最終更新日:平成16年5月7日

6章 日中戦争の傷跡

前書き
 本論述は私個人の見解です。こんな考えもあるのか位に読んでいただければと思います。また,本件についての著作権は放棄するものではありません。





 南京大虐殺と言う怪
 中国の反日教育は日本での中国人凶悪犯罪の温床
 731部隊
 慰安婦教科書記載の問題




 南京大虐殺という怪
 日本は南京で30万人も虐殺したではないかというかも知れないね。これ実は中国の謀略プロパガンダ。
 この数はまず嘘だね。しかし,死んだ人がいたことは事実だろう。何しろ戦争があったのだから。市街戦をしたのだ。日本軍は統制が取れていて上官の命令一下攻撃した訳だから死者は当然出たであろう。
満州で北京で上海で,と戦闘を経験してきたがそこで住民が虐殺された話はない。では,なぜ,南京だけなのだ。おかしいとは思わないかね。それは次のように考えると合点が行く。これまでは正規軍同士の闘いだったから住民が標的になることはなかった。
 もし虐殺が起こったとするなら,次の場合が考えられる。
 @住民の格好をして銃撃してきて市民が巻き添えを食った。もう一つは  A安全地帯に紛れ込み市民に身を変え武器を隠し持って一部の正規兵が銃撃して市民が巻き添えをくった。
 B軍服を脱ぎ,武器を捨てていたが投降しなかったため掃討戦で摘発され処刑された
 これ以外は考えにくい。
@Aの場合だと,日本軍兵士だって死にたくはないもの必死に住民であろうがなんであろうが生きるためには殺すしかないということになるのだ。こういったことになるから戦時国際法で兵士は正規の軍服を着,指揮官の下に戦かわなければならないことになっているのだ。Bの場合は国際法上の捕虜とは言わないから殺されても文句は言えず虐殺とも言えないが,人が見れば虐殺のように見えるかも知れない。
《注意》 捕虜でなければ捕虜としての保護を受けない。武器を持って戦った者は軍服を脱ぎ,銃を捨てたとしても捕まれば捕虜には当たらないし,市民でもないので処刑されても文句は言えないのである。つまり殺されても虐殺とは言わない。
 その結果,通常の市街戦より死者は増えたであろう。ゲリラ等を除けばどれだけ市民が巻き添えを食ったか確認された名簿もなければ証拠にもなりません。想像上の数字でなければ悪意ある捏造ということになる。参考文献H参照
 本当に30万人いるのなら全ての人名を調べ上げて墓碑に確認できた人名を刻み慰霊をしたらいい。そうしてこそ検証というものだ。
 南京で戦ったのは蒋介石軍のはずだが,虐殺が起こったというなら上の情況以外考えられない。
 参考文献の研究によれば卍会が2月5千,3月9千計1万4千体の埋葬をしたとなっている。一体の埋葬費は決まっていたので彼らが水増ししても彼らのために大目に見ていたとも書いてあった。水増しすればその分埋葬費を多くもらえるのだ。従って利益を考えれば多めに申告することは考えられても少なく申告することに合理性はなく考えられない。故に上記数値は上限というのが合理的判断と思われる。
 また,文献によると先の埋葬は捕虜の資格をもたない者が処刑された結果であって1人の虐殺もなかったと結んでいる。つまり南京虐殺はなかったのである。
 だが,そもそも,日本軍がいなければ対中戦争は起こりえなかったことを考えると残念には思う。中国は治安が悪かったので中国に住んでいた日本人がいたのだが(居留民と言う)これを守るために軍隊を駐留させていたのだ。当時の中国は本当の意味では独立国ではなかったのだ。日本だけでなくイギリスもロシアも居留民保護のため軍を派遣していたのだからね。イギリスなどは日本よりはるかに早く派遣していたのだよ。この軍隊強かった。戦えば常に勝つから『常勝軍』と言ったのだ。これで分かるだろう,日本が治安維持のための軍を送っていたことは特別問題ではなかったのだ。そうしなければならなかった事情があったからね。問題となるのは治安維持の領分を越えたからだ。
 がしていないことまで受け入れては名誉にかかわる。
 我々は我々の先祖が殺害した兵士やゲリラではなく住民という証明かがなされた人名についてのみ数えればよい。単なる数字は何とでもいえるのだから。従って,30万という数字は単なる数字の遊びに過ぎないし,中国の日本を陥れるための悪意ある宣伝ということになる。何しろ江沢民元国家主席は日本軍にその昔ひどい目にあったというので日本に対して悪い感情は持っていても,いい感情は持っていない。日本の教科書に難癖をつけているが自分達が使っている教科書に日本のことをどう書いているか興味のあることではないか。勿論,好意的に書いている訳がないのだ。凄まじいほどの反日教育を行っているのだ。彼らにして見れば中華思想の下,長く蛮族と蔑んできた日本にいいように蹂躙されたことが耐え難いほどに屈辱的であったのだろう。どんなに経済援助をしても彼らは我々を許さないであろう。この憎しみを忘れないために徹底的に子供達の脳に刻むだけではあきたらず各種の記念館を造り,日本軍の蛮行として常に記憶を新たにし反感を増幅させることを日本の資金援助でしているのだ。
 このような国との友好を築くのは難しいと言うほかはない。恐らく10代300年いやそれ以上必要だろう。韓国のことを考えればわかる。韓国では今尚秀吉の朝鮮出兵をねにもっているのだから。1000年位は必要か。未来永劫にないかも知れない。
 我々が大切にすべき友人とは,反日教育をしていない,友好的な国である。こういう国こそもっと大切にし供に手を携えて行くべきと思うのです。日本のОDA開発援助のかなりの部分は中国に行っている。どんなにやっても感謝されない。もっと感謝されるところに援助したらいいと思うのだが。『いいかげんに目を覚ませ日本』と言っては言い過ぎかな。
参考資料 講談社「南京の真実」の大嘘
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 中国の反日教育は日本での中国人凶悪犯罪の温床(H14.8)
 近年,日本における中国人による凶悪犯罪の激増は,江沢民国家主席が進める徹底した反日教育と強烈な相関関係があることを認めない訳にはゆくまい。年端も行かない,やわな頭の少年たちに憎悪のみを植え付けるような教育をしていれば,機会があれば仕返しをしてやろうと思う者が現れても不思議はあるまい。また,自分の犯罪をこういった感情で合理化しようとすることも十分に考えられる。我々としては,迷惑をかけたことは悪いことだと思っても,だからといって中国人の凶悪な犯罪の増加をこのまま座視してよいはずはなかろう。まず,蛮行というものの誇張は止めて欲しいし,戦後の平和主義,中国の復興へ多大な貢献を経済援助という形でしてきた事実も同時に教えてもらわねば大変な軋轢を生ずることになるだろう。このことを中国当局に対して知らしめる必要があろう。改めることをしないなら身元保証のない中国人の入国を一切拒否する必要に迫られるだろうし,それでも中国人による凶悪犯罪が減らなければ,行動を常に監視するようにしなければ我々の身の安全は守れないだろう。同じ犯罪でも日本のほうが罰が軽いというのも問題だ。この状態では日本のほうがリスクが小さいので,同じ犯罪なら日本で犯すことにつながろう。
 いったい中国人の犯罪の激増を公安当局はどうしようとしているのであろうか。まさか,我々も殺したのだから,殺されても仕方がないと考えているのではなかろうね。
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731部隊
 日本軍が行った罪深きことはこの部隊による人体実験である。兵器には様々な物がある。熱い兵器のほかに,熱くない特殊な兵器がある。次の兵器は貧しい国の兵器とも言われる。特に後者の毒ガス(神経ガスともいうが,この種の兵器を開発した団体があったから知っている人もいるであろう。現在ではサリンとかVXガスなどより強力な兵器がある。)兵器,細菌兵器などは,開発しても効果がわからなければ使えないのである。そこで,どこでも実験をするのだが,通常は動物実験をしてその効果を確かめるわけであるが,人間に対して効くかどうかはサイズが異なるので正確でない。そこで,開発者達はより確実な対効果の確認のために人体を利用することを思いついたのだ。こうして,731部隊ではモルモット代わりに生きた中国人が使われたのである。これらの中国人を丸太と呼んでいた。
 しかし,どこの軍隊もできればこの種のデータは欲しいものなのだ。この情報をつかんでいたアメリカはこのデータを交換条件にその罪を問わなかったのだ。物事は一律ではないことが分かろうというもの。
アメリカには司法取引という制度があるのだ。日本には無い制度で理解しにくい制度ですね。
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慰安婦教科書記載の問題
 これが取り上げらること自体が馬鹿馬鹿しい。まず,慰安婦,これは教科書に載せて子供に教えることではない。子供達にどんなことをする職業ですかと聞かれたら,何と説明するつもりだ。説明に困るようなことを教えるべきではない。
 また,慰安婦が強制されたと言っているが,慰安所を設けていたのは軍ではない。民間の施設なのだ。何をもって強制と言うのだ。今日でも上手い話に乗せられて身を落とす女性がいる。これも,上手い話には裏があるぐらい知らないで乗ったとすれば,要するに馬鹿なのだ。欲をかくからこうなるのだ。それは自分の不明と言うべきことだ。現在でも,家出少女などは甘い言葉に騙されたがどうかは分からないが,道を踏み外す者がいる。この世界は昔も今も同じなのだ。今日の豊かな時代にも,この種の生業は花盛りである。遊ぶ金欲しさに,欲しい物を買うため,生活のために,果てはローンのために成人の女性は言うに及ばず,高校生と言う無かれ中学生も,中には小学生でさえはびこっている。
 彼女たちが何故,かくも簡単に。現在はこれを非行の一言で片付けているが,これはある意味でボロイ儲け話なのだ。現在のことだが,考えても見たまえ,パートがせいぜい800円/時前後と思われるが,かの商売はその何倍になるのだろう。人にもよるがどう見ても1桁は違うもののように考えられる。ちょっと我慢すれば大金が手に入ると考えているのだろう。その代わりに失う物を考えずにだ。こういう金をあぶく銭と言う。よく言ったものだ,悪銭身につかずと。所詮簡単に手に入れた金は簡単に失うことが解っていない。簡単に手に入るから,いつでも金は入ると愚かな人間は経験から考えるのだ。いつのまにか自分が商品価値の無い物に成り下がっていることに気が付かない。愚かという他は無い。
 《警告》ついでこの種に迷いを感ずる者のために言っておく。この類を『公衆便所』と言って蔑まれる事ぐらい知っておくことは身のためだ。最後はゴミ屑のように捨てられること請け合いである。何故ごみ屑はゴミ屑として捨てられるか。元はゴミではなかったものだが価値が無くなったからゴミとなるのだ。価値がなくなれば人間とて同じ運命が待っている。そうなりたくなかったら真面目に生き価値を高める努力をすることだ。価値とは知性と言ってもいいだろう。
 では,この問題に関する社会規範はどうなっていたのだろうか。
 モーセの十戒では『汝,姦淫する無かれ』となっている。これは,『汝,殺す無かれ』と同じ戒律にある訳だから『大罪』であったのだ。これは,道徳をおとしめ,退廃を生み,人間の尊厳を奪い,家庭に,社会にいざこざを生み出す元凶だからだ。
 ところで,日本では,どうであったか,これに関しては欧米人よりはるかに鈍感であったと思われる。外国人が日本で見聞きした見聞録にかかれているから分かる。既に,江戸時代さえ遊郭はあった。また,河原者なとど呼ばれた者も身を落とした同類である。それだけではない。年に一度のお祭りなどでは,今日にいう『フリーセックス』さえが黙認された所さえある。思うに,これは日常的に行われた訳ではないので,子の無い家庭への配慮であったのかも知れないが。今日のように人工授精ができない訳だから,考えようによっては最も合理的であったのかも知れないね。して,天神様からの授かりものと言っていたのだろう。明治以後もあったし戦後なども勿論ね。特に,戦後の一時期はひどかった。
 この種の問題を犯した者への対応はどうなっていたのかは興味あることではないか。
 新約聖書にこれに関する記述がある,「姦淫した者は石打の刑」とね。分からない者のための解説,石打の刑とは,該当者が広場に引き出され,広場に集まった者全員から石を投げつけられる処刑法なのだ。これで分かるだろう。その大罪さかげんが。
 これを変える契機となったのはイエスである。
イエスの元にはこのような者まで集まってきていたのだ。時の律法学者(いわば法律の番人だな),パリサイ人(律法を厳格に守ることを主張する人達)から該当者(マグダラのマリア)は石打の刑に処して然るべきでは無いかと詰問された。そのときのイエスの言葉がまたふるっている。「心の内にて,姦淫せぬ者は,これを石で打て」と言った。後は,1人去り,2人去り,最後には1人も残らなかった。と聖書は記している(弟子達の言葉)。
 ここで,イエスはマリアを単に救っただけではない。律法が禁止したのは「具体的な姦淫」であったが,イエスは「心の内の姦淫」をもこれを罪としたのだ。ここに,道徳規範の昇華がある。
 そこで,こういう基準からすれば,日本人たちの姿は,『礼儀はただしいが,節操が無い』とフランシスコザビエルを始めとする宣教師たちの目には映ったのであろう。
 これに比べれば,日本は寛大な国(キリスト教徒達が日本人を見下げる理由でもある)だ。せいぜい離縁される程度。戦前でさえ姦通罪に服した程度。戦後はどうだろうか。姦通罪(既婚者の話)は廃止されたので罪に問われることは無いようだ。その代わりと言ってはなんだが認められる離婚の原因ともなっている。条文では不貞となっているがね。勿論,結婚生活を破綻にする原因を作った訳だから民事訴訟の損害賠償責任も負うことになる。ただではすまないから注意することだね。
参考 浮気の時効3年賠償責任20年と長いから安易に考えないこと。例えば浮気が19年後にばれたとしたら,この後3年間時効はこないことになる。賠償責任は20年間あるから,この場合妻から訴えられれば「損害賠償の責めを負う」ことになるからくれぐれも注意することだ。要件は,妻が被害者の場合を例に取ると,浮気をした女性が「妻の存在を知っていた事」だ。
 話は戻るが,この問題は律法で禁止しなければならなかったほどだから,実は多かったのだ,聖書にも残る,パレスチナ南部死海南端にその昔あったソドム・ゴモラの町などは姦淫の町と言われ道徳が崩壊していた。がために硫黄と炎で焼き尽くされたとある。また,逃れたアブラムの弟の子ロトの妻も振り向いたために塩の柱とされたとある。昔を懐かしんだと見られたのであろう,これは神の摂理に反するので殺されたということだ。実際のところは荒野の生活に不安を感じ,神の言葉を信じられず町に戻ったのであろう。今日に言う『離婚』である。彼らはそれゆえ死んだことにして記憶から消し去ったのであろう。それほどまでに天地に満ちていたと言うことだ。
 であるから,神代の昔から,実際の所も,恐らく人類最初の商売だと思う。ましてや,貧しい時代である。大恐慌の時代,庶民はどんな生活をしていたと思う。大失業の時代だったのだ。生きていくためには奇麗事を言っていられる時代ではなかった。やむをえず私娼に身を落とす婦人が増えている。と当時の新聞に載っている。それこそ,金がもらえたら何だってやる時代だったのだ。何せわが娘すら女郎屋(江戸時代は吉原が有名,要するに売春宿)に売る(餓死させるよりマシだったのだろう)時代だったのだから。金がもらえるのだ有り難かったに違いない。アメリカだって食べていけず自殺するものが後を絶たなかった時代だ。アメリカに大恐慌が起こった直前にエンパイアステートビルは建ったのだが,一躍ここが自殺の名所になったと言うから皮肉なものだ。かのビルは,実はアメリカの繁栄の象徴として建てられたのだ。なんとも無念であったろう。だから,こういう時代,こうでもしなけりゃ生きていけない者はたくさんいたのだ。
 つい最近ではないが,ソ連崩壊のとき何が起こったと思う。ルーブルが紙切れ同然になったとき,女子大生は卒業しても就職も無くやむを得ず娼婦になったのだ。いや,表現が悪いな,なった人もいたと言った方がいいだろう。全ての人がそうなった訳ではないからだ。
 軍に強制されてやらされたなんて言いがかりもはなはだしい。背景を考えれば納得ずくでやったのははっきりしている。そもそも従軍慰安婦なんて職業はなかった。そういう言い方も無かった。では,なぜ従軍慰安婦などという言いがかりが言える状況があったかは考えてもいいだろう。
 誰だって商売をやるときは儲かるようにしたいものだ。その意味で軍隊のそばは,それこそ軍隊そのものには女性がいないので最も需要があると見込んだのだろう。軍隊は何しろ男がひしめいているのだから,工場のそばに作ったところで,女性労働者が多い訳だから商売はあがったりになるだろう。そんなことは誰だって考えつくことだ。だから軍隊のそばに作った訳だ。儲かればどこでも良かった。が,軍隊のそばが最も好立地と思えるだろう。これが軍隊のそばに慰安所が作られた最大の理由だ。幸い言い訳もつくしね。兵隊の慰安として(戦時中,贅沢は敵ということでパーマネントなどは禁止された。したがって,この種の商売も下手をすると禁止されたかもね。先の理由で認められたということは有りそう),国に軍に協力しているとね。そう言われればむげに反対はできないものである。若くして死んでゆくかもしれない者を前にしてだ。せめて,………と。
 強制労働まがいのこと(実際は徴用の事)は確かに,鉱山などであったようだ。義務であったから徴用されてもそう感じたという意味でね。女子勤労挺身隊もあった。これは工場などに動員されて働いた女工のことである。断っておくが,これは断じて慰安婦ではない。男子は兵隊に行ってしまったのでその穴を埋めるために女子が動員されたのである。そういう意味でこちらは国家の指導の下に行われたものである。時に国家総動員法(この法律によって自国民が徴用できるようになった。朝鮮人も自国民であったのだよ。内地の朝鮮人にも選挙権は有ったし,国会議員もいた。日本の選挙権は現地主義を取っていた。現在もそのようだ。それで内地に住んでいない人は日本人も朝鮮人も,台湾人も選挙権はなかった。従って,当時としては,走り出してしまった後でもあり,緊急時でもあることも有って,これが作られた事自体はやむを得ないであろう)なるものが制定された。
 何故今ごろ,戦後のすぐ後なら皆も覚えているだろう。事実の確認も取れたろう。やったとされると人たちが死ぬのを待って被害者面していると言われたらなんとする。ゆすりたかりもいいかげんにしてもらいたい。こういう被害者を作り上げたのは『日本のごろつき記者』である。何で『ごろつき』というか,こいつらは有りもしないことを書き立て『国民の税金』を無駄に使わせ自分達はそれをネタに著作料を掠める算段だから『ごろつき』なのだ。
 『鵜の目鷹の目』とはよく言ったものだ。この種の人間は世間には,残念だが五万といる。いわば人間の屑なのだが,さも正義漢ぶっているから始末が悪い。ちょっと見ても区別がつかない。世間を騒がして,自分が正義ぶって書いた物が売れれば,炊きつけるのに投資した金はお釣りがついて戻ってくる。上手い汁が吸えることを知っているのだ。本当にダニみたいな不愉快な者だ。
 国民の名誉を犠牲にして上手い汁をすう。こんな者はそれこそ『非国民』である。
 今後もこういう者は出るだろう。事実を調べ騙されない賢い人間になることが我らの名誉を守るためには必要だ。そのためには過去の歴史に目を閉じるのではなく真正面からこれを見据え研究し我らは何をし,何はしなかったのかを絶えず学びつづけることがどうやら必要と言うことだ。
15.2.20加筆
 15.2.19の報道によると,民主党の岡崎トミ子参議院議員は,この所謂「慰安婦問題」について,韓国まで出かけていって,韓国人と一緒になって,反日デモに参加して,「日本は元慰安婦に対して補償せよ」などと叫んだとは書いては無かったが,そのためのデモだから叫んだも同然で,日本に対して「拳をあげた」のである。民主党からは糾弾の声があがったが,当然のことであろう。本人は帰国して,日本に対して「拳をあげたつもりは無い」と,言ったそうだが,そこにいればそういう意味に受け取られることが分からないでデモに参加したとすれば,「馬鹿」の一言だ。自分の言ったことに潔く責任を取らないこの姿勢は,女特有の甘えであろうか。詫びるようなことはするな。いつの時代も「慰安婦」のような存在は,必ずいるのである。日本軍がした訳ではない。このようなことに情緒的に首を突っ込むとは,国会議員は,国民の利益の代弁者であることを忘れている。国民の税金から給料を貰っているのであって,韓国民から給料を貰っているのではない。韓国のために尽くしたいなら,韓国に移住し韓国籍を獲得し,韓国の議員となり韓国のために活動すればよい。日本人である必要などないわ。国賊議員というのだ。執行部は「まあまあ」といって,まるく収めたようだが,それならそれで,今後そのような活動をしないとの誓約書くらいは出させるのが,民主党のためだと思うよ。
 国会議員は与党議員であれ,野党議員であれ,国益の代弁者であって,日本の国益を考えて行動すべきことは当然である。国内では,それぞれの立場から,どんなに議論を闘わせても良い。それはより良い選択のための議論と考えてのこと。結局国民のためだからだ。が,ひとたび国外に出れば,野党の議員であれ,日本の国会議員の言動として外国からは受け取られるのである。この区別もできないような人は,国会議員になる資格はない。と,私は考えますがな。本人にはよく反省して,日本の議員であるという初心に返り国民のために頑張ってもらいたい。それができないのなら,議員辞職をし,自分の信念のために活動すればよい。(/15.2.20)
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