昭和56年に転勤で岐阜市に移りました。
入社以来9年間ずっと本社勤務だったので最初は非常に不安でした。
社宅は長良川を越えたところにありました。
鵜飼の行われる長良橋周辺は金華山が近くにまで迫っており、その頂上には岐阜城が悠然とそびえ立っていました。
春の花見シーズンや夏の鵜飼シーズンは特に観光客で賑わいました。
東京に居た頃はペーパードライバーであった私もさすがに岐阜では車が必要になったため急遽、車の運転をするようになりました。
車に乗り始めると世界が変わりました。
岐阜から米原まで1時間ちょっとで行けるなんて信じられませんでした。
それ以来、ドライブの魅力に取りつかれ毎週と言って良いほど岐阜県内を車で走り回りました。
岐阜県というところは車さえあれば地理的に非常に便利で、北は能登半島、南は伊勢湾、西は京都、東は静岡まで、いとも簡単に日帰りでドライブが出来ます。
岐阜には5年間居たのですが、長男・次男ともに逞しく育ちました。
岐阜北幼稚園・長良西小学校という素晴らしい教育環境の中で友達にも恵まれて、長男は野球、次男はサッカーで大活躍でした。
そして三男が岐阜で生まれました。
五木ひろしが「長良川艶歌」でレコード大賞を取ったのもこの頃でした。
東京から見知らぬ土地にやって来た私たち家族を岐阜の人々は温かく迎えてくれました。
岐阜の皆さん・・ありがとう。
楽しい思い出を・・本当にありがとう。
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