1.はじめに

 北海道農政部の外郭団体が発行する業界誌より原稿依頼があった。当初のメールのやりとりでは「食育活動を展開するに当たっての考え方、留意点、期待など、河合様の視点でお願いできればと思っています。または、河合様が行ってきた食育活動での具体例、反響などでもかまいません」とあったから、何をどう書こうか思案していた。

 食育推進計画を策定するにあたって普及センターの職員が駆り出されたり、食育活動に振り回されたりするにあたって、軸足をどこにおくべきか。料理教室を開いても田植え体験をしても食べものに関する紙芝居を作っても、なんでも食育にしてしまう食育に疑問を感じている読者が、「ああなるほど、こんな視点もある」と感じてもらえるような原稿にならないかと考えていたのである。

 ところが、1週間後に届いた依頼文書には、こう書いてあった。タイトルは「仮題 食育活動から見えてくる食料自給率の向上」。執筆内容は「食料自給率が40%を割るという状況の中で、食育活動を展開するに当たっての考え方、留意点、期待などについて紹介をお願いします」とある。

 さて、困ってしまった。私が書けるのは、「食育活動から見えてくる食料自給率の向上」ではなくて「食育活動からは見えてこない食料自給率の向上」なのである。「食育活動から見えてくる食料自給率の向上」というタイトルで依頼されているのに、その真逆のタイトル「食育活動からは見えてこない食料自給率の向上」という原稿を送る勇気は私にはない。ケンカを売るようなものである。どうしたらよいものか。

 とりあえず、「食育活動からは見えてこない食料自給率の向上」というテーマで、以下にまとめた。もちろんここ(オフィスのホームページ)に公開はするが、依頼原稿は別バージョンで書くしかない。

2.農業関係者が期待する食料自給率の向上

 2005年6月に食育基本法が自民・公明・共産各党の賛成で成立してからほぼ3年が経過した。前文には「食料自給率の向上に寄与することが期待されている」という文言が入り、農業関係者は特に食育に期待しているようだ。一般紙がほとんど報道しないのに対して、日本農業新聞の食育関連記事は多い。食育活動が進むと農業が盛んになるかの勢いである。

 北海道の著名な農業経済学者が、ある農協の総会挨拶で食育基本法の前文を紹介し絶賛したという新聞記事を読んで驚いたことがある。北海道産の食材を使って料理を教える料理研究家も、テレビであたかも食育で食料自給率が向上するかのような期待を表明していた。多くの人々が食に関心をもてば食料自給率は向上すると信じて疑っていないようにも思えた。

 しかし、私の率直な意見は、今の食育活動から食料自給率の向上は期待できないと考える。むしろ、食育活動と食料自給率の向上を結びつけることはまちがっているとさえ思う。以下、その理由を述べたい。

3.国民運動としての食育推進

 食育基本法の制定以降、各地で取り組まれている食育活動は、国が国民運動として展開させようとしている。「国民一人一人が自発的に食育の意義や必要性等を理解し、運動に共感できるような取組が必要で」、そのために「食育月間や食育の日の設定、民間の取組に対する表彰の実施、情報提供や広報啓発活動の強化等、運動推進のための多様な支援策が講ぜられることにより、多様な主体の参加と連携・協力に立脚した国民運動として、食育推進運動の展開が期待される」(内閣府編『食育白書』2006年、20頁)と明記している。そのために、長澤まさみや優香などの売れっ子タレントを起用し広報活動を行ってきた。シンポジウム等においても集客力のあるギャラの高いタレントを呼ぶ。それなりの予算もついているから可能だ。

 「朝ごはんを食べよう」、「家族そろって夕食をとろう」、「食べものに感謝の念を」と、国家が国民の食に介入し管理することを法的に認めたものが食育活動なのである。2010年までに「食育に関心を持っている国民の割合」を90%以上にするという数値目標さえも掲げている。

 家族そろって食卓を囲む伝統的な生活スタイルや郷土料理を推奨する復古的な風潮を国家権力の名の下で進めようとしているのが食育であるとも言える。

 現在、国民がかかえている食に関する諸問題を解決しようという方向とは無関係である。

4.学問的根拠のない情緒的食育

 さらに言えば、食育基本法制定以降の食育は、その多くが学問的根拠のない情緒的食育である。その代表的なものが食事バランスガイドである。食事バランスガイドの問題点については別稿にゆずるが、簡単に問題点を整理すると、都市生活者ができあがった食品を購入する際の選択力のみを対象としている。外食産業、スナック菓子まで食べようと盛り込むあたりに、コンビニや外食産業の関係者が策定委員に名を連ねている理由も透けてみえてくる。

 つ(SV)という単位を導入しているのも、不愉快さを通り越して国民を愚弄しているのかとさえ感じてしまう。日本語にはものの数え方がいろいろあって、定着してきている。それらをすべて「つ」と数えさせる食事バランスガイドが食の教育に役立つとは到底思えない。

 食育の第一人者を自称する専門学校の校長は、「食という字は人に良いと書きます。人に良いのが食べ物です」とテレビで発言し、本にも書き、講演もする。食の字義はたべもの(良)にフタの形(△)が載ったものにすぎない。漢字の成り立ちにウソをついてはいけない。学問的根拠に基づかない感覚や感性で食育を進めようとしている。

5.食料自給率と食育との関連

 食料自給率に話を戻そう。「地産地消を進め、食に関する消費者と生産者との信頼関係を構築することによって、農山漁村の活性化や、ひいては食料自給率の向上に資することも期待される」(内閣府編『食育白書』2006年、20頁)と食育白書は語る。

 食育を国民運動として推進し、「地元の農産物を食べよう」、「生産者との信頼関係をつくろう」と農作業体験等を行うことが食料自給率の向上に結びつくと考えている。これこそ根拠のない妄想である。

 では、食料自給率を向上させるにはどうしたらよいか。名案はない。少なくとも、先に述べた情緒的な食育を国民運動にしていくことで食料自給率を向上させることはできないことだけは確かである。

 むしろ、農業者が自信と誇りをもって農業を続けていけるような政策が大事だと言える。世界中の人口が増え、食料危機が叫ばれるなか、農業は非常に重要な産業のひとつである。地元の農産物を地元民に食べてもらうという狭い範囲で農業が存続するのではなく、地球的規模での発想で農業の役割が注目されている。

 農業をはじめとする第一次産業を重視する政策に転換していくことが、食育活動をとりあげるまでもなく、確実に食料自給率の向上につながる。
2008年6月30日記)

追記:原稿を書いた日とホームページにアップした日が4か月ずれてしまいました。

Homeにもどる

食育活動からは見えてこない食料自給率の向上