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根室駅前 → 別海


  ■ 7月9日(木)

  旅人の朝は早い。

  もっとも、
  前日に酒盛りが行われていないという条件付きではあるが。

  昨晩の強風と豪雨、一言で片付けるなら嵐、は、
  やはり日頃の行いであろうか、
  夜が明ける前に海の向こうへ過ぎ去ってくれたようだ。

  前日から世話になっているライダーハウスは、
  経営側の都合でこれ以上の連泊は不可とのこと。
  天気の回復に、僅かではあるが運というものを感じた。

  ガタついた窓の外には、未だ夜の名残が匂う。

  路面はウェット。
  時計の針は、5時。
  西方の空が暗いのは、時間帯のみによるものではない。

  荷物を片づけ、駐輪場へ。

  気温は、さすがに低い。
  レーサージャージの上にTシャツを重ねると、
  なんとか我慢できるくらいになった。

  ライダーハウスの人に挨拶をしたかったのだが、
  いくらなんでも早すぎる。
  郵便受けにメモを突っ込んで立ち去る。

     ミ★

  一昨日、ヘロヘロになりながら走った道を、
  今度はのんびりと逆に辿る。

  漁協の直営店とやらに寄ってみるが、定休日とのこと。
  開店時間までには随分間があったので、
  ある意味では都合が良かった。

  やたら交通量の多い国道44号線を西へ。
  1mほど先を走る影は、薄い。

  なにげに左に視線を寄せると、
  道端、距離にして5m程のところ、
  名前を知らない木々の向こう側に、鹿。
  エゾシカであろう。

  路肩の狭い場所だったので、安全を確認してから停車。
  30秒程息を殺して見つめ合う。

  ふと思い出してフロントバッグからカメラを引っ張り出し、
  素早くシャッターを切る。

  人に慣れているのか、じわじわと近づいてくる。
  2枚目、とレンズを向けると、液晶モニタがブラックアウト。
  電池が切れた。

     ミ☆

  厚床 ( あっとこ ) に到着。
  6年来た時に2時間ほど暇を潰したことを思い出した。
  現実と記憶の中でだぶる風景が小気味良い。

  駅前というには、飽くまで南関東人の感覚だが、余りにも寂しい。
  駅から少し離れた店で食料と情報を集める。

  駅へ戻り ―― 町に着いたらとりあえず駅へ行くのだ、
  朝だか昼だか分明でない食事をとる。

  ベンチに陣取って地図を睨みつける。
  10進、24進、60進、
  様々な数字が未だ寝ぼけ気味の脳細胞を刺激する。

  それにしても、静かだ。
  風が運んでくる静寂がひどく心地よい。

  目を閉じると、瞼を抜けてくる微かな光が、
  逆に空間との一体感を促すような、
  闇の中に浮かぶのとはまた違った浮遊感へと誘ってくれる。

  時が止まった様なというのは、
  こういう状態なのだろうな……。

  その、どこかよそよそしい独り言を聞き流しつつ、
  人間というものは、
  もしかしたら音で時間を感じるのだろうか、などと考える。

  と、車が1台。
  見ればなんと、山口ナンバーである。

  老夫婦。
  サングラス越しにちらと眺めると、
  顔の造りは確かに長州人風である。

  首からぶら下げたカメラを見るまでもなく、
  まず間違いなく観光目的であろう。
  視線の漂わせ方が明らかに地元の人間のそれではない。

  岩国からとのこと。

  山口なら1ヶ月位前に行ったばかりだったので、
  それとなく話を振ってみたのだが、意外にも無反応。

  観光用の看板の前で渡されたカメラのシャッターを切り、
  さらっと別れる。

     ミ★

  国道243号線を北へ向かう。
  目指すは北海道最後の秘境、演歌でお馴染みの知床岬である。

  右側の、ガスに被われた風蓮湖の姿を想像しつつ、
  それこそ道以外に何もない風景に思考の翼を開放する。

  それにしても、これはいつも思うことなのだが、
  人生を道にたとえるのは、余りにも見事な比喩ではないだろうか。

  半ば反射的に、家康が言ったと伝えられている言葉を思い出す。
  人生とは重き荷を背負って坂道を上るが如し。
  実際の文面は覚えていないが、意味が伝われば十分だ。

  日本古来の諸芸に道の字が付くことも、
  ごく自然に脳ミソに浮かんで来る。
  スポーツなどという中途半端なものとは一線を画する、
  歳を経た言霊に宿る重み、その奥に秘められた烈気。

  遠く原生林の彼方に風蓮湖を見出した頃、
  2日振りの太陽に再会した。

     ミ☆

  しかしそれは、30分にも満たない時間で終局を迎える。

  根室海峡の水平線は霧に隠れ、
  国道244号線、通称野付 ( のつけ ) 国道を覆う雲は、
  陰気を絵に描いたような暗さと低さで地上を重々しく威圧する。

  更に気の滅入ることには、
  風蓮湖を過ぎてからの約20km、
  結果として人間を1人も見かけなかった。

  人家は片手で数えられるほどであり、
  無論、商店の類いなどは皆無であった。

  自動車の視点では、たかが20kmであろう。

  しかし、ただでさえ気力の萎えかねない景色を眺めつつ、
  更には意地の悪い向かい風に抗いながら黙々とペダルを回し続けていると、
  試練などという安直で短絡的な単語が脳ミソに湧いて来る。

  退屈に耐えられるようにと、
  脳ミソが勝手に処理速度を落としてるのだろうか。

  メータの数字と地図の距離表示を照らし合わせてみると、
  数キロ先に「 野付温泉 」の文字。
  他にも小学校のマーク、それにGSが2軒。

  これらから推測するに、
  それなりの数の人間が定住している可能性が高い。

  ありがたいことに、
  そこから1km程の地点にキャンプ場のマークを発見。

  あと2時間もすれば辺りは暗くなる。
  選択の余地はなかった。

つづく     


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