ソード・オブ・ソダン (C)ELECTRONIC ARTS                                   戻る               進む              

     かつて、わたしはりぐ氏に“この世に古来より伝わる、南蛮渡来の呪われし血のゲームがある。”と、 吐息混じりに、そして鼻歌混じりに何とも小気味よく、コケティッシュに耳元でそっと囁かれたことがある。 今でこそ、キャラクターを斬ると鮮血が飛び散るゲームは夏休みの宿題の如く当然のものとなっているが、 当時の日本において鮮血を垣間見ることのできるゲームといえば、上流階級のみが味わえる高級嗜好品として我々のような貧民には 決して手の届くものではなかった。それが家庭のお茶の間でお茶漬けをすするが如く簡単に体験できるとなれば、 ただでさえ荒々しい鼻息が、さらにその勢いを増すというものである。 パッケージ裏面の「ジャンル:オーバーマッチョアクション」、「プレイ人数:若干名」の表記が敷居の高さを物語ってはいたが、 かのゴールデンアックスの営みを国民の義務として推奨していた我々にとって、その程度の稚拙な脅かしでは慢性的な失禁を誘うのがやっとであった。
 
GENESIS版ソード オブ ソダン
すくるど氏がプレイしたのはコイツだ。
 
 



裏パッケージ上部
このソフトの”ウリ”が一目瞭然。
すくるど氏にはこのパッケージの裏面に「プレイ人数:若干名」とか、
「オーバーマッチョアクション」といったベタな日本語英語の表記とかが
目に入ったようですが
少なくとも僕にはそのような表記は確認できませんでした。
僕の視力が極力まいっているか、
彼の脳味噌がまいっているのかどちらかですね。
     ところが、南蛮渡来の品ということもあってか、人一倍以上に大和文化を大切にしている我々にとって、 牛やら豚やら鶏やらの死肉を喰らう異国の鬼が記した取説絵巻の内容など完璧に理解できるはずもなく、 そこに掲載されているセクシーガールの悩殺ポーズやマッチョマンの胸板のテカリ具合と脂汗の分泌量を参考に、 彼らバテレンのいわんとしていることを汲み取る苦悩の日々が何日間も続いた。当然そんな調子であるから、 このゲーム最大にして最高の見所でもある薬の調合においても何をどうしていいのかわからず、 いくら「Dr.マリオ」と幼き日々のお医者さんごっこで高度な医薬の知識を学んだ博識のある我々といえどもその作業は困難を極め、 “愛と平和”をテーマに何も考えず調合した薬で、何の罪もないキャラたちの華やかしい冥界デビューを次々と請け負ったのであった。 その確率の数値の高さは目を見張るもので、某有名私立高校の現役東大合格率などコンビニの松茸弁当における国産松茸含有率ついて 議論するのと同じくらい虚しく思えてしまうほどで、そのことがTIME誌の巻頭特集として取り上げられた際には、 請負依頼の問い合わせ電話が殺到したのを今でも昨日のことのように鮮明に覚えている。  
     そうした行為に対する神罰であろうか。それまで楽しいハイキング気分で、 たこ足ウィンナーを出し惜しみすることなく両手に高々と掲げ、おにぎりを口いっぱいに頬張りながらプレイしていたのだが、 ある場面以降先に進むことを禁じられてしまったのである。巨大な昆虫らしき生物がぬりかべの如く立ちはだかり、 その後方から小さな羽虫が次から次へと溢れ出て、倒しても倒してもこちらの攻撃をあざ笑うかのように次から次へと大量発生する場面なのだが、 その先に大規模な生産工業でもあるのではないかと疑わずにはいられないほどであった。 やはり、たこ足ウィンナーを掲げた際の高度が充分ではなかったかと悔やみつつも、残念ながら我々調査隊はそのあまりに過酷な自然界の状況を前に、 その後の調査の打ち切りを余儀なくされてしまったのである。 そのとき我々を案内してくれたネイティブソダニアンたちは、口々に“クラムボンが笑ったよ”だの、“板垣死すとも自由は死なず”だのと 目を見開いては叫び、叫んでは目を見開いて、驚愕の声をあげてその様を恐れおののいていた。 彼らの発した言葉の内容からも、その状況が尋常ではないことが嫌でも伺い知れた。もしかしたら我々は、 母親が着替えをしている最中の部屋の扉と同じように、決して開いてはいけない禁断の封印を解いてしまったのかもしれない。
 
メガドライブ版ソードオブソダン
力強く跳躍するボルダン。
そして美しく舞うシャルダン‥。
これこそ20世紀のルネッサンス!
Viva La Renaissance!!!
そしてSEGAこそが20世紀のメディチ家だ!
まったく困ったものです。
 
 
ソードオブソダンのタイトル画面
ゆらゆらとボルダンとシャルダンの燐とした顔が現れる。
四谷怪談をも彷彿させるイキな演出だ。


誰もが驚愕した突き抜けるような青空と美しい鳥のさえずり。
残念ながらゲーム史上最も爽やかな場面と認めざるを得ない。
なんか、人、死んでますけど。
     このように、この南蛮渡来のソフトは我々倭人にはとても手に負える代物ではなかったが、 不思議なことにそっと目を閉じてテレビのスピーカーから聞こえてくる音に耳を澄ませば、こころ優しい小鳥のさえずり、 瑞々しい小川のせせらぎ、遠く聞こえる幼子たちの楽しい笑い声など、先程までプレイヤーを苦しめていた恐怖や死とは 無関係の世界がほのかと広がってくるのだ。シルクのバスローブに身をまとい、 高級ワインとチーズの風味を愉しみながらその鮮血を心ゆくまで鑑賞するソフトかと思っていた自分の浅はかさが恥ずかしかった。 ソダンはそんな俗なソフトではなく、本当の自然や人の優しさや温もりというのは、見た目で判断するのではなく、 目を閉じた時にそっと聞こえてくる音を感じることで、初めてわかるものだということをわたしたちに教えるための優しい贈り物だったのだ。 普段は強がって尖っているくせに、本当はとても優しい心の男の子。ソードオブソダン、彼はそんなナイスな奴なのである。 (すくるど)

 
りぐ氏の独り言
   今回、紹介したソード・オブ・ソダンは‥どちらかというとジェネシス版です。
このジェネシス版がいつ発売されたのか覚えてもいないし特別知りたくも無いのですが
その後メガドライブに移植されるという衝撃のニュースを聞いて、「デカダンスが花開く‥。デカダンスが花開く‥。」と
1日中念仏のようにぶつぶつ呟いていたあの頃の自分がまるで昨日の事のように思い出されます。
で。ジェネシス版の出来は すくるど氏が↑で書いていたような感じで、だいたいのニュアンスは間違い無いのですが
移植された日本版の方は‥というと‥。
ジェネシス版はELECTRONIC ARTS発売なのですが、なぜか日本版はELECTRONIC ARTSからでは無くSEGAから発売されました。
「移植」といえば、SEGAのお家芸。
見事なまでの完全移植ぶりで日本に放たれました。
やっぱ。すげ〜な。SEGAは。マジで。
そうそれと、最後に関係の無い話ですが、僕ちゃんは後藤理沙も好きなのよん。


ジェネシス版のマニュアルより〜メイン開発者。その素顔。
フランスはパリ生まれの彼こそが「戦犯」であり、「英雄」であり、「神」なのだ。
 

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