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歯医者


  7月上旬のある昼休み、歯磨き中に鋭い痛み。

  洗面台で、小さな、乾いた音。
  見慣れているようで見慣れていない物体。

  あ、と思って、舌を動かす。
  再びあの痛み。

  詰め物が、取れてしまった。

     ミ☆

  一瞬、このまま早退して、
  いきつけの歯医者に駆け込もうかと考えた。

  が、やめた。

  山積みの仕事、午後3時からのうちあわせ。
  サボったらサボったで、後が怖い。リスクが高すぎる。

  同じビルの1階に歯医者がある。
  昼休みは、残り40分。

  ため息をひとつ。

  ネームプレートを外し、
  財布を引っ張り出し、
  同僚に伝言を残して階段を下りた。

     ミ★

  7月中旬のある午後遅く。

  眠気覚ましのガムを口に放り込むと、
  いやに固いものを噛みしめそうになった。

  舌でぐりぐり、それを探り出すと、
  やはり、歯の詰め物であった。

  定時間際であった。

  1階の歯医者は閉まっている。
  幸い、あの鋭い痛みは、弱い。
  冷水を避ければなんとか保ちそうだ。

  しかめっ面のまま2時間ほど残業して、
  いつもより早めに会社から逃げる。

  幸い、金曜だった。

     ミ☆

  できれば朝イチで出かけたかったのだが、
  その日はたまたま配達待ちで、
  時間帯指定は9〜14時、とにかく、待たねばならない。

  と、11時頃、配送業者から電話。
  配達時間の通知なのだが、
  聞き慣れないアパート名を口にしたので、
  思わず宛先の確認をお願いする。

  10分ほどして再び電話。
  近所にはいるらしい。
  住処の説明をする。

  電話を切った後、
  誤った情報を伝えてしまったことに気付く。

  嘘を付いてしまったとも言う。
  もちろん、意図的にではないけれど。

  部屋の中をうろうろする。
  悩ましい。

  と、呼び出しベルの音。

  必要最低限の会話でおしまい。
  少し大きめの声で、ごくろうさまでーす。

     ミ★

  歯医者へ。

  1年も行かないと、メンツもそれなりに変わるらしい。
  看護婦‥‥ではないのだな、確か。歯科助手だっけかな。

  違ったらその時はその時として、
  ここはとりあえず歯科助手ってことで。

  さて、応対してくれたその歯科助手。
  簡単にいってしまえば、元気が取り柄、てな感じで、
  言い方を変えれば、落ち着きが足りない、とか。

  例の詰め物が取れた所の他に、
  もう1カ所、気になるところがあった。

  患部を説明するのに少々手間取った。

  とまれ、若い娘さんのどアップは、
  やはり緊張するものだね。

     ミ☆

  写真を撮りますので〜、と、何度か入ったことのある部屋へ。
  今月2度目のレントゲンである。

  因みにレントゲンとは、人名、もしくは照射線量の単位。
  レントゲン線での撮影、てなあたりが正しい。
  X線とも言う。

  先に入ったその歯科助手、部屋の奥へ進み、軽くかがみ、
  鉛入り(たぶん)のエプロンに手を伸ばす。

  と、そのまま微妙に後ずさり、くるっと振り向き、ごつん☆

  時間の流れが止まる。

     ミ★

  う゛〜〜、てな表情をしていると思われるが、
  彼女、うつむいたままなので、分からない。

  両手には、それなりの重量のエプロン。
  カメラの操作パネルにぶつけたのは、腰。
  腰を曲げたまま、固まっている。

  5秒ほど経ったろうか。

  姿勢はそのままで、しかし声色は変わらず、
  そこに腰掛けてください、と。

  感心しながら椅子に座る。

  歯科助手、やはりかがんだまま、
  ちょこまかと動いて、作業を続ける。偉い。

  エプロンの装着が済むと、
  く〜〜、てな感じで、腰をぽんぽん、と。

  大丈夫ですか?

  思わず、声をかけてしまった。


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