雑記 20010725
コンピュータの世界は、必ず割り切れる、はずだ。
はずだ、なんて付けるのは、
要は中身が複雑になりすぎて尋常の人間には状態が把握しきれず、
極端にはしょって「今日は機嫌が悪いらしい」とかなんとか、
そーゆー言葉でしか表現し得ない、敢えて名を秘す某OSとかなんとか、
まぁ、そーゆーことで、閑話休題。
それなりにプログラマの経験があれば、いや、関係ないかもしれないが、
YESかNOかで答えられる質問を発することに慣れてくる。
プログラムの中では全て「どっち?」だからだ。
複数の答えを用意する「どれ?」は「どっち?」の積み重ねである。
「これ」と「これ以外」の繰り返しと言えば分かりやすいと思う。
なんてことを考えたのは、
そーゆー質問にまわりくどい答えを返されたからである。
たとえば「○○○さんは変か?」との問いに対して、
●●に住む人間の変人さ加減はそのほぼ中央を走るJR△△線を境界として
その南北で微妙にそのベクトルが異なるのですが、
○○○さんは北側の人なので、もう手遅れかな?、駄目かな?、
てな具合のぶっっっ壊れ具合です、ええ、もう、大変です。
なんて答えが返ってくるようなもので。
ハイ、で済むんだけどね。
説明が必要、またはウンチクをたれたいのなら、
最初にハイかイイエと答えてからにするのが正しかろう。
例文に深い意味はないが、
南の方にも変なのが沢山いるのは間違いない。
いやまて、「変」とゆーのはよろしくないな。
ユニーク、いや、個性的、か。
ふむ、便利な表現だね、うむ。
ミ☆
地下鉄の出口は狭い。
池袋や新宿などの大きな駅ならともかく、
大人2人分程度の幅とゆーのが基本らしい。
会社近くの駅の、その日の気分で使い分ける出口は2つ。
片方はずーっと2人分、もう片方は3人分が途中から2人分となる。
朝、電車が停まり大群が押し寄せると、出口は実質、片側通行となる。
後者の出口などは余りにも判りやすいボトルネックの例で、
油断をすると階段の途中で立ち往生となる。
また、歩く速度や、出口付近で道を塞ぐようにビラを配る阿呆など、
諸々を原因として容易に渋滞が発生し得る。
過ごしやすい季節なら良いが、
暑苦しい時期や雨の降っている時などは、
むしろ少し間を空けてから改札へ向かうのが利口であろう。
特に雨の場合、階段途中のおしくら饅頭寸前の状態では、
間違っても傘を開くことなどはできない。
運が悪いと複数の人間にクリティカルヒットを炸裂させてしまう。
ま、それはそれとして6月末のある朝のことである。
階段を2/3ほど上ったところで足踏み状態に陥ってしまった。
汗の臭いと熱気に耐えつつ微かにのぞく空を睨んでいると、
右隣の前の男、年の頃は30前後ってところか、
その大バカ野郎、タバコに火ぃ付けやがった。
周囲に広がるケムリ、無論、有害物質である。
直後に動き出す人の群れ。
ゴール付近でのツカエが解消されたらしい。
やけにスムースに流れ出した。
息を止めたまま、
どーにかしてそいつの足でも蹴っ飛ばしてやろうと、
前のおっさんを微妙に押しつつそいつに近寄る。
が、空振った。
む〜。
ミ★
椅子の上にあぐらをかくとゆーのは別に珍しくはない。
私自身もたまにやっている。
が、椅子の上で、いわゆる体育座りはどーかと思う、会社で、さ。
ま、人それぞれとゆー便利な言葉もあるけど。
ミ☆
いま、30に手が届きそうな年齢だからこそ、
自分自身は棚の上に乗って、好きなことが言えるのだろう。
例えば、ここ数年の若年層の凶悪な犯罪。
その頃の自分を思い出してみるに、
自分自身がそーゆーことを起こす可能性がゼロだったろうか。
手段と機会さえ与えられていれば、もしかしたら、とも思う。
目的は、あったのだ。
心の底から、かどうかは怪しいところだが、とにかく、
その年齢なりの殺意を抱えて暮らしていた時期が確かにあった。
幸か不幸か、いや、幸いなのは間違いない。
手段はともかく、機会が現れることはなかった。
いや、機会などは求めれば得られるものだろう。
逆にいえば、求めなければ得られないのだろうから、
つまるところ、その程度の殺意だったのだろう。
仮にこれらの全てが満たされたとしても、
一線を超えられるかは怪しいところだし、
過去に if を投げかけるのも詮無いことだ。