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時尼に関する覚書の覚書


  自発的に本を読むようになったのは中学生の頃なので、
  今の年齢から引き算すると、読書歴は20年弱ということになる。

  これまで、これから、どのくらい本を読むかについては、
  どうでも良いことと考えるようになって久しい。

  最初の頃はそれを記録していたことを、
  上の数行を書いていて思い出したが、
  これも、どうでも良いことである。

  数はともかく、
  それらにはそれぞれの、印象の強弱があり、
  不思議と、何年経っても忘れない作品がある。

  こちらの数は、圧倒的に少ない。

     ミ☆

  梶尾真治の短編「時尼に関する覚書」。

  初出はSFマガジン。
  1990年10月号とのこと。

  出会ったのは中高生の頃に違いないのだが、
  その他の諸々に埋もれてしまったようで、
  どこで読んだのか、という情報は失っていた。

  けれど、今は、それは、分かる。

  高校、恐らく3年の時に、
  地元の図書館で借りて、読んだ。

  貸出記録があれば、
  その時をもっと細かく特定できるだろうが、
  それこそ、どうでも良いことだ。

     ミ★

  たまに、この時尼のことを思い出していた。

  時尼。じにい。
  遡時人。そときびと。

  不思議な、切ない話。

     ミ☆

  たまに、思い出して、何度も、
  もう一度読みたいと、思っていた。

  手掛かりがなかった。

  が。

  インターネット。

  便利な世の中になったものだ。

  が。

  見つからない。

  なぜか、ヒットしない。

  なぜならば。

  あろうことか。

  時尼、を、慈尼、と、勘違いしていたからだ。

  引っかかる訳がない。

  まぁ、なぜ「慈」という漢字とすり替わったかといえば、
  恐らく、物語冒頭の時尼のイメージによるものだろう。

     ミ★

  簡単だった。

  平仮名で「じにい」と入力したら、
  あっさりとそれらしい情報に行き当たった。

  ちょっと悔しいコロンブスの卵。

  気が付くまで、結構あった。

     ミ☆

  収録された文庫本を探しに、書店を巡った。
  なぜか在庫がなくて、随分歩き回った。

  これが数ヶ月前。

  つい先日、著者の短編傑作選とやらを買った。

  ろくに中身も見ずに買ったので、
  数日寝かせた後に目次を見て、むむ、と、唸った。

  こちらにも収録されてやがる。

  とはいえなぜか、嬉しかった。

  時尼。

  この名前は、忘れないだろう。


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