愛称:みつ、みっつん、みっちゃん、みつくん、王子、駄犬

職業:表向きは印刷・デザインの会社で営業とプチ制作

生まれた日:1976年8月6日(獅子座)

血液型:0型(母親Aで親父Bの雑種O)

タバコ:Seven Stars、Peace(両切)

酒:スコッチウィスキー全般<スパークリングワイン(記憶なくす)

似ている芸能人:

使用PC:Pentium4 2.8Gの自作機もう5年ぐらい。

出没スポット:
仕事モード→皇居周辺、渋谷、新宿、上野、横須賀
プライベート→みなとみらい地区、杉田、横須賀

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この写真は若かれし頃のアー写である。今はもちろん真面目なサラリーマンスタイルである。
今の写真晒すほどの器を持ち合わせていないので我慢して頂きたい。


〜幼少期〜
あれは今から30年前のクソ暑い夏。(もちろんそんな事など覚えていない)
税理士事務所を辞め、蕎麦職人となった父親と、何不自由なく育ったお嬢様との間に生まれる。
幼い頃から親戚付き合いばかりで、正直友人は近所の子だけ。杉田幼稚園の友達と遊ぶよりも、
親と買い物に出かけたり遠出したりするのが好きな泣き虫の甘えん坊だった。
たまに近所の子と遊ぶと育ちが良かった世間知らずだった為決まっていじめられた。
この時期に逃げ足が早いというスキルを取得する。
また、この頃から「ピアノ」というどこぞのお坊ちゃまの真似事をさせられるようになる。
嫌々泣きながら座らされていた事しか記憶に無い。結局、ピアノとは18年の付き合いになる。

〜小学校〜
いきなり活動的なクソガキへと変貌する。キャプテン翼というサッカー漫画の影響で
スライディングタックルという技を修得し、あたりかまわず人をぶっ倒しまくる。
俺のボールへのあくなき執着心は女子にまで及び、怪我をさせて謝りに行った事もあった。
このこの頃から野球に目覚め、近所の軟式野球チーム「杉の子クラブ」に入部する。
監督はすんげえ怖いおじさま。罵声はもちろんをエラーをするとケツバットや特訓ノック。
その甲斐あって市内でも指折りの強豪チームであった。「7番センター、ミツ。背番号8」であった。
幼少期で培った「逃げ足」で、俺が塁に出ると盗塁で3塁が確定したものであった。
この逃げ足のおかげで、市の小学生大会で「杉田小学校代表」としてリレーの選手に選ばれる。
俺の前を走れる奴はいないと確信していた当時、100mを13秒台で走る小学生であった。
当時将来の夢は「大洋ホエールズ」への入団であった。そう、あれはポンセ全盛期。
この頃夢は他にもあり、
・「落語家」(柳家小さん師匠)
・「バスプロ」(ゲーリー山本)
・「小学校教師」(教師びんびん物語のトシちゃん)
・「刑事」(あぶない刑事)
要するに影響されやすい多感な少年だったわけである。

〜中学校〜
野球を本当はやりたかったハズであったが「厳しい部活だと自分の時間持てないでしょ」という
超打算的な考えによりモテそうなお洒落な感じの「軟式テニス部」へ。
この時期ツーブロックカット全盛期で、爽やかなテニス少年のハズ。
がしかし、キャプテンになってしまって心労に苦しむようになる。この頃「軟式ボール」にも関わらず
自分のスマッシュした1バウンドのボールがガラスを割るという伝説を残す。
また担任の影響で生まれて初めて「エレキギター」に触れ。ハマる。
さて、生まれて初めての「受験」である。俺は「市立金沢高校」というところに行きたかった。
が、本番の入試の点数如何によってはあぶないということで・・・。
当時、私立志向な親に某私立高校を薦められたが中高一貫色が強かったので却下。
同じ公立高校なら「立野高校」より学区外の「●浜」はどうだ?と薦められるが、
知らない土地に一人とかいって超ありえないと思って却下。
結局、中区の立野高校に入学する。

〜高校時代〜
この時の俺の目標は「バンド結成」「彼女をGET」であった。
バンドはすぐ結成できたもの・・・彼女がなかなか。。。
自分からコクってはその場で振られ、次の日何故かクラス中が俺の顔見ると笑い出す
というスパイラルに陥る。この頃から自分から告るという愚かな行為はしなくなった。

バンドマンとしての道を歩み始めた当時、ギタリストであった。
ところが肝心のボーカルが学校練習に来ない
仕方なく文化祭の為にボーカルをやるようになるが・・・
ここが自分の人生、道を踏み外した瞬間である。

〜浪人時代〜
現役の頃、担任の先生に某大学を推薦で勧められるが、どうしても行きたい大学があったので却下。
現役時代受験したのはその大学を2学部とR大学の3つ。いかにも現役で行く気なかったらしいこの配分。
そして浪人が決定し、代々木ゼミナールの試験を受けて「早慶上智特別選抜クラス」という、
いかにも名前だけは頭の良さ気なクラスに回される。
出席は98%を誇った。というのも出席がカードを機械に通すだけだったからだ。しかし朝カードを通しては
ライバルである受験生の歩く流れを逆流し、悪友達とパチスロに通う日々であった。
そしてA学院大学に去年の雪辱の季節。徹マンで培った集中力と、パチスロで培った分析力で、
あえなくK義塾大学、環境情報学科不合格。試験終了後、完全に受かったと確信していたA学院大学も不合格。
二浪か?二浪なのか?と思いきや、何気なく受けていたK学院大学から忘れていた頃合格通知が届く。

二浪しても勉強するとは思えなかったので入学することに・・・。

〜大学時代〜
ここはバンドマン時代と激しく被るので普通モードの自分を。
キャンパスライフを楽しむべく、サークル活動を始める。
一応キリスト教系の大学だったので平和でお洒落な待っているだろうと思いきや、
入ったサークルの飲みが激しい激しい金払って辛い思いしているサークルだった。
飲み会となると居酒屋さんの入り口で毎回、黒いポリ袋を渡される。「吐くときはこれに」という
指令である。その飲み会の激しさのあまり、いちいちトイレでゲロっていたら他のお客様に迷惑という
店側の配慮である。今まで酒は気持ちよく酔っ払える魔法の水だと思っていたのだが、
大学一年生の夜。庄屋追浜店で日本酒で吐いて以来、ちょっと弱くなる。
この頃は横浜〜横須賀間で遊びまくる日々が続く。が、ふとしたきっかけで北海道へ一人旅に出る。
地元の友達と音楽を中途半端にやっていた生活だったが、どうせならプロになりたいと真剣に思い、
学校も行かずバンド活動に専念し始める

友人に恵まれたおかげで無事四年間で卒業し、真面目に留年してしまった方々から「ずるいよお前」
という最高の賛辞を頂く。