小林会長の「時節一言」 過去の掲載文












第66目掲載 「時節一言」

 市民の郷土愛醸成に寄与    〜郷土史の夕べ挨拶より〜
           
                                           会長  小林正明                         

                

                

 皆様お晩でございます。只今ご紹介ありました登別市文化協会の小林正明です。
本日の「郷土史の夕べ」は、市民文化祭の主催ということでご挨拶の機会をいただきました。一言お礼の言葉を申し上げます。ご参会の市民の皆様そして会員の方々夜分お出まし下さりまして誠にありがとうございます。今日は暦の上では立冬でありますが、小春日和の暖かな日になりました。しかしながら気温の変動で風邪などひかれて体調を崩している方も多いと聞いております。皆様お元気そうでなりよりです。厳しい冬に向かっての健康管理はお互いに気をつけたいものと存じます。

 さて、今年度当文化協会が主催してきました市民文化祭は、おかげさまで47回目を迎えました。9月11日のバレエコンサートを皮切りに11月20日の将棋大会まで加盟団体それぞれが創意と工夫を凝らして地域のいろいろなサークルやグループと連携して、高度でユニークな楽しい発表や展示が開かれ、多くの市民の参加がありました。
この「郷土史の夕べ」も登別郷土文化研究会が毎年開催している歴史と伝統のある事業です。

 登別郷土文化研究会は、昭和45年に結成以来、郷土の歴史、貴重な文化遺産、受け継ぐべき伝統を見詰めなおし、結束して市民の郷土愛の醸成に力を入れて来ました。
ふるさと登別の郷土をさまざまな面から知って、ともに理解しあうための事業を展開して早40年になりました。それは歴史であり、自然であり、地理地名であり、人物であり、動植物であり、観光産業経済と誠に多種多様であります。今年は記念事業として
「記念誌」を発行とのこと私も楽しみにしているところであります。
 当会は常に北海道そして胆振の歴史の中の登別はどのように発展してきたのかを視座において進んでおります。毎年行なっている道内外の研修旅行に代表されるように郷土を広くとらえた歴史認識の積み重ねこそが真の郷土愛に連結するものと信じています。
 郷土文化研究会はこうした広角レンズを大切に研修を継続していることに敬意と感謝する次第であります。市民各層にこうした文化遺産を広げていただくことを願っています。実は、こうした精神文化の蓄積がとっても大切なことだと思います。文化の香り高い登別の町づくり、人づくり、そして文化づくりに寄与するために身を呈しても良いという気持ちを奮い起こすものであると思っています。ですから市民文化祭事業のメイン的役割を「郷土史の夕べ」が担っているといっても過言でありません。
本日 前田菜穂子先生を招聘されての講演会はとても意義深いものと存じます。改めまして先生に厚くお礼申し上げます。ありがとうございます。
 今朝なんとなくテレビを見ていたら、「熊が立ち寄る野菜即売所」の看板が目に入りました。熊さんが始終ここにやってきて味噌をなめて帰るそうです。それをキャッチフレーズにして大繁盛だそうです。面白い発想だと感心しました。
 最近テレビや新聞でヒグマに関わる報道が頻繁にされていまして行く末はどうなるのだろうと私なりに考えますがすぐに行き止まります。皆さんは如何でしょうか。ヒグマとの共存は果たして可能なんでしょうか。先生の演題は、私共の疑問に直接迫るだけに興味津々でお聞きするのが楽しみでございます。人間と動植物との共存共生という今日的課題に対して、新しい視点から私共に多くのご示唆を賜ることになると確信しております。しっかりとお教えをお受けして、今後の己のあり方に生かさなくてはと思います。
終りになりましたが、過日11月3日文化の日に当郷土文化研究会副会長の街道重昭さんが、文化協会功労賞の栄に輝きました。当会は史跡調査を行い、その場所13箇所に説明板を設置しました。毎年の郷土研ならではの研修旅行の企画実行、宮武先生の名著「郷土史探訪・郷土史点描」の貴重な文献等に尽力されるなどご貢献が顕著であることから表彰となりました。誠におめでとうございます。ここにおいても皆様共々とお祝いしていただければと存じます。
郷土文化研究会の今後の活躍発展と本日ご参会の皆様のご健勝を祈念して主催者の挨拶にかえさせていただきます。本日は誠にありがとうございました。   ……… (市民会館 中ホール)……… 

(平成23年 11月 10日)















第65目掲載 「時節一言」

             「文化の歩みは百尺竿頭の精神で」   ―平成23年度 表彰式 式辞―
                                           会長  小林正明                         

                

         
 晩秋の日溜りの温かさが、静かに、やさしく広がり菊の香りがこころを和ませる、このよき日に平成23年度の登別市文化協会表彰式を行いましたところ、登別市長 小笠原春一様、登別市議会議長 高橋正美様、北海道議会議員 堀井 学様はじめご来賓各位のご臨席をいただき、また当協会相談役、役員、加盟団体代表及び会員、市民出席のもとかくも盛大に行なうことができましたことを、衷心より厚くお礼申し上げます。

 今年度、栄ある受賞となりましたのは、会長賞1名、功労賞6名、芸術賞2名、奨励賞1名の計10名の方々であります。心からお祝いを申し上げます。誠におめでとうございます。
 この度会長賞を受賞されました三上恵久英様は吉田兄弟様、佐藤孝貫さまに継ぐ当文協創立以来3人目の受賞となりました。この賞は該当加盟団体と当会会長の同時推薦のもと選考委員会の合意のもと決定される最高賞であります。
 功績はしおりにご紹介してありますが、三上先生ご自身のご功績はもとより多くの後継者を慈しみ育て挙げている功績は実に偉大なものであります。また、美術と歌謡界からお二人が芸術賞の受賞となりました。久々のお二人の受賞であります。
 さて、本日午前には、登別市功労者表彰式が行なわれましたが、当協会登別吟道連盟の横山岳凛様が登別市功労賞の栄に輝きました。横山先生のご受賞は吟道連盟40周年を迎えた節目の年の受賞となりました。おめでとうございます。
 只今、今年度受賞となりましたお一人お一人に敬意と感謝の気持ちを込めて表彰状をお渡しいたしました。受賞されました方々は、当協会の創立以来、変化する時代の中で地域文化の伝承と発展のために誠心誠意の活動を続けられ、加盟されている団体のため、また当協会の事業や運営に多大なる貢献をなされました。改めて感謝とお礼を申し上げます。誠にありがとうございます。

 私は、この度受賞の方々の団体からの推薦書を拝見致しまして、皆様の芸術文化に磨きをかけるための日頃からの研鑚努力、そして良い地域づくりのために一生懸命のお姿がよく分かりました。もっとも感銘を受けたことは、受賞されたどの方も長期にわたり、会員からの厚い信頼と尊敬は勿論、温かな人間的絆を広く強く結び合い、文化振興のため献身をされ、尊く生きておられるお姿であります。選考委員会の各委員は何度も頷く中で慎重に決めていただきました。今後当協会が粘り強く歩んでいくための、心に響き届くメッセージが込められているからでございます。
 私達が愛するふるさとのために為すこととは、如何なることでありましょうか。  今、私は思います。それはふるさと登別の文化の香り高いまちづくりを目指して、自らの文化芸術性を高めながら、未来を担う青少年のために忍耐と熱意を絶やさず、慢心笑みをもって文化の推進に一生懸命に精進努力することが最も大切であるということです。「日々是好日」に自らやる気と勇気と元気を奮い立たせて活動するならば、必ずや夢、ロマンは広がって、実現できるという人生訓を受賞の方々からしっかりと学ぼうではありませんか。

 どんなに苦難の時でも希望を持ち続けながら率先して努力することこそがどんなに大切かを教えた下さりました。わが町登別に開拓の鍬を入れた片倉家一族のフロンテイア精神、貴重なアイヌ文化を有し、自然豊かで湧き出る温泉の町に住んでて良かった幸せと思える町づくりに寄与することであります。そのために、己の目指す芸術技能に拘り続け、忍耐と努力を真髄にすることが人づくりになるということを確信して邁進することが求められます。そしてそのパワーを市民各層にネトワークすることの役割があります。この日に私達は受賞者の方々の今後一層のご健勝とご活躍を祈念いたしながら肝に銘じることが大切と思います。
 さて、我が国の現状は政治、経済、産業等いまだ不安定不透明な時代から脱出できず人々の苦難は続いています。市制施行40周年を迎えた我が町新生登別市の新たないでたちのための今日の役割は、私達大人市民が未来を担う子どもたちに、何を、いつ、どのように引き渡すとよいのかを真剣に考えなくてはなりません。確固たる後継者を育てて、今こそ世代から世代への受け継がれるべき我が町の特有の誇れる文化遺産を見直して地域文化の価値や理想像を明らかにすることが求められていることを再認識しなくてはならないと思います。
 私達は市民の希望と期待をキャッチして、加盟団体を軸にして市民の目線に合わせて今、何ができるか、何をなさねばならないかできることを明確にして、活性化のために努力していきたい。一生懸命に文化の創造に励むことを、再度このよき日に誓い合いたいと思います。

 3月11日の未曾有の東日本大震災の私達が一日も早く願う復興復旧はさまざまな要因から遅滞することが多く、まだまあ被災地の人々の安心安全な暮らしが見えてこないのが実態であります。私達は白石市等の義援金活動をはじめとして取り組んでまいりましたが、亡くなられた方々のご冥福と被災された方々の復旧、復興をの願いを受け止めて、これから何をどのようにできるかを見出して支援を継続しなくてはならないと思います。
ところで、中国の禅僧、石霜(せきそう)と長沙(ちょうさ)の問答をまとめた「無門関」に「百尺の竿頭にすべからく歩みを進め、十万世界に現ずべし」とあり、過日永平寺を尋ねた折に玄関先に、日々のくらしの足元をこそ照らし顧みるべきだという戒めのことば「照顧却下」とならべて書かれてありました。

 「百尺竿頭」とは長い長い竿の先のこと。厳しい修行を経てやっと到達できる悟りの境地をさしています。しかし、悟りを開いても人の道に終点はありません。その竿の先で「さらに一歩進めよ」というのです。長沙は、「百尺竿頭座す底の人、然も得入すといえども未だ真となさず、百尺竿頭にすべからず歩みを進め、十方世界に前進を現ずべし」(竿の先にどとまろうとする者は、悟ったといっても真の悟りにはいあたっていない。竿の先からさらに進め、世俗世間に身を呈して民衆を救う努力をしなければならない)と言っています。私達は日々努力しても高みのてっぺんまで行き着くことはできません。でもまだ先があるからこそ、「もっとがんばろう」と思うことができるのです。

 しかし、一応の目標に達すると、多くの場合「もうこれくらいでいい」と満足し、その位置に安住してしまうもの。この格言は、たとえ成功してもその地位に甘んじることなく、自分が得てきた経験や技術を次の世代に伝えたり、おごる事無く向上心をもち「間断なき歩みを続けたいものと教えております。「百尺竿頭に一歩を進む」心にとめたい格言です。
 昨年わが文化協会は、北海道文化団体協議会最高賞である文団協賞を受賞しました。その評価の第一には、どの加盟団体も結社や流派や教室の枠組みを越えて、地域の文化活動と連携して歩み続けているということでありました。道内各市町村の中では稀なるしかし貴重な現状と、実に羨ましいと言われています。当たり前のことを当たり前として継承しきた先人の指導者に改めて敬意と感謝の意を表するとともに新たな一歩を踏み出そうではありませんか。

 今、開催されている登別伊達時代村の菊花祭では、菊花同友会の有志が猛暑の中で、幌別小学校の子どもたちと共々育てた、菊花の美しさと香りが国内外の入村者を感動させ楽しませております。終りにこれもひとえに本日ご臨席下さりましたご来賓の方々をはじめ行政、各機関、団体のご理解とご支援があっての賜物と厚く厚く感謝とお礼を申し上げます。今後とも変わらぬご指導とご鞭撻をいただきたくお願い申し上げます。この日の祝賀会にご尽力いただきました加盟団体の皆様方、そして「平安」スタッフの方々にも感謝申し上げます。
 ご出席の皆様の今後ますますのご健康とご活躍をご祈念申し上げ式辞と致します。(平成23年11月3日)











第64目掲載 「時節一言」

復刊10年 ・ 文芸「のぼりべつ」
登別川柳社 主幹 小林碧水
                                           

                

                                 

 資金難から20号で休刊していた市民文芸を復刊して十年、30号まで漕ぎ着けることができた。20号までは市文化協会の資金援助と市内各企業から協賛金を頂戴しての発行であったが、市の厳しい財政事情による文化協会への助成金の減額に伴い、文化協会も市民文芸への特別な予算措置ができなくなってしまったこと、先行きの見えない経済の中で各企業からの協賛金も集めにくくなってしまったことが休刊の理由であった。 創刊以来たずさわってきたメンバーは休刊を寂しがり、なんとか復刊できないか模索を続けていた。幸い新文化協会会長の熱意によって十年休刊後の復刊となった。資金は少額ではあったが文化協会からの援助金を二回受けたことは、編集子にとって大きな励みになった。気心の通じた仲とはいえ皆手弁当で毎号編集にあたってくれる。
 札幌への人口集中、その陰で疲弊していく郡部、その中で文芸誌を発行している市町村はどれくらいあるのだろう。資金難から休刊や廃刊に追い込まれているに違いない。
毎号寄せていただく原稿の中で必ず胸を熱くするものがある。時代に弄ばれた高齢者の心情。他に訴える術のない人々の心を掬い上げてこそ地方の文芸誌であろうと思っている。(川柳「のぼりべつ」巻頭言 平成23年9月 第466号)

                                         登別川柳社 主幹 小林碧水


               











第63目掲載 「時節一言」

新たな短歌の道を願う
                                           会長 小林正明

                

 
 皆様、おはようございます。只今紹介のありました胆振文化団体協議会、登別市文化協会会長の小林正明です。主催者として一言ご挨拶を申し上げます。

 ここ歴史の町伊達市で開催されます第35回道民芸術祭、第42回胆振芸術祭短歌大会にまだ残暑厳しい折り、また何かと公私の行事ご予定のある中、参加いただき伊達市教育委員会教育長有田 勉氏始めご来賓のご臨席のもと開催できましたこと深く感謝とお礼を申し上げます。

 どうか今日一日、短歌を通して楽しく有意義にまた、お一人お一人にとりまして思い出に残る歌会となり交流の輪が深く広がることを願っております。

ところで道民芸術祭は、全道14管内で毎年開催されてきましたが、当胆振管内でも胆振芸術祭として各市町が担当して6〜7種目実施して参りました。今年度は苫小牧市で「絵画展」、安平町で「書道展」、室蘭市で「いぶり文芸」の発刊、登別市で[短詩型色紙作品展]そして当市における「短歌大会」であります。このように各ジャンルの芸術祭は、作品の交流機会として参画した方々は勿論ですが観賞された皆様からも、大きな喜びと成果が伝えられてきたところであります。

しかしながら、この芸術祭も次の三つの事情から開催日時が難しくなっているのが現状です。一つ目は、ますます進む少子化と高齢化、二つ目に今日の財政危機に伴う北海道からの助成金や補助金が年々減額になっていること、三つ目は厳しくなる地方財政に伴い市町からの人や物の女声が減少していることが挙げられます。しかしながら、このような時代だからこそ、文化芸術の炎を絶やすことのないよう創意と工夫を凝らして継続することを願う一人であります。

その中の「短歌大会」についてここ十年間について振り返りますと平成11年に室蘭、12年に白老、13年に早来、3年あいて16年に伊達で開催されました。それから、6年間のブランクとなりましたが、6年ぶりに昨年白老大会が開催されました。

「短詩型の火を絶やしたくない」「短歌大会をやって欲しい」という声は大きいのですが、いざ会場を引き受けるとなると難しさが山積しております。俳句・川柳大会もこのような状況が続いています。

 先ほどの理由もありますが、他のジャンルと違い細かな手順と人手がかかるのは、皆様もご承知の通りです。

 このような厳しい環境の中で、会場をk引き受けることは、とても勇気が必要です。

伊達市文化協会の太田会長、伊達短歌連盟会長であり、実行委員長の浮田会長を中心に関係機関、団体の協力と理解を得て、昨年の白老大会に続いての短歌会に夢と希望を繋げる決断をされ、本日の開催になりましたことを心から敬意を表し感謝申し上げる次第であります。本当にありがとうございます。

さて、皆様もご承知のように、311日に日本列島を襲った東日本大震災は、地震、津波そして原子力発電所の放射能トラブルという未曾有の大災害に至ってしまいました。あれから半年たちましたが被災地の復興は見通しがたっていないのが現状であります。被災に見舞われた人々の心の傷は大きく癒されておりません。亡くなられた方々のご冥福をお祈りするとともに、一刻も早い復興を願ってやみません。 

 今年67日から12日まで東北と北海道の歌人や俳人、画家や書家らの交流展である「短詩型色紙作品展」を東北・北海道芸術文化団体協議会主催で札幌市で開催しました。この交流展は北海道と東北6県で樹陰に開催して今年は北海道が担当。短歌・俳句・川柳の色紙とその内容、イメージを水彩画で表現した色紙を一対として120組を一同に展示しました。宮城・福島両県の文化団体の事務所は津波のために全壊してしまいましたが作品はちゃんと送られてきました。

 仙台市の元高校教諭で宮城県芸術協会理事長の小山喜三郎さんは、海辺でくつろぐ母子の姿を描いた絵画を出展しました。津波で亡くなった教え子とその娘への鎮魂の思いを込めた作品であります。歌人仲間である桂 重俊さんの歌です。「荒れし海 いまだ語らず 彼の岸に 悲母観音に子は抱かれて」小山さんに直にお会いしてお話しました。「私は生死をさまようような戦争を体験したが、これほど人間の無力さを感じたことはない」と涙を浮かべました。
 盛岡市に住む吉田 史子さんの歌です。「さくらさくら 二人子いない この春のひいやり白き 花びらすくふ」同郷の辛 遊里さんが情景を水彩画で表現しました。

 福島県伊達市の七つ森 客山さんの川柳「被災地の灯(あかり)に 子らの眼が光る」

 福島市の佐藤 睦子さんは「あたたかい ことばの あめをあびている」お二人にも油絵が並びました。

 会場を訪れた多くの方々がいつまでもいつまでも作品から離れず、涙している方もおりました。展示会最終の日のことでした。確か90歳を越えているとお見受けした女性が声を出して読み始めたのです。そうです「くじけないで」詩集を出された柴田 トヨさんのような含蓄のあるお声でした。ちりじりに居あわせている観賞者が集まりました。その時、おしだまり聞きいったのは私だけではありません。文字と絵と声がバリエーションをもって表現されていることの、真のうたの感動としての自分のことばとして」活きて来るのかも知れないとつくづく思ったものであります。願わくは本日の分散会でも大きな声で読みあってはいかがでしょうか。

 本日の大会には、多数の参加を願っていたのでありますが、現地伊達市の皆様のご努力にもかかわらず結果的にはこじんまりとした大会になりましたが、単価に精通されてきた方々ばかりかとお見受けいたしております。内容は一段と濃いものになることと存じます。どうかこの一日を楽しく有意義にそして今後の歌作りに励ましとなることを、そして一層の交流が深まることを祈念いたします。終りに伊達市文化協会並びに関係機関、団体方々に重ね重ねお礼を申しながら開会の挨拶とします。ありがとうございました。  (平成23年9月18日)   

                胆振短歌大会挨拶趣旨    於 伊達市カルチャーセンター















第62目掲載 「時節一言」

避難所で川柳句会    相談役 小林碧水


   ゆき子バア新フアッションで若返り
   素ッピンで外に出る日がくるなんて
   大津波みんな流してバカヤロウ
   避難所で絆深まる人と人
   復興はあせらずゆこうみなの衆
   ふる里に願いをこめて生き抜くぞ
 
 上の句は六月二十六日(日)朝NHKラジオで、南三陸町旭が丘地区の避難所から中継されたものです。地区長のシバタさんの提案により、大震災により避難所暮らしを余儀なくされている人達が、少しでも前向きな気持ちになってくれることを願い、句会を開いたとインタビューに答えていた。
 避難所には現在100人位の人が暮らしているそうで、始めた頃は悲惨な体験を詠んだものが多かったが、今は明るく前向きな句が多くなったと語っていた。
 シバタさんの話と一緒に笑い声も聴かれて、救われた思いがした。
 
                 (川柳 のぼりべつ 第464号 巻頭言)  平成23年7月21日













第61目掲載 「時節一言」

震災と動物達   相談役 小林碧水


 

 あの大震災から早三月を迎えた。被災者のその後の暮らしも原発事故の影に隠れてしまったようで、日毎にテレビや新聞から消えてゆくこの頃である。

 震災後ずっと気になっていた事の一つが、岩手・宮城・福島の被災地で飼われていた犬や猫、とりわけ福島の原発事故による避難地域内にやむなく置き去りにされた牛や馬はどれ位の数になり、その生死はどうなっているのだろうという事である。

 テレビニュースの一コマで任下の姿がまったくない死の街を」彷徨う数頭の牛を見たが、書店でめくった週刊誌のグラビアには数十頭の餓死ないし餓死寸前の乳牛が牛舎の中で横たわっているのが掲載されていた。先日のニュースでは一時帰宅した原発避難家族に喜んで尾を振る犬が、再び避難所に戻るその車を必死で見えなくなるまで追いすがる映像に目頭が熱くなった。

 人間のご都合で造り失敗した原発によって、なんの責任もない牛や馬、犬や猫が捨てられて死んでいく。あの澄んだ眼が痛い。

(川柳のぼりべつ 第463号 巻頭言) 平成23年7月21日

                    

     

 




















第60目掲載 「時節一言」

「艱難汝を玉にす」を信じたい   会長 小林 正明


 
 311日に日本列島を襲った東日本大震災は、地震、津波そして福島原子力発電所の放射能トラブルという未曾有の大震災に至ってしまいました。

一瞬にして多くの方々が尊い命を失いました。言葉では到底表現できない痛恨の極みであり、お亡くなりになった方々のご冥福を祈ります。被災され方々が安心・安定した生活に戻られます一刻も早い復興を祈ります。復興までの道程は、長期にわたることであります。被災の方々へ機会を通して支援活動を継続することを願ってやみません。

僕は物心がついた三歳頃、生地である兵庫県鳴尾村(現西宮市)そして大阪、函館で空襲を体験しました。何とか親子三人の命は助かりましたが、街は焼け野原と化し二度も家を失いました。

鳴尾空襲の時でした。夜中に空襲警報が発令になり近所の人と防空壕に逃げ込む瞬時にピカと光り一発の焼夷弾が隣に住む仲良しのよし子ちゃんの体を打ち抜きました。

防空頭巾と白い洋服から鮮血が吹き出しました。僕は大声で泣き叫びよし子ちゃんに抱きつきました。僕の胸の辺りが妙に温かくなり見ると一面に真っ赤な型が広がっていました。可愛いほっぺをして笑顔を絶やさないよし子ちゃんの顔が忽ちに青白くなり、見つめていた瞳が閉じました。かくれんぼ遊びになると、僕の手をとり底が砂地になって使用不可になった坊空槽に二人で身を屈めて見守ってくれた愛おしい大切な人でした。

 僕は暫くの間、恐怖と悲壮が同居したようにオロオロして落ち着きなく食事も細くなり夜泣きが絶えない状態になったということを後に母が教えてくれました。

 東日本大震災の大災害に関する情報、そしておびただしい映像に接する度に私は幼少の原体験を思い出して、悲痛な気持ちになり疑似体験化してしまいます。

 

今日も私は温かなところで風呂に入り、食事をして厚い布団にくるまりのうのうとしている。お前は何なのだ、それでいいのかという自責の念にかられて自問自答しました。

 このように「被災地の人達に申し訳ない」と思う気持ちに落ち込んだのは私だけではなかったのです。多くの人々が何事にも自粛した生活という風潮が生じたのもその表れの一つであると思います。

 「あなたの力が必要」その日のために。道新に「一つ言わせて」を連載している精神科医の香山リカさんの論文を読んで開眼しました。

“・・・これからは日本中がお互い支え合い励まし合って立ち直って行かなくてはならないのだ。・・・・そのために、その日に備え、自分の健康を守る。それが今私たちのできる最大限大切なことだ。あなたの出番は必ずある。”

  「艱難汝を玉にす」名文句ぞろいの格言、諺の中でも屈指の格調高い漢語調の名言であります。そして意外なことに「逆境は人を賢くする」という意味の諺Adversity makes a man wiseの翻訳であることを知り、この名訳した人の学識、素養の高さに感服したものです。私の生きる糧となった格言です。

明治以降の教科書にも必ず登場してきました。きっと多くの日本人が生きる勇気をいただいたことでしょう。

 鎌倉時代の僧、越前(福井県)大仏寺(現永平寺)を開山した漕洞宗の開祖道元聖人は、「百尺の竿頭にありて、なお一歩進めよ」と“隋聞記”に残しています。

 大きな艱難に直面した日本人。今こそ真の大和魂を奮い起こして奮い起こして一心

同体精神を培いつつ己の生き方と在り方、役割を再認識しなくてはなりません。知恵と英知を集結して一日も早い復興のために行動しなくてはならないと思っています。

終りになりましたが、「文芸のぼりべつ・第30号」が新しい装いで発行することができました。多くの難題を克服しての記念誌となりました。投稿いただいた方々、そして幾度も編集のために手弁当で尽力担当してくれた委員の方々に厚く感謝とお礼を申し上げます。

              (文芸・のぼりべつ 巻頭言より)            平成23年6月1日

     

 
















第59目掲載 「時節一言」

地域文化の創造を目指す連携を

―平成23年度 胆振文化団体協議会総会挨拶よりー 

 会長 小林 正明

皆様、こんにちは。

山々の木々も、少し緑色が目に留まる季節となりました。本来なら過ごしやすい頃なのですが、、何ともすっきりしない天候が続いておりますね。皆様にはお元気でお過ごしでしょうか。本日は平成23年度の総会に年度始めのご多用中、北海道胆振教育局次長 山端一史様、登別市教育委員会教育長 武田 博様のご臨席をいただき、加盟団体11市町の会長及び役員各位、市町教育行政幹部各位のご出席のもと開催できましたことに、厚くお礼申し上げます。

さて、私共が事務局を担当して1年過ぎましたが、道民芸術祭や北海道文化集会等の事業活動に温かなご理解とご協力をいただき、滞りなく進めておりますことに、この場を借りまして感謝致します。 

はじめに去る311日午後246分に日本列島を襲った東日本大震災は、地震、津波、そして福島原子力発電所の放射能トラブルという未曾有の大災に至ってしまいました。

行方不明、死者は28千人という尊い命を失いました。誠に言葉では到底表現できない痛恨の極みであり、お亡くなりになった方々のご冥福と親、子ども、兄弟親戚を一瞬に失われた被災の方々が安心安定した生活に戻られること、より一刻も早い復興を心から祈念申し上げる次第です。

 皆様の町におかれましても、日本赤十字社や共同募金また新聞社、テレビ局を通して物資、義援金運動にご協力されていると存じます。

 復興までの道程は、長期にわたることでしょう。被災の方々への支援は今後も機会を通して義援金活動を継続することを願っております。 

本日、午前に常任理事会を行い、道文協関係等詳細に議論いただきました。総会議事もいろいろございます。忌憚のないご意見をいただきながら審議のほどよろしくお願い致します。

さて、22年度を振り返って一言すると、これまでの成果を踏まえ着実に歩み続けているということです。11市町の各文化団体は、押し寄せる少子高齢化の波と厳しい財政事情を抱える中でそれぞれ地域の特有な活動を創意工夫を凝らして展開していることが良くわかります。文化の振興と発展を願い、文化の香り高いまちづくりを目指して一丸となって研鑚努力を重ねている姿があります。私は先人が残してくださった胆振の文化に強い誇りを感じ取っています。それは市町の営む文化活動に拘り続け追求しているこよは自分たちだけのものではなく、広域的に邁進する。いや発展させねばという基本認識が共有していると思っています。こうして、培われた文化力を発揮して、市民の豊かな心づくりと生きがいに寄与しているものと思います。日々研鑚の積み上げが地域文化の創造と発展に寄与することになり、それが文化団体の役割であることを感知感得しているのです。このように「町づくりは人づくり、人づくりは文化づくり」のために精進努力することが最も大切なことであることを共有できていることを嬉しく思います。道民芸術祭を開催していただいた市町の取り組みの結束力とこうした努力エネルギーの蓄積を私は「着々と地域文化力を構築している」と称したい。 

 「文化」ということばは、英語では「カルチュア、カルベート」で、「土地を耕す」という意味のラテン語に由来するものです。それぞれの国にまた、それぞれの土地にはそこに根づいた固有の特色を生かした文化があります。それは、長い年月をかけて生活と密着して培われてきたもので優れた才能による創作活動の成果が人々に受け継がれてきたものが、伝統として今日あるのだと思います。そして、この創造の中には一見伝統に反逆するような大胆な試みが内包されなければならないと思います。そうして栄えるものだということは歴史が証明しています。すなわち、先人が創りあげた伝統を重んじながら新しいものへのあくなき挑戦を続けるということです。新しい文化創造、魅力ある文化団体の創出、「鑑賞型から参画型に転換する胆文協」をテーマにして邁進したいものです。こうした日々の積み上げの中で「他人を思いやる優しい心は、地域文化に接し、親しむことで生まれる」といえると思います。震災の被害にあわれた人々の為に

何事も自粛するという風潮がありますが、、このような時だからこそ文化力を発信して、元気と勇気そしてやる気を喚起することが大切であると思います。

 地域の文化振興と発展に寄与するための活動を創意と工夫を凝らし実践することが住民に期待され、愛される文化団体の生命です。社会的地位もこのことから生まれます。道文協へ助成金が毎年20%の減額が予告されています。文化予算の減額が如何に道民の生きる心を失うことになるのか。行政に訴え続けなければなりません。胆振の理念と具体的な実践を通して北海道文化団体協議会に伝播していきたいと存じます。 

さて、この後事務局より、報告提案いたしますが、私から3点申し上げます。

一つに22年度道民芸術祭を実施してくださった苫小牧市、むかわ町、白老町、室蘭市、伊達市さん、盛会に開催いただきましてありがとうございました。

二つに北海道及び北海道文化団体協議会の要請を受けて登別市文化協会は、各市町の力強い支援をいただき「北海道文化集会」を1123日に開催しました。5年振りの地方大会でありましたが、登別市の特色を生かした集会として成功裡に終えることができました。特に子ども芸能発表に協力いただいた白老、室蘭、伊達さんに厚くお礼申し上げます。まことにありがとうございました。そして22年度最高賞の「道文団協賞」を受賞しました。改めてご理解ご協力に感謝申し上げます。

三つに、去る415日に道文協の常任理事会、会長事務局長会議がありました。正式には510日の総会で決定されますが、今年度事業としては前年と変わりない事業が推進されます。北海道文化集会は帯広市、道民芸術祭は全道14管内各会場で、全道シルバー展は、札幌かでる2・7、東北・北海道交流短詩型文芸・色紙作品展、北海道・中国黒龍江省国際親善交流事業、顕彰事業、広報事業です。

 新規の取り組みといたしましては、詳しくは各会長さんにお知らせしてあります。

話したいことはたくさんありますが、後は論議にお任せしたい。確かに何かと厳しい状況下でありますが、皆様方の一層の活躍と健勝をお祈りして挨拶といたします。ありがとうございました。

       平成23年 4月 21日  会長  小林正明

 
















第58目掲載 「時節一言」

「書の道は人の道」 会長 小林 正明

 

 第41回登別小中学生書初め展表彰式に、受賞された皆さんにお祝いのことばを申し上げる機会をいただいたことを大変嬉しく思います。登別市文化協会ぼ2100余名の会員を代表してお祝いを申し上げます。この度受賞された25名の皆さん、誠におめでとうございます。

皆さんは、昨年を上回る468点の作品の中から、審査の先生方の慎重且つ厳正な審査を経て見事に入賞されました。

私は、皆さんが入賞されたのは、応募された作品が素晴らしかったのは勿論ですが、日頃から一生懸命に書道の勉強をしていることの成果が認められた体と思います。

 「書初め」は、新年にはじめて毛筆で文字を書く行事です。これは今から300数年前の江戸時代、今の学校が出来る前の寺子屋といって、子どもたちがお坊さんやお侍先生となって,主に「読み、書き、そろばん」を教えていた頃から始まったと聞いております。その頃からめでたい意味のことばや自分の決意を書道で表現したそうです。「筆はじめ」とか「書き始め」「古書初め」といわれて、次々と人びとに広がっていきました。皆さんと同じ昔の子どもたちが心を込めて、真剣に一生懸命に書いたのでしょうね.。今日の嬉しさを忘れずに一層勉強して努力されることを心から願っております。

 ところで、私の子どもの頃は書き初めが、冬休みの宿題になっていました。確か小学校6年生でした。「平和の光」と書きました。紙が不足でしたから、新聞紙に何度も何度も練習して最後に覚悟を決めて先生からいただいた半紙に書きます。失敗は許されまぜん。お父さんやお母さん兄弟が見ている前で一気に書き上げます。その時の緊張は今でも思い出します。そして運良く学校書初め展で銀賞をいただきました。まさか入賞するなんて思ってもいませんから嬉しくてたまりませんでした。家族も喜んでくれました。お母さんはおはぎを作ってくれました。でもふだん習字が下手くそあ自分がなぜ入賞

したのだろうと疑問が残りました。私は勇気を出して担任の高島先生に聞きました。

「ぼくの書初めが入賞するなんて不思議です」と。その時先生のことばを今でも思い出します。

 それは次のようなことでした。「それは、君が一生懸命に練習して気持ちを込めて一気に書いたからだよ。上手とか下手の前に言葉や文字には意味があり生命があるのです。

筆を持って書き上げる時、文字と言葉の意味をしっかりと自分のものにすることが大事なんだよ。自分の思いや心を込めて表現することが大切なのだ。でも、応援した人に感謝する心をもっていることはいいことだね。」このようなことでした。書を鑑賞する観点はいろいろあるでしょうが、私は展示されている作品を見ていると、いつも書いた人の心や人柄が話しかけ、文字と語り合いできることが魅力であり感動を覚えます。

 皆さんどうか、これを機会に一層書道の学びを通して、心豊かで、やさしく人を思いやることができる立派な社会人になるためにも、毎日元気に一日一日を大切にして勉強されることを願っています。

 登別小中学生書初め展は、唱和45年から41回の長きにわたり、次代をを担う子どもたちへの伝統芸術の伝承、そして健全育成を願い継続している北海道の中でも誇るべき展覧会であります。そのことが評価され、書道連盟は今年度の北海道文化団体協議会奨励賞に輝きました。このようにして継続してきのは会員一人一人の書道の将来を思う思いと結束力の賜物と存じます。展示にご協力いただいた青葉小学校の先生方そして主催されました登別市文化・スポーツ振興財団、登別書道連盟に心より敬意と感謝申し上げお祝いの言葉と致します。

       平成23年 2月 5日  会長  小林正明
















第57目掲載 「時節一言」

室蘭民報 「新春インタビュー」に答える (要旨)    会長 小林 正明

 
Q1 昨年1年間を振り返って
◇ 22年度は、平成17年創立40周年の成果と課題を踏まえて新たな出発を期してから5年目、創立45周年目記念の年であった。 
 ◇ 今年度を振り返りその概括を述べると,当会は今日までの成果を踏まえ着実に歩み続けている。各加盟団体は積極的に活動を展開する中で、先人が残された血と汗の結晶である文化遺産を継承することの大切さの認識を高めている。当会の目標とする文化の香り高い町づくりのために会員一丸となっての研鑚努力を重ね、社会貢献している姿がある。会員一人一人が日々積み上げこそ、実は地域文化の創造と発展に寄与することになることを活動の深まりと広がりの中で体感している。
   「町づくりは人づくり、人づくりは文化づくり」という基本精神の実現のため惜しまず精神努力することが最も大切なことでることを共有できてきたといえる。
   新時代に即応する文協像が見出そうとする会員の思いを知ることができ嬉しい。
  そのためには、今日までの文協の歩みを市民の目線に立った多角的に且つ客観的な反省と評価をすることが肝要である。文協が更なる自主自立を促し真に社会貢献する団体となるためには、他機関、団体やいろいろな機会に市民各層の願いや要望意見を謙虚に聞き入れて、情報を一元化して適確性格に把握することが大切である。その内容を分析して議論を重ね、時代に対応する文化団体の存在の意義と責任を明確にしなくてはならない。まさしく「動く文協」をスローガンとして実践を積み重ねることを通して若年後継者を発掘し養成することが課題といえる。

Q2 22年度の主なる事業やできごと等について
◇ 平成22年〜23年度 胆振文化団体協議会事務局担当となる。
  ・胆振管内9市町の文化団体統括、会長、事務局長、担当事務局員配置
  ・胆文協理事会、総会 4月22日
  ・道民芸術祭、胆振芸術祭の推進
   書道展(苫小牧市) いぶり文芸(室蘭市) 短歌大会(白老町) 写真展(登別市)
   民謡大会(むかわ町)絵画展(伊達市)
  ・胆振文化交流会の実施  11月16日 ホテル平安
◇ 「市民活動センター」の企画、運営に積極的参画
  ・設置委員会委員としての重責、施設の設計、有効活用特に文化会館的活用の参画
  ・土、日曜日の管理等の業務の受け入れ
   相談役、三役、役員7名で対応、毎月土日AM9:00〜PM6:00
  ・事務所移転を視野においた協力体制の確立
  ・総括的事業の展開在り方の提言
  ・青少年健全育成事業の構築、施設の見学会
・ 「のぼりん文化講座」を本格開設、平成22年6月〜23年3月まで38講座実施、協力団体12団体(美術協会、書道連盟、子ども劇場、華道連盟、三曲協会、江戸芸かっぽれ、
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魚拓同好会、将棋同好会、吟道連盟、登別歌人会、民謡連合会、棋道連盟、俳句協会)順不同
  総務部企画グループ及び市民活動センター職員との連携協力も順調。

◇ 白石市文化協会40周年記念事業に参画  7月2〜3日
   ・加盟団体有志19名 バスにて市内見学 氏、式典参加 会長祝辞 芸能交流 懇親会
    次期当市にての交流約束 交流事業内容等合意。

◇ 市制施行40周年記念事業「元鬼まつり」に積極的参加。
   ・実行委員会で活躍。会長は監査、古田相談役、熊野副会長、今田会計、山本事務局次長らの役員がステージ部門で活躍。
   ・白石市文化協会との連携成功 「お梅物語 音楽劇」が実現。高まる姉妹都市認識。
   ・ステージ部門 展示部門が協力盛り上げる。
   ・実行委員会総括会議 1月24日 次年度の計画立案

◇ 銀のしずく 知里幸恵記念館開館記念公演「神々の謡」の招聘
   ・一人芝居知里幸恵の登別公演実行委員会を結成 7月
    市内17の大組織団体、機関が協賛 実行委員長に会長 小林正明が就任。
   ・一人芝居〜知里幸恵の自らを歌った謡〜「神々の謡」 9月11日 登別市民会館
    作、演出、美術、出演……舞香 音楽、演奏、歌……いわさききょうこ
   ・市内3中学校での公演成功 子どもたちに新たに知里幸恵の業績を知らせる。

 ◇ 登別華道連盟創立40周年 記念花展 祝賀会盛会 7月3日

 ◇ 登別市文化協会表彰式典 祝賀会 11月3日  ホテル平安
  ・表彰者 功労賞 6名  奨励賞 1学校
   功労賞 上出紀子(合唱協会) 佐々木勇司(郷土文化研究会) 佐々木洋子(美術協会) 末永弘二(民謡連合会) 種田 勁竹(書道連盟) 沼田悦子(華道連盟)
   奨励賞 北海道登別明日中等教育学校 演劇部-
  ・祝賀会には来賓、受賞者、会員等120余名参加 盛会となる。

◇ 第52回北海道文化集会を主管 11月23日開催 於登別市民会館
  ・主催 北海道文化団体協議会
  ・文化集会のねらい:北海道各地域における芸術文化の公演、展示また伝統芸能活動を通して、
   北海道の芸術文化をいかに伝承し、創造し、発展させていくかを考える。
   登別市制40周年記念、登別市文化協会45周年記念、道民芸術祭、胆振芸術祭事業とする。
・ テーマ:地域文化の新たな発信と創造を目指して
・ 後援:北海道、北海道教育委員会、登別市、登別市教育委員会、胆振文化団体協議会
・ 内容:平成22年度北海道文化団体協議会表彰式
    基調講演 「アイヌ文化の中での知里幸恵の役割」〜幸恵から学び未来に伝えよう〜
    講師 NPO法人知里森舎理事長 横山むつみ a@3
   芸能発表「青少年の伝統芸能交流」 胆振市町の子ども郷土芸能発表会 白老、室蘭、伊達の団体、学校が協力 登別4団体 計8団体
   交流会 受賞者、道文協、胆文協、登文協役員及び事務局総数50人出席で午後5時から
       ホテル平安にて
 ・特記:特別展示「短詩型文芸,、色紙作品展」〜風土を詠い描くIN登別〜
全道より32点、登別会員10点エントランスホールにて好評
同時開催 「第34回道民芸術祭、第41回胆振芸術祭写真展」
     地方大会は5年ぶり 行政・関係機関の理解協力を得て成功裡
登別市文化協会が第40回北海道文化団体協議会賞を受賞
     登別書道連盟が北海道文化団体協議会奨励賞を受賞 市民対象の地道な書道教室活動、  42回にわたる「子ども書初め展」の実績が評価される。

◇ 登別合唱協会加盟女声コーラスMFC40周年記念発表会、祝賀会 12月12日

◇ 装い新た「市民文芸のぼりべつ」第29号発刊 執筆陣が多彩90人 内容充実
  ・創作、旅行記、随筆、自分史、児童文学、俳句、短歌、川柳と幅広いジャンルの投稿作品
   短詩型中心の文芸誌から大きく転換し編集委員の願いが叶った。
 ・登別明日中等学校 山本絢子さん第三作フアンタジー小説「はるかのひかり」
  ・蝦夷地を舞台にしたアイヌ民族と松前藩の交易を描いた佐々木博義さんの小説「砕かれた牙」等の作品が読者間で好評。
  ・財政難の中、自主出版、市民支援、読者層が厚くなったがまだPR不足。

◇ 「文化大集会」文化・スポーツ財団、体育協会との三者連携事業
◇ ・2002年市民参加が参加できる文化・スポーツ事業を実施。ねらいは青少年健全育成事業として展開。北海道で唯一。社会福祉協議会40周年記念事業で「夢の輔講演会」実施

Q3 秋の市民文化祭など課題について
◇ 毎年恒例の「市民文化祭」第46回 9/2から11/21までのロングラン
◇ ・加盟団体27団体が参画、財団と文協の共催
◇ ・主会場は市民会館、鷲別公民館、鉄南ふれあいセンター
◇  11/1〜3の地区展は光和園、旭が丘三恵園、若草つどいセンター等の施設で開催。
    11/2各団体代表等による鑑賞会を実施、市長・副市長・教育長も同行。
    今年度の特徴はステージ、展示ともジャンルの広がりとレベルアップ
 ◇ 地区展は小・中学校、保育所、幼稚園、病院など多くの子どもから高齢者が参加。魚拓、書道連盟、美術協会等加盟団体の連携が成果を上げる。一層連携が課題。各地区諸文化サークルに加盟PRすることが必要である。

Q4 そのほか今年予定している取り組み、抱負、意気込みなど
◇ 生活そのものが文化、豊かな心づくりを目指す人づくり、まちづくりの基本、夢や希望、ロ
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マン文化の炎を灯し続けて元気、勇気、やる気、"三気の精神" 創意,総意、熱意"三意の精神" 創出される知恵、人間力を地域経済、観光の繁栄に繋げたい。
◇ 魅力ある団体として地域文化創造に努めたい。会員は、鑑賞文化参画から実践文化参加への姿勢を培いたい。
◇ 厳しい財政状況が続く 会員の確保、自主自立を目指す意識と事業の取り組みが必要。
◇ 市民活動センターの活動、運営を支援協力体制の確立。特に文化講座の拡充。
◇ データバンクの活用策、ホームページ19年1月11日に開設5年目、独自ホームページ
江別市と二市のみ、時節一言、ニュース、活動報告、文協紹介、加盟団体、文化伝承ふれあいバンク等詳細に掲載。人材バンク活用を広めることが課題。
 ◇ 加盟団体の特色ある事業の奨励と支援(7部門35団体会員数約2100名)
◇ 登別伊達時代村の事業「ものづくり工房」「菊花展」「ひな祭り」等の支援。
◇ ミニコン、ジョイントコンサート等の企画 「音・楽しむ会」の支援。
◇ 「登別文化交流館」の有効活用に協力。
◇ 青少年健全育成の各団体ボランテイア活動の推進 小中学校との連携強化。
◇ 事務所移転を視座にした運営と活用 事務処理の有効効率化。
◇ 登別市市民憲章の唱和拡充活動に積極的に協力。

<追 録>
◎ 「市民文芸のぼりべつ」について
・文芸誌は、平成4年に諸事情のためやむなく休刊、復刊は平成14年4月、第21号。
   その間10年であった。市民も会員も待ちに待っての再発行であった。「編集員」スタッフの粘り強い取り組みが功を奏した。
  ・登別市の唯一の文芸誌の刊行に拘る理由 情報化ハイウエイ時代到来、故に負の遺品である活字文化の衰退、古来より漢字、ひらがな、カタカナの活字文化が人間社会の情報を支えてきた。市民の活字文化を通した出会いとふれあい、学び合いのステージ 「市民文芸のぼりべつ」は活字コミュニケーションを拡充。
         
              平成23年1月20日 登別市文化協会 会長 小林正明
  















第56目掲載 「時節一言」

文化の日を期し想うこと ー表彰式の祝辞よりー  会長 小林 正明

 
  晩秋の日だまりの温かさが静かに残り、菊花の香りがこころを和ませる、このよき日に平成22年度の登別市文化協会表彰式を行なうご案内を差し上げたところ登別市長小笠原春一様、北海道議会議員堀井学様を始めご来賓各位のご臨席をいただき、当協会相談役宮武悦子様、小林碧水様、加盟団体代表及び会員出席のもと、かくも盛大に挙行できますことを衷心より厚くお礼申し上げます。

 今年度栄えある受賞となりましたのは、功労賞が6名、奨励賞が1団体の方々であります。心からお祝い申し上げます。誠におめでとうございます。

  さて、本日午前には登別市功労者表彰式が行なわれましたが、当協会の役員として貢献されました登別民謡連合会の顧問である其田國男様が登別市功労賞、そして文化協会大正琴愛好会の諏訪芙沙子様が登別市教育文化貢献賞を、登別吟道連盟の三浦忠夫様が登別市功労賞、登別棋道連盟の加藤清様が自治貢献賞を受賞されました。誠に嬉しいことであります。おめでとうございます。

  それから今一つ、先日登別書道連盟が22年度の北海道文化団体協議会の奨励賞受賞になったという通知がありました。昨年は登別合唱協会が受賞しましたが、2年連続の受賞はとても嬉しいことであります。書道連盟の「子ども書初め展」はじめ各種展示会の開催や各種書道展における入賞、及び日常の普及活動が高い評価を受けました。重ねて嬉しいことであります。

 只今、今年度受賞となりましたお一人お一人に敬意と感謝の気持ちを込めて表彰状をお渡ししました。受賞されました方々は、当協会の創立以来変化する時代の中で、地域文化の継承と発展のために誠心誠意の活動を続けられ、加盟されている団体のため、また当協会の事業や運営に多大なる貢献をなされました。改めまして感謝とお礼を申し上げます。誠にありがとうございます。運営委員会の常任理事お一人お一人何度も頷く中で慎重に決めていただきました。

 今後当協会が、粘り強く歩んでいくための心に響き届くメッセージがこめられていたのであります。今、私たちが愛するふるさとのために成すべきことは如何なることでありましょうか。
 私は思います。それは文化の香り高い町づくりを目指して、自らの文化芸術性を高めながら、未来を担う青少年のために忍耐と熱意を絶やさず、満心笑みをもって文化の推進に一生懸命に努力することが最も大切であるということであす。
「日々これ好日」に自らにやる気と勇気と元気を奮い立たせて活動するならば、必ずや夢、ロマンは広がって実現できるという人生訓を受賞の方々からしっかり学ぼうではありませんか。

 どんなに苦難の時にでも、希望を持ちながら率先して努力することそのことが、どんなに大切なのか教えてくださいました。自然豊かで湧き出る温泉の町、皆が幸せと感知感得できる生きがいのある町づくり、人づくりになるという社会の哲理は、己の目指す芸術技能に拘り続け、忍耐と努力を真髄にすること。そしてそのパワーをネットワークとすることが大切であります。受賞者の方々の今後一層のご健勝とご活躍を祈念いたします。

  さて、我が国の現状は、政治、経済、産業等いまだ不安定不透明な時代から脱出できず人びとの苦難は続いています。市制施行40年を迎えた我が町新生登別市の新たない出立ちのための、今日の役割は私たち大人市民が、未来を担う子どもたいのために、なにを、いつ、どのように引き渡すとよいのかを真剣に考えなくてはなりません。確固たる後継者を育てて、今こそ世代から世代への受け継がれるべき我が町の特有の誇れる文化遺産を見直して、地域文化の価値や理想像を明らかにすることが求められていることを再認識しなくては成らないと思います。

 当協会は、創立してから45年目を迎えました。私たち会員は、先人達が並々ならぬ努力と献身を続けて残してくれた文化遺産を継承して、市民の願いや求めを察知して文化活動の基礎基本に立ち返り、結束力を高めて、文化の香り高いふるさと登別の活性化のために歩み続けることを、このよき日文化の日に誓おうではありませんか。

  日常の地道な活動を積み重ねることにより、自分やみんなのための癒しや生きがいが培われ、文化創造のエネルギーが必ずや醸成されると思っています。まさしく、楽しみと喜びを体得できる文化事業や活動の展開であります。そのネットワークが功を奏して夢や希望、ロマン一杯の文化の炎が燃えて、文協の願いが叶うものと確信する次第であります。

 私たちは、昨年北海道文化団体協議会主催の「中国黒龍江省芸術団」を招聘して成功させました。来る11月23日には「北海道文化集会登別大会」を開催します。去る7月白石市を訪問、白石市文化協会創立40年を機にして交流の輪が広がりました。市制40年記念事業の「元鬼まつり」では企画運営に積極的に参画して、華やかなステージ演出、出演で中核となり市民の喝采を得ました。4月オープンした「市民活動センターのぼりん」では、のぼりん文化講座を主管、今日まで12団体が協力、講座数30を越えました。「銀のしずく幸恵記念館」の開館は大きな喜びや励ましであります。幸恵さんの功績生涯を描いた女優舞香さんの一人芝居の開演には市内中学校と市民会館と4ヶ所が満員となり好評を得ることができました。

 今、開催されている登別伊達時代村の菊花祭では、菊花同友会の有志が猛暑の中で、幌別小学校の子どもたちと共々育てた菊花の美しさと香りが国内外の入村者を感動させ、楽しませております。私たちは、市民の希望と期待をキャッチして、加盟団体を軸に市民目線に合わせて今、何ができるのか、何をなさねばならないか、できることを明確にして活性化のために全力協力していきたい。一生懸命に文化の創造に励むことを再度このよき日に誓い合いたいと思います。

  北海道文化集会のメインテーマは、「地域文化の新たな発信と創造をめざして」と決まりました。知里森舎の横山むつみさんの基調講演、胆振管内子ども芸能発表会を目玉としました。「ローマは一日にして成らず」「継続は力なり」の格言がありますが、自主・自立を根本精神においての具体的実践が、必ずや「市民とともに歩む文協」の高い評価を受けて登別であればこそ、登別でなければという特色ある地域文化を創造し、そのこと自体が地域の経済や産業、観光の推進に寄与することになると思っています。

  終りにとてもとても嬉しいことを報告いたします。北海道文化団体協議会の最高表彰である22年度道文団協賞の受賞が決まりましたとの知らせがありました。市町村文化団体が単体で受賞の栄を賜るのは52年の歴史ある道文団協の中でまれなことと聴いております。誠に光栄なことと存じます。書道連盟とダブル受賞となりました。23日の大会で表彰されます。これもひとえに本日ご臨席くださりましたご来賓の方々の日頃のご理解ご協力あっての賜物と厚く厚く感謝とお礼を申し上げます。今後とも、変わらぬご指導ご鞭撻をいただきたくお願い申し上げます。この日にご尽力いただきました
団体の皆様方、そして「平安」スタッフの方々に感謝申し上げます。
 ご出席の皆様の今後ますますのご健康とご活躍を祈念申し上げ、式辞と致します。

平成22年11月3日  登別市文化協会 会長    小林正明














第55目掲載 「時節一言」

再び白石市を訪問して  会長 小林 正明

 


             ―白石市文化協会40周年記念式典出席訪問団―


 私共は白石市を訪れ、傑山寺をお参りし白石城を仰ぎ見て、碧水園にて交流の輪を広めさせていただきました。
 
 「夕月に 七月の蝶の のぼりけり」 

 清流白石川に蔵王連峰を映し出す城下町白石市に雲問よりのぼる月は、今日の晴天のよき日を祝うが如くに、きらきらと輝いておりました。初夏のこの子のよき日に、白石市文化協会が創立40周年を迎えられ、斯くも盛大なる式典が行なわれますことを心からお喜び申し上げます。
 先程、前会長の林 茂様、元副会長の麻生 靖子様に感謝状が贈呈されました。
誠におめでとうございます。今日までの地域文化の振興と発展のためのご献身に心から敬意を表す次第であります。

 さて、一言で創立40周年と言うのは簡単ですが、貴協会の先人の方々が並々ならぬ努力と献身を続けて、今日ある文化遺産を継承し、貴会の仮名団体が結束の輪を広げて、市民の方々の楽しみや喜び、願いを大切にして、創造的に文化事業や活動を展開されておりますことに深く敬意を表する次第であります。このような自主自生した文化力が功をを奏して、夢や希望、ロマンに満ち溢れる町づくり、人づくりに大きく寄与されているものと存じます。

 ところで時代は明治2年7月、仙台藩家臣で白石城の城主景範公が率いて、第1回の片倉主従が移住され、登別に開拓の鍬が下ろされました。当時の登別は幌別川の河口近くの海岸沿いに、アイヌコタン52軒260余人が住んでいるだけでありました。
片倉主従は北地抜渉実現のために、この低地帯の痩せ土、海霧、豪雨など厳しい自然環境に立ち向かいながらの開懇開拓でありました。衣食住の困窮、数々の困難を克服しての毎日の労働は言葉で言い尽くせない史実でありました。片倉家代々家老の日野愛喜著「片倉家移住顛末記」の」開拓記録を読む時、ただきゅんと胸が痛み熱くなるのであります。以来開拓の母白石市と登別市は、時代の流れの中で親子兄弟関係にも勝る深い絆で結ばれることになります。

 そして時は流れ、昭和58年に正式に両市は姉妹都市提携を結び、毎年開かれる物産交流を始め、青少年を中心にスポーツ、文化、教育などの交流が活発になりました。
 平成15年9月5日、姉妹都市締結20周年を祝い、登別市で盛大な式典が行なわれましたが、その時の感激感動が昨日のように思い出すのは、私だけではないと思います。その時、記念として「恵山つつじ」を白石城に植樹しましたが、しっかりと根付いておろました。

 ところで近年、大雨による深層崩壊や地震、火災などの危機管理が重視されていますが、本年白石市、海老名市、登別市三市間で「防災協定」が締結されたことはとても意義深いものと思います。
両市の市長さんが常にお話し下さる言葉があります。それは「町づくりは人づくり、人づくりは文化づくりです。今何が大切かを共有して、できることから実現してください。」私たち文化団体にとりましては、とても嬉しい元気と勇気とやる気を与えてくれる言葉です。
 このような恵まれた環境の中で文化団体の交流の輪が広まり深まっております。各々の周年事業を中心に、文化祭の作品展示交流やステージ部門の交流、文化振興円卓会議そして3回目になる「文化交流訪問団」派遣事業であります。
この度は沼倉会長始め、関係者の温かいおもてなしを戴きながら、19名の者がウキウキした気持ちで参った次第であります。

 さて、我が国は政権交代しての始めての国政選挙が間近ですが、これを機に新生することを期待していますが、私たち大人の成さねば成らぬ今日的課題は、未来を担う子どもたちに何を、いつ、どのように引き渡すとよいのかを真剣に考えなくてはいけないと思います。確固たる文化の継承者を育てて、今こそ世代から世代への受け継がれるべき文化遺産を見直して、価値観を伝播して理想像を明らかにすることが求められており、その橋渡しとしての文化団体の役割、在り方が問われていることを再認識しなくてはならないと思います。

 ところで先に述べた片倉旧家来の第2回移住者が明治4年3月、幌別に入りました。6月に移住者調査がなされ、その結果、学童児童と現地アイヌの人々の学齢実数をみた12代片倉景範は、草葺教育所に移住者を集めて次のように説いたのです。
「教育は一日も投げやりにできない。それは人が衣食を欠かせないのと全く同じである今や狭いといっても学舎を得たのである。諸氏に願いたいのは、当初衣食を削ってもという約束が始めたこの事業なので、今この約束を踏まえて、応分の寄付をしえ欲しい。それによって教育に着手しようと思う」と。
 その言葉が終わらないうちに、その場で次々と寄付が集まったと「顛末記」に記録されています。教育を至上とする開拓先駆者の熱意、熱心さがじんと伝わってきます。日々の生活はアイヌの人々との共同でなり立つようになりました。

 「文化」の語源は、西ヨーロッパ語で「カルチャーカルベート」、「荒地を耕す」という意味であります。
登別市は今年、市制40周年を迎えることができました。これからも白石市と登別市の絆は一層深まることでしょう。
私たち文化協会は、先駆者の精神文化を受け継ぐと共に、誇りを持ち続けて「日々これ好日」に愛する郷土に種を蒔き、花を咲かせるべく邁進することを誓い合いたいと思います。
終りになりましたが、白石市文化協会のますますのご発展と、ご臨席の皆々様のご健勝とご多幸を、そしてこれからも私共登別市文化協会とのご親交賜りますことを祈念いたしまして祝辞といたします。

      平成22年 11月 3日  登別市文化協会          会長 小 林 正 明















第54目掲載 「時節一言」

川柳「のぼりべつ」450号刊行を喜ぶ小 林 碧 水

 
 多くの皆様支えられて今月で川柳「のぼりべつ」が
450号を迎えました。昭和4811月に志水点滴を主幹に、加納愛山と畑虹児を副主幹に11名の会員で「市民に川柳の輪をひろげましょう。」をテーマに掲げ創刊号を発行しております。それから36年7カ月。積み上げた柳誌450冊の重さに様々な思いが甦ってきます。初代主幹の志水点滴はいつもきりっと背筋を伸ばし、礼儀正しく真っ直ぐ相手の目を見て離すその姿勢は明治の気骨そのものでした。伝統川柳のリズムを基本に歯切れのよい作品を残しております。

 二代目加納愛山は温厚な人柄と共に几帳面な性格が生んだガリ版刷りの柳誌は芸術品と言っても過言でない貴重な物となっている。
 作品は「川柳は詩である」をモットーに詩情溢れる作品を詠み、道内に多くの愛山ファンを生み、道内での数少ない詩性派川柳人の一人でありました。

 36年と7カ月欠号もなく発行できたのも、多忙な中、選を引き受けてくれる先生方と常に支えてくれる運営委員と会員の存在があったればこそと思っております。今後ともよろしくお願い致します。

                               (川柳「のぼりべつ」450号巻頭言より)

再び白石市を訪問して
                  ―白石市文化協会40周年記念式典出席訪問団―

 私共は白石市を訪れ、傑山寺をお参りし白石城を仰ぎ見て、碧水園にて交流の輪を広めさせていただきました。
 
 「夕月に 七月の蝶の のぼりけり」 

 清流白石川に蔵王連峰を映し出す城下町白石市に雲問よりのぼる月は、今日の晴天のよき日を祝うが如くに、きらきらと輝いておりました。初夏のこの子のよき日に、白石市文化協会が創立40周年を迎えられ、斯くも盛大なる式典が行なわれますことを心からお喜び申し上げます。
 先程、前会長の林 茂様、元副会長の麻生 靖子様に感謝状が贈呈されました。
誠におめでとうございます。今日までの地域文化の振興と発展のためのご献身に心から敬意を表す次第であります。

 さて、一言で創立40周年と言うのは簡単ですが、貴協会の先人の方々が並々ならぬ努力と献身を続けて、今日ある文化遺産を継承し、貴会の仮名団体が結束の輪を広げて、市民の方々の楽しみや喜び、願いを大切にして、創造的に文化事業や活動を展開されておりますことに深く敬意を表する次第であります。このような自主自生した文化力が功をを奏して、夢や希望、ロマンに満ち溢れる町づくり、人づくりに大きく寄与されているものと存じます。

 ところで時代は明治2年7月、仙台藩家臣で白石城の城主景範公が率いて、第1回の片倉主従が移住され、登別に開拓の鍬が下ろされました。当時の登別は幌別川の河口近くの海岸沿いに、アイヌコタン52軒260余人が住んでいるだけでありました。
片倉主従は北地抜渉実現のために、この低地帯の痩せ土、海霧、豪雨など厳しい自然環境に立ち向かいながらの開懇開拓でありました。衣食住の困窮、数々の困難を克服しての毎日の労働は言葉で言い尽くせない史実でありました。片倉家代々家老の日野愛喜著「片倉家移住顛末記」の」開拓記録を読む時、ただきゅんと胸が痛み熱くなるのであります。以来開拓の母白石市と登別市は、時代の流れの中で親子兄弟関係にも勝る深い絆で結ばれることになります。

 そして時は流れ、昭和58年に正式に両市は姉妹都市提携を結び、毎年開かれる物産交流を始め、青少年を中心にスポーツ、文化、教育などの交流が活発になりました。
 平成15年9月5日、姉妹都市締結20周年を祝い、登別市で盛大な式典が行なわれましたが、その時の感激感動が昨日のように思い出すのは、私だけではないと思います。その時、記念として「恵山つつじ」を白石城に植樹しましたが、しっかりと根付いておろました。

 ところで近年、大雨による深層崩壊や地震、火災などの危機管理が重視されていますが、本年白石市、海老名市、登別市三市間で「防災協定」が締結されたことはとても意義深いものと思います。
両市の市長さんが常にお話し下さる言葉があります。それは「町づくりは人づくり、人づくりは文化づくりです。今何が大切かを共有して、できることから実現してください。」私たち文化団体にとりましては、とても嬉しい元気と勇気とやる気を与えてくれる言葉です。
 このような恵まれた環境の中で文化団体の交流の輪が広まり深まっております。各々の周年事業を中心に、文化祭の作品展示交流やステージ部門の交流、文化振興円卓会議そして3回目になる「文化交流訪問団」派遣事業であります。
この度は沼倉会長始め、関係者の温かいおもてなしを戴きながら、19名の者がウキウキした気持ちで参った次第であります。

 さて、我が国は政権交代しての始めての国政選挙が間近ですが、これを機に新生することを期待していますが、私たち大人の成さねば成らぬ今日的課題は、未来を担う子どもたちに何を、いつ、どのように引き渡すとよいのかを真剣に考えなくてはいけないと思います。確固たる文化の継承者を育てて、今こそ世代から世代への受け継がれるべき文化遺産を見直して、価値観を伝播して理想像を明らかにすることが求められており、その橋渡しとしての文化団体の役割、在り方が問われていることを再認識しなくてはならないと思います。

 ところで先に述べた片倉旧家来の第2回移住者が明治4年3月、幌別に入りました。6月に移住者調査がなされ、その結果、学童児童と現地アイヌの人々の学齢実数をみた12代片倉景範は、草葺教育所に移住者を集めて次のように説いたのです。
「教育は一日も投げやりにできない。それは人が衣食を欠かせないのと全く同じである今や狭いといっても学舎を得たのである。諸氏に願いたいのは、当初衣食を削ってもという約束が始めたこの事業なので、今この約束を踏まえて、応分の寄付をしえ欲しい。それによって教育に着手しようと思う」と。
 その言葉が終わらないうちに、その場で次々と寄付が集まったと「顛末記」に記録されています。教育を至上とする開拓先駆者の熱意、熱心さがじんと伝わってきます。日々の生活はアイヌの人々との共同でなり立つようになりました。

 「文化」の語源は、西ヨーロッパ語で「カルチャーカルベート」、「荒地を耕す」という意味であります。
登別市は今年、市制40周年を迎えることができました。これからも白石市と登別市の絆は一層深まることでしょう。
私たち文化協会は、先駆者の精神文化を受け継ぐと共に、誇りを持ち続けて「日々これ好日」に愛する郷土に種を蒔き、花を咲かせるべく邁進することを誓い合いたいと思います。
終りになりましたが、白石市文化協会のますますのご発展と、ご臨席の皆々様のご健勝とご多幸を、そしてこれからも私共登別市文化協会とのご親交賜りますことを祈念いたしまして祝辞といたします。
      平成22年 7月 3日  登別市文化協会          会長 小 林 正 明
















第53回目掲載 「時節一言」
「心が晴れやかになる言葉、元気をいただく言葉」(7)
会長 小林正明 

 
 今年
2010年は「国民読書年フオーラム」の年である。活字文化に親しもうということから数人の作家が三冊ずつ「おすすめの本」を紹介している。

私の好きな作家 斉藤 孝さんは、次の三冊をあげている。「いしぶみ広島ニ中一年生全滅の記録(ポプラ社)」と「論語物語(講談社)」それに「にあんちゃん10歳の少女の日記(西日本新聞社ほか)」である。

 実は私は、三冊目の「にあんちゃん」について深い想いを寄せている。最初に読んだのは学生時代であった。その時も読んでいるうちに涙が止まらなかった。

2回目は、昭和35年新卒教師として赴任した鵡川町の僻地校で子どもに読んで聞かせた。5,6年生の担任となった私は、夜になると月夜の晩など電車のおとではなく、田んぼで鳴く蛙の声のみしか聞こえない寂しさもあり、夜、天井も垂れ下がっていた古い公宅に子どもを呼び集めて、いろいろな本を読み聞かせた。その中の一冊が「にあんちゃん」である。60ワットの裸電球の下に、子どもたちは私を中心に輪をつくった。読み進むうちに気がつくと私も、子どもたちも目が真っ赤になっていたことを覚えている。

後にK市の図書館司書になったH子は「この本の影響がなかったら、私は今の仕事をしていなかったかも」と言ったことを思い出す。そして、今回三回目である。読み進むうちに、また新しい感動と勇気をいただいたのである。 

佐賀県東松浦郡入野村、大鶴鉱業所という小さな炭鉱町がこの日記の舞台である。

この入野村は、その昔「たずね来て これより西に道もなし 月の入野の……」と

西行法師がうたったというほど佐賀県でも最北端に位置する一僻村で、大鶴鉱業所はこの村の東寄りにある人口4千人程の炭鉱町であった。母親に早く死に別れた4人姉妹―兄、姉、にあんちゃん(高一)、私(末子)―の末娘がこの日記の筆者である。

 この日記は、小学校3年生のとき父親が死に、その1か月ほどのうちの122日から、この日記ははじめられている。

「きょうが、お父さんのなくなった日から49日目です。人間は死んでも49日間は家の中に魂がおると福田sんのおばさんが葬式のとき言われたので、今まで毎朝、毎晩ごはんを上げていました。今日の朝は特別にいろいろとお供えをしました。」と始まる。

以下、作者末子の学校、家庭、地域のさまざまなことが実にリアルにわかりやすくしかし、とても意味深い表現で綴られている。

 なによりもこの末子の純真無垢な思い方、考え方に胸が熱くなる。

 末子さんの長兄である安本東石(喜一)さんが、強く反対する末子さんを押し切って集大成し、刊行したのにはわけがある。若くして病床に臥した喜一さんは、この日記を幾度も読みとおしているうちに、ふと気がついたという。

 「どうしてこう飽きもせず同じものを繰り返し読んでいられるか。」「これは単なる日記ではない。それでなければこうも人を惹きつけるものであない。(略)兄としての同情ではない。誰が読んでもこう感じるにちがいない共感なのだ(略)」しかし、喜一さんは刊行について自問自答を続けることになる。そして、結果は「これは自分一人で読んでいるべき日記ではなくて(略)多くの人に読んでもらう宿命だったのだ。私が病床に倒れたのも、その宿命を果たすための(中略)きっと亡くなった父母の遺志に相違ない」と思ったと語っている。

末子さんのどの月日の日記の内容は、それはそれはどんなに貧しい中でもやさしい思いやりの心を失わない。また、どんな人に対しても温かいいたわりの心を失わない純真な情操のの豊かさが潜んでいる。

 くらしが苦境する中でちゃんと喜ぶべきを喜び、悲しむべきことを悲しむ家族愛に包まれた純白な心、そういった精神の健やかさを伺うことができる。    

作文「幸 福」   長崎県  安本 東石

私が一番ねがっていることは、いくらぶたごやであっても、兄妹4人が、自由にくら

したいということです。わかれわかれになって、なんと不幸な私たち4人でしょう。

兄さんはふりょうたちとしごとをし、ねえさんはほうこうにいき、なんとかわいそうな兄さん姉さんでしょう。

私とにあんちゃんは、あずかりの身となって………。けれど、おばさんたちがやさしいので、二人はまあまあ幸福なほうですけど。

いつになったら、四人に幸福がおとずれるのでしょうか。「楽に苦あり、苦に楽あり」このことばはほんとうでしょうか。

苦労に苦労をかさね、生きるのぞみがありません。つらい毎日が兄さんにおとずれているのでしょう。じごくのような坑内。いま兄さんは手をけがし、病院にかよっているようなしだいです。このようなしだいで、幸福がくるであろうか。幸福はこないと思います。しかし、幸福はこないでもよいから、四人いっしょにくらさせてください。

一生このまま苦労をしていかなくてはならないのでしょうか。なんのために、つらい不幸。このまま死をまつばかりでしょうか。

(作文)「戦争はいやだ」

 世の中で一ばんおそろしい戦争。この世で戦争親をなくし、子をなくした人がたくさんいます。その人たちのかなしみはどうでありましょう。私は戦争がいやでたまりません。

私だけでなく、みなさんもおなじことだと思います。私たちの世界は、あまりにも人間が多すぎる。すると、食べ物が足りなくなり、生きていくために、あのおそろしい戦争がおきたのかもしれません。

平和をめざして出発した日本が、もうどこかで、私たちの知らぬ間に戦争のよういがされているような気がしてなりません。私は、「ひめゆりの塔」「原爆の子」など、戦争の映画をたくさんみました。お母さんのむねにだかれた子ども、また運動場でたのしくあそんでいた子どもが、また国のためと一生懸命に働いていた人びとが、あっというまに、人間のつくったばくだんによって、かなしい運命になってしまう。あのおそろしい「げんしばくだん」を見るだけでも、目をおおいたくなるようなありさまであります。

あのおそろしい原子病にかかってくるしむより、いっそう死んでしまったほうがよいくらいです。親兄弟が「がいこつ」となてかえってきた時、それをむかえる人びとのかなしみは、いかほどだったでしょう。私なら生きる望みをすてていかたもわかりません。

私が大人だったら戦争へ、父や兄をやらなかったでしょう。手をふって見おくったおばさんたちのかなしみは、いかほどだったでしょう。けっしてあかるい顔ではなかったでしょう。くもったかなしい思いで、父の帰りはいつだろうかと見おくっていたにちがいないと思います。 

おそろしいげんばく。げんそばくだん。だれが、こんなにおそろしい物を発明したのでしょうか。

 発明した人のために、こんなに、おそろしい世の中になってしまいました。だれかしりませんが、発明した人がにくらしくてたまりません。その人のために、なげかねばならない人びと、戦争へ行く人は、あのかわいらしい子どもたちともわかれなくてはなりません。そして、もう二度とあわれないような運命になってしまうのです。

 さこく(鎖国)もせず、日本、いや、世界中がなかよく手をつないでいけば、親子もなかよくくらしていけるし、おそろしい戦争にもならなかっただろうと思います。今、

戦争があったために、何百人というみなしごがいます。ほんとうに、なんとおそろしい世の中でしょう。

 どうか戦争をやめて、平和な日本をつくっていこうではありませんか。(212日)

末子さんの日記のどの部分も、人としての幸せを願う人間愛と戦争によって家族が引き裂かれる残酷さ、そして、反戦平和を願う心が、ひたひたと伝わってくる。(平成22年5月20日)















  第52回目掲載 「時節一言」 「文化の光を見出したい」   会長 小林正明
平成22年度 定期総会 会長挨拶より

皆様、こんばんは、夜分、肌寒いところご出席ありがとうございます。なんともすっきりしない天候がつづいておりますね。今この時期、晩春の季語に「蛙の目借り時」とか「田鼠(でんそ)化して鶉(うずら)となる」というのがあります。春深く眠りもようして、眠くてたまらない夜が続く。冬眠の蛙が人の目を借りてしまうから一層眠気をもよおす。田鼠(でんそ)とはモグラのこと。この時期には、モグラが小鳥のウズラになるという。この時期の動物の活気を幻想的にあらわすおもしろい季語だなあと思いませんか。ところが、この天気では、「春眠暁を覚えず」どころか寝ていても眼が覚めてしまう。

 「宇宙から見た地球美しい」とは女声宇宙士山崎さんの一声、ところがどうも地球の方がおかしい。アイスランドの火山噴火、中国青梅省の大地震、タイ国やギリシャの暴動、そしてわが国の米軍基地問題など、これから一体どうなるのか。人々の不安は大きい。

 「国をはじめ地方財政の困窮は、文化団体の活動に光より陰のほうが急速に大きくなっている。今年度は助成金20%の減額です」と過日の道文協理事会での阿部会長のことばです。

 このような状況下で、当文協は各団体、高齢化と後継者不足や活動資金の不足という問題を抱えつつも「市民文化祭」に現れるような事業活動を通して、一丸となって研鑚努力を重ねている。先人の築いた成果を踏まえ着実に歩み続けている。「町づくりは人づくり、人づくりは文化づくり」市民のために寄与しているのは確かだ。皆様の精進努力の中で、このことを共有できていることを誇りとしたい。常に理事、役員、事務局が一体となって邁進していることを誇りとしたい。当会の自慢、それは加盟団体の結束力、この努力エネルギーの蓄積を私は「市民信用の地域文化力を身につけた」と称したい。

地域文化の創造と発展の役割をみんなが体験している。

 今年度も皆様のご理解、ご協力に改めてお礼と感謝をいたします。

 さて、この後、昨年度の事業について報告がありますが、8月、北海道及び北海道文化団体協議会の要請を受けて、中国黒龍江省芸術団の公演を成功させました。11月、

白石市文化協会との交流事業も再開できました。交流が具体的に進んできました。

 当会の活動、運営のための資金については、切り詰めた予算のもとで如何に執行を継続するか役員を中心とする「会計執行プロジェクト」のもとにいろいろ検討してまいりました。各会議の結果を重んじた提案をいたします。ご審議よろしくお願いします。

 

 22年度は、創立45周年を迎えて、新しい執行体制のなかで、活動が実施されます。北海道及び北海道文化団体協議会の要請を受けての「北海道文化集会」開催地としての提案があります。

 次に白石市文化協会との交流事業です。7月訪問団を結成して白石市へ参ります。

 次に4月オープンの「市民活動センター」に積極的に活用と協力が求められ、特に「文化事業」の展開が6月が予定されております。

 登別の団体が一同に会した「元鬼まつり」の参加もきたいされています。

大切なことは、先人が創りあげた伝統を重んじつつ、新しいものに挑戦をつづけるということです。新しい文化創造、魅力ある文化団体の創出「動く文協」の原点と考えます。

そこから、「他人を思いやる優しい心は、登別市文化協会に接し、親しむことで生まれる」と思います。

 明るい笑顔で、地道に粘り強く登別の魅力ある自立した文化創造に努めたいと思います。

 大切な議事がございます。きたんのないご意見をいただきながら審議のほどよろしくお願い申し上げます。

 終りに皆々様のご健康とご多幸をお祈りして挨拶といたします。                   (平成22421日)












  第51回目掲載 「時節一言」 1年間を振り返って
―室蘭民報トップインタビューに答える(要旨)―     
会長 小林正明


Q
1 昨年一年間を振り返って

  ◇ 21年度は、平成17年創立40周年の成果と反省を踏まえて新たに出発を決意しての「再生元年」と称してから4年目の年であった。

  ◇ 21年度を振り返っての概括を述べると、これまでの成果を踏まえ着実に歩み続けていることである。各団体は諸活動を展開する中で、先人が残された血と汗の結晶である文化遺産を継承することの大切さの認識を高めている。そして文化の香り高いまちづくりのために、会員一丸となって研鑚努力を重ねている姿がある。会員は日々の積み上げが、実は地域文化の創造と発展に寄与することになり当文化協会の目標、役割であることを活動の広がりの中で体感している。「まちづくりは人づくり、人づくりは文化づくり」という基本精神の実現のため惜しまず精進努力することが最も大切なことであることを共有できてきた。新時代に即応する文協像を見出そうとする課員の思いを知ることができる。しかるに、今日ある文協の歩みを、市民の目線に立った多角的に且つ客観的な反省と評価をすることが大切である。すなわち、文協が自主自立して真に社会貢献する団体となるためには、他機関、団体や色々な機会に市民各層の願いや要望意見を謙虚に聞き入れて、適確正確に把握することが大切である。その内容を分析して議論を重ね文化団体の存在の意義と責任を明確にしなくてはならない。まさしく「動く文協」をスローガンにして実践を積み重ねることが大切である。

Q2 21年度の主な事業やできごと等について

   ◇ 仮称「市民活動センター」企画・運営に積極的参画

    ・施設の見学会

    ・会長はセンター運営委員会委員として任命される。十数回の会議に出席提言

    ・文化事業の開設に向けた具体策を提言

   ◇ 道文協主催「中国黒龍江省芸術団公演」を主管
      ・交流会を822日(土)ホテル平安 
     市、各機関及び団体、企業、加盟団体等要人約
60名の出席

    ・公演は、大ホール満席の盛況、室蘭工業大学留学生をバス代支給で招待する。

     また、介護施設入居者の特割、胆振市町からの協力が特筆される。

    ・登別市社会福祉協議会50周年記念事業に協力。「三遊亭夢の助」講演会助成

    ・登別合唱協会が道文協の団体奨励賞を受賞。1117日 
     教育文化会館にて
全道で唯二つ 市民対象の地道な音楽活動。
     「カルメン」の自作自演公演が評価される。


   ◇ 白石市文化協会が来市、119日 
     バスにて市内研修、ホテル平安、芸能交流、懇親会開催。
     
22年度40周年記念事業での交流を約束。7月4日
   ◇ 登別民謡連合会が創立40周年、記念事業実施。発表大会、祝賀会盛会。

   ◇ 「市民文芸のぼりべつ」第28号刊行。執筆陣が多彩、内容充実

     創作・郷土史・随筆・登頂記・自分史・俳句・短歌・川柳と広いジャンル
       
短詩型中心の文芸誌から大転換で、編集委員の願いが叶う。
     登別明日中等学校山本絢子さん第二作「白黒コンテスト」、
     川瀬登志子さんの随筆「南極の壷」、井上房子さんの創作「沙代子」、
     毎回東京から俳句投稿の佐々木忠利さん等の作品が読者間で好評、
     財政難を駆使して自主出版、市民支援、読者層厚くなったのが要因。

   ◇ 「第5回新春ダンスパーテイ」37日(日)登別社交ダンス愛好会協力。           
       
益金造成事業

   ◇ 「文化大集会」文化・スポーツ振興財団、体育協会三者連携事業
       
2002
年より市民が参加できる文化・スポーツ事業を実施。
     ねらいは青少年健全育成事業の展開。北海道で唯一。
     本年は社会福祉50周年記念事業。

Q3 秋の市民文化祭など課題について

   ◇ 毎年恒例の「市民文化祭」第45回目9/4から11/26までのロングラン

    ・加盟36団体中31団体が参画、財団・文協の共催

     主会場は市民会館、鷲別公民会館、鉄南ふれあいセンター、11/1〜3の

地区展は光和園、旭ケ丘三恵園、若草つどいセンター等の公共施設で開催。

     112日各団体代表等による鑑賞会を実施。市長、副市長、教育長も同行。

今年度の特徴はステージ、展示共ジャンルの広がりとレベルアップ

   ◇ 地区展は小・中学校、保育所、幼稚園、病院など多くの子どもから高齢者が参加。魚拓、書道連盟、美術協会等加盟団体との連携が成果を上げる。一層の連携が課題。各地区諸文化サークルに加盟PRすることが必要である。

Q4 今年度の表彰、入賞等

   ◇ 登別合唱協会が道文協の団体奨励賞を受賞。1117日 市民文化会館にて

   ◇ 21年度 登別市文化協会表彰者 功労賞7名 芸術賞3名、奨励賞1名

    ・功労賞 加藤 清(棋道連盟)、小林蝶子(吟道連盟)
        小宮由起子(バレエ協会)、末永美津枝(華道連盟)
        菅原美恵子(美術協会)、山内北湖(書道連盟)
        山谷 麗(音楽協会)

芸術賞 斉藤 勉(魚拓同好会)、平塚圭子(合唱協会),縫部節子(俳句協会)

    ・奨励賞 松島翔香(民謡連合会)

       登別市表彰受賞者 登別市功労者 佐藤逸夫氏 教育文化賞受賞 須田諒子氏(バレエ協会) 上石玲子氏(文協舞踊部)

   ◇ はやて太鼓(室蘭登別太鼓連盟)が第11回太鼓ジュニアコンクール特別賞

   ◇ 諏訪英雄氏(文協顧問・美術協会顧問)歌集刊行

Q5 そのほか今年に予定している取り組み、抱負、意気込みなど

       生活そのものが文化、豊かな心づくりを目指す、人づくりまちづくりの基本、

 夢や希望、ロマン文化の炎を灯し続けて元気、勇気、やる気 “三気の精神”

     創意、総意、熱意 “三意の精神”、創出される知恵、人間力を地域経済、観光の繁栄に繋げたい。

 ◇ 魅力ある団体として地域文化創造に努めたい。
   会員は、鑑賞文化参画から実践文化に参加する姿勢を培いたい。

 ◇ 厳しい財源状況は続く、会員の確保、自主自立を目指す意識と事業の取り組みが必要。

   ◇ 平成22年度、23年度 胆振文化団体協議会事務局担当となる。

                 ・胆振管内11市町の文化団体統括、会長、事務局長配置

                 ・道民芸術祭、胆振芸術祭の推進

            (書道展…苫小牧市、いぶり文芸…室蘭市、短歌大会…白老町、写真展…登

                        別市)

                 ・胆振文化交流会の実施他

   ◇ (仮称)市民活動センター会館に向けた積極的支援の確立

       ・設置委員会委員としての重責、施設の設計、有効活用、特に文化会館活用

                     の参画

                ・土、日曜日の管理等の業務の受け入れ

・事務所移転を視野においた協力体制の確立

                  ・総括的事業の展開のあり方の提言

                  ・年間文化事業の具体的計画案の提言、青少年健全育成事業の構築

   ◇ 白石市文化協会との交流会実施。7月3〜4日 交流団を結成。ステージ・展示交流会、物産展とのコラボ検討、今後の文化交流のあり方討議

   ◇ (仮称)登別フエイステイバル開催日時成功の主眼団体の役割発揮

                   ・平成22731日(日)、81日(日)

                   ・登別市民会館を会場に多彩なイベント構成

                   ・実行委員会幹事として重要団体の」位置付け

                   ・文化事業の企画、運営―展示、バザー、発表会

       52回「北海道文化集会」を主管して開催

・期日…1123日(火) ・会場…登別市民会館 大ホール

    ・主催…北海道文化団体協議会 ・主管…登別市文化協会

    ・後援…北海道・北海道教育委員会他地元

     ねらい…創立50周年を越えた北海道文化団体協議会の歴史を振り返り、    

今後あるべき未来像を語ると共に北海道の芸術文化をどのように創造し発展させていくかを考える。登別市制40周年、道民芸胆振胆振芸術祭、登別市文化協会45周年記念事業とする。

 

     日程、内容…北海道文化団体協議会表彰式、基調講演、特色ある事業

◇ 「第6回新春ダンスパーテイ」3月予定

◇ データバンクの活用集 ホームページ19119日に開設4年目 独

自ホームページ 江別市と二市のみ 時節一言 ヌース 活動報告 文協紹介 加盟団体 文化伝承ふれあいバンク等詳細に掲載 人材バンク活用広めることが課題。

    ◇ 加盟団体の特色ある事業の奨励と支援(7部門 36団体 約2千百名の会員)

    ◇ 登別伊達時代村の事業「ものづくり工房」「菊花祭」「雛祭り」等への支援

    ◇ ミニコン、ジョイントコンサートの企画 「音・楽しむ会」の支援

    ◇ 「登別文化交流館」の有効活用に協力

    ◇ 青少年健全育成の各団体ボランテイア活動の推進、小中学校との連携強化

    ◇ 事務所移転を視座にした運営と活用・事務処理の有効効率化

    ◇ 登別市民憲章の唱和拡大活動に積極的に協力

<追 録>

◎ 「市民文芸のぼりべつ」について

  ・文芸誌は平成4年に諸事情のためやむなく休刊、復刊は平成144月、第21号 その間10年であった。市民も会員も待ちに待っての再発行であった。「編集委」スタッフの粘り強い取り組みが奏を効した。

     登別市の唯一の文芸誌の刊行に拘る理由 情報化ハイウエイ時代到来 故に負の遺品か活字文化の衰退 古来より漢字、ひらがな、カタカナの活字文化が人間社会の情報を支えてきた。市民の活字文化を通した出会いとふれあい,学びあいのステージ 「市民文芸のぼりべつ」は活字コミュニケーションを拡充

             
平成22年 1月 12















 「時節一言」 第50回目掲載 病院の待合室でもらった元気
川柳のぼりべつ12月号巻頭言より 代表 小林 碧水


 三週間に一度近所のクリニックへ診察と薬をもらいに行く。気軽に通える診療所ということもあって、近隣の町からくる患者も多い。ほとんどが高齢者で顔見知りである。

 先日数年ぶりで、隣町に住む中学校時代のクラスメイトのお母さんに会った。待合室はほぼ満員であったが、入っていくと私に声を掛けてくれた。小学校の頃から私を知っていて近況から昔の話まで話題は尽きない。年齢を聞いてみると、88歳(米寿)で、数年前まで魚の行商に行っていたという。このお母さんは、病弱なご主人と5人の子どもさんがいて、魚の行商をしながら家庭を築き守り通してきた。話は5人の子どものことと孫のことと淀みなく続く、声にも力があり病気を持っているとはとても思えない。私と21歳も上なのにこの力強さは、長年早朝から夜遅くまで休みなく働き、自然と身についた生活力からくる自信なのかもしれない。別れ際に私が励まされ、薬の他に気力をもらった。

 時代と共に人間の暮らしも考え方も変わるが、今の若い人達にこのお母さんを真似ろといっても無理が有るのはわかっていても職のない時代働くとは、このお母さんから否定できない何かが伝わってくる。(平成21年12月29日)

 















 「時節一言」 第49回目掲載 文化の継承の礎に (21年度文協表彰式式辞抜粋)


晩秋の日だまりの温かさが静かに残り、菊花の香りがこころを和ませる、このよき日に平成21年度の登別市文化協会表彰式を行なうとご案内申し上げたところ登別市長 小笠原春一様、北海道議会議員 堀井学様はじめご来賓各位のご臨席をいただき、加盟団体代表及び会員出席のもと、かくも盛大に挙行できましたことを衷心より厚くお礼申し上げます。

 今年度栄えある受賞となりました方々は、功労賞7名、芸術賞3名、奨励賞1名の

11名であります。心からお祝いを申し上げます。誠におめでとうございます。

 只今、今年度受賞となりましたお一人お一人に敬意と感謝の気持ちを込めて表彰状をお渡ししました。受賞されました方々は、当協会の創立以来、変化する時代の中で、地域文化の継承と発展のために誠心誠意の活動を続けられ、加盟されている団体のため、また当協会の事業や運営に多大なるご貢献をなされました。改めまして感謝とお礼を申し上げます。誠にありがとうございます。

 さて、今年度は例年と比べての特徴として三点ありました。一つは団体からの受賞推薦者が多かったこと。二つには三名の方が芸術賞を受賞されたこと。そして、奨励賞に民謡全道一に輝いた九歳の松島翔香さんの受賞であります。

 私は団体からの推薦書を拝見しまして感じたことは、受賞の方々がいかに会員から信頼と尊敬されながら絆を広く強く結び合いながら、長期にわたり文化振興のため献身をされた尊いお姿であります。

 今後当協会が粘り強く歩んでいくための心に響き届くメッセージとなりました。今、私たちが愛するふるさとのために為すことは、文化の香り高い町づくりを目指して自らの文化芸術性を高めながら、未来を担う青少年のために、忍耐と熱意を絶やさず、慢心笑みをもって登別市文化協会の推進に一生懸命に努力することが大切であります。

 「日々是好日」に、自らにやる気と勇気と元気を奮い立たせて活動するならば、必ずや夢、ロマンは広がって実現できるという人生訓を学ばねばなりません。

 どんな時にも希望を持ち続けながら、率先して努力することそのことが、どんなに大切なのか。湧き出る豊かで生きがいのある町づくり、人づくりになるという社会の哲理を学び会おうではありませんか。

 さて、わが国は政権交代して、新しく生まれ変わることを期待していますが、今日的課題は私たち大人は、未来を担う子ども達に、何を、いつ、どのように引き渡すとよいのかを真剣に考えなくてはなりません。確固たる後継者を育てて、今こそ世代から世代へ受け継がれる文化遺産を見直して、価値や理想像を明らかにすることが求められていることを再認識しなくてはなりません。

 私たち会員は、先人達が並々ならぬ努力と献身を続けて残してくれた文化遺産を継承して、市民の願いや求めを察知して文化活動の基礎基本に立ち返り結束力を高めて、文化の香り高いふるさと登別の活性化のために歩み続けることを誓おう

ではありませんか。

 日常の地道な活動を積み重ねることにより、自分や皆のための癒しや生きがいが培われ文化創造のエネルギーが醸造されると思っております。

 まさしく、楽しみと喜びを体得できる文化事業や活動の展開であります。そのネットワークが功を奏して、夢や希望、ロマンいっぱいの文化の炎が燃えて、文協の願いである町づくり、人づくりの一役を担うことになるのだと確信しています。

 私たちは8月23日「黒龍江省芸術団」を招聘して成功させました。11月9日には、 我が町で「白石市文化協会」と交流します。まもなく「市民活動センター」がオープンしますが、私たちにできることを明確にして、活性化のために全力協力していきたいと思います。このように私たちは、市民の希望と期待をキャッチして、加盟団体を軸にして一生懸命に文化の創造に励むことをこのよき日に誓い合いたいと存じます。 

 「ローマは一日にして成らず」「継続は力なり」の格言がありますが、自主・自立を根本精神においての具体的実践が、必ずや「市民と共に歩む文協」の高い評価を受けて、登別であればこそ、登別でなければという特色ある地域文化を創造し、そのこと自体が地域の経済や産業、観光の推進に寄与することになると思っております。            平成21年 11月 3日

 














 「時節一言」 第48回目掲載 心晴れやかにする言葉、元気をいただく言葉(5
随所(ずいしょ)に主となれ」


この言葉は今から600年近い昔、大澄国師の言った語であります。

 どこにいてもどのような立場にあっても主体性を失わない、いかなる場合でも他によって自己を乱されることなく、自分を見失うことなく自由である。そうあればあ幸せというほどの意味であります。

 正直、私も若い頃いや60代まではこの言葉にはなじまなかった。人は謙虚にあまり前列に出ることなく“縁の下の力持ち”的な生き方が大切であり、そういう生き方をしている人に敬意をいだいていたのであります。しかし、現職を退いて70歳に手の届いた現在になって前列に出なくてはいけないと思うようになった。

 決して何事にも出しゃばって他人に迷惑をかけるという行動をとるということではない。

 「随所に主となる」一見思い上がるといいかげんにしろと思うこの言葉。実は、この年代になって生き生きとたくましく、美しく老いていくには、やはり「主」となることを欠如してはならないと思い出したのである。

 具体的に「随所に主となる」ことができるのだろうか。どうすることが主となる要なのか。

 ある日ある朝、保育所で保母をしている娘との会話で公案は解けた。

娘は言った「お父さん、上司や部下と仲良くやるのはまず手造りの料理を作って我が家に招待すること」がそれが肝心と。娘は茶飯時やっていることを知った。成る程主たるには人に供応することなのだ。コミュニケーションチャンネルを形成することが第一歩なのだ。

 美味しい食物、しにせの店、手料理のパーテイに人を呼んで飲食する場を豊かにつくること、ホストになること、正にあるじだ。ホストは責任もあるが主体性を発揮する喜びも少なくない。気使いなく自由におしゃべりをする。愉快になる。そのうち食べている物の味など問題外になってくる。高齢になっての主人公はくだけた人生論をとくとくと言っても聞いてくれる雰囲気が醸成される。なんと愉快なことか。

 こんなことを思っていた折に外山滋比古著の「老楽力」という文著に出会った。

その中で「桃太郎はサル、キジ、イヌにキビダンゴという供応をしたため大将となって仲の悪い三者の争いをおさめ平和を招来することが出来たのだ。

 いくら桃太郎が優れた英雄であっても“おれについてこい”と号令をかけるだけだったらてんで相手にされなかったに違いない。キビダンゴというご馳走がものを言ったのだ。酒食のもてなしができたから桃太郎は主となった」。

 成る程!私も祖先からいただいた肝機能の恩恵を十分に活用してコミュニケーションチャンネルを拡大して、様々な人との出会い、ふれあい、学びあいを大切に余生を楽しく過ごしたいとつくづく思っているのであります。
(2009/12/08UP)

 

 













「時節一言」 第47回目掲載 心晴れやかなる言葉 元気をいただく言葉 (4)

 

千里の道も一歩から。

小さいことを重ねたことが とんでもないところに行く

ただひとつの道 

9月13日の米テキサス州アーリントンでのマリナーズとレンジャーズ戦は、雨天のためなんと6時間近く延びてしまった

私は、この日の前人未到の9年連続200本安打の瞬間をこの目で確かめたいという一念からテレビ中継に釘付けになっていた。

待ちに待ったイチロー選手の200本目の打球は相手捕手の目の前でポーンと弾んだ。遊撃手が前進して捕球したが、イチローの足は早かった。

「イチローらしい打ち方で記録は樹立された。大リーグ記録を108年ぶりに更新する大記録。

私は興奮をこらえきれずひとり部屋で大声で万歳をした。妻が何事が起きたかと二階にかけ上がったくらいである。

イチロー選手の顔がテレビ画面にクローズアップされた。表情は実に冷静であり、いつものようにプロジェクターをはずしながら、ヘルメットをとり2,3回スタンドに手を振った。このような大偉業を成し遂げたこの若者がどうしてこのように冷静に振舞うことができるのであろうか。

日本人のもつ独特な心情である側隠の武士道の精神「色即是空」の仏心と感じたのは、この時代に日本の武士の姿を見たのだ。そう思ったのは私だけであろうか。

イチロー選手は、以前テレビインタビューの折次のように言っていたのを思い出した。

「小さいことを重ねることがとんでもないところに行くただひとつの道である」と。

こつこつと内野安打を積み重ねた結果であることを示唆している。

 次のイチロー選手の言葉も胸にジーンとくる。

「手を出さないのです。」

「手を出さないためにどうするかが僕。どうやって手を出そうかなと考えるのが普通の選手。真逆なんですよ。」

 細いバットを自在に振り、自らを「安打製造機」とすることに徹したイチロー選手のこだわりの文化運動の結果が花を咲かせたのだとつくづく感慨にふけった。

 野球の技術についてはよくわからないが、北海道新聞(9/15朝刊)の解説を読んでわかった。

「心にも体にも球を引きつける動きが染み付いている。一気の振り出しはスイングの早さや無駄のない体使いがあってこそ」との記事を読んだ。成る程そうなのかと納得した。2009/11/19UP)













「時節一言」 第46回目掲載 心晴れやかなる言葉 元気をいただく言葉 (3)
直心道場(じきしんどうじょう)

 

禅宗において重要な経文(きょうもん)である『維摩経(ゆいまきょう)』に直心是道場(じきしんこれどうじょう)という一節があります。これは、物事を正しく見極めようとする心があれば、特に修行の場などいらない。何故かというと、そういう心こそまさに修行するにふさわしい道場であるからだと説いています。

すなわち、求める心さえしっかりしておれば求める場はどこにもある言うのです。私は40代前半公私共に諸事情が重なり、かなり自分の存在そのものに自信を失い、不安な毎日が続きました。この時、今は亡き透禅寺の峰田弘道ご住職が一週間程お寺で寝食を共にし、写経や座禅を共にして下さいました。ある朝の本堂で、ご住職が目に涙して私に説教して下さいました。その言葉が「直心道場」であります。

ご住職は「維摩詰所説法」(維摩経)の教本を手にしておりました。これは大乗仏教の初期の経典であり在家の居士ピラマキールティ(維摩または維摩詰)が主人公であります。病床にある維摩と見舞いに訪れた文殊菩薩との対話を軸として、空(くう)の真義とその場に立つ菩薩の実践が明らかにされていくのであります。私にはとても難しい内容で到底理解に及ばないものでありましたが、その時の私にとっては正に藁(わら)をも掴む心境であり、嘘のように心身がよみがえったのを覚えております。

わが国において最も早く知られた仏典のひとつである「維摩経」は、6世紀には聖徳太子によって「維摩経義疏」が著され、“無言無説・黙然無言”という禅家の推賞する個所となったことも、後に武者小路実篤著「維摩経」を読んで分かったことでありました。

「求めてやまない心があれば、人は必然的に行動を起こしているのです。求めずして学ぶことは出来ないのです。」と自分にも言い聞かせるように(ご住職も同じように悩んでいたことを後に知らされました。)、朝陽に透き通るような低音で説いていた透禅寺の亡き峰田ご住職に只々合掌している最近であります。
















「時節一言」 第45回目掲載 心晴れやかなる言葉 元気をいただく言葉 (2)
そっ啄の機」(そったくのき)

 昭和20年5月 私たち一家は神戸から富良野の山村に疎開しました。本当に食べ物が不足の時代でありました。伯母は4羽の鶏の雛を小脇にかかえて持ってきてくれました。雛はすぐに大きくなり、まもなく卵を生み食卓に花を咲かせました。

 その鶏の1羽がある日突然に消えたのです。私たち兄弟は、周りを懸命に捜しました。そして、3日後の夕方近く裏庭の竹やぶの中にうずくまるように卵を抱いている鶏をみつけることができました。静かに近づきみていたら、なんと卵を一個胸元においてやわらかく口先でつつき始めたのです。あっけにとられて見ているとどうも卵の内側からも割れかかっています。卵が割れた瞬間、私は目玉も体もいっぱいになり驚きで動けなくなりました。

 「そっ啄(そったく)」の言葉を知った私は20歳になっていました。この言葉のもとになっているのは“卵の孵化”です。「そっ」とは鶏の卵が孵化しようとするとき雛が殻内からつつくことであり、「啄」とは母親がそれに応じて外から殻内をつき、殻を破ろうとする意味です。

 もし、親鳥のつつくのが早すぎると卵の中はどろどろになり、雛は死んでしまいます。逆に遅れると中の雛は呼吸できなくなり死んでしまいます。言うまでもなく、そっ啄の機」というのは、親鳥が孵化しようとしている卵をつつく、雛が卵の中からつつく殻を破ろうとするその呼吸がぴったりと合うことであります。正に命がけの行いでありました。教師であった私はこの言葉を大切にしてきました。

 子ども一人ひとりの成長をしっかりと見つめ、「今がチャンス」「今時しかないチャンス」と言う好機を見逃すことなく、適時適切な指導が出来なくてはプロフェッショナルとは言えないのだと自分に言い聞かせてきました。

 しかし、なかなかうまくいく場合は少なかったかもしれません。教育だけでなく、人間関係の中でもタイミングが早かったり、遅くなって失敗したなあと思ったり。しかし、「早すぎず、遅すぎず、まさにこの時」と思うタイミングを逃さぬようにと意識していることが大切であろうと思っています。

 後になって「そっ啄」は禅宗の修行の言葉であることも知りました。それは機を得て、学人と師家との両者の心が投合することを例えたのでありました。そういえば、私が満5才という幼少時にそっ啄の鶏に出会ったのも、ものの見方、考え方を培う「そっ啄の機」であったかも知れません。

   










「時節一言」 第44回目掲載 心晴れやかなる言葉 元気をいただく言葉 (1)
「日日是好日」(ひび これ こうじつ)


 唐国の雲門宗の開祖である雲門禅紙師の言われた言葉である。
 雲門宗は、禅の五家七宗の一つであり、雲門高層が韻宗(いんしゅう)の雲門に住み、独特の宗風をつくった。宗祖以後200年ほど続いたが、南宗末に衰退し、日本には伝わらなかった。

 しかし、上記の言葉は脈々と生きているから不思議といえば不思議である。雲門禅師曰く一日一日がよき日となり毎日毎日が悦びの日になるべきだ。
 我々は充実した人生を生きなくてはならない。健康が充実し、知恵が満ち溢れ、悦びが一杯で、物質も豊かであり、平和が充満し、幸福に満たされていなければならないのである。

 「我が酒杯(さかずき)はあふるるなり」
 我々の生命の杯に、歓喜が溢れ、感激が溢れ、感謝が溢れ、恩恵が溢れ、歌が、笑みが、祈りが、そして生きる張り合いが溢れていなければならないと。

 「日々是好日」であろうとすれば人生を賢明に、誠実に、情熱を持って生きなければならないとつくづく感慨をもった。
 しかし、そうは言っても何をどう生きるといいのだろうか。
 雲門禅師は説いている。人生は、すなわち「生」とは多元的な行動体系であり、人生というこの創造的な綜合芸術を美しく構成、形成しなくてはならないと。人生の綜合芸術の要素とは何か。

 それは生きるということはいかなることなのかと問い続けることだという。
 そして
  ・ 生きるということは学ぶことだ、 ・生きるということは愛することだ
  ・ 生きるということは働くことだ  ・生きるということは対話することだ
  ・働くことだ。 ・闘ふことだ。 ・読書することだ。 ・考えることだ。
  ・信じることだ。・出会うことだ。 ・追求すことだ。  ・修業することだ。
  ・表現することだ。・楽しむことだ. ・管理することだ。 ・売春することだ。
  ・関係することだ。・奉仕することだ。・達成することだ。・離別することだ。

 の20項目をあげている。実に深い意味がある。雲門宗は衰退しても、言葉が脈々と生き残っている。言語のもつ力の偉大さを感じ取った。私の机上には、この言葉を書いた楯をおいている。高校の恩師からいただいたものである。大切にしている言葉の一つである。(2009/09/10)

   <参考文献>  「雲門語録」(〜949) 「国語大辞典」(小学館)              

   












「時節一言」 第43回目掲載 中国黒龍江省芸術団の公演においでください 会長  小林正明

 「新涼や 犬がよろこぶ夏の揺れ」新涼は秋の季語です。

 お盆が過ぎると周りも秋の気配を感じる頃となりました。。

 さて、823日(日)午後430分 登別市民会館 大ホールで上記のイベントがあります。

 北海道と黒龍江省とは、今から22年前に友好提携の調印をしました。以来、文化交流が始まり、隔年相互訪問が道文協を中核として行われてきました。  

 この度、道文協の推薦を受けて登別公演が実現しました。

 歌曲や劇、二胡の演奏など素晴らしい中国伝統舞台芸術を堪能していただけると思います。当日券は立見席となり限りがありますが、皆様方のお出でをお待ちしております。(2009/08/20)

   問い合わせ  登別市文化協会 事務局  TEL0143−85−8886

   













「時節一言」 第42回目掲載 人間(ひと)はカルチャー(文化)に憧れる  会長  小林正明


 山の木々も深い緑色が広がる時節となりました。本来なら、過ごし易い頃なのですが、何ともすっきりしない天候が続いておりますね。理事の皆様には、お元気でお過ごしでしょうか。

 20年度を振り返りますと、これまでの成果を踏まえ着実に歩み続けていることです。

 平成22年には創立45周年を迎えます。各団体は諸活動を展開する中で、文化の香り高いまちづくりのために、会員一丸となって研鑚努力を重ねている姿があります。各ジャンルは、全国全道の大会等で高い評価を受けております。自分がこだわり続け追求していることは自分達だけのものではないのです。市民の豊かな心づくりと生きがいに寄与しているのです。日々研鑚の積み上げが、地域文化の創造と発展に寄与することになり、私共の役割であることをみんな体感しているのです。諸活動を通して「町づくりは人づくり、人づくりは文化づくり」のために精進努力することが最も大切なことであることを共有できていることを嬉しく思います。

 「文化」という言葉は、英語では「カルチュア、カルベート」で、「土地を耕す」という意味のラテン語に由来するものです。それぞれの国に、また、それぞれの土地には、そこに根付いた固有の特色を生かした文化があります。それは、長い年月をかけて、生活と密着して培われてきたもので優れた才能による創作活動の成果が人々に受け継がれてきたものが伝統として今日あるのだと思います。そして、この創造の中には、一見伝統に反逆するような大胆な試みが内包されなければならないと思います。そうして栄えるものだということは、歴史が証明しています。すなわち、先人が創りあげた伝統を重んじながら、新しいものへのあくなき挑戦を続けるということです。あたらしい文化創造、魅力ある文化団体の創出、いつも私がいうところの『動く文協』の基本の考えであります。そこから、「他人を思いやる優しい心は、文化に接し、親しむことで生まれる」と言えると思います。

 地域の文化振興と発展に寄与するための活動を創意と工夫を凝らした勇気を持って実践することが市民に期待され愛される文化団体の生命です。社会的地位もこのことが原点です。

 さて、21年度の事業について、私から次の三点について簡潔に話します。

 一つに、北海道及び北海道文化団体協議会の要請を受けて、中国黒龍江省芸術団の公演を8月23日に開催します。ご存知の通り本市は中国の広州市と姉妹都市提携を結んでおりますが、中国文化に触れる機会がありませんでした。これを機会に市民の方々に中国芸術を鑑賞する機会を提供して、国際化社会の中の登別の1ページを作りたいと思います。皆さんに趣旨しっかりとご理解いただき、成功のために是非とも一丸となって力をいただきたいと思います。

 二つに、白石市文化協会との交流事業についてです。実は私共の40周年記念事業として、平成17年2月に交流団を組織して、白石市を訪問いたしました。22年に白石市文化協会が40周年を迎えるにあたり、当市を訪問したいとの要請がありました。日程など詳細になっておりませんが、私共温かい歓迎をいただいたので、具体的になりましたら改めて理事会で決めていただきたいと思います。

 三つに、先ほど申した「動く文協」をスローガンとして進めている我が文協、会費を値上げし、ぎりぎり切り詰めた予算のもとでの執行であります。皆様方の協力は勿論ですが、会計担当や事務局の並々ならぬ切り詰め努力で、何とか乗り切っております。 会計プロジェクト」のもとに今後のあり方をいろいろ検討してまいります。このことを視座に入れて取り組みます。

「登別窯の会」から加盟申請があり、総会にて承認されました。これで加盟団体は37となりました。どうぞ仲良くしてください。

 何より大切なことは、各団体の活動が自分達のためだけでなく、市民の目線に立った多角的に且つ客観的な反省と評価をすることです。そして、文協が、真に社会貢献する団体となるためには、他機関、団体をいろいろな機会に市民各層の願いや要望意見を謙虚に聞き入れて、適確正確に把握するとともに内容を分析して論議を重ね、方向付けることがも大切です。具体的に何をどのように実現していくことが、文化の香り高いまちづくりを目指すことになるのか。「市民活動センター構想」や「文化交流館・カント、レラ」「知里真志保生誕100年、知里幸恵記念館などのアイヌ文化振興」などに文化の振興と発展に寄与することは何をなすことなのか。真剣に考え取り組みます。新時代に対応する文協像を見出し、将来の展望を構築したいです。

 確かに、今日の日本には、厳しい状況にありますが、「元気、勇気、やる気」の三気の精神を大切にして、明るい笑顔で地道に粘り強く登別の魅力ある自立した文化創造に努めたいものです。

                    (21年度 第一回理事会 挨拶要旨)     


 

   













「時節一言」 第41回目掲載 桜花点描その3  会長  小林正明


 こうして、春の桜は"花王"と言われ、淡紅白色の花容は古来、特に日本人に賞されてきた。花と言えば咲くあのことであり、"国花"とされ、菊の花と並んで人々に慕われている。
爛漫と咲き誇ったばんだの花の散り際のあわただしさが愛惜されるのである。最も早く咲く彼岸桜の美しさ、山桜の優雅さとその散り際清さに私たちの先祖から心動かしてきたのであろう。武士文化の多くの場面で、桜が武士に結び付けられるのはやはりその散り際の美しさ、潔さであったのだろう。「花は桜木、人は武士」に象徴される日本人特有の文化について、新渡戸稲造の「武士道」と、古今や万葉など歌人が詠んだ短歌の中から、日本人と桜の係わりをもっと知りたいと思い調べることにした。

 本居宣長は、
   「しきしまのやまとの心を人間はば 朝日にも匂ふ山桜花」
 清少納言は、
   「桜は、花びら大きに 葉の色濃きが枝細く咲きたる」
と枕草子34段で山桜を賞賛している。

 在原業平(ありはらのなりひら)は、古今集に
   「見る人もなき山里のほかの散りなむのちぞ咲かまし」
とある。同じく
 素性法師(すじょうほうし)は、
   「たれこめて春の行方もわかぬまに待つし桜も移ひにけり」
 藤原因香(ふじわらのよるか)の作
   「咲いた桜になぜ駒つなぐ駒がいさめば花が散る」
 芭蕉の句に、
   「さまざまの事思ひ出す桜かな」
   「命二つの中に生たる桜かな」がある。
 桜の散り際の美しさで印象的なのは、「伊勢物語」(82段)に描かれているこれ喬親王(文徳天皇の皇子)が桜の名所・三無瀬を訪れた場面である。馬頭(うまのあたま)というのは、在原業平のことだといわれるが
   「世の中の絶えて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし」
という歌を詠んだ。

 これは表向き「この世の中に全く桜が無かったら、春の心はのんびりとしたものであろう」という意味だが、その真意は「桜が無かったら散るのを心配しないですむ」という、事実に反した仮定を通して、かえって桜を讃えた歌と解釈されている。(渡辺実校注「伊勢物語」新潮社)この歌に対して別の人が詠んだ歌が
   「散ればこそいとど桜はめでたけれ 浮世になにか久しかるべき」
である。これは「あっさりと散るからこそ、桜はますます賞美に値するのだ。そもそもこの辛い世の中で、何が長続きするであろうか」の意味である。(前掲 伊勢物語)



                桜花点描 その4

 新渡戸稲造は、「武士道」の中でつぎのように熱をこめて大和魂と桜を讃歌している。本居宣長が、「敷島の大和心を人間はば朝日に匂う山桜花」と詠じた時、彼は我が国民の無言の言を表現したのである。しかり、桜は古来我が国の愛花であり、我が国民性の表象であった。特に歌人が用いたる「朝日に匂う山桜花」語に注意せよ。
 大和魂は柔軟なる培養植物ではなくして、自然物という意味において野生の産である。それは我が国の土地に固有である。その偶然的なる性質については他の国土の花とこれを等しくするかも知れぬが、その本質においてはあくまで我が風土に固有なる自然的発生である。しかしながら、桜はその国産たることが吾人の愛好を要求する唯一の理由ではない。その美の高雅優が我が国民の美的感覚に訴うること、他のいかなる花も及ぶところではない。薔薇に対するヨーロッパ人の讃美を、我々は分かつことをえない。薔薇は桜の単純さを欠いている。さらにまた、薔薇が甘美伸の下に刺を隠せること、その命に執着すること強靭にして、時ならず散らんよりもむしろ枝上に朽つるを選び、あたかも死を嫌い恐るる如くであること、その華美なる色彩、濃厚なる香り気分全てこれらは桜と著しく異なる特質である。
 我が桜花はその美の下に刃をも毒をも潜めず、自然の召しのままに何時なりとも生を棄て、その色は華麗ならず、その香りは淡くて人を飽かしめない。およそ色彩形態の美しさは外観に限られる。それは存在の固定せる性質である。これに反して香り気持ちは浮く浮く動しく、生命の気息のごとく天にのぼる。この故人ゆえに全ての宗教上の儀式において、香りと没薬は重要なる役割をもつのである。香りには幽霊的なる或るものがある。太陽東より昇ってまず絶対の東嶼を照らし、桜の芳香朝の空気を匂わす時、いわばこの美しき日の気息そのものを吸いいるにまさる清澄爽快の感覚はない。
 世界に武士道を謳歌した新渡戸稲造の原著"BUSHIDOU"(丁未出版発行)の表紙の左下に、先の本居宣長の歌、
    「敷島の大和心を人間はば 朝日ににおうふ山桜花」
をかな文字にして、
    「しきしまのやまとこころを人とはば 朝日ににほふ山ざくらかな」
と印刷されている。新渡戸は、この歌からもののあわれさを感じ取り「花は桜木、人は武士」という武士道精神を極めたにちがいない。
 新渡戸は終りにこう記している。
 しからばかく美しく散りやすく、風のままに吹き去られ、一道堂の香り気分を放ちつつ永久に消え去るこの花、この花が大和魂の型であるのか。日本の魂はかくも脆く消えやすきものであるか と。

 
 参考文献 <いま 新渡戸稲造 武士道を読む 志村史夫著 三笠書房>
      <新渡戸稲造の原著 "BUSHIDOU"(丁未出版発行)
      <国家の品格 藤原正彦著 新潮新書>
      <室蘭民報 忙中閑>
      <北海道新聞 卓上四季> 

                          平成21年5月26日