最終更新日:平成15年5月1日
原子の話
前書き
以下の説明は平凡社「世界大百科事典」からの引用である。
ここで、この資料を載せる理由は、その道の専門家はいざ知らず我々の多くは「原爆」や「水爆」という言葉は知っていても、その中身そのものは知らない者がほとんどと考えられる。中身を知らないで議論することは、あまりにも危険に対し無防備であると考えられ、出される結論も核の脅威の現実を無視した空論の帰結になりかねない。脅威の真相を知った上で、どうすべきかを考える必要があるとの考えからである。ただし、ここの資料は最新のものではない。また、誤謬もあるかも知れない。その点は識者が補って判断してもらいたい。その意味で本資料は、ある程度正確な全体像を知るための資料の一つと考えてもらいたい。
原子半径 原子を球状と見たときの半径。しかしこれは原子の状態によって変化を示す。結晶,その他の原子間の距離を実験によって測定し,原子の半径を決定することができる。その大きさはだいたい10-8cm(=1Å)程度である。化学結合によって直接結合していない原子間の距離は最も大きい。原子間にはファン・デル・ヴアールスカがはたらいているので,このときの半径をファン・デル・ヴアールス半径という。同様に原子が共有結合,イオン結合によって分子をつくっている場合にもそれぞれ共有結合半径,イオン結合半径を定義することができる。簡単な原子の半径は量子力学的計算でも算出される。左下表におもな原子のファン・デル・ヴアールス半径及び共有結合半径を記す。(片山 幹郎)
原子番号 周期律表で原子量が最小の水素を1として原子量の順に元素を並べたとき元素の順位を表わす番号。今日の立場では原子番号は元素の核外電子の数,すなわち原子核中の陽子の数である。従ってアイソトープは原子番号は同一で質量数のみが異なる。また原子の化学的性質は原子番号によってほぼ定まると言える。特性]線の波長と原子番号との間にはモーズリーの法則として知られている関係がある。(片山 幹郎)
原子病 アメリカでは原子爆弾による傷害をアトミック・ポム・インジェアリーatomic bombinjury と呼んでいるが,一方それに基づく病的状態をアトミック・ポム・ディジーズatomicbomb diseaseともいい,また略してアトミック・デイジースatomic diseaseともいう。これを文字どおり訳すると〈原子病〉となる。従って,この考え方からすると,原子病とは〈原子爆弾症〉と同意義であると言える。しかし他方,その目的のいかんを問わず原子力を取り扱うときに人体がこうむる障害を,広い意味から原子病と唱えることがある。この場合には,原子力の発生に伴なう放封能の障害すなわち放射能症をさすこととなる。それゆえ〈原子病〉という言葉は,一方では原子爆弾による障害を総括して表現する名称ともなり,他方では原子力をなんらかの目的で使用するときに起る放射能障害をさす呼び名ともなることとなり,通俗的略称と考えるべきであろう。(都築 正男)
原子物理学 原子あるいはそれを構成する原子核や素粒子の性質の研究,また分子や物質の性質を基本粒子の性質から説明する問題などを取り扱う物理学の領域の総称。物理学は20世紀に至って巨視的な古典物理学から微視的な原子物理学へ飛躍的発展をとげたが,原子物理学は現代物理学の主要部分をなしている。
【原子物理学の発展】原子物理学の基本的な性格を明らかにするには,その発展をつぎの4時期に分けて考察するのが便利である。
第1期 近代科学の誕生以前,つまりギリシアの自然哲学者らによる原子論の提唱から,19世紀初めに,ドルトンによって科学的な原子論が提唱されるまでの時期。
第2期 ドルトンの原子説が,化学に適用されて成功を収めるとともに,気体分子運動論の展開によって,原子,分子などの実証性が確実になってくると同時に,さらに原子の内部構造が予想されるような新しい事実が発見されてきた時期。年代的には19世紀初めから20世妃初めにいたる時期。
第3期 ラザフォードによって原子が原子核と核外電子という内部構造をもつことが明らかにされてから,原子の世界を支配する本質的に新しい法則性が量子力学として確立される時期。1911〜30年ころまでの時期。
第4期 原子の中の原子核の内部構造が明らかになり,中性子,陽電子,中間子を初めとして新粒子が続々と発見されている時期。1932年以後現在にいたる時期。
いわば原子物理学の前史ともみられる第1期については別項目〈原子論〉を参照することにして,以下これらの時期の内容をその歴史的順序にしたがって略述し,原子物理学の成果とその意義に触れることにする。
【19世紀の原子物理学】19世紀初めのドルトンの原子説は,化学反応に関する諸法則を説明することに成功し,近代化学の基礎として本質的な役割を果たした。そして19世紀後半になると,気体分子運動論が展開され,これによって原子・分子の質量や大きさがはぼ推定されるようになり,原子の実証性はますます確実なものとなった。ところが19世結末から20世紀初めにかけて,電子の発見,]線の発見,放射能の発見などの新事実が相次いで現われた。これらの事実はいずれも,もはや不可分な,永久不変のアトムの概念をゆり動かし,その内部構造の想定を強制するとともにその内部の世界の法則性が既成の概念や法則で処理しきれず,なんらかの変革の必至なことを示唆した。
【原子の内部構造と量子力学】放射能の本性の研究に従事したラザフォードは,α線の原子による散乱の実験から,原子が原子核と核外電子との構造をもつことを結論した(1911)。ボーアはこの構造模型とエネルギーの不連続性の考えとを結合して前期量子論をつくり,その量子条件および振動数条件から水素原子のスペクトルの説明に一応成功した。またトムソンおよびアストンは,質量分析器の装置によって原子の質量の絶対測定を行い,同位元素の存在を明らかにした(1912)。このようにして元素の周期律に原子構造の立場からの説明が与えられるようになった。ラザフォード=ボーアの模型は水素原子のような簡単な系には成功したが,ヘリウムHe以上になると実験と食違いを示した。このことはボーアの理論の暫定的な性格を示している。この暫定的な性格を清算して,微視的な世界に対する本質的に新しい性格の法則性を明らかにしたものが,1924〜25年ころの合理的な量子論,すなわち〈量子力学〉にほかならない。
量子力学の形成は最初〈マトリックス力学〉と〈波動力学〉の二つの形式で展開された。この二つの形式はその数学的表現が異なっているばかりでなく,背後にある思想も鋭く対立していた。ボルン,ハイゼンベルクを中心とするゲッティンゲン学派は〈物理学は直接観測可能な量のみをもって構成すべきである〉という実証主義の原理を指針として,原子から出る光の振動数・強度などの量だけで原子現象を記述する立場からマトリックス力学を形成した。一方ド・プロイ,シュレーデインガーらは力学と光学の類推から物質波という概念に立脚し,それをニュートン力学の粒子に代わる実在と考える素朴な実在論的立場から波動力学を展開した。この二つの数学形式はデイラックの変汲理論によって同等であることが示されたが,思想的な立場としてはボーアの〈相補性原理〉 によって初めて総合的にとらえられる。この相補性原理を中軸とする量子力学の抽象的な数学形式は,のちにノイマンによってヒルバート空間を用いて定式化されたが,この形式は量子法則の統計的な性格を明らかに示している。
量子力学によって原子・分子のスペクトルだけでなく,それらの結合力(化合の力)もまた初めて合理的に説明され,化学の分野を含んで一般の原子現象に対する最も基礎的な理論が提供されることになった。と同時に原子核の領域に対しても量子力学が適用可能であるかが問題になった。最初のラザフォード=ボーアの模型では原子核は一応不変なものと考えられていたが,ラザフォード自身は放射能の原因として原子核自身もまた内部構造をもつものと予想し,実際に天然放射能のα線をつかって1919年に窒素の原子核を破壊して酸素の原子核に変換することに成功した。原子核の変換が大規模に行われるようになったのは,コッククロフトおよびウォールトンが60万eVに加速された陽子をつかってリチウムの原子核を人工的に破壊した1932年以降である。その後いろいろの高エネルギー発生装置が工夫され,人工的に加速された粒子線による原子核反応の研究が急速に進歩することとなった。
【原子核から素粒子へ】1932年には中性子が発見され,原子核の破壊に有力な手段を提供すると同時に,陽子と中性子の量子力学的な集合体として原子核の合理的な内部構造が決定されることになった。この模型によって原子核物理学は著しく発展したが,同時にあらゆる原子は陽子,中性子および電子という3種の粒子の集合体とみなしうることになり,ある意味でギリシア以来の原子論の発想が満たされたかのように考えられた。
しかし中性子の発見にひきつづき,1933年にはアンダーソンによって宇宙線中に陽電子が発見され,デイラックの陽電子論を生み,さらにこの理論によって予想された電子対の生成・消滅の過程が実験的に確かめられた。またβ放射能に関してはパウリによって中性微子が導入され,実験的に検証され,核力に関しては湯川秀樹によって中間子が導入され,アンダーソンによって宇宙線中に確認された(1939)。その後第二次世界大戦中,ならびに戦後を通じて主として宇宙線中につぎつぎと新しい粒子が発見されてきた。また高エネルギー発生装置(加速装置)もサイクロトロン,シンクロトンからベパトロン,コスモトロン等つぎつざに新しい装置がつくりだされ,最初の1MeV級のものから最近では33GeV級のものへと飛躍的に強化され,新粒子の大部分は実験室内で人工的に創成されるようになった。これらの新粒子(一括して素粒子と呼ばれる)はいずれも10-6secから10-10secにいたる極めて短い寿命で相互に転化しあうことをその特性としている。したがってこれらの粒子は物質の究極的な要素でありながら,ギリシア的な意味でのアトムの概念を完全に脱皮していることは注目される。
もちろん1938年に発見された原子核分裂現象を契機とし,42年に最初の原子炉がつくられたことは,のちの原子力工業の発展とともに原子物理学の成果として見逃すことのできないものである。と同時に現代の原子物理学は,量子力学および統計力学を基礎として原子分子の現象を合理的に説明しようとする〈物性論〉の流れと,高エネルギーの素粒子のふるまいを統一的に理解し,予想される新しい法則性を打ちたてようとする〈素粒子論〉の流れに沿って動きつつある。(井上 健)
原子兵器 連鎖反応による大量の原子核分裂,または融合反応で放出される膨大なエネルギーを利用して超高温の熱放射効果と爆風(衛撃波)による機械的破壊効果,および核反応生成物による放射能効果などの総合的作用を大量殺傷破壊力として用いた兵器の総称。原子核反応とその生成物を利用するという意味で〈核兵器〉ともいう。
【原子兵器の分類】原子兵器は核分裂反応を利用する分裂爆弾と熱核融合反応を利用する融合爆弾が主な物である。一般には,分裂爆弾を原子爆弾,融合爆弾を水素爆弾と呼んでいるが,融合爆弾の外側を核分裂性物質で包み 分裂→融合→分裂 という反応を利用した超融合爆弾が出現した現在では,こうした習慣的な区別のしかたは適当ではない。むしろ〈原子爆弾〉という語は広く原子核反応を利用した爆弾として用いるべきで,また〈水素爆弾〉は融合爆弾のうち水素のみを利用する爆弾の名称として用いられる。分裂爆弾にはウラン235U235やプルトニウム239Pu239など原子番号の大きな重原子核をもつ核分裂性物質を使用する。融合爆弾は原子番号が小さく軽原子核をもつ重水素Dと三重水素Tの混合物からなる湿式水爆,あるいは重水素とリチウム6Li6からつくった水素化リチウムを利用する乾式水爆およびそれらのまわりを核分裂性物質でつつんだ超融合爆弾に分けられる。
使用目的に応じた爆発力による分類としては,広島型U235爆弾がTNT火薬20,000t相当のエネルギーを放出することを基準にして,これより爆発力の小さなものを戦術原爆,大なる物を強力原爆,大形原爆とする分類法が以前には行われたが,1955年アメリカのネヴァダでの原爆実験の分類によれば,標準原爆として1950年制定のプルトニウム型原爆(爆発力は広島型の6倍,TNT火薬相当量120,000t)をとり上げることが行われている。戦術原爆はほぼ3種類あり,その第1の投下爆弾用の物は広島型と同程度の爆発力を有する。第2の小形戦術原爆は原子砲弾,ロケット弾頭,魚雷・機雷・地雷用弾頭に装着するもので,爆発力は広島原爆のほぼ75%程度(TNT火薬15,000t相当)である。戦闘爆撃機で対地攻撃に使用する小形原爆もこれと同程度の爆発力を有するものとみられる。なお第3の超小形原爆は1953年3月アメリカのネヴァダ原爆実験で初めて公表されたが,別称スーツケース原爆といわれ,要地,施設の謀略破壊工作に使用されるものであり,その爆破力はTNT火薬5,000tに相当(広島原爆の25%)する。原子兵器の発達につれて,その分類として以上の反応形式と爆発規模によるもののほか,戦術的用法による区分が必要となった。すなわら航空機から投下する原子爆弾のほかに,原子弾頭を装備した原子魚雷,原子機雷が海上航空部隊ならびに水上・水中艦艇兵器として制定化され,陸上部隊においても原子砲および原子弾頭のほかに戦車集団攻撃や戦略的重要地および施設破壊のため原子地雷が出現している。また航空機投下用原子爆弾にあっても,戦略爆撃機の基地破壊用として,とくに地中侵徹力を強化した投下地雷原爆が実験され,飛行基地の放射能汚染による修復不可能を目的としたものが考慮され,投下原爆とは異なる目的に使用される。さらに核弾頭をつけたミサイル兵器が開発され,今後の原子戦略における主役を務めるものと思われる。(杯 克也)
【原子爆弾の構造】構造上,重要な問題は臨界量と原子核反応の速さである。
〔臨界量〕核分裂性物質が連鎖反応を行うためには最小必要量がある。これを臨界量と呼んでいる。臨界量の例を示すと,第1表のようになる。
第1表 核分裂連鎖反応の臨界量
種類 | 濃度 | 原料の密度 | 反射体 | 臨界量 | ||
---|---|---|---|---|---|---|
材料 | 密度 | 厚さ(cm) | ||||
Pu239 | *15.8 | なし | ー | ー | 16.45 | |
Pu239 | 15.8 | 天然ウラン | 18.8 | 24.1 | 5.79 | |
Pu239 | 15.8 | なし | 18.8 | 2.0 | 10.68 | |
U235 | 93.9 | 18.75 | なし | ー | ー | 48.8 |
U235 | 94.1 | 18.75 | 天然ウラン | 18.8 | 20.32 | 16.28 |
U235 | 93.5 | 18.75 | なし | 18.8 | 2.84 | 30.3 |
皮膚の受熱量 | 火 傷 の 程 度 |
---|---|
2〜3.5cal/cu | 第1度火傷 |
(皮膚が赤くなる程度) | |
3.5〜5.4cal/cu | 第2度火傷 |
(皮膚が害され水ほうとなる) | |
5.4cal/cu以上 | 第3度火傷 |
(皮膚および皮下がただれる程度) |
適用量(レントゲン) | 効 果 |
---|---|
0〜25 | ほとんど障害なし |
25〜50 | 血液に変化が起るがたいした障害はない |
50〜100 | 血球減少。ある程度の障害があるが活動力支障なし |
100〜200 | 障害あり。活動力阻害ありうる |
200〜400 | 障雪,活動力阻害あり。死亡する者あり |
400〜450 | 半数致死量 |
650以上 | 絶対致死量 |
残存率 | (0.7MeVのγ線)の吸収しゃへいの厚さ(cm) | |||
---|---|---|---|---|
水 | コンクリート | 鉄 | 鉛 | |
0.2 | 30 | 13 | 4.6 | 1.8 |
0.1 | 41 | 17 | 6.1 | 2.5 |
0.02 | 64 | 28 | 9.9 | 4.3 |
0.01 | 74 | 33 | 11.0 | 5.1 |
0.001 | 104 | 48 | 16.0 | 7.9 |
〔大きさと威力半径の関係〕
これまでおもに広島型の効果について述べたが,次に威力がこの数倍または何分の1かであった場合にどう考えるか,各効力について述べる。
(1)爆圧効果 つぎに示す式で効果の及ぶ威力半径がわかる。
D=D0(W/W0)1/3
ただし,D0は広島型の威力半径,Dは求める威力半径,W0は広島型のエネルギー,Wは使用する原子兵器のエネルギーである。広島型の1,000倍の水爆の効力を求める場合,その3乗根すなわら10を従来の広島型の場合に求められた距離に乗ずれば出てきた数値が広島型の場合と同じ効力を示す威力圏の半径となる。
(2)熱効果 熱効果はエネルギーの比の2乗根に比例すると考える。ただし熱の場合には爆圧の場合と異なって伝搬する途中の熱の減衰を考えねばならない。したがって距離と原爆の大きさの関係を示す式は次のように途中の減衰を考えに入れた式となる。
DeKD/2=D0eKD0/2(W/W0)1/2
ただしD,D0,W,W0は前式と同じ,eは指数関数,Kは減衰係数である。減衰係数の値は次のとおりである。
減衰係数 視 程(km)大気の状況
0 120 完全に澄む
0.08 40 特に澄む
0.4 10 澄む
1.2 4 薄もや
1.6 2 もや
(3)放射線効果 放射線効果も熱と同様に次の式の法則に従う。
DeKD/2=D0eKD0/2(W/W0)1/2
ただし,Kは3.14である。
〔残留効果〕原子兵器が地上または地中で爆発した場合,発生した放射性物質の散乱によって起るいわゆる残留放射線効果が発生する。近距離効果というのは爆発点付近に接して直接フォールアウトが土その他の破片に付着し,これが散乱することによって発生するものである。次に爆発のために発生する熱によって土,岩石等が溶けて気化し,雲となって空中高く上昇し,途中で冷却されて微細な土や岩石の粒子となり,それに放射性物質が付着して落下してくることによって起こる,中距離効果と遠距離効果の二つがある。二つは連続して起るからどこから中距離でどこから遠距離かは区分することは困難であるが取扱い方が全然別になる。中距離効果は爆発から数時間せいぜい数日くらいの間に発生するもので,ビキニで第五福竜丸が受けた効果はこの効果に相当する。遠距離というのは数週間または1年さらに数年かかって地球上に落下する粒子による放射線効果のことである。
平時の原水爆実験によって雨とか穀物の中に発見されて話題になるのはこの遠距離効果である。(新妻 清一)