言の葉あれこれ    (ここに書いてあることについて、知識をお持ちでしたら、メールでお知らせください)

●「運転見合わせ」
 6月22日(金)のことだったと思うが、JR東北本線の架線が切れ、列車の運行が、数時間、止まったことがあった。
 それを知らせるニュースで、「東北本線は現在、運転を見合わせています」と伝えていたテレビ局があった。
 この「見合わせる」という表現、最近、列車の運行状況などを報じる際によく目にする(耳にする)。「事故のため運転見合わせ」、「車両故障のため運転見合わせ」等々……。
 でも、どうも気になる。
「見合わせる」という言葉には、なんとか出来るかもしれないが、大事をとってやめておく……というようなニュアンスがあるのではないだろうか。
 広辞苑にも、『(4)実行することを控えてしばらく様子を見る。』とある。
 決行するかどうか、判断の主体はこちら側にありながら、やめておくという感じである。
 しかしながら、今回は架線切断という事故。いくら列車を動かしたくても動かせない。こちらの判断に関係なく運転不可能な状況なのである。「見合わせ」よりも、「不通になっている」というほうが適切ではないだろうか。
「不通」というと、台風などで線路が流されたりして通れなくなってしまっているというような、大がかりな停止状態を連想させる可能性があるから、そういう誤解を避けて、軽微な停止状態を伝えようと「見合わせる」を使っているのかもしれない。
 でも、そうなると、逆に、責任を回避するというか、「通そうと思えば通せるのですが、お客様の安全を考えて、とりあえず、ストップさせて様子を見ています」風のニュアンスが強くなるような気がしてしまう。
 この架線事故、NHKのニュースを見たら、「東北本線不通、湘南新宿ライン運転見合わせ」と報じていた。
 こう言ってもらえれば、しっくりする。
 架線が切れて動かないのは東北本線。その隣を走る湘南新宿ラインは安全確保のために停めた。そのあたりが、ちゃんと伝わってくるように思えるのだ。



●「おはよう」、「こんにちは」、「こんばんは」

 子どものころから疑問に思っていることがある。
「おはよう」、「こんにちは」、「こんばんは」は、それぞれ、いったい何時頃から何時頃までの間に使う言葉なのだろうか……という問題である。
 僕は、午前10時半ごろに、マンションから出ていくことが多い。その時、たいがい、ロビーというかそういう空間で、掃除をしている男性と顔を合わせる。
「おはようございます」
 と、男性は言って、頭を下げる。
 自動ドアを出ると、エントランス脇のカウンターに管理人の女性がいる。彼女は、
「こんにちは」
 と言って、笑顔を見せる。
 もう何度も顔を合わせているから、彼と彼女がそのように挨拶するのは分かっている。そこで、僕は最初は「おはようございます」と言い、次に「こんにちは」と言う。
 この時、いつも……本当は「おはよう」、「こんにちは」、どっちが正しいんだ……という疑問がよぎるが、とくに実害があるわけではないので、そのまますぐに忘れてしまう。
 同様のことは、帰ってきた時、とくに郵便受けがあるエリアで起こる。
 200戸もあるマンションだから、午後6時から7時あたりに帰ってくると、ほとんどの場合、誰かがそのメールボックスの前のあたりにいる。
「こんばんは」と挨拶すると、ほぼ同時に発せられた相手の言葉は、時には「こんにちは」だったりする。
 では……と、次の時に、「こんにちは」と頭を下げると、「こんばんは」と返ってきたりする。
 ここでも……「こんにちは」「こんばんは」、どっちが正しいんだ……という疑問がよぎるが、郵便物を手にした時には、関心はそっちのほうに向かってしまっている。
 いま、このことを改めて思い出したので、この機会に、広辞苑をひいてみた。
「こんにちは」について、『昼間の訪問または対面の時に言う挨拶語。』とある。
 三省堂の国語辞典では、『ひるま、人にあったり、訪問(ほうもん)したりするときの、あいさつのことば。』と説明されている。
 となると、「昼間」がいつからいつまでなのか、問題となる。
『ひるの間。日の出から日没まで。日中。』(広辞苑)
『朝夕(あさゆう)をのぞいた、明るい間。』(三省堂)
 広辞苑のほうが、範囲が広いようである。
 では、「朝」については、どうかというと、
『夜明けからしばらくの間、また、正午までの間。』(広辞苑)
『夜(よ)が明けてからの数時間。』(三省堂)
 と、これも、広辞苑のほうが、広い範囲を示している。
「おはよう」については、『朝の挨拶のことば。』(広辞苑)、『朝のあいさつのことば。』(三省堂)と、同じ説明をしている。
 ……というわけで、広辞苑的にいえば、午前10時半に使う挨拶の言葉は、「おはよう」でも「こんにちは」でも間違いではないということになるようだ。
 一方、三省堂的にいうには、『夜(よ)が明け』るのはいつかという問題を先に解決しなくてはならない。
 で、「よあけ」をひいてみたら、『夜が明けるころ。』とあった。これじゃあ、説明になってないので、広辞苑の助けを借りると、『夜があける時。東の空がしらんで、うす明るくなってくるころ。あけがた。あかつき。天明。』とあった。
『東の空がしらんで』くる時というと、おそらく薄明の始まりをさすのではないかと思う。薄明には天文薄明と、航海薄明とあって(市民薄明というのもあるらしい)、それぞれ、太陽が地平線下18度、12度までの間にあることを言うが、ここでは、水平線の確認ができるかどうかという航海薄明を採用するとして、概算でそれは約1時間程度だから、『夜(よ)が明けてからの数時間。』とは、「日が昇ってからの数時間マイナス1時間」となるわけだ。
 こうなると、ここで使われる『数時間』も問題となる。
 そこで、「数」を引いてみたが、これまた、『いくつかの』と、具体性に欠ける説明しかない。んで、また広辞苑の助けを借りると、『三、四または五、六の程度の不確定数を示すのに用いる。』そうである。
 ここでは、最大の『六』を採用するとして、そうなると、先の解釈は、「日が昇ってからの6時間マイナス1時間」、要するに、「日の出から5時間」と考えることができる。
 さて、日の出の時刻は、東京でいうと夏至のあたりは午前4時25分ぐらだから、「日の出から5時間」というと、午前9時25分になる。
 どうやら、三省堂の辞書的にいうと、夏の場合は、おおむね午前9時半をすぎたら、「おはよう」ではなく、「こんにちは」を使ったほうがいいようである。
 冬の場合は、冬至近辺の日の出が6時50分ぐらいだから、5時間をプラスすると、だいたい、午前中は「おはよう」も使えるということになるかな。
 微妙な時には、「こんにちは」と言っておけば、間違いないようだ。
 では、「こんばんは」については、どうだろうか。
 ……面倒だから、またにしよう。



●「おる」、「おられる」
 先日、あるイベントに行ったところ、落とし物を知らせる場内放送があった。
「お心当たりのかたがおりましたら、受付にお越しください」と、たしか、こう言った。
 これには、ひっかかりを覚えた。「おりましたら」というところが、ふさわしくないように感じられたのである。
 では、どういうふうに言っていたら、すんなりと受け入れられたのだろうか。
「おられましたら」というのは、どうだろうか。「お心当たりのかたがおられましたら……」。
 これだと、前ほどひっかかりはしないが、やはり、違和感がある。
「おる」という言葉を相手に向かって使う場合は、たとえば、学校の先生が生徒に向かって、「忘れ物をした者はおるか?」というようなニュアンス、要するに、一歩、高いところから、下の者に対して使うようなイメージがある。
 だから、「おられる」も、たとえば、媒酌人を引き受けた部長が、部下の新郎を紹介する時に、「新郎は、休日には、英会話学校に通っておられるそうで……」と、目下の者をちょっと持ち上げなければならない時に使うような印象を受ける。
 僕としては、「おりましたら」とか、「おられましたら」ではなく、「お心当たりのかたがいらっしゃいましたら……」と言ってもらうのが、いちばんすっきりしただろう。
 この「おる」「おられる」は、言葉を丁寧にしようとして使う場合と、尊敬の気持ちをこめて使う場合とでは、ニュアンスが多少違うのかもしれない。
「お心当たりのかたがおられましたら……」という時の「おられる」と、「○○先生は、××大学におられる時に、画期的な論文を発表されて……」という時の「おられる」では、違和感の程度が、後者のほうが大きいように、僕には感じられる。
 でも、この感覚は、世間の趨勢からすると、もしかしたら、少数派のほうに属するかもしれない。
 というのも、数人に尋ねてみたところ、僕とは違って、ここに挙げた「おる」「おられる」の用法のどれにも違和感を感じないという人ばかりだったからである。
 さて……、「おる」、「おられる」について、みなさんは、どうお感じになるだろうか。
 

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