ずっと心にひっかかっていることがある。生活改良普及員が市町村の特産品開発に関わったり、農村女性による起業活動を推進したりと、農家生活そのものに眼を向けなくなった。これが自殺行為となって生活改良普及員は消滅したのではないか。という思いである。

 思いはあっても、このことはなかなか書けなかった。そろそろまとめてみても良いかなという気持ちになっている。

 以下の文章は、北海道の普及事業にかかわった私の経験をもとに、農業者あるいは農村の生活問題から眼をそらしてしまった普及事業のあり方を問うものである。


1.私が生活改良普及員になった理由

 大学卒業後、私は、北海道の生活改良普及員として初めて北海道で暮らし始めた。

 そもそも、生活改良普及員を目指したのは、大学で学んだ生活科学という学問分野がそのまま生かせる職業だと考えたこと、公務員だから男女差別を受けない待遇であること、したがって定年まで勤められると思ったこと、この3つが大きな理由である。

 結局は、大学で学んだことを生かせるなんて幻想だと気づくのに時間はかからなかった。賃金上の差はなかったが、封建的な農業分野でイヤというほど女性であるがゆえの差別は受けた。生改廃止論が繰り返されるなかで、転職を決めた。

 1979年から丸6年間が、短い道職員の身分として過ごした期間である。前半の3年間は十勝南部で、後半の3年間は石狩中部の農業改良普及センター(当時は普及所)に所属した。6年間の経験は、その後の研究人生に大きな影響を与えたと自覚している。

 その当時を振り返ると、十勝と石狩では大きな違いがあった。転勤を経験してはじめて、北海道の広さを知った。畑作、酪農専業地帯としての十勝地方の特徴が分かった。都市農業である札幌市で展開する仕事の苦労も感じた。


2.生活改善から特産品の開発へ

 北海道の農業改良普及事業は、農業改良助長法に基づいて1948(昭和23)年に始まった。30年経って、生活改善の分野においてもそれなりの効果を上げてきたと思う。

 北海道農業改良普及事業30周年記念誌である『普及の風雪30年』には、個別の生活改善から地域生活の課題にシフトしていく様子がグラビアページに写真入りで編集してある。住宅回りをきれいにするため花壇作りを奨励したり、健康を維持するために、いっせいに体操をしている農家の主婦たちの写真が載っている。

 生活改善指導の内容は、衣食住の生活、家庭管理、生活環境等に分類されていた。オーソドックスな家政学のジャンルである。衣生活分野では、作業衣の改善を指導し、食生活分野では、農繁期の共同献立の提案、料理講習、栄養知識の普及など。家計簿の記帳を勧める運動は、家計管理分野の代表事例である。住宅回りの整理整頓のために花壇作りを奨励もした。

 生活改良普及員は家計簿記帳の講習会を開き、料理を教え、花壇コンクールや漬物コンクールの審査員になった。農家や農協からの要請もあった。

 普及事業が30年経過し、1983年3月に横路孝弘知事が誕生した。今にして思えば、このことが大きな転機になったのではと思う。横路知事になって、大分県の平松知事が提唱した一村一品運動を北海道もマネをして進めることになった。

 これに、生活改良普及員がかかわっていったのである。東藻琴村のチーズ、千歳市のハスカップジャムなどは、生活改良普及員が積極的に関与した代表事例である。

 普及員仲間では、特産品作りの開発に成功しないと落ち込み、特産品作りの成功こそが普及員としての存在価値につながると考えるようになった。あまりの熱心さに、「まるで農協職員じゃないか」と揶揄される普及員も現れた。挙げ句の果て、企業秘密を知っているから転勤させたくないと外部団体からの圧力もあったと聞く。商品化させ、おらが村の特産品を産み出すことに、生活改良普及員自身が夢中になっていた時代であった。


3.農村女性による起業活動の推進

 1990年代に入って、生活改良普及員の職務内容が大きく見直されるようになる。

 1991年、「共同農業普及事業基本要綱の運用について」(農蚕園芸局長通達)が出され、生活関係は4つの部門に分けられた。農業労働、農家経営、農産物活用、農業環境の4つである。農産物活用の内容には、「地域の農畜産物の加工方法の改善や食材としての新たな用途開発等による特産品作り等地域の農畜産物の利活用の促進に関する指導」と説明している。特産品作りが重要な仕事の一つとして明文化されたのである。

 その頃、すでに私は道職員を退職し、研究者としての道を歩み始めていた。農村生活と食生活を研究分野の中心においていた。農家生活の問題が解消されたわけでもないのに、特産品作りに傾斜していく普及事業の方向に相当の違和感をおぼえたことを思い出す。

 折りしも、農村女性による起業活動の推進が行われるようになるのは、1990年代後半である。北海道農村生活研究会に参加すると、引っ込み思案の農村女性を代弁して「ラッピングはどうしたら良いですか」、「販売ルートの開発は?」と熱心に質問する普及員たちの姿があった。普及員の仕事は、農家生活をより良くしていくためではなく、農村女性の起業の成功を手助けすることにあるのだと、その姿をみて感じた。

 ならば、基礎となる学問分野は、マーケティング論や経営論だろう。およそ家政学、生活科学分野からはかけ離れている。


4.農村・農家の生活問題について発言する意味

 一歩ゆずって、農村女性による起業活動は、農家の暮らしを本当に豊かにしていくのか考えてみた。女性だからという理由で、マスコミに取り上げられ、表舞台に引っ張り出された。多忙となったある農村女性は、あまりの忙しさに家庭生活が崩壊の危機にある。

 こうした事例を見るかぎり、起業目的はなにかを考えざるを得ない。本業である農業そのものの担い手として女性を正当に評価せず、副業としての起業に女性を駆り出しているのは、罪ではないかとさえ感じた。自らの食生活を豊かにした、漬物や味噌やトマトジュースなどを商品に換える「起業活動」が、農家自身の生活を壊すかもしれないのである。

 特産品の開発や農業者の起業活動が無用と言っているのではない。生活改善とすり替えたところに問題がある。専門の行政機関はなくなっても、農村・農家の生活問題が解消されたわけではない。これらを直視し、発言していくことに意味はあると思っている。
(2007年1月14日記)

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農家生活から眼をそらした普及事業の結末