最終更新日:平成16年5月7日

5章 米国の罪状

前書き
 本論述は私個人の見解です。こんな考えもあるのか位に読んでいただければと思います。また,本件についての著作権は放棄するものではありません。





 原爆投下という無差別殺人
 インディアン殺戮の米建国史と人種差別
 戦略爆撃に見る米国の冷酷な国民性の本質
 殺人シーンはドラキュラ製造マシン
 対キューバは歴史的和解の時




 アメリカ人(白人)はかなり冷酷になれる人種だ。前頭葉がよほど発達していると見える。アメリカ人の本質を知っておくことは,自国の安全をゆだねる国として,極めて重要である。
 >索引に戻る

 原爆投下という無差別殺人
 アメリカ人(白人)はかなり冷酷な人種だということは知っておくべき内容だ。訳かい。日本に対する8個の原爆投下計画は無慈悲なものだ。無抵抗の婦女子が一杯いるというのに,何のためらいもなくよく出来るってことよ。
 日本軍もしただろうって。確かに,爆撃はしたさ,軍事施設にね。日本には軍事物資が少なかったから婦女子まで無差別に焼き殺す余裕なんてなかったというのが真相かも知れないが。どこの国に対してでもだよ。銃ひとつとっても歩兵では,普通連発できる小銃が使われるものだが,日本では弾薬を節約するために,単発銃が主流だったのだよ。後は,銃剣での白兵戦だ。いかに火力を節約した戦争であったかがわかろうというものだ。大体真珠湾攻撃のときでさえ石油の貯蔵タンク群は爆撃しなかったのだよ。純粋な軍事施設とは見なかったのだねきっと。原爆の温度はものすごいものだ,人間が蒸発してしまう凄さなのだよ。蒸発するのだよ。肉が蒸発そんな馬鹿なと思うでしょうね。そう思いたいよ。実は分子は原子を結びつける力が働いているから普通は分解することは無いが,温度が極めて高くなると原子の運動が激しくなり分子として結び付けている力を上回るのだ,その結果分子はばらばらの原子になってしまう。―これ実は専門用語ではプラズマ状態という,もっともその温度まで至らない肉体の部分は炭化が起こっているがね。炭化は蒸し焼き状態になったとき起こる。即ち,燃えるスピードに酸素の供給が間に合わないときに起きる現象だ。―これを蒸発と言ったのだ。普通の蒸発とは違って凄まじいものだ。何万度という高温になるのだ。その上に放射線の嵐だ。この効果を家畜を使って確認した上でやってのけた訳だから無慈悲だというのだ。とても人間のすることではないね。該当の米大統領『トルーマン』は悪魔だよ。
 東京大空襲のやり方もそうですね。周辺部を円状に焼夷弾で爆撃炎上させておき,逃げ道を塞いでおいて中心部を爆撃炎上させるという悪辣無慈悲なやり方をしたのだ。少なくとも慈悲の心はないね。悪魔に心を売り渡した者にしか出来ない仕業だね。
 しかも,凄いことを言うよ,アメリカは。無法者の国に核兵器は持たせられないと。確かに理屈としては通っているが,だいたい核兵器を人間の上に落とし大量虐殺(国際法違反の大虐殺,参考文献H参照)をしたのは,誰がなんと言ってもアメリカを除いてないね。無慈悲なヒトラーさえしなかった。彼は興味も持たなかった。もっとも彼は実現を疑ったから開発させる気がなかったのだがね。無法者を言うなら自分自身に当てはめたらどうでしょうね。
 アメリカがやらなかったら誰もしなかっただろうね。もっともアメリカが開発したからこそ原子力発電という道が開けたのだから開発自体は良かった面はある。しかし,戦陣で戦っていた司令官達、西南太平洋方面連合軍最高司令官ダグラス・マッカーサー将軍、西欧方面連合軍最高司令官ドワイト・D・アイゼンハワー将軍や大統領つき参謀長ウィリアム・D・レーヒ提督らは原爆投下の必要性を感じていなかった。が、投下したかった人達『オッペンハイマーはその筆頭』がいたということだ。人類の歴史に刻まねばなるまい。『人間に原爆を落とした唯一無慈悲な国アメリカ』と。
 また、開発を『ルーズベルト大統領』に進言した『アルバート=アインシュタイン』は,ドイツが降伏した後は,進言を後悔し大統領に投下を止めるよう嘆願している。この人はドイツからアメリカへ亡命したユダヤ人で相対性理論を発表した超優秀な物理学者である。核物理学が専門で湯川の招待で来日した事もある。その時彼は宮城県の女川を訪ねたのだが,その時そこに集まった人たちの顔を見て,何ともいえない故郷に帰ったような感じを受けたと述懐している。そこにユダヤの面影を見たということであろうか。古都を始めとして古い伝統がいっぱいある日本のことを,彼アインシュタインは大好きだったのだ。もっともドイツと一体となった日本は嫌ったが。同盟を推進した時の外務大臣松岡洋右も『最大の失敗だった』と述懐している。このように獰猛で凶暴な国。例える動物が無い程だ。一応彼らアメリカは鷲のつもりだろうが,鷲以上だ。だから油断なく敵にしないように付き合うのが利口というものではないか。私はかく考えればこそ,対米友好と同盟を第一に考えるべきと思うのです。敵にしたら怖い国なのです。言うだけでなく,実行する力を持つ無慈悲になれる国であるから。別に,トラの威を借る狸というわけではないが。私達はまともな人間でありたいと考えます。
 >索引に戻る

 インディアン殺戮の米建国史と人種差別
 アメリカ人(白人)は何故かくも無慈悲になれるかを研究しておくことは用心のためには賢明なことだ。実は,この性格は建国の歴史と深い関係が有る。
 彼ら白人は,土地を奪われた,あるいは仲間が殺された復讐に,一人の白人でもインディアンに殺されると,その部族を皆殺しになるまで報復して,反抗の根を断ってきたのだ。これを30年もくり返せば反抗する部族はいなくなる。皆殺しにされてはたまらないからね。して,肥えて豊かな土地に住んでいた全土のインディアンを駆逐し,根絶やしにし,残った少数のインディアンを不毛のロッキー山麓の『居留地』に押し込んだのだ。その歴史は血塗られた歴史で,この時代,歴代の大統領になった人達は,この殺戮の歴史の中で手柄をあげた者,即ち,『大量虐殺をやった英雄』=『殺人鬼』である。もっとも彼らは自分たちを殺人鬼とは思っていないよ。何故だと思う。当たり前だよ『インディアン』は人間と思っていなかったのだからね。これを殺す事は猟をするような感覚だったのだ。猿ぐらいにしか思っていなかったのだよ。『人種差別』は凄まじいものだったのだ。
 私が高校の頃に見た『ローハイド』。アメリカの連続西部劇である。ローレン,ローレン,ローレンローホーで始まる歌がこの主題歌だ。年配者は知っている方も居ろう。当時この劇をどんな気持ちで見たかを書くことはいろいろな意味で示唆に富んでいる。インディアンが駅馬車を襲う。ヒーローが登場して,かっこよくインデアンを銃撃してこれを撃退する。実に意図が明快である。インディアンが砦を襲うこともあるが,一貫して貫かれているスタイルは,悪者は「インディアン」,善人は「白人」。「インディアン」が不法にも攻撃するから白人は,これを「やむを得ず撃退する」その際殺人も限りなく行なわれるのだが,なんのためらいも無く,やらねばやられるから殺すと言うシナリオであることが分かる。子供心に「インディアンは何と悪いのだろう」と,思った(すみません,浅はかでした)。私たちは,白人の側に立って見ていたのだから,今思えば悪人に見えるのは当然であろう。教育は怖いとも思う。これは学校教育に限らない。ニュースで繰り返し流れる報道も,ある意味で教育である。知らず知らずの内に洗脳され,その影響を受けるという意味で。また,映像も同様である。「スポット」が当てられた部分だけを,白人の側からだけ見ていては,征服者によって巧妙に歴史の背後に隠された「インディアン」達の虐げられた,悲しい現実は見えてこない。大事なことは,双方の視点から,少なくとも客観的に見るということをしないと,「虚像を見る」ことになるという事実を知っておくことはとても大切な点だと考えます。我々自身が既に,白人の歴史観に頭が殆んど占領されていることにどれだけ気づいているであろうか。これは,報道の自由を奪い,批判の目を奪って,自由に考えることを奪ったアメリカの占領政策の「最大の成果」でもあろう。アメリカにとって,無批判にアメリカの言うとおりになる国民を作ることはアメリカの国益だったのだから。今の国民に,戦後アメリカによって強制された教育には,勿論,良い点はいっぱいあるが,アメリカの視点にたった教育が強制力をもって成されたことに問題点があることをどれだけの者が感じているであろうか。これさえはね除けて頑張った日本人は一杯いるが,それは戦前の戦いを知っている者に多いと言っては過言だろうか。どこが良くなくてどこが足りなかったかをかみしめた者たちが戦後の日本を不死鳥のように甦らせたのである。
 日本はこの白人社会に存在する『人種差別』を何とかしたいと考え努力した唯一の国だ。で,第一次世界大戦の後,1919年国際連盟の規約に国家による人種差別を止めることを提起したのだ。多くの国は賛成したのだが,アメリカと英国は反対し,このような重要案件は全会一致でなければだめだとし,これを葬り去ったのだ。それまでは多数決で決めてきたのにだ。今でこそ,紳士の顔をしているが,その昔は,醜悪な『人種差別主義者』だったのだ。勿論,日本人も,猿ぐらいにしか思っていなかったのだよ。で,話を戻すが,その『殺人鬼』が白人社会から大統領に選ばれたのだ。彼らは自己中心的で,無慈悲な『ハエエナ』そのものだった。現代的表現で言うならさしづめ,無慈悲な『エイリアン』であろう。この光景を彼らは自分達の脳に刻んできたのだ。それが彼らの古い皮質の中にある正体,であるから無慈悲なのだ。人間の皮を被った狼以上である。
 お腹を空かしたら何をするか分らない。仲間が殺されたら何をするか分らない。それが彼らの正体であること位は知った上で付き合うことが賢明であろう。
 >索引に戻る

 戦略爆撃に見る米国の冷酷な国民性の本質
 こう考えると,原爆投下も,東京大空襲も,ソンミ村の虐殺も,北爆も,アメリカがよくやる,民間人も全て焼き尽くす戦略爆撃も,全てが理解できるであろう。この戦略爆撃の本質は,住民を皆殺しにし,恐怖感から反抗の芽を絶つことがその目的で,考え方はインディアン殺戮の考え方とまったく同じである。こうした考えが取れるのは,敗れる事はないと確信が持てればこそ出来る事なのだ。日本が風船爆弾を使って,細菌戦を出来なかったのも報復を恐れたからだが,そのことを見ても解るであろう。もっとも,米国民一人一人が残酷な「性(さが)」を持っている。日本兵及び民間人は捕虜として,まっとうな扱いを受けたものが大多数いることはよく知られたことである。が,次のような無念な者たちが多数いることも事実として受け容れなければならないであろう。その「性」は敗れて殺された日本兵や民間人に対する仕打ちを見れば分かろう。耳や鼻を削ぎ(切り落とすこと),女を強姦しては殺害し,その女陰を切り取り,また兵士の口をこじ開け金の入れ歯(金目のものだから奪われたのだ。昔の入れ歯は金冠なので「コンコン」とやれば簡単に取れたようだ)を穿り出し,これらを全て「戦利品」として戦場から持ち帰った者が多数いるのだ。勿論,肉は塩漬け(耳は酢漬けにした)としたのだよ。この者たちがやったことは金歯を除けば,インディアンに対してやったことと同じである。とても文明人の仕業とは思えまい。悪鬼の頭とも思えるであろう。昔,東欧にドラキュラ伯爵がいた。「ドラキュラ」は吸血鬼として知っている方も居るかと思う。むしろこちらの方が有名でしょう。彼は戦って殺した敵兵を,尻の穴から杭をぶち込んで敵兵が進むであろう街道の両側に数限りなく林立させたそうだ。その目的は何だか分かるかね。敵兵に「我が国に攻め入ればこうなるぞ」と,教えるためだが,多くの兵士は士気も萎え気分が悪くなったと伝えられている。この伯爵,子供の頃自宅の窓から,すぐそばの刑場で人が殺されてゆく様を毎日のように見ていたそうだ。こういう経験をすると精神がおかしくなる(人格障害)のであろう。米国民もこれと同じで,インディアン虐殺の体験を多数している。ここに問題の本質があることが分かるであろう。つまり,子供の頃に,殺人を多数見ていると精神がおかしくなるのである。つまりは米国人には多数のドラキュラ伯爵がいるということである。これは大人の責任だ。先ほどの件は,これとさほどに違いは無かろう。こんなことは日本の兵士はやってはいまい。たとい殺すことはしても。死者を冒涜することは日本の文化と相容れないからだ。死者を切り刻むなどという風習は日本にはない。死者は敵も味方も,神となるのだから。戦場は正に修羅と言うに相応しい。米国のこの強圧的な態度はよく外交にも垣間見られるから注意して見ていると分かるであろう。彼らはキリストの教えは言うが決して「クリスチャン」ではないのであろう。戦場は殺人が合法であるだけではなく,どんなことをしても「闇から闇」の場合が実に多いから,人間の「性」がもろに出るのである。ブレーキをかけられるのは本人の道徳規範だけなのだ。
 >索引に戻る

 殺人シーンはドラキュラ製造マシン(H14.8)
 この問題は,最新の研究によると,人間が理解を共有できる能力とも関係する。自分はしなくとも,映像を見るだけで脳に理解するための神経回路ができ,体験を共有できるようになっているという脳の機能に関する実験研究結果の報告がなされている(NHK)。このことの意味することは,映像を見るという疑似体験で,あたかも自分が経験したように,脳は反応するのだ。だから,成長の過程にある,既に出来上がっている脳の神経回路に対して,神経回路が形成される割合が比較的に多い,年齢の小さい段階で,殺人のような映像現場を見ることは同様の経験をもっぱら自らすることと同じ効果があるのだ。従って,これを見る回数が多ければ多いほど,その影響は計り知れない。よりドラキュラ伯爵に近づくことを意味している。人間性の粗暴化,凶悪化につながってゆく効果が強烈なのだ。このことは,今日,若者が突然切れたり,凶悪な事件を起こすことに,マスコミやマスメディアが提供する殺人シーンにその原因の大半があるということだ。つまりはドラキュラ伯爵の大量生産にマスコミらは狂奔していると言っていい状況だ。青少年の凶悪化,人格障害はこの種の映像がその大半の原因となっているわけだ。この問題にメスを入れなければ若者の凶暴化を防ぐことはできないであろう。敢えて言うなら,マスコミらの金儲けの犠牲に彼ら若者はなっているとも言えよう。表現の自由などと言っていられる状況ではない。具体的な殺人シーンは少なくとも全てカットすべきだ。大人の映画をも青少年が見ることだってあるのだから。具体的な殺人シーンを挿入しなくとも作者の言いたいことは表現できるだろう。子供や若者には,残酷なシーンではなく,もっと心が温まるような,人類愛や,自然と円満に共生する姿や,愛情に満ちた映像などを見せるべきなのだ。そういう疑似体験を通じて平和で円満な人格が作られるのだ。殺人シーンなどを見せていては円満な人格の形成はおぼつかないことは言うまでもないだろう。
 >索引に戻る

 対キューバは歴史的和解の時
 未だに,アメリカに反抗したキューバの民族主義者,愛国者であるカストロを許しはしない。
 なにをカストロは共産革命をやったからこれに敵対したのではないかと言う人もおろう。私もかつてはそう思った。いや,そう思うようにレールを敷かれたと言った方が正しいだろう。当時のキューバはどうなっていたのか。革命が起こる前。考えても見たまえ,アメリカの大資本がキューバ人をこき使いサトウキビを栽培させ収奪に近い状況だった。正に,植民地の如き状況でありキューバ人は貧しかった。彼らに明るい未来は有ったのであろうか。ありはすまい。愛国者なら,民族主義者なら,この状況を何とかしたいとは考えぬか。考えるであろう。少数の民族主義者が,絶壁のように聳えたつアメリカと単独で戦って勝てると思うだろうか。思えはしまい。彼らに手を貸す国があるとすれば,これに敵対する国を除いてないだろう。共産主義者でなくともこれと手を結ぶは戦略というものであろう。
 だから彼はソ連と手を結んだのだ。当時他に手を結べる国は無かった。彼は,東西の対立を利用したのだ。これは弱小国家が生き残る道でもあろう。とても,非難する気になれないね。と言うと,アメリカは怒るだろうが。でも,もっと大人になれよ,『アメリカさん』と,言ってあげたいね。アメリカだってその昔,イギリスの植民地だった時を覚えているか。君達に本国が『印紙税』を始めとして様々な税を課税したとき,どうしたか。君達の先祖も本国の仕打ちに反対して,独立闘争を始めたのではなかったか。誰だって,差別的に支配下になることを善しとしないのだよ。君達が見本を示して来たのだ。独立軍はフランス,スペインに協力をしてもらっただろう。真似をしたとて驚くことは無かろう。当事者もこの世から消えようとしている。もう歴史的和解をしてもいい時期が来ているのではないか。
 たとい敵であったとしても,ひとかどの人物は,『尊敬に値する』と,考えるが。もっとも,私達にとって敵であったことは一度も無いどころか,昭和天皇崩御の折は,キューバ全国民が『一週間の喪に服した』という。これだけ礼を尽くした国民を指導者を他には寡聞にして知らない。もちろん,彼の指導があってのことと思われる。
 我々,日本人ですらどれだけした者がおろう。彼は義に篤い方と見受けられるが。仲直りの手を貸すくらいアメリカのために,キューバのために日本はしても良いと考える。また,これを受けるはアメリカの度量の証明となり,『流石はアメリカ,度量が大きい』となるだろう。これはアメリカの価値を高めこそすれ,下げることは無いと思われるが。
 >索引に戻る