『妖魔の騎士』(上)(下) ISBN4-15-020055-6, ISBN4-15-020056-4
『氷の城の乙女』(上)(下) ISBN4-15-020225-7, ISBN4-15-020226-5
フィリス・アイゼンシュタイン ハヤカワ文庫FT
Sorcerer's Son / The Crystal Palace; Phyllis Eisenstein


 ずいぶん昔に出版された本の続編が思い出されたように出てくることがたまにあります。色々な事情があるからかもしれませんが、著者がその作品に愛着があったけれども、なかなか続きを記す機会がなかったという理由があると思います。この『妖魔の騎士』とその続編『氷の城の乙女』も、そのような作品と思います。

 『妖魔の騎士』は1979年、『氷の城の乙女』は1988年に原書が発表されました。しかし、日本語版は、『妖魔の騎士』が1983年、『氷の城の乙女』が1997年でした。日本語訳の続編が出版されるまで、ずいぶん時間が空いてしまったようです。訳者の井辻朱美さんには愛着があったけれども、なかなか続編を出版する機会が得られなかったのではないかと想像しています。


 まずは、『妖魔の騎士』の紹介からです。炎の妖魔を下僕とする魔法使いレジークは、織り姫と呼ばれる魔法使いデリヴェヴに求婚しますが、けんもほろろに断られてしまいます。デリヴェヴが自分を憎んでいると勘違いしたレジークは一計を案じ、配下の妖魔ギルドラムを使い自分の子どもをはらませます。しかし、予想外の出来事として、妖魔ギルドラムはデリヴェヴを愛し、彼女が産んだ子供クレイを息子として慈しむようになったのです。

 物語は、自分の父親の足跡を追い求める旅に出たクレイの視点を中心にして進みます。そして、妖魔ギルドラムがデリヴェヴとクレイに持つ愛情と、レジークの奴隷としてのカセの間に思い悩む心情を加えています。さらに、愛した男と息子がいなくなった空虚さが漂うデリヴェヴや、人間らしい思いやりとは無縁のレジークの冷たさを絡めながら物語は進んでいきます。

 『妖魔の騎士』のいちばんの読みどころは、ギルドラムの心情描写にあります。ギルドラムは、魔法使いから老若男女に動物などの姿を与えられていますが、普段は14歳の愛らしい少女の姿をしています(これが可愛らしかったりします……)。

 若い騎士の姿をとってデリヴェヴの前に現れたギルドラムは、デリヴェヴを愛するようになります。しかし、レジークの拒絶不可能な命令で、彼女のもとを離れなければなりませんでした。それからクレイに対する父性愛に目覚めたギルドラムは、父を捜すクレイの旅をリスの姿で見守ったり、旅籠の亭主の姿で旅を助けたりします。

 それでも、レジークに隷属しているギルドラムは、クレイに自分の正体を明かせません。決してデリヴェヴの前で見せた騎士の姿、クレイが父だと信じている姿を見せてはならないのです。見せることができるのは、旅籠の亭主や少女の姿だけです。

 ギルドラムがレジークの命令とデリヴェヴ・クレイへの愛情の間に揺れる描写は、心揺さぶられるものがあります。そして、クレイの目を通して、そんなギルドラムの姿を描いてゆくくだりは、とても読みごたえがあります。


 いっぽう続編の『氷の城の乙女』は、その後のクレイの物語です。見る物の心が望んでいるものを映す鏡、〈心の望の鏡〉をクレイがのぞくと、そこに現れたのは6歳くらいの少女でした。そして歳月が流れるとともに、鏡のなかの少女の姿は成長し、気品のある麗しい乙女になりました。

 当然のごとく、彼女のことが気にかかったクレイは、彼女の正体を探ります。すると、彼女の名はアライザ、居場所は氷の妖魔の故郷、氷界に作られた氷の城だったのです。物語は、クレイとアライザを主軸として進んでいきます。

 アライザは、氷の城のなかで、氷を支配する魔法を修行しています。最初、魔法の修行以外に興味がないと、クレイを冷たくあしらっていたアライザも、何度かクレイと逢う間に、だんだんと他の人間(クレイ)や、身の回りの氷の世界以外にも目を向けるようになります。

 このように、クレイと出会うことでゆっくりと変わっていくアライザを中心に据えて、なぜアライザは氷の城にいるのかと言った疑問を残しながら物語は進んでいきます。結末は、やっぱり……という感じです。


 この2編ともテーマは、自分自身を見つけだすと言うことでしょう。

 『妖魔の騎士』では、父の足跡をたどる旅を通じて自分自身のアイデンティティを捜すクレイや、奴隷の身から逃れて心の望を達したいと思うギルドラムが自分自身を見つけだそうとしています。『氷の城の乙女』では、他の人間と接触を断っていたアライザもそうですし、〈心の望の鏡〉を見るまで自分の望を知らなかったクレイもそうです。

 クレイは、父親を捜す旅のなかで、父と出会っても、それと気が付きませんでした。また、〈心の望の鏡〉をのぞいても、そこに映るものから何を望んでいるのかを読みとることができませんでした。結局、自分自身は常に身近なもので、それを見失っても、見つけられるのは自分の近くからだけで、ほんとうは見失ったのではなくて気が付かないだけと言うことでしょう。

夜明けのファンタジー