最終更新日:平成16年4月16日



第9章 戦争の真実


前書き
 本論述は私個人の見解である。こんな考えもあるのか位に読んでいただければと思います。また,本件についての著作権は放棄するものではありません。


  ・戦争の真実
  ・人命尊重の虚実
  ・戦争の真実・敗因
  ・歴史教育の視点と教育の独立


戦争の真実(16.2.4-10)
 日本の爆撃機である重爆,九六式陸攻,一式陸攻による爆撃とアメリカが本土爆撃に使用した高空の要塞と言われた過給器を備え超高空を飛行し,高い防御力を誇り,戦闘機以上の重火器を装備したB29による日本の主要都市を灰燼に帰した焼夷弾による爆撃とを比べればその性能及び科学技術の差は歴然で,その効果においても雲泥の差があったのである。幼児がちょっと触ったことに腹を立てた大人が幼児を張り倒した以上の差があると考えるが。日本1の攻撃に対してアメリカは百から千の攻撃をしたのではないかな。これはもう三歳位の幼児と巨人モンスターの戦いみたいだ。現在においても,米軍事力は世界の半分を占め正に帝国のコンバットモンスターである。現在の状況はテロの脅威はあるものの,正にパックスアメリカーナであろう。アメリカに対抗できる国・組織などありはしない現実を重く受け止める必要がある。
 空気は上空に行くほど薄くなるので自然吸気では高空に行けば行くほど吸気量が減る。従って上空ほどシリンダーへの充填効率が低下し軸出力低下に伴って機体の運動性能が低下するのである。これに対し過給器は排気タービンを利用し薄い空気を圧縮して吸気に取り入れることができるので吸気量を増やすことができる。つまりシリンダーへの充填効率を上げ軸出力を増大せしめ,機体の運動性能を向上させると供に,更なる上空の飛行を可能にできたのである。
 日本は高温の排気熱に耐えるブレード(流体の運動エネルギーを回転力に変える羽)を開発できなかった。技術力の差であるとともにマネジメント力の差でもある。
 アメリカはこの大戦が総力戦であることをよく理解していた。それ故科学者をあらゆる兵器の開発に総動員して開発のスピードアップを図ったのである。兵器の性能の優劣は勝敗に大きな影響があるからである。日本も国家総動員法などそれなりにした面はあるが,これは主に資源,製造に総結集させたのであって,兵器開発への科学者の総動員は確認が取れていない。無かったように思う。科学者の総動員と言う点ではアメリカの後塵を拝したのである。なぜか。あまりにも日本は精神主義を強調しすぎたからである。過ぎれば弊害が出るのである。即ち科学力を軽んじた。
 もっとも科学力の差は分かっていたので精神力でカバーしようとしたのかも知れぬな。悲しいかな日本は資源が乏しかったので,人より物(兵器)を重んじたのであろう。大切にするためのもっともらしい理由としては,陛下からの預かり物(当然のごとく人より大切と考えられた)として強調したのであろう。この弊害は陛下からの拝領品であるゼロ戦が無傷のまま敵の手に落ちる原因ともなってあらわれる。危機管理意識欠如の所産か。
 かかる状況であったから,アメリカは日本の戦闘機が来れない超高空から思いのままに焼夷弾の雨を降らすことができたのである。
 レーダー(電探)もそうだが,八木アンテナなど原型は日本の方が早かったと聞いているがこれを生かせず,これを軽んじ人間の目に頼った。ために開発に遅れをとり日本は情報戦で敗れた。
 空母艦隊戦では敵よりも早く索敵することが重要であり,敵を見落とすことを考えれば,直掩機(空母の護衛戦闘機)は不可欠。対空兵装(機銃や機関砲などの対空砲。現在は対空ミサイルを含む)も空母を失うわけにはゆかないのだから重要である。日本の兵装の貧弱さは,アウトレンジ戦法等にあったのかも知れないが,これは危険である。レンジ内に未発見の敵が居ればひとたまりも無い。日本にとって都合の良い設定で安全を考えていたわけで,結果としてミッドウェー海戦は日本海軍の欠点がもろに出た格好である。勿論,爆弾と魚雷の兵装変更を繰り返した指令ミスもあるが。このときは悪天候で正に,レンジ内に敵兵力の存在を許す結果となったのである。最悪の事態を想定しておく必要があるのである。
 日米の情報力の差はレーダー技術力の差にあったのである。「敵を知り己を知らば百戦殆うからず(孫子)」の基本を軽んじた。
 この大戦は巨大な消耗戦でもあった。この消耗戦でも指導者達は結果的に対応を誤っていると言わざるを得ない。日本では人命がアメリカに比べれば軽視されたのではないか。これは初期の戦闘機等に防御がほとんど成されていないことで分かる。兵士の代わりは赤紙一枚でいくらでも補充できると考えたのであろうか。事実新兵の値段は臨時召集令状の紙代(1銭5厘だったと思う)の値打ちしかないと言われた。であったから防御に回す資材があったら他に当てられたのであろうか。これには決定的な誤りがあった。一人の兵士を育てるには多大な時間をかけた訓練が必要であるということ。機械は失っても代わりを短時間で補充できるが,ベテランパイロットの補充は簡単ではないということ。これである。
 人を粗末に扱うようでは長期戦には勝てないのである。これは企業戦略でも言えることである。最近の企業は簡単にリストラをするようだが,士気の低下と忠誠心の低下,及び技術開発力の低下は当然であろうね。いつ首になるか分からなければ腰の据わった仕事などできるわけも無い。自分の飯の心配は自分でするしかないとなれば考えることは自分の飯の種となっても致し方ないであろう。倫理観の喪失から企業機密の漏洩も当然だが頻繁に起こることになろう。戦時中の指揮官たちが部下に対してした処遇に似てきていると感じるのが杞憂であれば良いが。
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人命尊重の虚実(16.2.4-10)
 戦国の英雄,武田信玄は次のように仰せでおられる。「人は石垣,人は城。情けは味方,仇は敵」と。理にかなった人間観である。武田の騎馬軍団がなぜ戦国最強であったか。考えても見よ。信頼関係でがっちりと主従が結ばれていたからである。織田信長に敗れたのは不利を克服した鉄砲と言う科学の前に敗れただけである。彼が迂回し柵のない方向の馬上から鉄砲を射撃する術を取っていたら違った展開になったであろう。
 日本では背水の陣が戦いの戦術としてよくとられた。背水の陣は「敵を誘い出すのには良い方法かもしれないが,これは別働隊の伏兵を置いて初めて生きるものであって,背水の陣だけでは成り立たない戦法である。逃げ道を塞いでおけば必死に戦うであろうと考えたのであろうが。人命軽視の原型がここにある。だが,これは生命体の本質を忘れた戦い方で,余り良い戦い方ではない。生命体の論理は「どんな環境においても,生き延びることを最優先に考える」のである。戦って生きられると思えばこそ頑強に抵抗もし,我慢もするのである。生命を危険にさらされれば,まず「自分の命を助けるために奔走する」のである。これがDNAに組み込まれた命令なのである。こうして生き延びれた者のDNAが受け継がれているのである。ここに補給の重要性がある。通常一般人は補給が無ければ戦えないし戦わない。戦えるのは精神を克服した意志の強い者のみである。初期の特攻が成功であり,後の特攻は失敗が多かったのはこの理由による。この対応を誤った典型として,中国における魏呉蜀三国時代における亥亭の戦いで馬謖がとった布陣が挙げられる。彼は水源の無い高台に陣を構えた。魏の司令官はこれを囲み火を放ったのである。哀れ,水をたたれ火に囲まれた蜀軍は逃げることしか考えなかった。結果は惨敗である。命の糧を奪われれば人は逃げることしか考えないのである。
 よく人権論者は人命尊重を言う。なるほど「人命は尊いかも知れない」。だが私はこれを無条件には善しとはしない。意味も無く奪う必要は無いくらいでしかないと思うが。あらゆる事態において,「人命尊重」はプラスに働く確率が高いことは事実であるが全ての場合に当てはまるわけではない。情緒的に人命尊重を考えると逆に人命を粗末にする結果となることは良くあることである。「こちらの命とあちらの命とどちらを優先するべきか」と,判断を迫られる場合である。
 ここに助けを求める「@有能な科学者」と,「A単なる労務者」がいたとする。どちらかしか助ける力が無かったら,あなただったらどちらを助けますか。何の関係も無ければ,@を選ぶかな。が,Aがあなたにとって大切な人だったらAを選ぶでしょう。ここで人はどのような基準でこれを決定するのであろうか。判断基準は自分のDNAにとって何が有利かによっていることが分かるであろう。そう自分たちのDNAの存続と進化にとって都合の良い方を選ぶのである。
 人命尊重もそのためであり,継母が再婚した夫の連れ子を虐待し,我が子を大事にするなど,全ての行動原理はここにあるのである。我々はそのことを知った上でどうすべきかを考えねばならないのである。上で虐待が起こらない場合があるのは,余裕があり理性が働いているときである。
 両方助ければ良いと考えるかも知れないね。勿論,そうできれば躊躇せずそうするであろう。が,現実には,大規模火災や震災などの災害現場での救出などでは,救助隊員を生命の危険にさらすこともある。隊長はこの救助に向かうべきか,撤退すべきかの決断を迫られるわけである。山岳救助でもそうである。二次災害の危険と隣りあわせで救出するわけだから,常にこの命の軽重を問う判断も求められる場面がありうるのである。
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戦争の真実・敗因(16.2.4-10)
 話を戻すが日本がアメリカに敗れたのは日本が不正義であったからではない。物量の差もあるが,初期の戦闘機は日本の方が優れていた面もあったが,不時着して放置された日本機(ゼロ戦)を徹底的に研究されたから破れた面もある。ゼロ戦を徹底的に分析した彼らは,運動性能抜群の機体ではあるが超軽量で防御が極めて脆弱であることを白日の下にさらさした。して,対ゼロ戦格闘戦の禁止を命じ,機体の脆弱を突くVT信管装着砲弾を総力を挙げて開発するのである。このVT信管は機関砲の砲弾が日本機の近くに来ると爆発し,爆弾から無数の金属片が航空機を襲う構造になっていた。ゼロ戦は防御が弱いのでこれで十分であったのだ。この後ゼロ戦はばたばたと撃墜されることになる。がこの開発はこちらの軍事工業機密を漏らした事が誘因である。これなどは遺棄する兵器は完全爆破する必要があるがこれを怠ったためである。よって,戦略の誤りと科学技術開発力の差,マネジメント力の差,情報戦力の差,兵士の投入効率の差(結果としての人命尊重の軽重の差)によって敗れたのである。我々は事実をごまかすのではなく正確に事実と向き合う必要がある。
 「アメリカは植民地であるフィリピンに独立を与えたではないか。植民地政策を続ける日本とは比べるべくも無いわ」と,言う人が出るのは分かっている。だが私に言わせてもらうなら,米本国の州に比べフィリピンは人口が多く,州とするには連邦議会の上院・下院の代議員を人口数に応じて配分すれば,かなり多数の代議員を割り当てねばならず,白人の決定権が大きく削がれることを嫌ったからに他ならないと考えるね。日本に対抗させるためでもあるが。これは表の理由である。バナナくらいしかものにならず人口の多いフィリピンはメリットが無かったのである。比べて人口の少ないハワイは州に編入しても,さほどに政局に影響するほどの上下院連邦代議員をおかずに済み,太平洋中央という戦略的に重要な位置を確保できるので,独立などさせる気が無いのである。もともとここは独立国であったのだ。要するにアメリカにとって,フィリピンはメリットがなく,ハワイはメリットがあったということである。現在の日本人みたいにお人よしに考えるめでたい民族は他にはいない。簡単に言えば「阿呆」ということであろう。彼らは国家利益に基づいて全ての政策は実行しているのである。モンロー宣言(ヨーロッパの列強をアメリカ大陸から締め出しアメリカが独占的に支配するぞという宣言)もそうだし,中国に対する門戸開放宣言(既にヨーロッパ・日本が利権を持っていた所にアメリカが割り込むための宣言)もそうである。私は別にアメリカの政策を悪いと言うつもりは無い。アメリカの立場なら自分たちが有利になるような政策をするのは当たり前であるからである。現在でもそうだが各国の利害に視点を置けばその主張が良く理解できる場合が実に多い。
 もう日本を悪者扱いはやめようではないか。道義的な問題に逃げるのではなく,総合戦略の優劣においてアメリカに敗れたのである。今日本に最も足りないと思われるのはこれである。中でもマネジメントの考えである。勝つためにどのようにあらゆる要因をどのような割合で組み合わせれば最も効果があるかである。アメリカから学ぶ点が正にこれなのである。そうゼネナリストとしての考え方,これである。日本はこの考えを身に付けて初めて一人前になると思われる。
 これは経済戦においても言えることである。線形計画法なども教えたらよい。所謂知の戦いにおいて武器(手段)となるものを,ものの見方を,勝てる智恵と知識,戦略的発想を訓練する場が教育にもっと必要と思われる。
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歴史教育の視点と教育の独立(16.1.23-27)
 我々としてはあの時代の日本の首相だったらどのように日本を導けたかを考えさせる視点がどうしても必要である。時代背景の中で考えさせることを避けていては日本の立場は分からない。自分は安全な場所にいて,裁判官のように,他人事のように論ずるのは歴史に対する冒涜と考えるが。
 東京裁判の判決はまともではないことは,インドのパール判事が日本の立場を弁護し始めたとたん,同時通訳を解除してこれを黙殺した事実をもって明らかである。我々はもう「東京裁判史観」から抜け出る必要がある。あれは公正な正義の裁判などではない。公正を装ったリンチであるからである。アメリカの知能犯なのである。これを成して始めて精神的隷属からの開放。即ち,真の教育の独立,隷従からの復権があると思われる。
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