休憩所 

  発注者: 美山町自然文化村館長 中井 壮

  企 画: 京都建築専門学校 佐野春仁

  設 計: 佐野春仁

  技術指導:横井博史

  参加学生:有山剛史、浦 悠策、小東千倫、冨田靖剛、升田達哉 

       北濱昌知、谷本和明、中嶋 聡、西出信幸、渡邊嘉彬 

 

 最後に、この制作に当たり特別にお世話になった横井博史棟梁、中井壮館長をはじめ河鹿荘のスタッフの皆様、よしやまちでの作業を支えて頂いた的場優子氏に心から感謝の意を表します。