リサイクル その1
このサイトを公開してからはや4年。
没テキストのディレクトリを眺めると、
ファイルが、うーむ、200個以上。
みな、何かを感じたり考えたりの結果である。たぶん。
放置するのもアレだし、捨てるのもアレなので、
直したり、短くしたり、並べてみようか、と。
ミ☆
夜、照明を落として眠りに落ちる前に。
なんとなしに部屋を眺めると、星。
薄い黄色が幾つか、赤いのが一つ。
発光ダイオード、である。
テレビ、モデム、ルータ、アンプ、‥‥。
待機電力、で、あるな。
要は時計と幾つかの設定を保存してるのだろうから、
それ用のサーバを用意して、
起動時にそれらをダウンロードすればよい、のか。
間違ってもマイク○ソフトなんぞには声をかけず、
そう、もちろんTRONを使えば良い。
でも、有線は邪魔くさいから、やっぱ無線。
そーゆー規格は既に存在するだろうが、
電磁波の影響を考えると、躊躇せざるを得ない。
うーむ。
ミ★
今の会社に入る前の、
半年ほど住所固定無職の時期。
北海道に乗り込む前のリハビリとして、
まずは富士山付近で2泊3日。
次に、フェリーに乗って四国へ上陸、
南の方、徳島から高知を駆け抜け、
電車で愛媛へ飛び、
フェリーで本州、柳井港へ。
山口市のあたりから北上し、
萩を経由、海岸沿いを島根の方へ。
確か、10日くらいだった。
山口は知り合いが多いとして、
なぜ四国へ行ったかというと。
行ったことがなかった。
それと、
「竜馬がゆく」、「夏草の賦」
であろうな。
と、回りくどく書いてあった。
まぁ、さらには、
「世に棲む日日」
だろう。
松下村塾も見物してきた。
ミ☆
その気になればいつでも。
などと思っていると、
いつの間にか出来なくなっている。
何かの拍子にそれに気付くか、
或いは気付かざるを得ないことになったか、
原因や結果はともあれ、それは、
幸運とも、不運とも言える。
逆に、気付かぬまま安穏としているのも、
同様に、幸運とも不運ともとれる。
塞翁が馬。
死んでみないと分からない。
ミ★
いったいこれまで何冊の本を買ったのだろう。
そしてこれから、何冊の本を買っていくのだろう。
最初に買った本は覚えていないが、
最初に買って貰った本は覚えている。
「織田信長」
母の実家の近所の本屋で、
父にねだったことを覚えている。
小学2か3年の頃だろう。
最後に買う本はなんだろう。
死ぬ時、読みかけの本があったら?
ミ☆
ウルフウッドの叫びが脳ミソから離れなかった。
キーを叩きながら色々考えたらしいが、
収束の気配はなく、風呂敷は広げられたまま、
いつの間にやらHDDの隅でぽつねん、と。
記録によると、どうも、
その翌日、会社を休んだようだ。
知恵熱、か?
ミ★
小学校へ入学、そして宿題。
日記を書いてこい、と。
日記ってなに?
先生曰く、
その日に起きた出来事を書いてごらん、と。
子供心に思ったのは、
じゃぁ、次の日に書くんだな、と。
翌日、宿題忘れで怒られる。
だって、その日がまだ進行中なのに、
その日に何があったかなんて、
そんなの、書けるわけないじゃない?
辻褄があわないよー。
小学1年生にこんなセリフを吐ける脳ミソがある訳はなく、
こんなことを思ったのだが、結局のところ、下らない、
おざなりな日記(と呼んでよいのやら)を書き連ねていた。
今日はいろいろあった。
楽しかった。
今日もいろいろあった。
楽しかった。
ミ☆
小学3年生の会話。
水田に挟まれた通学路。
田植えの時期、
澄んだ水が流れる、通学路脇の小川。
なにげに触れた手に、
透き通るような冷たさが伝わってくる。
飲んだら気持ちいいだろうなぁ。
ばーか、飲んだら死んじまうだろ。
なんでだよ、水なんだから飲めるだろ。
まわり見ろよ、たんぼで農薬使ってんだぜ。
関係ねーだろ、飲めるものは飲めるんだ。
死んじまうっつってんだよ、飲めねーよ。
飲んだら死ぬかもしれないけど、飲めるだろ。
ここで「ばーか」に戻る。
堂々巡り。5回くらいループしたか。
ミ★
紅茶をいれると、玄関のチャイムが鳴る。
小声の会話が聞こえる。
不審である。
抜き足差し足で玄関へ。
3〜4人の若い男女。
お留守みたいですね。
次、行こっか。
郵便受けに、ストン。
某宗教団体の冊子。
比較的有名なところ。
紅茶をすすりながら眺めて、色々楽しむ。
その色々が書き連ねてあるのだが、
敵は増やしたくないので、割愛。
ミ☆
最初に入った会社の面接の時、
つまり学生の頃だが、
履歴書の趣味欄に「献血」と書いた。
なにこれ?
ってんで、大いに盛り上がった。
履歴書にネタを仕込むのは、アリだろう、と。
そういや久しく献血をしていない。
ミ★
ドナーカード。
臓器提供意思表示カード。
カードそのものと、
その説明のリーフレット。
非常に分かりづらく、
あまりにも素人臭い文面に、
大いに腹を立てた。
もう3年以上前のことである。
改善されたのだろうか。
ミ☆
117といえば時刻案内であり、
1995年の震災であり、
甥の誕生日である。
いわずもがな震災は1月17日だが、
甥のそれは11月7日である。
後者は、どーでも良い。
その時私は部室にいた。
徹夜で自転車をいじっていた。
部屋に帰り、新聞も、ラジオも、
テレビもすり抜けて、布団に潜り込んだ。
その報に触れたのは、
地震発生から、実に2日近く経ってからだった。