( 山フォトコン )

 
特集コーナー

初期山歩の頃 その2

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No−8 

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 昭和45年(1970年)に初めて瓶ケ森に登り、それ以後今日まで何度か訪れた。 初めて瓶ケ森へ登った時は、四国にこのような
広大な笹原が広がってる場所があることに驚き感心したものであった。しかも、標高の高い山の上にどうして?。 それまでは、図書
やパンフレットの写真で見るくらいであったが、実際自分の目で見ると景色の雄大さを身にもって感じた。
 
四国の片田舎で育った私には見聞が広まった。 この頃の瓶ケ森は、現在のように笹原にあまり木々も生えてなく、まさに草原のよう
な感じだった。 瓶ケ森ヒュッテには、幾島さんご夫妻が元気に登山者達のお世話をなさっていた。昭和45年の時は、私は知人と2名
でキャンプ場でテントを張っての泊まりだった。周辺にも何組かのテントがあったような記憶が・・・・・・。 
 
 それから約40年近く経ち、瓶ケ森の笹原には成長したシラベやダケカンバの木々が随分と多くなってきた。と、同時に枯れたシラベ
や倒木した白骨林も多くなった。 この白骨林が少なくなってきたのはチョット残念である。瓶ケ森の代表的な山岳風景である、笹原と
白骨林のバックにそびえる石鎚山の姿、これの良いアングルが少なくなってきた。
 
 今後、瓶ケ森も天候・植生など自然界のサイクルで景色は移り変わっていくであろうが、今のような風景は変わらずにいて欲しいも
のです。 ですが、人間の都合による変革は困ります。
 

瓶ケ森ヒュッテで頂いた当時の登山案内図の表紙
昭和40年代頭初?に、幾島照夫氏によって編集  定価60円

案内図裏面の地図。小さくてチョット見にくいですが、この頃の地図には、まだ
石鎚スカイラインや町道瓶ケ森線などの車道はなく昔のままの登山道のみ。
地名も現在と違う名前も。   鶴ノ子ノ頭→犬吠
 石鎚登山ロープウェイもまだ表示されていません。
 

 下の写真は、昭和40年代の瓶ケ森(白黒写真)と平成21年4月に写した瓶ケ森の比較写真です。

撮影場所はほぼ同じ場所で撮ったものです。白骨林は少なくなり、枝が茂っていた木は枯れ木となり、
自然の移り変わりゆく姿はチョット寂しいです。
広々としていた笹原には、シラベなどの樹木が繁茂してきました。やがてこの木たちも成長して枯れて
ゆくゆくは白骨林になり、また以前のような瓶ケ森の山岳風景を見せてくれるのでは、と期待してます。
ですが、その頃には私が老いて朽ちてるかもしれませんけど・・・・・・。

S48、11、4撮影 H21、4、11撮影(以下同じ)

S48、11、4撮影 枝もなくなりました。

S48、11、4撮影 ”枯れ木も山の賑わい”でしたが・・・・。

S49、9、16撮影 枝も丸坊主に・・・・・・。

S48、7、1撮影(左の小屋はまだ増築されていません。) ヒュッテもシラベの木の中に。

S48、11、4撮影 樹木が目立ちます。

S48、7、1撮影 ダケカンバが多いです。
 上記写真の昭和年代は、瓶ケ森に行くにはいつも麓の東の川又は西の川から歩いて登り、氷見二千石原に辿り
付いた時は満足感と景色の美しさには感動していました。 今は、簡単に車で近くまで行き40〜50分で山頂へ。
瓶ケ森は便利な山となり、皆様に親しまれるようになった。私もこの便利さを利用する者なので文句を言える立場で
はないですが、昔のままであれば今でももっと多くの岳人が瓶ケ森を訪れているかも・・・。
(ウッ!、昔を懐かしむような事を述べる、ということは私が年寄りに近づいた、のかな????  )
 
     

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