kodaishi 最終更新日:平成13年7月2日

神功皇后の活躍

本資料は日本書紀,古事記,各歴史年表,百科事典を中心に編集したものである。

西暦

元号

記  事

物件

文献

188

 

卑弥呼、邪馬台国女王に立てられる。

 

魏志倭人伝

192

仲哀元年

仲哀天皇(日本武尊の第二子)即位、大中媛(おおなかつひめ)を妃とする。

 

日本書紀

193.1

 

1月11日 気長足姫尊(おきながたらしひめのみこと)を皇后とする(神功皇后24歳)。弟媛を娶る。

 

日本書紀

193.2

 

2月 6日 敦賀の行宮、笥飯宮に住まう。

 

日本書紀

193.3

 

3月15日 紀伊国に巡幸。徳勒津宮に住まう。熊襲が叛く。征伐に向かう。

 

日本書紀

193.6

 

6月10日 穴門(山口)豊浦津着、穴門豊浦宮に住まう。神功皇后敦賀から豊浦に向かう。

 

日本書紀

193.7

 

7月 5日 神功皇后、穴門(山口)豊浦津着、穴門豊浦宮に住泊まられる。

 

日本書紀

193.9

 

9月 宮室をつくる。穴門豊浦宮という。

 

日本書紀

198.1

 

1月14日、筑紫に行幸。岡県主熊鰐周芳の沙麼(山口県佐波)の浦に迎える。

 

日本書紀

199

仲哀8年

 

 

日本書紀

200.2

仲哀9年

2月 5日 筑紫香椎宮で仲哀天皇崩御、豊浦宮で仮葬。

 

日本書紀

200

 

小国家の統合進む

 

年表

200

 

仲哀天皇崩御の後、神功(じんぐう)皇后政務を執る。

 

日本書紀

200.3

 

3月 1日 神功皇后神主となる。武内宿禰により中臣烏賊津使主を審神者(神託を解く人)とする。

 

日本書紀

200.3

 

3月 8日 以後、吉備の臣の祖、鴨別に熊襲を討たせる。熊襲服従。

 

日本書紀

200.3

 

3月17日 熊鷲を討つために松峡宮に移る。

 

日本書紀

200.3

 

3月20日 層増岐野に熊鷲を征伐。

 

日本書紀

200.3

 

3月25日 山門県で土蜘蛛-田油津媛を征伐。

 

日本書紀

200.4

 

4月 3日 北方の肥前の国、松浦(梅豆羅国(めずらのくに)が訛ったもの)県に行く。

 

日本書紀

200.9

 

9月10日 諸国に令、船舶を集め兵を練る。軍卒が集まりにくかった。大三輪の神社を建立し刀・矛を奉納。軍平集まる。皇后曰く「士気を励ます鐘鼓の音が乱れ、軍の旗が乱れるときは、軍卒が整わず、財を貪り、物を欲しいと思ったり、私事に未練があると、きっと敵に捕らえられるだろう。敵が多くてもくじけてはならぬ。暴力で婦女を犯すのを許してはならぬ。自ら降参するの者を殺してはならぬ。戦いに勝てば必ず賞がある。逃げ走る者は処罰される。」と。

 

日本書紀

200.10

 

10月 3日 鰐浦から新羅討伐に出発。風の神、波の神が軍勢を速やかに新羅の国の中まで届ける。白旗を揚げて新羅降伏。王を馬飼いとす。新羅の王の波沙寝錦の王子微叱己知波珍干岐を人質とす。高麗、百済2国も下る。南に流れるナクトン川は雨と強い南風で水位は上昇、大船団も容易くテーグ近辺まで一気に上れよう。博多からテーグまでは350km位である。ありえないことではない。

北部を通る
台風で強い
南風が吹く

日本書紀

200

 

軍に従った、住吉三神(表筒男・中筒男・底筒男)を穴門の山田邑に社を立て祀り、践立を荒魂を祀る神主とする。

 

日本書紀

201.2

 

2月、皇后群卿百寮を率いて穴門豊浦宮に移る。海路京に向かう。麛坂王(かごさかのみこ)・忍熊王(おしくまのみこ)(仲哀天皇の御子)、皇后に対し策謀を巡らす。播磨の明石に陵をつくるとし、仮の桟敷おる。麛坂王、赤い猪に食い殺される。忍熊王急ぎ住吉に退却。皇后は迂回し南海から紀伊水門に泊らせらる。難波に向かうが船進まず武庫の港に還る。

 

日本書紀

201.3

 

3月 5日、皇后、武内宿禰に命じ忍熊王を近江の逢坂にこれを破る。王は瀬田の渡りに身を沈め死す。

 

日本書紀

201.10

摂政元年

10月 2日、皇后を皇太后と呼ぶ。摂政元年。11月8日天皇を河内国長野陵(大阪府南河内郡美陵大字岡)に葬る。

 

日本書紀

203.1

神功3年

1月 3日、誉田別皇子、皇太子となる。大和国磐余(いわれ)に若松宮を造営。

 

日本書紀

205.3

神功5年

3月 7日、新羅王、汗礼斯伐・毛麻利叱智・富羅母智らを遣わし朝貢した。人質、微叱許智伐旱を謀って取り戻す。

 

日本書紀

220

 

魏の曹丕帝位につく(魏の建国)。後漢滅ぶ

 

 

221

 

劉備帝位につき、蜀漢を建国

 

 

229

 

呉の孫権帝位につく、呉を建国

 

 

239

景初3年6月

卑弥呼、使いを帯方郡に派遣、郡の太守ケ夏はこれを魏都に送り、明帝、卑弥呼を親魏倭王とし金印紫綬を与える。

 

魏志倭人伝

240

正治元年

建忠校尉梯携らを遣わして詔書や印綬をもたせ,倭国に行かせた。

 

魏志倭人伝

243

正始4年

倭王、宋に遣使。使者の大夫伊声者掖耶ら、8人を遣わし献上品を届ける。

 

魏志倭人伝

246.3

 

3月 1日、斯摩宿禰を卓淳国(大邱)に遣わす。

 

日本書紀

247.4

 

4月、百済王は、久氐・弥州流・莫古を遣わして朝貢した。新羅の国の遣いが同行した。新羅は百済の貢物を奪い差し替えた。

 

日本書紀

247

正始8年

卑弥呼、狗奴国王と戦う。まもなく卑弥呼死亡(78歳)、壱与女王となる。

 

 

249.3

 

3月、新羅再征に荒田別と鹿我別を将軍とした。久氐らとともに卓淳国に渡る。沙白・蓋盧に増兵を請わせ、卓淳国に集まり、新羅を討たせた。比自ほ・南加羅・とくの国・安羅・多羅・卓淳・加羅の7カ国を平定。南蛮の耽羅(済州島)を滅ぼし百済に与える。比利・辟中・布弥支・半古の4邑帰順する。

 

日本書紀

250.2

 

2月、荒田別ら凱旋する。

 

日本書紀

250.5

 

5月、千熊長彦・久氐ら百済から還る。

 

日本書紀

251.3

 

3月、百済、久氐を遣わし朝貢した。

 

日本書紀

252.9

 

9月10日、久氐ら千熊長彦に従い朝貢する。七支刀(ななつさやのたち)一口(天理市石神神宮宝庫にある)、七子(ななつこの)鏡一面、及び種々の重宝を奉る。

七支刀

日本書紀

255

 

百済の肖古王薨じる。56年皇子、貴須が王になる。

 

日本書紀

262

 

新羅が朝貢しなかった。同年、襲津彦に新羅をうたせる。

 

日本書紀

264

 

百済の貴須王薨じる。王子枕流が王となる。

 

日本書紀

265

 

百済の枕流王薨じる。王子阿花が年若く、叔父辰斯が位を奪って王となった。

 

日本書紀

266

 

倭の女王が何度も通訳を重ねて、貢献したと記している。

 

晋書(紀)

266

武帝泰初2年

倭の女王壱与、晋に使いを送る

 

年表

269.4

 

4月17日 皇太后稚桜宮に崩御。年1百歳。

 

日本書紀

269.10

 

10月15日、狭城盾列陵(奈良市山稜町字宮の谷)に葬った。この日皇太后に諡「気長足姫尊」を奉る。

 

日本書紀

270

 

応神天皇即位

 

日本書紀

712

 

古事記選上

 

 

720

 

日本書紀選上