最終更新日:平成17年1月12日

2章 現代史の検証

前書き
 本論述は私個人の見解である。こんな考えもあるのか位に読んでいただければと思います。また,本件についての著作権は放棄するものではありません。




 米英の立場と日本の立場
 占領軍総司令官「マッカーサー」
 大恐慌時代の国民
 極東国際軍事裁判、敗戦国の立場
 歴史観の相克
 争いの原因
 ナチ台頭の原因
 ユダヤ難民と日本




 靖国神社参拝問題
 靖国神社参拝はけしからんと言う。戦犯が合祀されているからとんでもないという。だが,裁判で裁いたのは戦勝国で敗戦国ではない。喧嘩で勝った者が負けて泣いている者に対して正義ぶっている姿は滑稽である。
 米英の立場と日本の立場
 例えば「アメリカ」彼らの国が最初から有った訳ではあるまい。メイフラワー号でプリマスに降り立った新教徒の一団(移住したのは,学校では教科書で敬虔な新教徒と教わったが,新教徒だけでは船体を満たすことができずに,実は多数の悪漢も新大陸に渡ったのだ)は,その冬を越す食料もなく,半数以上がその冬を越せずに死んだ。また,インディアンに食料を分けてもらい助けられたのに,やがて,インディアンを殺し土地を奪い殺戮の限りを尽くして建国して行くのだ(参考文献F参照)。言わば居直り強盗である。彼らは受けた恩に報いたのではなく,仇で返したのだ。実に血も涙もないエイリアンのようだ。で,彼らは,殺戮の限りを尽くしたかどで誰からか裁かれたであろうか。もし,裁く者が現れるとすれば彼ら自身であろう。時間はかかるかも知れないが,彼らの良心が歴史をかけて裁くであろうし,そうして欲しいと考えるのは私だけではないであろう。アメリカとは,所謂,自浄作用が働く素晴らしい国でもある。これが所謂アメリカの良心である。ではあるが,これだけのことをしてのけた彼らに正義を語る資格はあるのであろうかとも思う。
 ハワイ併合にしても移民をどんどん送り込み弱小国家が反抗できないことをいいことに合法的に併合したのだ。これは正義ではあるまい。
比較しては悪いが,オーストラリアでは既に原住民の権利の回復が一部認められているのだが,アメリカはまだその気は無いようで,他国にあれこれ言う割には,自分に対しては甘く,贖罪の気持ちを表す気は今のところないようである。
 英国にしても然りである。七つの海を支配するまでに植民地を広げた。そこには原住民が居たであろうに。この人達の人権を蹂躙し白人の王国をそこに築いたのだ。そこに正義があるのだろうか。ありはすまい。彼らに日本を裁く資格はあるまい。
 と言っても,別に彼らを非難しているのではない。どんな国にも脛に傷はあるものである。対米戦に限って言えば,「アメリカ」が,先に殴らせるように[日本」を追い込んで,とっちめたというのが真相ではなかろうか。それなら日本だけが卑屈になる必要はないのである。
 最新の情報では,アメリカは日本の暗号を全て解読してその内容を大統領を中心として政府の中枢は知っていたということだから,アメリカのシナリオどおりに展開させたということだ。もともとルーズベルト大統領は,選挙公約で,『若者を戦場には送りません』と言って大統領に選ばれたから,アメリカからは参戦できなかった。が,ヨーロッパ戦線はナチの席巻するところなり危機感を感じていた。ドイツを挑発したのだが乗らなかった。そこで同盟国の日本を締め上げて先に攻撃させざるを得なくなるように追い込んだのだ。見事という他はない。戦略的な発想が出来るという意味で,1枚も2枚も上手である。アメリカのやったことは卑怯なのではない。アメリカの立場ならそうするのは上策であろうからだ。彼は,『自国民を生贄にする』ことさえ躊躇わなかったのであろう。国民を怒らせ,対日憎悪に駆り立て,参戦するために必要な犠牲と考えても不思議はない。戦争に犠牲者は付き物だから犠牲を恐れては大業は成しえない。彼は冷酷で冷徹な指導者とは言えるだろう。こうして,アメリカによって仕組まれた「日本軍による真珠湾攻撃」をアメリカ国民に『真珠湾奇襲攻撃』として信じ込ませることに成功し,「リメンバー,パールハーバー」を吹き込むことに成功した。これでアメリカ国民は,日本に対して,憎しみに燃え上がり,率先して戦争に出陣して行くようになるのである。そう考えると「ハルノート」もこの流れで捉えれば納得できよう。受け入れてもらっては困るわけだ。であるから到底受け入れないであろう条件を付けたのだ。アメリカにとって日本が反発して開戦に踏み切ってもらいたかったからだ。国際政治とは非情なものだ。どこまでも国策遂行のためにどうするかが求められている。まさに,ルーズベルト米大統領やスチムソン米国務長官の思惑通りに展開して行く。彼等は狂喜していたに違いない。日本は彼らの手のひらで踊っている正にピエロのようである。戦略的な発想の出来ない民族の悲しさである。もっとも,真珠湾であれだけの被害は予定外であっただろう。彼は日本を完全になめきっていたからだ。丁度今の中国の江沢民元国家主席(彼は改革開放を推進した最高実力者,ケ小平により,1993年3月,国家主席に抜擢される。彼は徹底した反日教育を推進し,各地に反日宣伝施設を建設する)をはじめとする要人のようにね。「(靖国参拝を)やめなさい」と言う言葉になめきっている本音が出ている。抗議しない当時の外相も外相だが。もっともこの人は連絡係でしかないがね。外相とはどんなものかが分っていないのでしょう。支持者は大勢いたようだが,その言動は人格者のそれとはとても言えない。傲慢なお嬢そのものだ。絶対的な権力を欲しいままにした元首相の娘だったから,取り巻きの連中は崇め奉り,我侭し放題に育ったのであろう。だから,あのような口のきき方をしても何の異常も感じないのでしょうね。極めて,鼻持ちならない存在だと自分では気がつくこともないのでしょう。
 日米開戦の直接原因となったハルノート自体はハルが書いた訳ではないので彼自身は不満に思っていたようである。また、最近の報道によると,このノートはソ連のスパイの手によるものと分かっている。つまり,日米開戦にもって行かせる事は当時独ソ戦を戦っているソ連にとって死活的に重要な訳であった。東西から挟撃されたらソ連は持たないからである。日米開戦のお蔭で極東のソ連軍を対独ソ戦に投入できスターリングラード戦の勝利へと結びついたのだ。日本の中枢に食い込んだ,ドイツ大使館員であったソ連スパイである「ゾルゲ」同様にソ連スパイ恐るべしであろう。もっともこれもすでにスターリンによって捨てられたが,これ自体は各国の共産主義者は世界革命の拠点であるソ連のために働くことが義務付けられていた国際共産主義の賜物ではある。この意味では,日本にとって当時の共産主義者はソ連に奉仕する国賊者であったろう。治安維持法によって処分され転向を迫られたのはいわば当然といえば当然であって,為政者はしごく当たり前の判断をしたということであろう。
 ここで,事の本質に迫ろう。何故アメリカはナチの席巻を善しとしなかったのであろうか。
 第一の理由,強力なコントロールの効かない国の存在はアメリカの国益に反する。彼らが自由にアクセスできる市場を確保することは大統領を支配するアメリカの大企業の意志である。
 第二の理由はイギリスは彼らの母国,独立戦争で敵対したとはいえやはり故郷である。故郷を渡したくはない。
 第三の理由,アメリカの政治及び経済界に大きな影響力のあるユダヤ人を迫害している。
 第四の理由,これは付け足しのような理由だが自由と民主主義に反する。
 戦前は,民主主義国家に該当する国は,実はほとんどなかった。所謂列強があったのみと言ってよい状況である。列強はいずれも植民地支配を続ける国々であるから,被抑圧民からは民主主義国家とは言いがたい。所謂『帝国主義』の国々だ。ソ連は共産主義だが,連合国側に立つ。もっとも,ナチに攻められたからからだ。最初はドイツと共同でポーランドを分割し領有したのだからね。この国野良犬根性と同じだが領土ならいくらでも欲しい国だ。理由は,彼らとて極寒の地に好き好んで住んでいるわけではない。できれば暖かいところに住みたいのだ。それが伝統的に南下政策を取った理由だ。それにしてもソ連は戦後領土を拡大した唯一の国だ。
17.1.12加筆
 実は調べて分かったことだが,ソ連に加える必要のある国がある。中華人民共和国という帝国である(この国の行状からはこの名が相応しい)。この中華帝国は戦後毛沢東率いる赤軍が周辺諸国を武力によって併呑し領土を拡張し現有地域を自国領土として開き直っている。領土が歴史上の最大版図になっていることで分かろう。チベット・ウイグル・内モンゴルと満州といわれた東北三省等である。所謂満州や内モンゴル・ウイグルは武力によって得た関外(万里の長城の外地)でありチベットは険しい自然が事実上の国境となっていた。これら地は全て漢人にとって領土という意識はなかったのだ。また,清は女真族の王朝で,征服王朝であるから,最後の皇帝溥儀にとって満州は祖先の地であった。侵略しても長くその状態を維持すれば領土となるということであろうか。陸続きの大陸国家は,侵略すれば領土は拡大し,侵略を受ければ領土は縮小したり移動したりする。また,滅ぼされれば領土はなくなるのである。だから中華帝国がそこにあるということは,限りない侵略を繰り返し領土を拡大し今日に至ったということだ。この国の人たちは清の時代ですら殺した者を解体し食料にしたというから恐れ入るよ。(/17.1.12)
 話を戻すが,ナチは何故ソ連との不可侵条約を一方的に破棄して侵攻したのであろうね。
 彼は,後背地に不気味な国の存在を許せなかったのでしょうね。その昔,ナポレオンが攻めたとき,敗れ去った事実をあまり重要には考えなかったのであろう。ナチの戦車軍団が余りにも順調に西ヨーロッパを席巻できたから,実力を過大評価したのだろう。自信のある人の陥りやすい盲点である。暖かい所なら勝つことは出来ても極寒のシベリアに耐え得る人がどれだけいるか考えたのであろうか。シベリアは広大だ。ロシアだって数年でシベリアを席巻したわけではない。何世紀もかけて太平洋に至ったのだ。それゆえ,ヨーロッパ大陸を制覇したナポレオンさえシベリアの冬将軍に敗れたのだ。日本がロシアに勝ったといっても暖かい地方での,海戦や遼東半島での戦いで,更に革命勢力という内患がいての上での話である。ということは,陸軍でロシアのシベリアに攻め入って短期に勝ちつづけ勝利を収めることは出来ない。それは極寒ゆえである。これを見誤ったは過信である。よもよも自惚れは禁物,身の破滅の元であるという事ぐらいは学んだ方が良かろう。
 >索引に戻る

 占領軍総司令官「マッカーサー」『I shall return.』の意味
 「マッカーサー」が,フィリピン国民に言ったとされる。実際は記念碑まで立っている『I shall return.』は,私は『必ず戻って《軍国主義者》日本から開放してやる』というように広く一般に言われているが,本当のところは果たしてそうだろうか。私は大いに疑問に思うのである。理由は簡単である。彼ら一族は父君の代からフィリピン総督としてかの地に君臨し,長く統治した。そのせいもあって広大な農場を所有していたのである。誰だって自分の財産が侵されることに無関心で居られる訳はなかろう。放っておけば自分達一族の財産は全て奪われるのである。マッカーサーでなくとも激怒するであろう。その証拠に日本では農地改革を実施して,大土地所有者を悉く根絶やしにした(マッカーサーの名誉のために書いておくが,日本では前から戦後復興のためには農地改革が必要だと役人は考えていたようで,今でも利用される手だが,外圧を利用して兼ねてからの計画を実行したという処もあるようである。マッカーサーの思惑と役人の考えが共鳴したということであろう。勿論,マッカーサーが反対なら実行されないのは言うまでもない)が,かの地フィリピンでは,どうしたか。今でも問題になっている。土地問題には決して手を着けなかったのである。自分達の問題として跳ね返ってくる恐れがあったからだ。『自分達の財産を取り戻すため』と言ったら言い過ぎか。物事には表と裏がある。さしづめ表の理由は前出のことで裏の理由がこれであろう。
 >索引に戻る

 大恐慌時代の国民
 国民にしても,大恐慌の前後疲弊していた日本の国民は大陸進出に反対してはいないどころか賛成して,更にマスコミすらあおったのではないか。もっとも一部,国際共産主義を標榜する人たちは確かに反対していた。だが,彼らは国益のために反対したのではなく,国際共産化のためにそれ(反対)がプラスであったから反対したのだから,これを素朴な反対と考える訳にはいかぬであろう。そういう人たちを除くとという意味でである。
 貧しさゆえに,我が子までを売らねばならなくなった人間(東北地方では飢饉に苦しみ娘を女郎屋に売った)にまっとうな判断が出来る訳がないのである(参考文献@参照)。
 今や食うに困った人間は他人のことを考えている余裕がなくなった。中国の人達の事を考えずに進出(日本では長くこう言っていたのであえて侵略とは言わない。どこの国でも,他国に軍隊を差し向けるとき,侵略と言わず,これを征伐とか遠征とか言うようである)していった訳だ。
 従って,国民大衆の圧力のままに,結局のところ国政は動いて行ったということであろう。
 軍人や所謂戦犯だけの責任ではあるまい。国民全体の責任なのだと考えます。
 >索引に戻る

 極東国際軍事裁判,敗戦国の立場
 戦勝国側はなんと言おうと,勝者は自分達を正当化するのは世の常,勝者の論理である。当然のことを彼らはやったまでのことであろう。
 日本の中には,サンフランシスコ平和条約で「極東国際軍事裁判の結果」を受け入れた,つまり認めたのだから,判決は正しいと言う日本の国会議員(社民党の某前議員ら)もいるが,これは国内法のレベルで物事を考えている浅はかな人間の言う結論と思われる。このように愚かな人間は国会議員に相応しくない。愚かでなければ「ねんね」だ。国際的には「力の前には屈するしかない」悲しい現実を敢えて無視しているか,気が付かない。認めたくなくても認めなければ独立できなければどうするか。どちらを重視するかの問題で,どちらが正しいかの問題ではないのだ。日本は,独立を選んだのだ。決して心から認めたのではない。そうしなければ独立できなかったから認めたのだ。喧嘩で負けた弱い者が勝ち誇っている者から「ああしろ。こうしろ。あれ持って来い。あれを取って来い。500万円持って来い」などと言われて,どれだけの者が泣いているか。まさか,言いつけている者が正しいなどと言わないでしょう。また,仮に言いつけに従ったとて,本人が正しいと思ってやった等とは思わないでしょう。この件はこれと同じなのだ。そもそも,この裁判はやってはいけない事後法である「平和に対する罪」等々で有罪としている。法は過去に遡及できないことぐらい法律を学んだ者なら自明の理ではないか。それを敢えてやった訳だからこれは裁判ではない,言わばリンチである。つまりは「力は正義なり」と言っているに等しい。中世の暗黒裁判そのものではないか。こんなものを認めたらそれこそ民主主義の否定である。私は,ことここに至ってアメリカを批判する気はないよ。そうしなければ多分アメリカも国内が収まらなかったのであろう。まとめるために日本国民を代表して生贄とされたのだ。大変な犠牲者が出ているからね。そして,彼は弁解もせず,『全責任は我に有り』と,言って絞首刑に臨んだのだ。服毒自殺した近衛文麿などに比べ,不本意ながら開戦に至った時の内閣総理大臣東条英機(彼は開戦に至ったその夜,陛下の意思に反しやむなく開戦に至れしことを申し訳なく思い慟哭の涙をとめどもなく流した。と,お孫さんは伝えている。)は実に立派である。堂々として全責任を取って死んでいった。それに引き換え一部の国民の何と卑怯な事か,彼のせいにし,つばを吐きかけ自分は関係ないかの如しの者がいる。所詮小人はこんなものか。戦争などというのは利害の衝突で,片方が一方的に悪いなどという性質のものではないことは明らかなのだが敢えて目を瞑り,更に国民がマスコミが追い立てるように戦争に追い込んでいったことなど微塵も反省しない。たまたま敗れたから悪者にされているにすぎないのに。もっとも私としては,できたかどうかは別としても,全て撤退してでも対米開戦は避けるべきであったと考えているが。そもそも国力に差がありすぎ(1/79だそうな)勝てるわけはない無謀だからだ。圧力団体は今でもいるがこれによって国政が左右されることがあってはならない。こういう者の存在が判断を誤らせる原因の一つと言っては言い過ぎか,そうではあるまい。意見を言うのはいいことだ。が,威圧的に執拗に言うとなると民主主義の否定につながることもある。右も左もない。
 このことを考えると,徳川家康の非情なまでの忍耐は国の舵取りをするのにやはり相応しいと言うべきか。この家康,武田へのその長男信康,妻築山御前が内通を疑われ,死を求められたとき,泣く泣くこれに従った。どれほど悔しかったであろう。これは正しいのどうのという問題ではなくどうすれば生き残れるかという究極の安全保障に対するひとつの結論なのである。冷静に考えればの結論である。また,死よりもつらい結論でもあろう。ここで反抗すれば織田信長に潰されると踏んだのだ。果たして歴史は家康の読み通りに展開する。歴史に「もし」はないが教訓とすべき内容だ。
 しかし,独立を回復して,今は,自分たちの目で正確に検証してこそ,敗者の歴史を取り戻すことにつながるのだと思う。真っ先にすることは,報復裁判である先の国際軍事法廷で戦犯にされた人達の名誉を回復することである。彼らとて,それが国益と信じて国民を指導したのであろう。もしも,日本が勝っていたら,あるいは対等な講和になっていたら,彼らは,戦犯にされることは無かったことが容易に想像できるからだ。したがって,状況が変われば罪にならないようなものは罪にしてはいけない。人を殺すのが犯罪なら,かかわった人は全て罰されて然るべきである。おかしな話と思うであろうが,戦争は罪ではないのだ。そもそも,戦争というのは独立国家の権利だったのだ。だから,ベトナム戦争を引き起こし,大量殺戮をしたアメリカは処罰されないし,クウェートに侵攻したイラクも制裁は受けたが,フセインが被告席に立つことは無かった。だいたい,第一次世界大戦以前の戦争は講和会議などの戦後処理は行われても裁判は無かったのである。あえて言うなら負ける戦争を起こしたことが罪と言うなら分かる。断っておくが,勝てる戦争ならやっていいということではない。
 >索引に戻る

 歴史観の相克
 世に言う「歴史とは勝者の歴史であり,歴史観」であれば,そこに書かれていることは真実とはおよそかけ離れている。事実と真実は別なのだ。
 勝者にとって都合のいい事実を並べ,事実ではなく捏造されたものもあるが,創作された歴史が歴史として残っているのだ。この現実を直視しなければならないのだ。
 >索引に戻る

 争いの原因
 もし,我らが考えねばならないとすれば,全ての満州事変以後の戦争の原因である(と,拙者は考える)世界恐慌が何故起こったかを検証することであろう。今では,最近でもないが,NHKの報道によればこの頃に大量の金塊が米国からヨーロッパに移動したそうな。要するに,一握りの大富豪が金儲けのために資金を大量にシフトした結果経済の真空地帯がアメリカに生じたということだ。丁度,タイのバーツの暴落を皮切りにアジアで起こった通貨危機のようにですね。このときも,米国の投機マネーが『てこの原理(手持ち資金の10倍の金を動かすことができる金融の仕組みで,投機のうまいファンドマネージャーの所には皆金儲けがしたいから自然と金が激流のように集まる。して,その10倍の金額は,巨大な投機マネーとなるのである)』を使って大量のマネーを瞬時に移動させたのだ,国家が持っている外貨を遥かに上回る「為替の売り」を浴びせたのだ。こんなことをされたら経済規模の小さい国はひとたまりもない。結果は,国家破綻だ。この時,米国は,アジアの金融危機の際,該当国の通貨が過大評価されていたのだから,単に資金を引き上げたに過ぎないと,規制に反対したのだ。その後,ロシアの金融崩壊を見誤ったこのファンド投機マネーが破綻して,しぶしぶ米国は多少の規制に賛同したのだ。この破綻の際は,間髪をいれず,さっと『公的資金』を投入して,破綻が広がるのを未然に防いだあたりの金融政策は実に見事だ。もたもたと,右往左往しているどこかの国との違いを見せ付けられはしたが。実に米国は身勝手と言えまいか。どこの国も同じだと思うが,要するに自国の企業利益を考えて行動するのだね。しかも,露骨に。だから,アメリカの台詞は正義でも何でもないことがわかろう。『馬脚を現した』と言っては失礼かな。
 こういった,人間の欲望から来る不幸を未然に防ぐためにも行過ぎた金融の暴力にこそ目を光らせ制御する横の連携が必要であろう。
 >索引に戻る

 ナチ台頭の原因
 第2次世界大戦が起こった元々の原因は何であろうか。を考える場合にまず考えねばならないことは何故にかくも過激な思想にドイツ国民が共鳴したかを考えない訳にはいかない。優秀な国民である彼らがである。第一の原因は国民を怒らせ復讐を誓わせるほどに過酷な賠償を第一次世界大戦の戦勝国が課したからに他ならないと考える。よく,戦争責任について語るとき「ナチ」のせいにしてドイツ国民は関係ないような言い方をする御仁がおるが,はなはだ無責任な物言いである。ナチを選んだのは国民である。軍事クーデターではない。となると国民がやったも同然。区別はない。しかし,なぜナチは支持を得たのであろうかを研究することは,群集心理を考える上で重要である。
 国家社会主義。一応社会主義である。ドイツ国民はなぜに彼に未来を託すことにかける気になったかを解く鍵が以下にある。そう,経済政策の成功がある。当時800万いたと言われる失業者に彼は仕事を与え希望の星となったのだ(失業者は50万に減少)。彼がやったことを振り返ってみよう。アウトバーンの建設。今では世界でたくさん建設されている高速道路のプロトタイプである。して,そこを走ることができみんなが購入できる国民車,フォルクスワーゲン=「国民車」を国民に約束した。これは豊かさの象徴である。国民もイデオロギーだけではついて行くまい。が,経済的利益がついてくるなら話は別である。して,経済は回復というかとにかく失業者が激減したことは政策的に成功である。かの人は国民の目には力強く心強い指導者に映ったことであろう。
 現在の日本の状況を考えれば分かるように,経済問題を解決するのは非常に困難なのである。彼は,その意味で超優秀な政治家でもあったと思う。だから,彼にドイツの未来を託したのだと思われる。当時から気になる政策はあったのだが敢えて見ないようにしたのだろう。そう,凡ゲルマン主義とアーリア人の血に対する異常なまでの民族として優秀性を見出した。アーリア人が歴史に登場するのは,古代インド北部パンジャブ地方に侵入し平定し定住した民族としてである。彼らはバラモン教(ヒンズー教はその再生)を生みインドにいまだに解決されない深刻な身分制度であるカースト制度を生み出した民族でもある。して民族の浄化をやってのけた訳だ。分からない方のために書くと,ドイツ人の純粋アーリア人化を目指し,これに邪魔なユダヤ人の除去を考え,収容所へ送った。ユダヤ人虐殺はここからくるのだが,ユダヤ人が標的にされたのには訳がある。
 ある意味で国民に支持されたのである。当時ユダヤ人は,ドイツの金融界を牛耳っていて豊かであった。一般ドイツ人は貧しかった。そこで,彼は『我々が貧しいのはユダヤ人が搾取しているからだ』と,民衆を煽ったのだ。ユダヤ人は商売がうまく,シュークスピアが書いた,「ベニスの商人」に登場する「シャイロック」のように嫌われる存在でもあった。人間には妬みという厄介な妖怪が巣くっているのである。これがユダヤ人迫害を容認した背景である。もっとも,迫害がエスカレートしていくことを歓迎した訳ではあるまいが(内心はそうであったと信じたい)。息を呑む思いで見ていたであろう。が,うかつに口をきけなくてね。うかつに口を出そうものならシンパと見られ何をされたか。
 しかし,なぜにユダヤ人は歴史的にかくも嫌われるのであろうか。私は,どうもキリスト教圏においてはユダヤ人は救世主であるキリストを殺した者の末裔として許しがたい怨念を潜在意識の中に抱かれているような気がしてならない。A.D.30年の頃の話なのだが。だが,聖書に記され未来永劫に消されることはなく,繰り返し語られている現実を考えるとユダヤ人に反感を持つ者が現れても不思議はない。ユダヤ人は最も多くノーベル賞を獲得し,優秀な科学者を輩出している優秀な民族と思われるのだが。
16.12.14加筆
 彼らユダヤ人は盗賊バラバではなくイエスの処刑を口々に叫び,『血の報いを末代までも受けても良いから処刑を』とさえ言い切った。暴動が起こりそうな雰囲気だったので,やむなく行政官は処刑を執行したのだった。彼は,イエスに罪は認められなかったため,『この血に自分は責任がない』とさえ言った。従って,血の代償はユダヤが民族として負うことになったのだ。その後の歴史の展開は,その血の代償を言葉通りに求めてきたとも思われる内容がある。言霊というものがあるかどうかは知らないが,軽々しくこのようなことは言うべきではなかったとは言えよう。言わなければこう聖書に記される事もなく違った展開となったとも考えられよう。「聖書に書かれた」ことによって「ユダヤは憎悪の対象」となるのである。
 この意味でも,中国が現在行っている「日本人に対する憎悪を倍加する教育と諸施設」は数千年に渡って害をもたらすことを危惧するのである。中国政府のやっていることは,聖書のこの部分にも相当する影響があるからである。今後何世紀にも渡り,陰に陽に中国(人)からは日本人を虐待ないしは報復を考える者が続出すると考えられるからである。歴史はそうであった。我々は甘く見ない方が良い。子孫のために。(/16.12.14)
 >索引に戻る

 ユダヤ難民と日本(16.2.3)
杉原千畝 「リトアニアソ連ナホトカ日本上海米国等」 ルート
 ナチスのユダヤ大弾圧を逃れるためユダヤ人はさまざまな方法でナチス支配下のドイツ,ポーランドその他の国から逃れていった。その中には,リトアニアの大使であった杉原千畝が本国外務省の指令に背き対日通過ビザを発給することにより約六千人が救われたと言われる話がある。この人たちが逃れた方法は,ソ連⇒ナホトカ⇒日本⇒上海⇒米国等である。従って,無事に亡命するためには,全ての出入国管理組織がOKと言わねば脱出は不可能である。現在でも旅券の偽造だってある訳だから。ビザがあっても駄目と言われれば通過はできないのである。杉原千畝氏がビザを発給せねばそれによって助かった人の先はないからこのルートは閉ざされたであろう。だからビザはいわばその入り口である。従って,彼らを救ったのは彼だけの力ではない。また,日本大使公印を使用し発行し,日本のビザの体裁をとったからこそ,ソ連が通過を認めたのである。公印を押すことは本国が認めたと諸国は認めるのだ。いわば虎(日本)の威を借る狸(杉原)である。従って,ソ連入国にあたり日本の意志と表明したことになる。決して杉原個人の力でソ連通過を認めさせたわけではない。彼の肩書きがものを言っているのである。次に,日本の出入国管理機関が,杉原の本国指令違反をとがめ,ビザの無効を言い出したら彼らは日本入国拒否にあっただろう。日本外務省はドイツとの間に三国同盟を結んでいたからドイツがらみでビザ発給拒否を指示したのであろう。しかし,元々人種差別反対が日本の国是であったのだ。従って,同盟は結んでも,彼らの政策に全て賛成していたわけではない。人道にも劣るユダヤ人迫害は反対であったのだ。だから,日本としては,外務省の三度にわたる拒否の指令でドイツに義理は立つので以後は黙認を決め込み,あえてとがめだてをせず,日本国内通過を黙認したのであろう。こう考えると,日本国内をとがめられないで通過できたことが説明可能となる。従って,杉浦千畝がビザを発給したから救われたのではない。彼のやったことは大きな一歩(必要条件)だが,日本の暗黙のバックアップ(十分条件)があったればこそ亡命が可能になったことは明らかである。国は関係ないように言う人がいるが,国が関係あることは日本国のビザによってとがめられず通過できたことで明らかである。当然だが通過を日本国が認めているとソ連が解釈したから通過できたのである。日本の立場を正当に評価しても良いのではないかな。日本がその気なら出口で入国拒否も可能であるし,日本から元地への強制送還も可能であるからだ。あえてそこまでしなかった。それは通過を黙認したことになる。日本としては三国同盟もあり,外務省としては積極的にはOKしにくいのは当たり前であろう。対ドイツ関係悪化を招くと考えられるからだ。従って表向きはビザ発給は駄目と言っておく必要があったのであろう。外務省としては,個人の暴走としていくらでも言い訳が付くしね。ドイツにも大使はいる訳でドイツにも顔が立つようにすることは国際関係を円満にするためにはやむを得なかったのではなかろうか。このあたりの関係は外交と人道の調整という意味では学ぶ価値がある。学ぶことは,人道上問題のある決定を本国がせざるを得なかったとすれば,現地の大使は自己責任ということで人道に合致する判断も可という暗黙の了解をつけておくことも対外関係を損なわず円満にしてゆくためには必要な技術かも知れない。この際,体裁上けじめをつける必要もあるが,救済の手当ても考えておく必要がある。が,全ては結果次第である。結果が評価されれば昇進もあり。悪ければ降格もあるということであろう。


ハルビン特務機関長 樋口季一郎少将 「ソ連ハルビン上海米国等」 ルート
 杉原ルートとは別に,ソ連⇒満州国(ハルビン)⇒上海⇒米国等のルートで亡命したユダヤ人がいた。1938年(昭和13年)のことである。三月に起きた「オトポール駅事件」である。八日ビザを持たないユダヤ難民が到着して事件は始まる。知らせを受けたハルビン特務機関長樋口季一郎少将は「人道問題である」として満州鉄道に依頼して救援列車を手配し,ハルビンへ移送したそうだ。その後もユダヤ難民は続々と到着し,満州を通過して,上海などへ逃れた。当時上海は国際租界都市で諸国民が比較的自由に滞在できた。
 事実を知ったドイツは駐独ベルリン大使に抗議。外務省から関東軍参謀長「東条英機中将」に事実の照会があったので部下の樋口に尋ねた。だが,樋口は東條に対して「人道的な問題である。(満州国は)五族協和をうたっており,差別はおかしい」と答えたといいます。これを聞いた東條も,「もっともだ」とし,外務省には「日本はドイツの属国ではない。樋口の処置に間違いはない」と回答します。結局ドイツからの抗議もうやむやになったようだ。勿論,両将軍への処分もなかった。この樋口少将の名はユダヤ人に好意的であった外国人の名前を記した書物に掲載されているとの事。このルートでは少なくとも一万一千人が救われていると言われている。
 ここに出てくる東条英機はあの人(東京裁判でのA級戦犯)である。彼が人道に対する配慮もできる「まともな人である」ことはこの一事で分かる。法治と言っても守るのも守らせるのも結局のところ人である。法律(必要条件)は必要だがそれだけでは十分ではないのである。そこにいる人の人間性(十分条件)が法の価値を最終的に決めることになる。つまり魂を入れてこそ初めて法は生きることになるのであろう。しかしながら,言葉(法)がなければ何も始まらないから,ことの始まりとして法は重要である。して,人々の心のうちにしっかりと根を下ろして初めて生きた法となるのである。これには然るべき時間の経過を必要とする。


 亡命ユダヤ人は原爆を作る
 このようにして九死に一生を得て日本人によって救われたユダヤ人も多数いたのであったが,彼らは安全な立場に至ると,やがて大量殺戮兵器である「原子爆弾」の製造を米大統領に書簡を送り進言しかつその製造に率先して先頭に立った人もいたのである。開発を指揮したのはオッペイハイマーその人であり,進言したのはアインシュタインである。これを何と解すれば良いのであろうか。人は被害者であるときはワーワー喚き,ひとたび安全になると,虐殺に手を貸す。世にも恐ろしい魑魅魍魎なるかな。もっともアインシュタインはドイツが降伏した後は嘆願書を書いているから止めさせたかったのかも知れない。が頭の良い人ほど悪知恵も良く働くから本音は分からない。気がとがめるためのアリバイ作りとも読めるからね。で反対したのだと。いずれにしても他人の暴力はよく気が付くが,自分がやっている暴力はさほどに気が付かないか。気に留めない。これがユダヤに限らず「人間の性」なのかも知れない。この世に人間ほど悪い存在はないわな。動物などいくら虐殺し食おうが屁とも思わない。これは人権派を自称する人士も例外ではない。一般動物から見たら人間はさぞかし獰猛な「肉食恐竜」にでも見えるかな。BSE,鳥インフルエンザ,SARS,エイズ,未来の宿生ウイルス,これらは全て獰猛な人間に対する生命体の反乱と言えるかも知れない。制圧は大変だと思われよう。(/16.2.3)
 >索引に戻る