卒業生代表答辞


それは、高校の卒業式を半月後に控え、自由登校期間真っ最中だった1997年2月某日。
先生に呼び止められたと思ったら、答辞担当の任が下された。
先生、ちったぁ人選考えようよ。なんで私なんすか。嫌ですよ。
私がどんなにあんたらの手を煩わせた生徒だったか知ってるでしょう?


「課外授業受けろ。」「嫌です。」(暑いor寒い・眠いから)
「模試受けろ。」「嫌です。」(金がもったいないから)
「小論文勉強しろ。」「嫌です。」(英検の方が大事だから)
「私立大も受験しろ。」「嫌です。」(行く気ないから)


そりゃ茶髪にもせず、ルーズソックスもはかず、スカート丈も普通、
バイクも乗らない、アルバイトもしない、と、校則を破るようなことはしてませんが、
授業中は爆睡、全国偏差値は40前後、生徒会室で遊んで
三年間、ことごとく詭弁をふるってあんたらの忠告を無視して好き勝手やり続けてきた輩ですよ?
だいたい皮肉や文句なら腐るほどあるけど、
感謝の言葉なんて、400字詰め原稿用紙4枚分も書けねえっつーの。
当日、突発的にキレて何言い出すかわかりませんよ?
別の人にお願いしたほうが無難かと思われますが。
もう1度言います。なんで私なんすか。




「推薦(入試)だけだったしどーせ暇だろ?




それだけかい。






結局、反論空しく、書かざるをえないことになったワケで。
さーて困った、どうしよ。
だってさ、平たく頭悪く正直に書くとこーなっちゃうよ?



答辞

・・・ったく寒みぃ中、わしらの為、年中行事をやってもらってすまんねぇ。校長、それとわざわざ呼び出されたお偉いさん?ゴメーン、あんたらの話、たぶんほとんど寝てて聞いてないと思う。後輩もきっと、心にもないこと言わされんだろうな。散々だね。同情するよ。

そーねー、この三年、いろいろあったなー。クラスマッチは一日授業やらないですむし、ほとんど応援だったから疲れなくてラクだったなー。文化祭はお化け屋敷だったっけ。教室がこんにゃく臭くなって参ったわ。そーいや、体育祭なのになんで仮装行列やらされたんだろ。原始人と称した半裸の奴大量にいたし、内緒でロケット花火打ち上げたし。広島・京都旅行・・・古い建物いっぱい見たな。歴史的背景なんてさっぱり覚えてないけど。あ、食文化は大いに堪能したわ。もみまん(紅葉饅頭)、八ッ橋、湯葉ウマー(゚∀゚)!そうそう、炎天下の中、野球の地区予選行ったっけなー。応援団に氷水浴びせかけるのに必死でロクに試合を観られなかったんだよな。ったく生徒会役員なんてやるもんじゃねぇな。あー、まだまだ言い足んないけどこれくらいでやめとこ。

しっかし、ウチの学校ってヘンな先生ばっかり。理科系の先生は素直にすごいなーって思ってたけど。とりあえず、課外受けとけが口癖だったよな。部活とか生徒会なんてほとんど野放し状態だったからやりやすかったわー。公立高の割にはがんばったよな。ごめんねー、いつも忠告無視しまくってて。

友達は確実に増えたよ。てか、友達といるときしか楽しくなかったわ。万引き自慢してた女にはマジひいたけど。他愛もないことでいっぱい愚痴言いあってたっけな。自分、クラス会幹事だけど、どーせみんな来ないだろうし、横浜行った後は、自分が逢いたいと思った人にだけ連絡とってみよーっと。

自分は、とりあえず大学行ってだらだら学生続けるわけだけど、それなりに「心をこめて・たくましく」やってくから。社会人としての自覚?なにそれ。もうちょっと先延ばして、就職するくらいの時期からでもいいですかね?歴史と伝統ねぇ・・・旧制中学からあるってだけじゃん。S高校?茨城出たら誰も知らねぇって。ま、聞かれたら答える程度で、名前広めとくよ。すぐ忘れられるだろーけどさ。なんか困ったら、いろんな人にも相談すると思うけど、一応自分で足掻いてみるわ。万一、相談相手として思い出したらそんときは連絡するよ。飲み連れてってねー。奢って奢って〜♪

後輩さんたち。帰宅部も多かったしあんま交流なかったね。とりあえず、ウチの高校は、受験倍率1.00超えてるし、しばらくは大丈夫でしょう。ま、テキトーに大人しくしてれば問題ないから、これ以上評判落とさないでくれよ?ウチの校章、説明しないとわかりにくいよな!ま、知ってても邪魔にはならないと思うよ?んで、生徒会をちったぁ盛り立ててやってよ。役員の立候補者がいなくなるくらい存在感薄いんだから

さ、そろそろ締めの言葉だな。ウチの学校は・・・まずは現状維持で、余力があったら良くしてってよ。みんな元気でやってちょーだい。いいこといっぱいあるといいね。以上、答辞終わりっ。

平成九年三月一日
ヒマ人扱いに軽くキレ気味の XX XX





このまま書いたら卒業証書くれねーだろな。(゚Д゚;))ガクガクブルブル



あーでもないこーでもないと試行錯誤、推敲しまくった結果、こう直してみた。



答辞

梅の香りに春の息吹を感じる今日の佳き日に、私共二百九十三名の卒業生の為に、このような心のこもった卒業式を挙行して下さいまして、誠にありがとうございます。また、校長先生の御訓辞、わざわざおいで下さいました御来賓の皆様の御祝辞、在校生の皆さんからの励ましの一言一言が私共の胸に染み渡り、たいへん勇気づけられる思いが致しました。

今、三年間の高校生活を思い起こしてみますと、数々の思い出が浮かび上がってきます。団結と協力を身をもって体験したクラスマッチ、一人一人がアイデアを出し、自分達の世界を創り上げた蛍雪祭、スローガンの下に、クラスで一つのことに熱中し、やり遂げることで深い充実感を味わえた体育祭、歴史と文化と平和の大切さを改めて学んだ修学旅行、灼熱の太陽の下で声を張り上げた野球応援など、語り尽くせぬ思い出があふれる本校での生活でした。

本校には、情熱にあふれた先生、深い学識をお持ちの先生、個性的な先生がたくさんいらっしゃいました。授業や課外を通して学力向上を考えて下さいました。部活動や生徒会活動についても理解があり、サッカー部の関東大会第三位、剣道部のインターハイ出場、写真部の全国大会出展など、恵まれた環境で多くのことを学ぶことができたと思います。その中で何より申し訳なく思うのは、先生方が私共の為に、言葉をかけて下さっているのに、それに気がつかなかったことです。深くお詫び致します。

また私共はここでかけがえのない多くの友を得ることができました。楽しかった思い出の中には、必ず友達の笑顔がありました。悩んだ時も失敗した時も、友達はいつも励ましてくれました。私共はここで築き上げた友情という信頼関係をこれからも大切にしていきたいと思います。

私共の中には、さらに大学へ進む者もあり、このまま社会へ出る者もおります。どの道へ進むにしましても、本校で学んだ「誠実・剛健」の精神を生かし、社会人としての自覚と共に、自分に責任を持てる人生を歩んで行きたいと考えております。そして、歴史と伝統のあるこのS高校を母校と呼べることを誇りに思いながら、精一杯頑張りたいと思います。それが今日まで先生方から受けました御恩に報いる唯一の道であると信じております。しかし、自分自身を見失い、迷うことがあるかもしれません。その時には先生方のお教えを頂きたいと思いますので、引き続き宜しくご指導くださいますようお願い申し上げます。

在校生の皆さん。皆さんとは一年、あるいは二年のお付き合いでしたが、私共は皆さんのような優れた後輩を持ちえたことを誇りとしています。皆さんも校訓である「誠実・剛健」の精神を受け継がれて、さらに来年度70周年を迎える母校の名声を高めて下されんことを期待致します。皆さんも御承知の通り、本校の校章は、雪の結晶体と蛍です。晋の車胤(しゃいん)は蛍を集めてその光で学問を積み、孫康(そんこう)は雪の灯りで書物を読み、努力して学問を修めました。この故事が校章の由来だと入学時にお聞きしました。在校生の皆さんも、校章を見る度にこの故事を思い起こし、生徒会を中心に母校をさらに良い学校へと躍進させて下さい。

最後になりましたが、母校の今後益々の御発展と、御来賓の方々を始め、校長先生、諸先生方、そして在校生の皆さんの御健康と御多幸をお祈り致しまして、答辞とさせて頂きます。

平成九年三月一日
卒業生代表 XX XX







モノは言いようだよな。






で、卒業式当日。周囲的には、
「彼奴は何食わぬ顔して壇上に立って淡々とノーミスで読み上げた」
ということになってます。

が、実際は、口から心臓が飛び出そうなほど緊張してて、
全身から血の気がひいてて、嫌な汗もかいてて、卒倒しそうで。
壇上の昇り降りでも「転んだらどうしよう・・・」と気が気じゃなかった。
式終了後、先生に「あれで式全体が締まったよな。」と言われて
初めて安堵したのを、今でも覚えてます。





その報酬が卒業式を録音したテープというのは何年経っても解せずにいますが。


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