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思い出深い……というと聞こえは良いが。
ジョージアのエメラルドマウンテンブレンド。
徹夜の味がする。
東京は四谷某所の地下2階、
いや、自販機は地下3階にあった。
何者かに操られれたかのようにフラッと階段室の扉を開き、
音もなく力もなくぐったりと、合計で18段の階段を降りる。
胸ポケから時計を引っ張り出すと、
ああ、もうラジオ体操の時間じゃないか。
作業場は飲食禁止なので、その場で、壁にもたれ、
照明の落とされた廊下をぼんやりと眺めつつ、
ぐびぐびぐびと喉に流し込んだのが、このコーヒーなのであった。
ミ☆
遊佐未森のベストアルバム「 桃と耳 」。
これもまた因縁がある。
福島県は郡山市、
JR郡山駅前の中古CD屋で見つけて買った。
大学は郡山だったのだが、これは社会人になってからであり、
あまり関係はないが、相模原に住んでいた時のことである。
サークルのOB会の通知が来た。
宴会は夕方からなので、土日の1泊2日となる。
仕事は激烈に忙しかったが、
現実逃避気味に出席することにした。
1時間ほど空いたので、ホテルの近所をぶらぶらしていた。
で、見覚えのないCD屋を見付けた結果が先の1枚である。
郡山でのひとときは何事もなく過ぎていったが、
舞い戻った、舞い戻らざるを得なかった現実は、
呪いあれ、悪化しかしなかった。
ミ★
現在の自分は正常であるか?
興味深い命題である。
まずは二派に別れるだろう。
飽くまで現在が基準であるのか、
ある基準となる状態を定義しておくのか。
どーでも良いことではある。
後者の定義なぞ、どれほどの意味があるのだろうか。
人間とはそれほど安定した存在ではない。
似たようなものに人間ドックというものがある。
ある状態を健康であると定義して、
それに少しでも外れれば病気として診断されてしまう。
そーゆー意味でなら、
病気の1つや2つは抱えていても不思議ではないとも思えるし、
健康とされる人間がいささか無気味な存在にも見えてくる。
むしろ、多様性を失うと言う意味で、
種としては不味いのではなかろうか?
ミ☆
私の場合、とりあえず後者を採用していて、
2つの基準らしきものがある。
即ち、電車の中での行動と食べ物の好みの傾向であり、
これらで疲労やストレスの溜まり具合を計っている。
前者。
1. 本を読む
2. 何か考える
3. 音楽を聴く
4. 何もしなくなる
これは座れない場合である。
座った時は読書の他、眠っていることも多いが、
こちらのデータはない。
まぁ、悪化すると終点の駅周辺にやけに詳しくなる、とか。
調子が良いときには降りる駅の直前で目が覚める。
人間てのは案外器用な生き物なのだ。
食べ物の場合。
1. 普通に食べる
2. 炭酸飲料が飲みたくなる
3. カレーが食べたくなる
4. 食欲が消えうせる
要は胃袋を刺激する度合である。
カレーとは書いたが、辛ければなんでも良いのだろう。
社員食堂ではお馴染みのメニューゆえ回数が増え易い。
これに神経性のものが加わり、
とにかく、胃袋には苦労をかける。
幸いにも穴を開けた経験は無いが、
もちろん、ストレスが生じていない訳ではない。
それとの付き合い方も心得ているつもりだし、
泥沼的悪循環に陥る前に必要な手は打つ、打った。
ミ★
文庫本がカバンの中で眠り、
ディスクマンの充電が日課になっていたある日。
都営新宿線の新宿三丁目駅付近。
メトロプロムナードと呼ばれる地下通路の片隅で、
遊佐未森のCDを回しながら、
30分くらいだろうか、ぼ〜〜っとしていた。
終電という言葉が脳裏をかすめなかったら、
たぶん1時間でも2時間でもそうしていたかもしれない。
やっぱ、辞めよう。
結論が出てしまうと早い。
立案は5分で終わった。
所要時間1年ちょいという気の長い作戦ではあったが、
幸いにも無事に完了し、数年を経て現在に至っている。
CDを見ると思い出す。
今なら懐かしいと言える。