歴史を学ぶ意義
何のために歴史を学ぶか。それは,失敗から学び,成功から学ぶためであると考えます。
かくも戦争は何故起こるのか。戦争は外交の延長にあるものであるが,それほどに我慢ができないものかとつくづく思う。戦争はない方が良いに決まっているのに。戦争によって失う人命,経済的損失を考えれば,多少損をしてもまとまれば結局は差し引きプラスと思うのだが。そうは言ってもそれでも戦争は起こりうる事,今日でも世界の各地で起こっていると言った方が良い状況である。なのであれば対策は考えねばなるまい。命を預かる者には,これを守る使命があるのであるからなおさらである。
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国防について
思うに最大の国防は,特に同盟国との利害の共有と,相手になめられない国防力である。と常々考えている。同盟があるといっても安心しきっては問題と考えます。メリットがなければ,他国のために血を流すことに国民はやがて疲れ反対するであろうと思われるからである。正義だけでは納得すまいと思います。戦争ともなれば血の犠牲が伴うからである。そこに利害の共有の必要性がある。約束は反故にされた例はいくらでもある。信頼できる相手であることもまた必要である。さしづめ経済では「不渡り手形」のようである。最初から破る気持ちは無いのかも知れないが,それこそ諸般の事情により約束不履行という事態も考えておく必要があろう。
そういう意味から考えると日米安保体制は賢明であったというべき内容を包含していることが分かります。基地の存在は日本には基地問題というマイナスはあるが抑止力として働くプラスがある。アメリカには防衛義務というマイナスはあるものの世界戦略の要としての価値があるというプラスがある。冷戦時代には有効であった。そういう意味で日米安保体制は利害を共有していたと思われる。
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冷戦の終焉の影響
しかし,冷戦が終わり主なる敵は正直言って消滅しつつあると感じているではないだろうか。となると,今まで利害を共有していたと感じていたことは消滅しつつある考えておいた方がよい。つまるところは,経済がメインとなる時代にはそれに沿った新たなる利害の共有が必要となろう。お互いに相手の存在が決定的に必要という関係が理想なのである。新たなる関係構築の時を迎えているということであろう。
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歴史を振り返って
利害の衝突は常にある。自分に都合のいいことは相手には都合の悪い場合がえてして多い。我慢できないと個人なら口論,殴り合い,国同士なら対立,経済封鎖などの制裁,最後は戦争になる。
では戦いに敗れた方は不正義か。いやそうではあるまい。相手より弱かっただけなのだ。これがこの世の掟なのだ。弱い者が負ける戦いを挑むとすれば,それは思慮が足りないというべきであろう。その意味でいちかばちかの真珠湾攻撃は賭けごとみたいで無謀な結論という他はなかろう。
その他の選択肢は無かったのであろうか。アメリカは満州,中国,及びインドシナからの撤退。所謂ハルノートを突きつけたのであるから。国内が,軍が納得する内容を見つけるのは難しかったかも知れない。が,なぜこうなったかを考えれば道は開けたようにも思われる。即ち,条件を受け受け入れる代わりにアメリカとの貿易再開の保証。外国製品を締め出すための超高率関税を規定した法律スムート・ホーリー法の廃止と自由貿易の保障。当時原油輸入の80%をアメリカから輸入していた原油輸入の再開である。理由は,もともと対アメリカ貿易を締め出されたのが大陸へ行く動機だったのであるから。だめだったら,蒋介石はこれを求めていた中国の独立を助け,これと通商関係を維持し盛んにすれば良かったのではないかと思う。できなかった訳は,パイが小さく利害を独占したいと考えたからであろうか。実際蒋介石と手を結ぶチャンスは何度もあった。もう一つの難問は,軍の統帥権干犯問題であろうか。帝国軍の統帥権の大権は天皇にあり,実際は,天皇を輔弼する軍に決定権は握られていた。立憲君主制の立場から天皇は軍の指導者の決定に異を申すことが事実上できなかったからである。明治憲法の欠陥に気づき早期にこれを是正しておくべきではあったと思う。勿論,軍の指導者も逆臣ではなく忠臣ではあっても,一人の考えで軍がどうなるわけでもない。が,やってみる価値はあったと思う。いずれの世でも,国益をどれだけ守れるかが重要な訳なのだからだ。
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無理な歴史観の共有
近年近隣諸国で歴史観を共有すべしと言う者がおり日韓で協議が進められているが,国によって立場が異なるから当然見方も異なり難しいと思われる。どこの国でも自国にとって屈辱的なことは作り変えようとする思惑が働くもので調整は困難であるうえ,何よりも国民が納得しなければどこの国でも受け入れまい。
例えば,伊藤博文を暗殺した朝鮮人(安重根)は朝鮮にとって愛国者であろうということは分かったとしても,我々にとってはやはりテロリストには違いない。ましてや,日韓併合が済み,今や日本の領土となったからには日本では国家に対する反逆ともなろう。が,韓国では英雄となっている。これを見ても歴史観の共有は無理と思われる。同じ物を見ても見る方角よって違って見えるとおりである。所詮,水と油は混ざらないのだ。無駄な努力と言うべきである。 そんな無意味なことより,立場の違いをお互いに認め合うことこそ現実的な解決法と思われる。『お互いの見方を尊重する』ということと思われる。
16.1.12加筆
もっとも,しばらく前だったがNHK報道特集によると,どうも先の朝鮮人(安重根)は犯人ではないようなのだ。本人は暗殺しようとしていたし,発砲もしたようだから自分がやったと思ってはいたようだが。他にも伊藤を暗殺したかった人達が居たようだ。報道ではどうもロシアが絡んでいたようなのだ。が,外交問題に発展するので,日本側もこれを深く追求するのを躊躇った気配が感じられる。日露戦争の後でもあり,賠償金もなかったから,ロシアと事を構える余裕は無かったのであろう。犯人別人説が登場した背景は,伊藤を死に至らしめた弾道痕と犯人とされた安重根の位置の整合性である。報道によれば,弾道痕は二階から撃たれた弾丸による裂錠痕であることを示していたと。しかるに,安重根は道路上に居たから彼には暗殺は不可能なことであったと述べていた。これが事実なら彼は犯人ではないことになる。殺そうとしたことは事実のようだが。
私はこの件は更に根が深いかも知れないとも考えている。伊藤は韓国を保護国とする考えであったが,国内には併合を唱える向きも多かった。要するに対外政策において政治的な対立があったわけだ。併合派にとっては,伊藤は邪魔な存在であったわけだから,これを亡き者にしようとする思惑は当然だがあったであろう。政府高官の暗殺は歴史上この外にもあったのだから伊藤が狙われたとしても驚くに値しない。ロシア製ピストルが使われたのはカモフラージュのためと思われる。これが真相なら,ロシアを追及する必要もないし,犯人を朝鮮人とすることで国民に対しても説明もつく訳だ。これが最もありそうと考えるのだが。「ロシアが伊藤を暗殺」とするには動機が弱すぎる。伊藤を暗殺しても国の政策はそんなに変わるものではない。代わりはいくらでもあり,ロシアにとってなんのメリットも無いからである。「日本の政敵或いは不満をもつ組織が送り込んだアサシンによる犯行」と,考えると,伊藤が死ぬことによって誰が最も利益を得るかを考えても,最も合理的ではある。アメリカでも大統領の暗殺は大統領の政策や人事に不満を抱く者によることが多いようだ。ケネディ大統領もその後の報道によると,その可能性が大であることから判断しても,国内不満分子による犯行の可能性は大きい。(/16.1.12)
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16.1.13加筆
明治西南戦争以後の暗殺事件等
年.月.日 | 暗殺等対象者 | 時 代 背 景 |
1878. 5 | 大久保利通暗殺 | 77. 9 西郷自決。不満武士テロに動くか。 |
1889. 2 | 森有礼(文部大臣)暗殺 | 1889. 2 大日本帝国憲法,文部大臣森による学校令。一連の体制構築に反感を持つ者もいたのだろう。 |
1895.10 | 閔妃(大韓帝国皇帝妃)殺害 | 95. 4 下関条約調印・三国干渉 95. 5遼東半島還付の詔 95. 6台湾澎湖島授受 95.10 公使三浦梧楼はロシアと手を結ぶ閔妃を配下の者に命じ殺害。親露派一掃を試みる。免職されるが,1910年に枢密院顧問官に出世する。本国の命に背き出世した最初の例 96. 6 日露協約なり朝鮮を共同保護下に置く |
1909.10 | 伊藤博文暗殺 | 1905年日露戦後第二次日韓協約で韓国を保護国とし伊藤は統監となる。 06年反日武装闘争活発化 07. 6 ハーグ密使事件 07. 7 韓国皇帝譲位第三次日韓協約 07. 8 韓国軍解散 10. 8 韓国併合 |
1923. 9 | 大杉栄暗殺 | 22. 3 全国水平社結成京都に成立 22. 7 日本共産党結成(非合法) 22.10 シベリア撤兵完了 23.9 関東大震災 亀戸事件 甘粕事件,虎の門事件(24. 8 難波大助死刑) 25. 4 治安維持法 |
1929. 3. 5 | 山本宣治代議士刺殺 | |
1930.10 | 浜口首相狙撃 | 29.10 ニューヨーク株大暴落。世界大恐慌 30. 1 共産党大検挙 30.4 ロンドン海軍軍縮会議・統帥権干犯問題起こる 30. 6 失業者増大 30. 9 米価大暴落・青年将校桜会結成,○この年豊年飢饉で農村不況深刻化 31. 3 三月事件 31. 6 官吏減俸 31. 8 浜口雄幸死す 31. 9 満州事変起こる |
1932. 2 | 前蔵相井上準之助暗殺 | 32. 1 桜田事件。上海事変 32. 2 暗殺・リットン調査団来日 32. 2 満州国成立 |
1932. 5.15 | 犬養毅暗殺 | 32. 5.15 事件,斉藤内閣成立 32. 9 日満議定書調印 33. 1 日華両軍山海関で衝突 33. 3 熱河占領。国際連盟脱退 |
1934. 3 | 武藤山治暗殺 | 34. 3 満州国執政溥儀皇帝となる |
1935. 8 | 永田軍務局長刺殺される | |
1936. 2.26 | 斉藤実・高橋是清暗殺 | |
1960.10 | 浅沼稲次郎刺殺 | |
(/16.1.13)
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