私は昭和43年に早稲田大学第一政治経済学部経済学科に入学しました。
当時の高田馬場駅前はまだ都電が走っていましたが、校歌にあるような「早稲田の杜」はありませんでした。
正門も芝生もなく学生ばかりが溢れかえっているキャンパスに実際のところ失望しました。
大学の味気ない講義に出る気もせず、私は東伏見の下宿で郷里から上京した友人達とマージャンやパチンコに遊びほうけていました。
大学紛争のお蔭で何とか4年間で卒業しましたが、私の早稲田での青春は学問とはおよそ縁遠いものでありました。
♪都の西北早稲田の杜に、聳ゆる甍は、我らが母校・・・・・・・・♪
田舎から出てきて右も左も分らずに、「貧しさ」と「プライド」を両方のポケットに忍ばせて、無我夢中で駆け抜けた4年間でした。
早稲田の「実学志向・アンチアカデミズム」に絶望し、早稲田の「マスコミを利用したあの軽薄さ」を心のどこかで軽蔑していた私・・・
されど・・・・されど・・私は早稲田を愛する・・・
早稲田に憧れて、全国各地から集まった学生達の、質の高さよ!!!。
頭脳明晰で、エネルギッシュな学友たちよ!!!
♪集まり散じて人は変われど、仰ぐは同じき理想の光、いざ声そろえて空もとどろに、我らが母校の名をば讃えん・・・・・・♪
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早稲田に合格した夜、私以上に喜び、校歌「都の西北」を何度も何度も歌ってくれた、今は亡き父に捧ぐ。
早稲田よ永遠に!!
父よ永遠に!!
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