第27回(2010年4月20日号)平山瑞穂の『シュガーな俺』
本書は、オビにも書いてあるとおり「世界初の糖尿病小説!?」です。異常な喉の渇き、原因不明の激ヤセ、全身の倦怠感が襲ってきて、34歳にして糖尿病を宣告された著者自身の体験に基づく小説です。「オートフィクション」とありますから、架空の出来事を織り交ぜながら、涙ぐましくもおもしろい闘病物語となっています。
いきなり糖尿病を宣告され、教育入院をして栄養指導を受けます。ここで終わるのならば普通の話。その後の生活がドラマチックに展開します。破滅的な生活となり、飲酒をするようになり、ついに「GAD抗体が陽性反応」を示すようになります。2型と言われた糖尿病が1型に遷移するという事態になるのです。
糖尿病と共存していくには、いい加減さも必要だと患者ならではの実感がこもっている本です。教育入院で受けた栄養指導の一部を以下に引用します。
「あら、豆腐食べちゃいけないの? 豆腐って健康食品じゃないの? こないだテレビでもミノさんが豆腐食べると長生きできるって言ってたのに」
豆腐を「食べてはいけない」などとは誰も言っていない。ただ、豆腐は「主にタンパク質を含む食品」で意外とカロリーが高いので、食事に取り入れる際には注意しろと言っているだけだ。
「サケが三分の二切れで一単位でしょ? 一単位だけ食べたいときに、残りの三分の一はどうすればいいの? 半端に余っちゃうじゃない? そういう半端な切れっ端ばかりで冷蔵庫がいっぱいになっちゃうじゃない?」
そんなこと知るか。猫にでもくれてやればいいのだ。
(平山瑞穂『シュガーな俺』世界文化社、2006年、104〜105頁)
「もともと頭がよくない」、「本質がわかっていない」吉成さん。教育入院が終わる前日のおさらいテストでは、「大胆な不正行為」をして回答する城所さん。同時期に教育入院した「同期」の患者たちの理解度の低さに比べ、「勉強する」ことが「本質的に苦にならない」僕は、栄養士先生の「講義内容自体にはさほど難しさを感じ」ません。優等生で、着実に改善の一途を辿っていると思わせるのですが、そんなに簡単にはいかないのでした。
厚生労働省(2007年国民栄養・健康調査)によれば、糖尿病が強く疑われる人や可能性を否定できない「予備軍」は合わせて二千万人を超えているといわれています。栄養士にとっても馴染み深い病気のひとつです。
片瀬喬一が糖尿病の食事のとり方について学習していく過程が具体的に書かれています。たとえば、「乳製品であるチーズや大豆製品である豆腐が、タンパク質を多く含むという理由から肉の仲間に入れられていたり、八百屋で売っている野菜のアボカドが、脂質を多く含むという理由から食物油(ママ)と分類が同じになっていたり」していること。「豚モモ肉は「表3」なのに、豚バラ肉やベーコンは脂身が多いことから「表5」扱いになる」ことを学んでいくのです。「献立・買い物メモ」を作って活用していく方法も考え出します。
仮に糖尿病になったとき、一生、食事管理が必要となりますから、食品の特徴や食事のとり方を理解しているかどうか、自己管理は生死にも関わります。一単位が八十キロカロリーで、自分は何キロカロリーの食事療法が必要なのかも当然知っておくことです。
そこで、義務教育で扱う三色に分ける食品分類、6つの基礎食品の考え方、カロリーの意味など基礎的な理解が大事になってくるのです。食育基本法がらみで、厚生労働省や農水省が啓発しようとしている食事バランスガイドは、多くの国民を混乱させるばかりである、とも感じたのでした。
ゆるやかな遊びの部分をもちつつ食事療法をすすめる難しさを患者の視点から知っておくには、本書は糖尿病に関する絶好のサブテキストでもあると思ったのでした。
6編とも秀逸な短編ですが、栄養士の方々に特に勧めたいのは、「ここが青山」と「妻と玄米御飯」の2編です。
「ここが青山」は、「人間(じんかん)至る処青山(せいざん)あり」の読み方がキーワードになっています。突然会社が倒産してしまい、それまで専業主婦だった妻が働きに出て、夫が家事育児を担当することになる話です。苦境にあっても明るく前向きに生きていく姿は読んでいて元気が出てきます。
最初は味噌汁の作り方さえ知らなかった夫が、物語の最後には昆布と削り節で出汁をとるまで料理の腕をあげていきます。とった出汁は「少し置いてから、用意したざるにペーパータオルを被せ、ボウルの上で漉し」、「あとは冷ましてからペットボトルに入れ、冷蔵庫に入れておけばいい」ところまで上達し、すっかり主夫業が馴染んできます。
幼稚園に通う息子の弁当作りに「とりわけ闘志を燃やし」ます。「初日のブロッコリーは小さな歯の跡がついていただけ」でしたが、二日目には、「同じブロッコリーにマヨネーズをかけてやると、その部分だけ齧っていた」ので、「作り手としては、「おおー」という感じ」で、次は「マヨネーズを全体に薄く塗り、オーブンで表面をグリルしてや」るのです。別ヴァージョンも考えます。塩茹でしたブロッコリーを出汁巻玉子の中にはさむ「ブロッコリー巻き」。とうとう、塩茹でブロッコリーを溶かしたチョコレートで丸ごとコーティングするアイデアまで浮かんでしまいます。このあたりの図の乗り方は、ユーモア小説家の片鱗が見え隠れしているようです。
最後に収められている「妻と玄米御飯」は、ロハスにのめり込んでしまった妻を冷ややかに、そして愛情をもって見つめる夫の話。ユーモア小説で売れっ子小説家になった夫なので、奥田英朗自身を想像してしまいます。以下にその一部を引用しましょう。
朝食は、玄米御飯にウォーターソテーのきんぴら、野菜の水なし炊き、ワカメの豆腐ドレッシングといった品揃えであった。料理は総じて薄味だが、そのぶん、野菜の味がよくわかり、かぼちゃなどはこんなに甘かったのかと意表を衝かれるくらいだ。おまけに、食卓のロハス化以降、通じがよくなった。オナラもプッといい音がする。
里美は背筋を伸ばし、モデルのような姿勢で玄米御飯をかんでいた。なにやら、心の中で「きれいになれ、きれいになれ」と念仏でも唱えていそうな集中振りである。
もちろん、子供たちは歓迎していない。これまではハムエッグを御飯に載せ、醤油をたらしてふりかけを投入し、ぐちゃぐちゃにかき混ぜて食べるのが彼らの朝食だった。各種添加物の入ったふりかけは、当然のようにテーブルから追放された。「自家製ふりかけを作るから待ってなさい」と、里美は焼いた魚の骨を砕いて溜めている最中だ。
(奥田英朗『家日和』集英社、2007年、206〜207頁)
料理をしたことのない人が、料理本を片手にどんどん調理に目覚めていく「ここが青山」の湯村裕輔。ロハスにはまってしまった妻を小説のネタにして苦悩する「妻と玄米御飯」の大塚康夫。
どこにでもありそうな家庭生活ですが、奥田流の半歩退いて、斜めから観察する姿勢をもてば、人生はもっと楽に生きていけるのかもと共感してしまうのでした。マジメな栄養士が仕事に行き詰まったとき、少し肩の力を抜いて自分の仕事を見直す時にピッタリの本だとも思ったのでした。
本書の扉に「チャールズ皇太子に捧ぐ」と献辞が書いてあります。何のことだろうと疑問を持ちながら読んでいくと、第Y章「真実は重要か」に、その理由が書かれています。チャールズ皇太子は代替医療に関心をもっていて、代替医療について肯定的発言をしてきています。チャールズ皇太子に代替医療の問題点をわかってほしいと書かれた本でもあります。
著者の一人サイモン・シンは、テレビのドキュメンタリー番組「フェルマーの最終定理−ホライズン・シリーズ」で数多くの賞を受賞した人。本書は、代替医療について、どの治療法には効果があって、どの治療法には効果がないか、患者の役に立つもの、中身がないもの、その中間にあるものなど、発表された研究結果をもとに淡々と書いています。静かに語られていますが、代替医療のトリックに対する著者の怒りがじんわりと伝わってくるような本です。
代替医療の定義を、「主流派の医師の大半が受け入れていない治療法」としています。鍼、ホメオパシー、カイロプラクティック、ハーブ療法の四つを本文で取りあげています。
「カイロプラクターが首にマニュピュレーションを行えば、死に至る脳卒中を引き起こしかねない」ことや、「ハーブ薬のなかにも、有害反応を引き起こしたり、通常医療の薬と干渉して深刻な悪影響を及ぼしたりするものがある」こと。「鍼も、専門家に打ってもらえばおそらく安全だろうが、わずかな出血はめずらしくなく、針を再利用すれば感染という重大な問題が起こり、重要な内臓に穴を開けることさえある」といった代替医療に潜む危険性を指摘します。
後半部分では、「効果が証明されていない、または反証された医療を広めた責任者トップテン」を挙げています。いくつか見てみましょう。まずは、「セレブリティ」。歌手や俳優、スポーツ選手など日本においても代替医療の広告塔になっている人が何人も浮かんできました。代替医療の学位を出している「大学」も責任者のひとつ。名前を挙げて批判しています。絶大な影響力をもつ新聞、ラジオ、テレビなどのマスメディアも紙幅をとって、その責任の重さを説明しています。
病院勤務の栄養士にとっては、仕事の柱でもある食事療法について、付録に簡潔にまとめています。「代替医療のなかには、一般的な知識とは相容れない食事療法が何十種類とあり、健康について根拠のない主張をして」います。以下に一部を引用します。
代替医療の食事療法のなかには、患者を栄養不良に陥らせるものがある。十分なカロリーを含むバランスの取れた食事をすることが大切な重病患者では、その点がとくに問題になる。たとえば、ガン患者に対し、ひどく制限された食事を与えれば、早すぎる死を招いたり、生活の質を落としたりする恐れがある。食事療法を奨励する者が、厳しい制約を守ることのできない患者に対し、罪の意識を抱かせることもあり、そのせいで患者の生活の質がさらに低下する場合もある。代替医療としての食事療法には、手を出さないようにしよう。
(サイモン・シン&エツァートの『代替医療のトリック』新潮社、2010年、383頁より引用。)
日本でも、管理栄養士という肩書きを使って代替医療の食事療法を推進している人も、なかにはいます。栄養士や管理栄養士の資格を持っていても、代替医療にどっぷりと浸かっている人もいます。個々の食事療法について、根拠は何か、データの信憑性など見極める必要があると思います。
本書は翻訳物の分厚い本で、とっつきにくいかも知れませんが、大変読み応えのある本でした。
第24回(2010年3月20日号)松本清張の『赤い氷河期』
清張作品のなかで、栄養士に勧めるとすれば、何があるだろうかと探し出したのが本書です。『赤い氷河期』は、1989年に発表されましたが、2005年のヨーロッパを舞台にした近未来を描いた作品です。日本で初めてのエイズ患者が死亡するというニュースに日本中が揺れた時代に執筆されました。2005年は、私たちにとってすでに過去になりましたが、実際にこのような出来事があったとしても不思議ではない錯覚にとらわれます。
ドイツのバイエルン州にある湖で、日本の国会議員視察団の一人が首なし死体を発見するところから物語は始まります。その謎を追うのが、アイデア販売業を名乗る福光福太郎という人物です。もう一人の主人公は、IHC(国際健康管理委員会)に勤務する山上爾策です。東京大学医学部卒の医学博士で、専攻は疫学、WHOからIHCに引き抜かれたプロパーの職員という設定です。
山上爾策が、在留邦人のために「エイズの話」という演題で講演する場面があります。エイズ・ウイルスが増殖していくしくみを分かりやすく語ります。専門基礎科目の一つに生化学の履修が求められる管理栄養士にとって、ドクトル山上の講演話術(清張さんの教養の深さ)に驚くのではないかと思います。一部を引用します。
T細胞には、『キラー』『ヘルパー』『サブレッサー』の三種類があります。『キラー(殺人者)T細胞』とは、その名のごとく、外部から侵入した抗原という名の的を攻撃して、これを殲滅する前線の戦闘部隊にあたります。『ヘルパー細胞』は援助者という名よりも、戦闘部隊のキラーT細胞を指弾する司令部の役です。ですからコマンダーT細胞と名づけたほうが適切ですね。ここには情報部もあります。(中略)
ヘルパーT細胞の司令部は、これら三部隊を隷下に置き、その司令官は戦況をじっと見まもって、作戦指揮を取っているのであります。司令官はそこから動きません。隷下部隊長らに対して『余は司令部に在り』と通牒を発しているわけです。
いままではその体制で連戦連勝でした。ナポレオンのように不敗を誇っておりました。
しかし、新型のエイズ・ウイルスだけは、そうはゆかないのです。この魔神の如きウイルスは、直接に司令部のヘルパーT細胞の入口でエンベロープといわれる外被を脱ぎ捨てて殴り込みをかけてきます。司令部の中へ直接侵入して、奥の司令部を占拠してしまうのです。
(松本清張『赤い氷河期』新潮文庫、1992年、72〜74頁より引用。)
エイズ・ウイルスをインフルエンザ・ウイルスと合体させ空気感染を起こせば、新しいウイルス兵器として活用可能と発想した長編サスペンスです。福光福太郎は、田代明路という別名ももっています。田代明路の肩書きは「ヒント・コンサルタント」。アイデアを提供するのが福光福太郎で、ヒントのアドヴァイスが田代明路という、変わった人物像も、清張作品のなかでは珍しく、新鮮に感じられます。
福太郎がドイツの山奥の修道院を訪ね歩き、エイズ・ウイルスの猖獗ぶりを自分の眼で確認していきます。最後は馬と共にカラスに襲われ、馬は死にますが福太郎は一命を取り留めます。ペストが大流行した中世もこんな感じだっただろうかと、つい想像してしまいます。
エイズ・ウイルスが空気感染しないのは自明であり、治療薬も開発されてきましたから、小説の内容自体は荒唐無稽にも思われます。しかし、これまで人類が遭遇して来なかった新種のウイルスに置き換えれば、これから先、あり得ない話でもありません。さりげない社会批判も教養の深さも清張らしさが感じられ、楽しめる小説です。
第23回(2010年3月10日号)永嶋恵美の『転落』
以前、栄養士として給食センターに勤務していた主人公が、今は調理員として病院勤務をしている設定の小説です。人が転落していく様を描いた小説で、病院勤務の管理栄養士も登場しますし、老人病院の人間模様や勤務実態も描いています。しかし、なにしろ暗くて重たい内容の小説で、最後にはどんでん返しが待っている心理サスペンス。一気に読んでしまえる本です。
Tの教唆では、ホームレスになった人物「ボク」が、食べ物を与えてくれる小学生の女の子と関わるようになります。「ボク」だから男性だろうと読者に思わせます。年齢も書いていませんし、どんな事情でホームレスになってしまったのか読み手の疑問がふくらみます。そして読み進めていくうちに、少しずつ「ボク」のことが分かってくるのです。
Uの隠匿では、「ボク」をかくまった私が語ります。私は、「もう若くはない、給料日のたびに、そう思い知らされる。給与明細に記載された金額は実働時間を思えば理不尽なほどに低い。栄養士として給食センターに就職したときの初任給を思い出すと、情けなく思えるほどである。けれども、我慢するしかない。そんな年齢なのだ。」と調理員の待遇を語ります。「ボク」とのつながりも明らかになります。
そして、最終章Vの転落で、衝撃の事実が判明します。人間の心はそんなに単純ではありません。複雑で深くからみあい、読者に重くのしかかってきます。
病院の調理室の仕事や栄養士と調理員との関係を描いている部分を以下に一部引用します。佐々木春美が管理栄養士
です。
調理室では、佐々木春美が納品された食材と伝票とをつき合わせる作業をしていた。一人当たりの食事量の少ない老人病院、しかも大半の患者が経口での摂取ができないとなると、たいした量ではない。以前勤めていた市の給食センターに比べると、ままごとのような食材の量である。何より、生鮮食料品が極端に少なく、大半がフリーズドライかレトルトパックなのだ。
が、どんなに量が少なく、取り扱いが簡便なものであっても、たった一人で発注などの事務をこなした上に、献立作成や栄養指導を行い、さらに調理や配膳の作業にも加わる。仕事全体としては、十分に「たいした量」だと思う。
かといって、私を含めて三人いる調理員の誰かが春美の仕事を肩代わりするわけにはいかなかった。他人に対する不信感が強すぎるのか、あるいは縄張り意識でもあるのか、春美は抱え込んだ仕事を誰にも渡そうとはしないのだ。勤め始めて間もないころ、善意で「お手伝いしましょうか」と申し出てみたことがあるが、卵を守る猛禽類のような目で睨みつけられ、すごすごと引き下がらざるを得なかった。
(永嶋恵美『転落』講談社文庫、2009年、117〜118頁より引用。)
管理栄養士の縄張り意識が、「卵を守る猛禽類のような目」と表現されています。かつては栄養士として働いていた調理員の私に対して、管理栄養士の過剰な防衛意識も感じられます。
小学生がホームレスに食べ物を運び、「餌付け」をすることなど簡単です。食べ物をちらつかせることで、ホームレスに対して犯罪に近いことをそそのかすこともできてしまいます。病院に勤務し、食事介助をする人は、食べ物に劇薬を混ぜて患者を殺すことさえ可能です。食べ物は、人を育てたり生命維持の源であったりと生きていく上で欠かせないものですが、時には食べ物を使って人を殺すこともできます。他人の食べる物に関わる職業である栄養士は、時には人の命さえ左右する仕事なのだと、その責任の重さもまた伝わってくるのでした。
第22回(2010年3月1日号)宇佐美寛の『新版 論理的思考』
著者は千葉大学教授(当時)で、本書は、看護者養成学校で開講されていた「論理的思考」の授業テキストです。「看護界一般の人たちが文章の読み書きを通じて「論理的思考」を育てようとするさいの手引書であり問題集」として出版されました。看護界に限定しなくても、栄養士であっても教員であっても、また特に職業を持たない人であっても、論理的思考力を育てるには有益な本だと思います。宇佐美先生の授業を受けている感覚で読んでいける本となっています。
大学での講義は、一方通行的で学習者がいねむりをしたり私語ができたりと学習者がたるみやすいものが大半です。しかし、本書の第一章「開講の言葉」で、著者は「自分の頭を酷使せざるを得ない「しんどい」勉強でなければ身につきません」と力説します。水泳を例に挙げます。水泳は、自分で泳ごうとすることによってのみ泳げるようになるのであって、言葉で語って教えても泳げるようにはならない。努力を要する経験を自らすることが必要というわけです。「論理的思考」を育てるには、「「論理的思考」をせざるを得ない状況の中で自ら努力することこそ必要なの」だと言います。
第二章の「文」では、具体例や練習問題を挙げながら文章を書く訓練が書いてあります。「文をなるべく短く書く」、「なるべく主語をあらわに書き込む」、「文相互をつなぐ語句をなるべく入れる」、「他の文章は正確に引用する。(要約は、なるべく避ける。)」など、文の七原則が列記されています。だらだらと長く、主語がいつのまにか分からない文章を初心者は書きがちです。また、「文章の内容を論ずる文を書くべき」なのに、文章を書いた人間を論じる文になってしまうこともしばしばです。どのようなことに気をつけて文章を書けばよいのか、参考になる点が満載です。
第三章の「段落」では、「論評」の意義から始まります。論理的な文章を書くには、「長さを限定して」書くのが望ましいと言います。第四章の「語句」では、正確で明確な語句の使い方を説明します。
第五章の「読書」では、本を読むことで、読み書き、考える力をさらに伸ばすことができると言います。以下に一部を引用します。
本を読むことは、いろいろな力を同時に伸ばしていることなのです。本の内容が、考えるべき問題に気づかせ、考えるための材料を与えてくれます。正しく整った文体の本を読むことによって、そのような文体で考えるくせが身につきます。また、本は、いざ自分が文章を書くときに使えるような語句を教えてくれ、すでに知っていると思っている語句の意味の範囲を確認させてくれます。今までも話してきたように、語句の意味を学ぶには基本的には、文章をたくさん読んで感じとっていく、いわば感覚を養っていくべきなのです。だから読まなければ、書けません。
すでに、書こうとする意欲が出来、文体の意識があるのですから、他の人の文章を読む場合も、これまでとは違って、自分が書く場合とダブらせて、「自分だったら、こう書くかな?」と思いながら読むことが出来るようになっています。読むことによって書く力も育ちやすい状態になっています。
(宇佐美寛『新版 論理的思考』メヂカルフレンド社、1989年、153頁より引用。)
好きなものをたくさん読んで読書に親しむことを薦めています。「慣れて好きになるための実践をある程度多量にするのが、第一です。」何を読んだら良いのか。参考書目録が、論説、記録、小説と大きく三つのジャンルに分けて紹介されています。数えてみると、全部で171冊ありました。何を読んだらよいか迷っている人にとって、大いに参考になる本だと言えます。
第21回(2010年2月20日号)有吉佐和子の『青い壺』
13話から構成されている、青い壺が主人公の不思議な小説です。第一話は、陶芸家によって青い壺が作られますが、すぐにデパートの美術コーナーに置かれることになります。第二話では、上司へのお礼の品として青い壺が買われます。その後、青い壺は手術をしてくれたお礼として医師の元に渡ります。泥棒に盗まれ、東寺の弘法さんで売られ、スペインに渡り、最終的には陶芸家の近くまで戻って来るという話です。青い壺が誕生し最終話で再び陶芸家に巡り会うまでには十余年の歳月が流れています。
栄養士が登場するのは、後半です。第九話から、弓香の孫として小学校の栄養士をしている悠子が出てきます。第十話では、一年生から六年生までの六百食の給食を任されている悠子が、残食の多さに悩む話が中心になっています。一部を以下に引用します。
シスター・マグダレナは、全知全能の神に生涯を捧げているから、神さまが分っていればいいと落着いていられるのだろうが、悠子は神さまより差当って、子供が人参をどうすれば食べるようになるかという方が大問題だった。
学校給食には所要栄養量の基準というのが定められていて、初等科低学年が摂取すべきヴィタミンAは九〇〇I.U.、高学年は一,一〇〇I.U.となっている。ヴィタミンAは植物には含まれていないが、カロチノイドを含む野菜は体内に入るとヴィタミンAに変化するのでプロヴィタミンAと呼ばれている。人参も、ほうれん草も、黄色いとうもろこし同様、子供の成長に欠かしてはならない食品なのだ。子供が絶対必要としている食物をどうして子供が嫌うのか。悠子には神さまの心が分らない。
体力を失った病人に食欲がないのは理屈だが、育ちざかりの子供が、切実に求める筈のカロチノイドをどうして拒否するのか。悠子は理解できない。味つけに工夫してみたし、目先を変える手間もかけてみたが、ほとんどの子供たちが、赤い人参と緑のほうれん草を嫌うのだ。
(有吉佐和子『青い壺』文藝春秋、1977年、218〜219頁より引用。)
悠子は、「この春、栄養大学を卒業してから、自分が卒業したミッションスクールに就職して」います。「彼女が栄養士を志したのは、女でも資格を持っていた方が社会へ出るのに遙かに有利だということ」で、「栄養学と本格的に取組むうちに、悠子は具体的に、小学校の給食を専門にやりたいと思うように」なります。
初出は、『文藝春秋』昭和51年1月号から昭和52年2月号まで連載されたものです。この当時、女性が社会で働くには栄養士という資格が有利だと、少なくとも有吉佐和子はそう認知していたことがわかります。
戦中戦後の食べ物に苦労した回想を登場人物が語ります。戦前に外国暮らしを経験した上流階級の夫婦が、ジャガイモとサツモイモを一緒に煮たものをホロホロ鳥だと言いながら食べた話は哀しくもあり優雅でもあります。京都へ同窓会に出かけた老婆たちも、「茄子の煮たのが半切れ、その横に赤ン坊の拳より小さいがんもどきが一つ」の料理にがっかりして、五十年前の寮の食事を思い出します。
結婚相手が「海軍中将の息子さんですって」とか、海軍の場合「ダイイ」と言うのが正しいのか、それとも「タイイ」なのかというエピソードもあります。作品発表時は、まだ戦争を引きずって生きていた時代であり、古い家族像と新しい価値観が入り交じっていた時代であったとも言えます。
一方で、会社人間の男が定年退職後に行き場を失ったり、嫁姑関係など家族内の人間関係に悩んだりする話は、現代でも大いに共感できます。栄養士が残食を少なくする工夫を考え、美味しく食事をとってほしいと努力するのは、三十年以上経過した現代においても、変わってはならない栄養士の姿勢だと感じた次第です。
第20回(2010年2月10日号)竹下和男・香川県高松市立国分寺中学校の『台所に立つ子どもたち』
著者の竹下和男は、2001年、香川県滝宮小学校で「弁当の日」をスタートさせた校長です。保護者の手伝いなしで子どもだけで弁当を作る「弁当の日」を提案し、この実践により2003年に「地域に根ざした食育コンクール」で最優秀賞(農林水産大臣賞)を受賞しました。
小学5・6年生児童を対象に10月から月1回のペースで5回繰り返すという取り組みです。給食の時間になると、お互いの弁当を見せ合ったり、写真撮影をしてもらったりします。本当に自分だけで作った子どもは自慢気ですが、こっそりと親に作ってもらった子どもは、次回こそ自分で作ろうと意欲を持ちます。また、給食を食べている下級生児童は、5.6年生の美味しそうな弁当を4年間見ることで、「一人前になりたいという子どもの内発的動機をうまく刺激」され、「意欲が醸成される大切な四年間」となっているそうです。
「弁当の日」のねらいは、自分で弁当作りができる調理技術の習得だけにあるわけではありません。弁当作りを通して、家族のあり方を見直し、家族や友人たちとのコミュニケーションを増やし、子どもの自立を促すものとなっています。「食育」という「食」に限定した狭い範囲にとどまっているわけではないのです。
本書は、竹下和男校長の次の異動先である国分寺中学校でも実施した「弁当の日」実践記録です。小学5・6年生児童でうまくいった「弁当の日」が中学生版になると、どのような点に気をつければよいかが書かれています。
また、「弁当の日」を支える教職員たちの文章も掲載されています。栄養士だけでなく担任教諭、家庭科教諭、養護教諭らとの連携で相乗効果が得られることがわかります。以下に栄養士の方が書いた文章の一部を紹介します。
「先生、野菜入れたよ!」女子生徒が弁当箱を開いて見せてくれました。子どもたちの作ろうとする弁当は、栄養のバランスがよくないものが目立ちます。卵焼き、唐揚げ、エビフライ、ミートボール、ウインナー、ハンバーグなど、とにかく一群の食品がいっぱいなのです。弁当の授業では栄養バランスを教えるため、材料を六つの食品群に分類していきます。「一群を減らして野菜の料理を入れようね」と指導しても、生徒は野菜の料理を思いつきません。経験が絶対的に不足しているからです。なんとか作れそうな料理を見つけ出し献立に付け加えて六つの食品群を満たすようアドバイスしていきます。それでも、野菜の全く見当たらない弁当を持ってくる子もいます。
しかし、二回、三回と回を重ねるうち、しだいに食品群を満たしてくる生徒が増えてきました。やはり実体験を通して学んだことが多かったのでしょう。反面、意欲の面ではしだいに飽きて低下していったようです。寒い冬の時季に連続して実施したことも原因のようでした。
(竹下和男・香川県高松市立国分寺中学校『台所に立つ子どもたち』自然食通信社、2006年、118頁より引用。)
家庭科教諭や養護教諭の文章も参考になります。同じ職場で働く、違う職種の同僚たちがそれぞれの立場で支えている「弁当の日」は、児童生徒のためだけではないようです。コンビニおにぎりやコンビニ弁当に慣れ、冷凍食品に頼る弁当に甘んじ、お茶さえもペットボトル入りのものを飲んでいる社会を私たちは受け入れてきました。
便利さを受け入れる代わりに失ったものをどう取り戻すか。「弁当の日」は私たち大人に多くの問題提起をしています。「弁当の日」を全国的に展開させたいという動きがあります。元々のねらいからずれることなく、それぞれの実態に応じた取り組みを自発的に行ってほしいと思います。台所に立つことが自分で料理をすることが、いかに大事なことかを見直す本だと言えます。
第19回(2010年2月1日号)東野圭吾の『新参者』
本書は、新参者として日本橋署にやってきた刑事加賀恭一郎がひとつの事件を解決する物語です。栄養士は登場しませんし、栄養士に関連する専門的な内容もありません。しかし、食べ物が人々の日常生活に深く関わっていることを、ミステリー小説を楽しみながら味わうことができる本としてお薦めします。
本書は、九編から成り立っています。第一章の「煎餅屋の娘」で、殺人事件が起こります。小伝馬町で殺人事件が起こったらしい。それだけの情報です。第二章の「料亭の小僧」では、人形焼きが事件に関わっているかもしれないと思わせます。餡入りと餡なしの人形焼きですが、被害者の自宅からなぜかワサビ入りの人形焼きが発見されます。第三章の「瀬戸物屋の嫁」では、やっと被害者の名前が分かります。被害者が買い求めたかったキッチンバサミと食用バサミの話が出てきます。以下に一部引用します。
「奥さんが欲しかったのは、このハサミなんです。キッチンバサミなんかじゃない。ところが殺された三井さんは、キッチンバサミだと誤解して、全然違うものを買ってしまったんです。」
「えっ、どういうことですか」尚哉は眉根を寄せた。
主人は腕組みをした。
「特に正式名称なんてものはないんですがね、私らは食用バサミと呼んでます」
「食用バサミ?」尚哉は首を傾げる。
「奥さんはたぶん三井さんには、その名称を伝えたのだ思います。ところが三井さんは食用バサミと聞いて、キッチンバサミだと勘違いしたんですよ」
「よく間違える人がいます」主人がにやにやした。
「これは一体どういうハサミなんですか」尚哉は主人のほうを見た。
「懐に忍ばせておいて、食事中に硬い食材が出た時なんかに使うんですよ。イカとかタコとかね」
(東野圭吾『新参者』講談社、2009年、107頁より引用。)
第四章の「時計屋の犬」では、被害者の生活の一部が分かり、第五章の「洋菓子屋の店員」では、被害者の元夫と息子が登場します。少しずつ事件解決が近づいていることを読者に知らせてくれます。第六章の「翻訳家の友」で、事件発生時の様子が分かり、被害者がどんな暮らしをしていたかが明らかになっていきます。
第七章の「清掃屋の社長」、第八章の「民芸品屋の客」で、いよいよ犯人が誰だか分かっていくのです。そして、第九章の「日本橋の刑事」で最後のパズルがすっきりと収まり、納得した読後感が得られるというわけです。
加賀恭一郎は、「パッションフルーツと杏仁豆腐のゼリー」を手みやげに翻訳家を訪ねたり、民芸品屋の女主人の話を聞きに行ったりします。「パッションフルーツと杏仁豆腐のゼリー」は被害者の好物でした。「餡入りと餡なしが半々になっている」人形焼きを届けたのは、税理士事務所を経営している義父をもつ玲子の家。玲子の家庭がすさんでいることを、レトルト食品や冷凍ものばかりでまともに料理もせず、宅配ピザを夕食代わりにすることが多いという食事の様子で読者に伝えてきます。煎餅屋の娘とはバナナジュースを飲みながら情報を得ます。
事件解決の過程に、飲んだり食べたりしたことや食事の様子を折り込むことで、物語がふくよかになっていき、登場人物が生き生きとしてきます。食べることが生活のなかでどれほど大事なことか。主題とはかけ離れていますが、そういうことも味わえるミステリー小説だと思います。
第18回(2010年1月20日号)山崎豊子の『暖簾』
本書は、山崎豊子のデビュー作品。父子二代にわたる大阪の昆布問屋、浪花屋の話です。山崎豊子は、大阪の小倉屋山本の三代目の実妹で、自分の親兄弟を小説のモデルとしました。あとがきで、山崎豊子はこう述べています。「私がものを書きはじめるのなら、ここからしか出発できないと思い」、「長い歳月をかけて、その間、激しい新聞の仕事や闘病生活に中断されながら、何百年の歴史の中で暖簾と繋って生きて来た大阪商人像を書き続け」たのです。
明治29年3月、八田吾平が、淡路島からたった35銭をにぎりしめて、大阪に丁稚奉公に出て来るところから物語は始まります。一部は、暖簾分けしてもらい、自分の店をもちますが、戦争ですべてを失ってしまうまで。二部は、次男孝平が復員し店を継ぎ、大学出のインテリ商人と笑われながらも、戦後の何もない時代から高度成長期にかけて再興していくまで。父子二代にわたる大阪商人の暖簾にかける商人魂が主題です。
一部に、吾平が夜なきうどんの屋台に眼をつける話が出てきます。以下に一部引用します。
注意深く見ていると、屋台の真ン中の銅壺に徳利が二本すえてあり、それでかわるがわるに昆布だしを作り、一番良く出たところへ花かつおをポッとほり込み、醤油で味つけして、かつおの香りをきかせて出すのであった。昆布だしとうす口醤油の味つけが、コツであった。昆布だしを元にしているから、まったりとしてコクのある味わいが舌に残った。それで夜なきうどんのだし汁は、全部すすってしまう人が多いわけだった。
「よっしゃ、夜なきうどんのうまいもとが昆布だしと解ったら、もっと安うてええ昆布卸したらんといかん」
と、吾平は意気込んだ。夜なきうどん屋が使っているのは、普通の出し昆布であった。これを、北海道渡島産の上等の『元揃え昆布』を使ったら、文句がなかったが、値段が倍ほど違った。思案を重ねた末、吾平は、『元揃え昆布』は耳を裁ち、型を整えて売る場合が多かったから、その裁ち残しを一括して、夜なきうどん屋へ安く卸すことを考えついた。
(山崎豊子『暖簾』新潮文庫、1960年、43〜44頁より引用。)
思いがけない昆布の提供に、夜なきうどん屋は喜びます。たちまち大阪市内に二百台ほどあった屋台車が、吾平の店に集まります。うどん屋の口から浪花屋の昆布のうまさが口伝にされ、大阪の一流のうどん屋からも大口の注文を受けるようになるのです。
良質でおいしい昆布を安く提供したいという大阪商人の商人魂が感じられます。こんなエピソードも出てきます。
歳暮用として地方発送した塩昆布にねこいらずが入っていて、それを買った時計店の家族が中毒を起こし、所轄警察から刑事がやって来ます。吾平は四日間留置場に入れられますが、容疑を否認し続けます。
結局、時計店の女中が、ねこいらずを水屋の中に入れる時に、塩昆布入れの蓋があいていて、うっかりねこいらずを落としこんだらしいとわかります。女中が浪花屋の手落ちと思い込んだのは、送って来た時の昆布の包装紙が汚れていたから、頭から浪花屋にむすびつけてしまったのでした。
留置場を出た吾平は、すぐに名古屋に向かいます。「手の切れるようなぱーんと張った包装紙で包んだ昆布を贈り、頭を低くして挨拶」するのです。「手前の方の嫌疑は晴れましてほっと致しましたんですが、その節おっしゃって戴きました包装紙のこと、ほんまに有難うさんでござりました、あの一ことは、商人の大事な心得だす、包装紙は商人の裃やといいますのに、破れた皺くちゃの裃を付けまして、まことに御無礼致しました」
筆者は、昨年末に歳暮用のギフトに間違ったのし(別人の名前が書いてあった)で発送されてしまった経験をしたばかり。クレームの連絡をしましたが、対応は満足できるものではありませんでした。食べ物を扱う関係者が、本書を読み、大阪の商人魂を受け継いでほしいと思ったのでした。
第17回(2010年1月10日号)江原恵の『家庭料理をおいしくしたい』
『2007年版現代用語の基礎知識』(自由国民社)には、「さまざまな食育」カタログが載っています。フリーライターの遠藤哲夫氏が23項目を挙げて「食育」の説明をしている2頁で、最後に紹介しているのが「江原恵」です。ネットでも読むことが出来ます(ザ大衆食http://homepage2.nifty.com/entetsu/sinbun05/syokuiku_gendaiyougo.htm)。『家庭料理をおいしくしたい』は「いまでも重い内容だ」と書いています。
本書は、1988年の発行。グルメブームが起こり飽食の時代と盛んに言われた時代です。家庭料理をおいしくするには何が必要か、これが本書のテーマですが、家政系大学の調理実習や料理情報に関する批判書でもあり、栄養士に対する叱咤激励本でもあると思います。
本書の前置き部分として、一番だし・二番だしをとることを信じて疑わない家政系大学の先生方の話が出てきます。著者が言うには、「「二番だし」や「捨てだし」を利用するのは、料理屋特有の包丁風俗であって、一般庶民の台所にはそんな手間ひまをかける余裕がなかったし、その必要もなかった」とのこと。昆布でだしを取るときに、「ぬれぶきんで砂をふきとり」と必ず書いてある料理書の話が続きます。ABC三冊の料理書の記述を通して、その問題点を明らかにしていきます。昆布に付着した砂やごみをふき取らなければならなかったのは、昭和30年代後半か、おそくとも40年代の初めまで。今や砂やごみなど付いている昆布はありません。にもかかわらず、長年にわたって教育の場で「ぬれぶきんで砂をふきとり」と言い続けてきました。
Aの執筆者は日本料理界の重鎮です。彼の情報が間違っているはずはないという権威主義が根底にあり、権威の高みから送られる情報をそのまま受け入れた家政系大学の先生方がいました。たしかに、私が大学で習った調理学の先生は、Cの料理書を出版した専門学校で料理を学んだと聞いていますし、私自身もかつて調理実習で砂など付いていないと思いながらも、「ぬれぶきんで砂をふきとり」と説明し、飾り切りを教えたこともあります。
家政学部の調理学や栄養大学の実習室が、プロの料理技術を無条件で信頼し、右習えをしている。学校で先生が教えてくれる知識は、無条件に正しく有用であるという先入観が小学校から植えつけられ、大幅な修正が加えられることはない。こうして、家庭の台所に直結しないままに栄養士も養成されてきたことを指摘しています。
女子栄養大学が設けた調理技術検定制度にも疑問を呈しています。「プロのエピゴーネンをめざす検定制度」と切り捨てます。
現在の食に関わる問題解決のヒントがたくさん詰まっていると思いました。最後に、私がその手がかりになると思った三箇所を引用しておきたいと思います。
村井弦斎の時代には、オムレツは高級な「舶来」の料理であった。それが今は、「怠け主婦」の手抜き料理の第一に数えられるようになった。変われば変わる世の習いと昔の人はいった。が、何も卵やオムレツが悪いわけではない。主婦や母親がみんな怠け者になったわけでもないのである。変ったのは、食料の生産と流通と消費のしくみである。
(江原恵『家庭料理をおいしくしたい』草思社、1988年、91頁より引用。)
素材追求型・単一型料理の文化にあっては、食品そのものだけの話にとどめておくほうが無難である。それなら、話のなかみが濃いか薄いかだけのことである。もっとも博識かつ深く知っている人が一流の食通というわけだ。しかし食べ方とか、料理と生活のかかわり方の問題になってくると、物の見方・考え方を根本的に変えないと、話がどうしても皮相的になってしまうおそれがある。(同上、151頁より引用。)
栄養士は調理ができても、できなくてもよいというのは、まったく非科学的な論理である。学校給食が大量に残りものを出すのは、〈栄養素学偏重・調理学軽視〉の思想がもたらした、一種の文化的頽廃である。人間の生理的感覚や機能を無視した、したがって人間の「生活」をないがしろにした非科学的な考えである。(同上、167頁より引用。)
第16回(2010年1月1日号)中西準子の『環境リスク学』
読書の楽しみは、新しい知識を得ることよりも、自分が想像もしなかった考え方や生き方に出会ったり、畑違いの分野での発見や苦労を知ったり、自分の経験や周囲からの伝聞だけでは知り得ないことが時空を超えて分かることだと思います。
本書は、都市工学の研究者が最終講義を機に研究成果を一般人にもわかりやすくまとめたものです。著者は環境リスク評価の研究者で、2004年3月に横浜国立大学を定年退職しました。その際に行った最終講義が本書の第1章に収められています。
1938年生まれの著者は、横浜国立大学工学部化学工業科を卒業した後、東京大学大学院に進学し、東京大学工学部の助手になります。本人も多くの人も万年助手で終わるだろうと思っていましたが、23年2か月の助手を経て都市工学科の助教授になります。その後、東大教授になりますが、1995年に横浜国大に移ります。現役の東大教授が新制大学に移るなど前代未聞の出来事だったとか。女性研究者が少なく、しかも工学系分野で道を切り開いていくには相当の困難が伴っただろうと思います。
長い研究生活のなかで、いくつかの事例を挙げています。東京都の下水処理場の調査、駒ヶ根市に提案した経済的な下水道、水循環を促進する下水道の研究など、時には建設省(当時)や農水省を敵に回しながら、実験結果に基づきファクトにこだわり続けて主張してきました。おかしいことはおかしいと発言し続けてきた、骨のある研究者の姿勢が伝わります。最終講義のタイトルが、「ファクトにこだわり続けた輩がたどり着いたリスク論」となっているのも頷けます。
プライベートなことも書いています。著者の父親中西功は、南満州鉄道調査部で働いていましたが、著者が4歳の時に検挙され、死刑の求刑を受けていた人。終戦を迎え釈放された後、日本共産党から立候補し参議院議員になりました。しかし、50年には除名されるという「50年問題」の渦中にいました。小学生のころから日本共産党の分裂を目の当たりにして育った著者は、社会科学よりも理系の道を選んだのでした。
どこかの組織に入って主張することや思想闘争がいやで、「自分の出す資料からあらゆる思想的な言葉を剥ぎ取り」ます。事実こそが自然科学の強みと考え、ファクトを出すことで対立を解きたいと思い続けてきたそうです。
私が本書を取り上げたのは、栄養士をめざす人々にとっても事実を見る姿勢、事実から物事を判断する姿勢が大切だと思っているからです。
QOLの記述からもその姿勢は伝わります。管理栄養士養成教育において、QOLとは何かについてほとんど語られないまま、呪文のように「QOLが大切、大切」と唱えます。環境リスク学の立場ではQOLはこのように扱われているのだと、その一端を知りました。以下に一部を引用します。
生活の質を考える? それはいいことだ。生きている間も苦しいのだからと多くの方が言います。しかし、実は私はQOLの研究をすること、および、それを使ってリスク評価をすることを研究室の院生やCREST(戦略的基礎研究推進事業)の研究員に長い間禁止してきました。院生や若い研究者は、とてもそれをやりたがっていました。しかし、私は「ダメ」と言い続けました。損失余命は、失われた生存率の比較です。QOLの評価は、生きている人生の質の評価です。もちろん、それは低下したQOLを回復するために使うのですが、それが完全に回復されない間は、質の低い人生と見なされるという問題が起きてきます。そのことを認めたくなかったのです。その領域は、やすやすと踏み込めるものではないと考えていました。
(中西準子『環境リスク学』日本評論社、2004年、125頁より引用)
著者は退職後も自身のホームページで、定期的に「雑感」を更新し、社会的発言を続けておられます。第一線の研究者が所属を離れても常に提言する姿勢に背筋が伸びる思いです。第15回(2009年12月20号)山本謙治の『日本の「食」は安すぎる』
日本の「食」を巡る状況が年々着実に悪くなっているのは、消費者の側に大きな問題がある。いちばんの問題は消費者の無理解なのだ。日本の「食」が安すぎて生産者を困らせているのは、“安いものを求め過ぎる消費者”が存在するからだ。本書は、無知で無理解な消費者を痛烈に批判しています。
消費者対応に苦労している生産者や流通販売業者にとっては、溜飲の下がる本だと思います。“難癖をつける”レベルの消費者に辟易している人が読むと、痛快だろうと想像してしまいます。消費者側の立場で物事を考えることが多い私は、多少の反発もありますが、本書が展開している内容は説得力があり納得できるところも多いのです。
著者は、1971年愛媛県生まれ。高校時代に農産物の世界に足を踏み入れ、農産物流通コンサルタントとして全国各地を歩いている人物です。全国各地の美味しい農産物や農産加工品について、その栽培方法も加工のしかたも味もよくご存知の方だと思いました。
第1章は、安すぎる「食」が偽装を引き起こす。日本の「食」は安すぎて、安すぎるとどんなことが起こるか、実際に起こった偽装事件を取り上げます。「○○は買ってはいけない」と警鐘を鳴らすよりも、買い支える建設的な方向性を示すべきという意見の持ち主です。
第2章と第3章は、「本物」には適正価格があると主張しています。漬物、豆腐、納豆、伝統野菜、ネギ、牛肉、豚肉、ハム、卵、牛乳と本物の農畜産物を例に挙げます。
第4章は、ラーメン、ハンバーガー、山菜そば、椎茸、お酢を例に、「地元率」が大切なファクターになることを説明します。以下に、椎茸を紹介している一部を引用します。
「バイオコスモ」という会社がある。首都圏向けに菌床きのこを生産・販売している会社だが、社長の市岡隆司さんは、言うなれば、きのこの世界において有機栽培を目指している人だ。彼の会社が生産するきのこ類の出荷先は、有機・特別栽培農産物の宅配業者などが多い。厳しい栽培基準を持つそれらの団体に出荷できるということだけでも、この会社の熱意がわかるだろう。たとえば、コーンコブなどを培地に用いる場合も、輸入元から遺伝子組み換え不使用の証明書を取得できるところから仕入れているという徹底ぶりだ。先日お会いしたときには、相変わらず面白いきのこ商品を世に問おうとしていた。
「これ見てください」
そういって市岡さんが出してきたのが、きのこで作ったキムチである。私は、そのパッケージをひっくり返し、一括表示部に目を通したのだが、思わず、「こりゃすごい!」という声が漏れてしまった。というのは、合成色素やソルビン酸、pH調整剤などが一切使われていないのだ。
(山本謙治『日本の「食」は安すぎる』講談社+α新書、2008年、164〜165頁より引用)
第5章は、購買という「権力」を正しく行使して、日本の「食」を支える消費者になってほしいと結びます。
野菜や米を化学肥料や農薬に頼らず、地道に作り続けている生産者、地方で細々ながらも製造販売している業者の名前が実名で登場します。全国を回って出会った人々を応援しているのです。
一方で、マクドナルドに通っていた少年時代を恥ずかしいと書き、モスバーガーはたまに食べる話も出てきます。農水省主催のイベントにヴィッテル(輸入のミネラルウォーター)を置く意識の低さを指摘します。大企業や国の批判はいささかの勇気がいるとは思いますが、食を支える日本の農業を守りたいと願う著者の熱意が伝わってくる本です。
第14回(2009年12月10日号)小泉武夫の『不味い!』
「チキショー、この味は許せん!」文庫本のオビの言葉です。食の冒険家と言われるコイズミ教授が「不味い!」と思った31の食べ物を紹介しています。私はこれらを大きく三つに分類できると思いました。
一つは、講演旅行等で日本中を旅するなかで出会った不味いもの。観光地のお膳、ホテルの朝食の蒸した鮭、不味い駅弁・街弁、ホテルのティーバック、大阪のホテルの水などです。
二つは、急性腹膜炎で入院した時の病院食、出前授業で食べる小学校の学校給食、学生たちと共にする食事やコンパのつまみなど著者が日常の暮らしで出会った不味い料理の数々です。
三つは、学術調査を兼ねて世界中の辺境を旅したときに出会った奇食や珍味のたぐいです。強靱な胃袋をもつ著者だからこそ、チャレンジできた食べ物です。
たとえば、カラスの肉。東北地方のとある湯治場で食べたカラスの肉のことを書いています。常人ならば食べてみようとさえ思わないのですが、「ジュラルミン製胃袋」を持っているだけあって、臭くて不味いとわかっているカラスの肉にチャレンジするのです。しかも、どのような臭いなのか分析し、読者に伝わるように表現するところは、さすがとしか言いようがありません。モンゴルで食べた「血の腸詰」、ミャンマーの山岳地で食べたカブトムシ、スウェーデンの「シュール・ストレミング」など枚挙に暇がありません。
本書を推薦したいと思った一番の理由は、なぜ不味いのか分析をしているところです。私が分類した三つ目の奇食や珍味の不味さは脇に置くとしても、観光地や日常生活のなかで不味いと感じた理由が述べられています。つまり、そこを改善すれば美味しくなるという示唆でもありアドバイスでもあるのです。
観光地のお膳に必ずついている、ミニ鍋料理。三枚の豚肉がピタリと密着していて不味かった話が出てきます。肉と肉がくっ付いてしまい離れにくいのは、急激な温度変化によってタンパク質の構造が変ってしまい、互いに固まって強く密着してしまうからと説明し、冷凍肉をそのままミニ鍋に入れてしまってはいけないと注意を促しています。
学校給食では、著者が10年前に食べた、ご飯に味噌汁の付くすばらしい食事内容を紹介した後で、最近の一変したメニューの話に移ります。献立内容が和食系から洋食系に変化したこと、噛む必要のない柔らかい料理が多いこと、味が薄いことなどの不味さを指摘します。学校給食がなぜあまり噛むことのないものになってしまったのか。著者の分析を以下に引用します。
O−157は恐い病原性大腸菌として知られ、それに汚染された食べものを摂った人の腸管から出血させたり、強力な毒素をつくって死に至らせる食中毒菌で、数年前にあちこちで死者を出した。そのため、学校給食は全て加熱したものを出す方向に向かい、しかも、これでもかとばかりに念には念を入れて火にかけるものだから、野菜などはもうぐちゃぐちゃになってしまう。確かに安全第一ということは最も大切なことではあるけれども、あんなふにゃふにゃな給食を食べた子供たちに、美味しい不味いといった感覚はあるのだろうか。材料搬入のルートや調理場の衛生管理を徹底し、そのような恐ろしい菌の侵入を食い止めるといった基本的な衛生観念を植えつけ、その上で、少しでも子供たちが美味しい、と感じる調理を行ってもらいたいものである。
(小泉武夫『不味い!』新潮文庫、2006年、66頁より引用)
美味しいことは食べることの基本。美味しくなければ食べることが苦痛になってしまいます。そして、美味しさは不味さがあってわかることです。あえて不味いものを取り上げることで美味しさを追求したい著者の意気込みが感じられる本だと思います。
第13回(2009年12月1日号)福岡伸一の『もう牛を食べても安心か』
2001年9月10日のニュースは衝撃的でした。日本でBSEに罹った牛が発見されたのです。これは大事件になると思ったのですが、奇しくも翌日は9.11。同時テロが起こり、人々の関心もメディアの報道量も大きくそちらに傾きました。
それでも、関係者には多大なる影響を与え、消費者は牛肉を買わなくなりました。牛肉だけでなく牛肉エキスが含まれる加工食品や調味料の使用も中止したため、学校給食関係者は対応に追われました。学生たちに「先生、もう牛肉を食べてもいいの、まだなの?」という質問をよく受けたものです。
本書は、そのものズバリのタイトル。2004年12月発行です。しかし「もう牛を食べても安心か」の答えがストレートに書いてあるわけではありません。1950年代、ニューギニア東部の高地民であるフォア族の女性に発生したクールー病。レンダリングによって病気になってしまったイギリスの羊スクレイピー。1994年から95年にかけて若い世代に10例も確認できているクロイツフェルト・ヤコブ病(CJD)。BSEと類似した病気を挙げながら、原因を探っていきます。もう牛を食べても安心かどうか。簡単に答を出せるほど物事は単純ではないのです。
ヒトはなぜ食べるのか。そもそもヒトはなぜタンパク質を食べ続けなければならないのか。食べることの本質的な意味を認識し、消化の意味を「発見」したのは、ベルリン生まれの生化学者ルドルフ・シェーンハイマーという人です。1937年、シェーンハイマーが発見した「動的平衡」論について教えてくれます。また、ノーベル賞にも値する大発見にも関わらず、生物学のテキストに載ることもなく不遇な人生を終えたシェーンハイマーの人生も紹介します。
寝ころんで読む娯楽本ではありません。狂牛病を通して食と生命のしくみを論考している本です。しかし、特別身構えて読む必要もないでしょう。
合間に7篇のコラムがはさんであって、むずかしい専門的な内容をかみ砕いてくれます。たとえば、コラム6のテーマは、「グルタミン酸をとると頭がよくなる?」。以下に一部を引用します。
脳で使われている伝達物質にはたくさんの種類があるが、記憶を保持している神経細胞(ニューロン)間の伝達を担っているものに、いくつかのアミノ酸およびその関連物質がある。その一つが、グルタミン酸である。一時期、化学調味料でもあるグルタミン酸ソーダを食べると「頭がよくなる」といわれたことがあるが、それはグルタミン酸が神経伝達物質であるからだろう。
しかし、神経伝達物質をたくさん摂取すればそれだけ神経間の伝達効率がよくなるかといえば、そんなに単純なことにはならない。そもそもグルタミン酸はどんな食品中にでも最も大量に含まれているアミノ酸であり、ヒトは自分の体内で他の材料から合成することもできる(非必須アミノ酸)ので不足することはない。しかも、食べたグルタミン酸は直接、脳に入ることもない(脳には関門がある)し、そもそも神経伝達に関わるグルタミン酸はごくごく微量である。
(福岡伸一『もう牛を食べても安心か』文春新書、2004年、149頁より引用)
2003年12月、アメリカでも初のBSE症例が発見されました。アメリカ産輸入牛肉に依存していた牛丼チェーン店から牛丼メニューが消え、再開されるとまたメディアが大きく報道しました。現在、日本では食肉用の牛すべてを対象にBSE感染の有無を調べる、全頭検査が行われています。全頭検査は科学的ではないと批判もありますが、著者の見解は、全頭検査見直し論には反対。第7章の「全頭検査緩和を批判する」に述べられている分子生物学者の意見は参考になります。
第12回(2009年11月20日号)村上春樹の『1Q84』
出版と同時に大ヒットで話題となった村上春樹の書き下ろし長編小説です。1984年の日本を舞台に、青豆と天吾という、別々に生きる二人の主人公が交互に紡いでいきます。音楽でもなく武器でもなく乗り物でもない、料理や食事をキーワードに読んだら、どう読めるか。食べ物や食事の場面に焦点をあててみたいと思います。
まずは青豆です。スポーツインストラクターという職業柄か食事に関して禁欲的であり、神経を遣っています。
青豆は日々の食事に神経を遣った。野菜料理が彼女のつくる日常的な食事の中心で、それに魚介類、主に白身の魚が加わる。肉はたまに鶏肉を食べる程度だ。食材は新鮮なものだけをえらび、使用する調味料は最低限の量にとどめた。脂肪の多い食品は排除し、炭水化物は適量に抑えた。サラダにはドレッシングをかけず、オリーブオイルと塩とレモンだけをかけて食べた。ただ野菜を多く食べるというだけではなく、栄養素を細かく研究し、バランス良く様々な種類の野菜を組み合わせて食べるようにした。彼女の独自の食事メニューをつくり、スポーツクラブでも求めに応じて指導した。カロリーの計算なんか忘れなさい、というのが彼女の口癖だった。正しいものを選んで適量を食べるという感覚さえつかめば、数字なんか気にしなくてもいい。
(村上春樹『1Q84 BOOK1』新潮社、2009年、325頁より引用)
老婦人と青豆が会う場面では、いつも何らかの食べ物や飲み物が用意されています。老婦人のお好みは、ハーブティー。青豆の好みは、「真夜中の悪魔ように熱くて濃いコーヒー」ですが、老婦人と会う時は彼女のペースに合わせています。
老婦人と麻布のフランス料理店で夕食をともにし、個人的トレーニングの依頼を受けます。二人ともシャブリを飲み、青豆は白身の魚のグリル、老婦人は野菜だけの料理を注文します。
個人レッスンの後に、老婦人の屋敷で出される食事は、専門の料理人が作っているらしく、どれも食材が新鮮でおいしく、量も適度に十分なのです。茹でた白色のアスパラガス、ニソワーズ・サラダ、蟹肉入りのオムレツ、ロールパンとバター。洗練された食卓で、バックに流れるハイドンのチェロ・コンチェルトとよくあっています。
最後の仕事になると予感した青豆が、老婦人に会うときには、氷とレモンの入ったアイスティーのジャーが置かれています。それを青い切り子細工のグラスに入れて飲むのです。しかし「口に中に綿が入っていて、すべての味を吸収してしまうみたいに」味を感じない心理状況を描いています。
最後に青豆が自分の部屋を出るときに食べたものは、冷蔵庫に残っていた卵とハムとバターを使ったハムエッグとオレンジジュース。しかもジュースはカートンボックスから直接飲むのです。最後まで生活感が漂わない、クールな性格が食べ物にも表れています。
一方、天吾です。予備校の数学教師をしながら小説家を目指している独り暮らしの青年。外食やインスタント食品に頼らない食生活で、独り暮らしの男性にしては凝った料理を作る人物として描かれています。
たとえば、ふかえりに作っていた夕ご飯のメニューを電話で教えます。一人だからたいしたものは作らないと言いつつ、「かますの干物を焼いて、大根おろしをする。ねぎとアサリの味噌汁を作って、豆腐と一緒に食べる。きゅうりとわかめの酢の物も作る。あとはご飯と白菜の漬け物」とは豪勢です。包丁さばきも見事です。
天吾はたくさんの生姜を包丁で細かく刻んだ。そしてセロリとマッシュルームを適当な大きさに切った。チャイニーズ・パセリも細かく刻んだ。海老の殻をむき、水道の水で洗った。ペーパータオルを広げ、そこに兵士たちを整列させるように、海老をひとつずつきれいに並べた。枝豆が茹で上がると、それをざるにあけてそのまま冷ました。それから大きなフライパンを温め、そこに白ごま油を入れ、まんべんなく延ばした。刻んだ生姜を細火でゆっくり炒めた。
(村上春樹『1Q84 BOOK2』新潮社、2009年、94〜95頁より引用)
海老と野菜の炒め物を作る過程で、海老を兵士たちに見立てて整列させるのです。同じ時期に銃をしのばせて最後の仕事に挑もうとする青豆を連想させます。
ふかえりとの夕食は家庭料理です。「米を洗い、炊飯器のスイッチを入れ、炊きあがるまでのあいだにわかめとネギの味噌汁を作り、鰺の干物を焼き、豆腐を冷蔵庫から出し、ショウガを薬味にした。大根をおろした。残っていた煮物を鍋で温めなおした。かぶの漬け物と梅干しを添えた」料理です。天吾がこまめに料理をしている姿が浮かびます。
別の日の夕食メニューは、ハムときのこのピラフ、豆腐とわかめの味噌汁、ゆでカリフラワーにカレー・ソースをかけたもの、いんげんとタマネギの野菜サラダ。料理を作りながら、ふかえりの言う「特別な場所」を考えるのです。料理を作りながら考えることを習慣にしている天吾にとって、料理は思考の一部としてからだになじんでいるように描かれます。
青豆や天吾の食事場面を通して、性格や心情が浮き彫りになります。他の村上作品にも料理や食事の話はよく出てきます。登場人物の食事のとり方や食べたメニューがその人となりや生活の風景まで想像させてくれます。食べ物の描写は、多くの読者を獲得している村上作品の魅力のひとつだと私は思っています。
第11回(2009年11月10日号)黒木登志夫の『健康・老化・寿命』
最近量産されている多くの新書は、ハウツウ本だったり軽佻浮薄な中身だったりと読んでがっかりすることが多いのですが、この本は違います。骨のある、読み応えのある新書本でした。
日本癌学会会長でもあり、がん研究の医者でもある著者は、直腸がんや狭心症になった個人的体験をまじえながら、健康と老化と寿命について語ります。本書の構成は、寿命、老化、肥満、糖尿病、循環器疾患、がん、感染症、生活習慣、別れと九章から成っています。各章の最初には関連する文学作品が少しだけ引用されているのも楽しみのひとつです。
たとえば、肥満の章では寺山修司の『大山デブコの犯罪』が、糖尿病では夏目漱石の『明暗』が、循環器疾患では吉村昭の『アメリカ彦蔵』が、がんでは江國滋の『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒 江國滋闘病日記』が使われています。
栄養士的に読めば、食べ物と健康、基礎栄養学、応用栄養学、臨床栄養学などの分野のバックボーンとなる内容が満載です。管理栄養士国家試験の断片的知識をつなぎ合わせることもできますし、医学研究の歴史的な背景も分かります。たとえば、こんな感じ。糖尿病に関する記述の一部を以下に引用します。
「糖尿病」という漢字を見れば、尿中に糖が出る病気であることが一目で分かる。その一方、分かりやすいが故の誤解もある。尿中に糖が出るのは結果であり、その本質は高血糖にある。さらに、原因は糖分だけでなく、摂取エネルギーの超過にあることが、糖尿病という名前からは想像しにくい。糖尿病の病態が明らかになる以前は、糖分が悪役を一手に引き受けていた。漱石の『明暗』の「叔父さん」はご飯の代わりに豆腐を食べさせられている。これは、自身でも糖尿病を患っていた漱石の経験であったに違いない。
空腹のとき、血糖値は七〇〜一一〇という比較的狭い範囲に保たれている。食事をしても、二時間もすれば一四〇以下に下がってしまう。人間のからだには、およそ六リットルの血液が流れている。血糖値が一〇〇のとき、全血液中のブドウ糖はわずか六グラム、小さじ二杯くらいに過ぎない。エネルギー量に直すと二四キロカロリー、一日の摂取エネルギーのわずか一.二%程度である。それだけの少ない量で、全身の代謝、運動を支えるのだから、ブドウ糖濃度を一定に保つ精密なメカニズムがなければならない。
(黒木登志夫『健康・老化・寿命』中公新書、2007年、88〜89頁より引用)
バンティングがインスリンの発見に結びつくアイディアがひらめいたのは、1920年10月のことでした。インスリンの発見でノーベル賞を受賞しますが、そのときの裏話もおもしろく紹介されています。
文章の合間にグラフや写真をふんだんに使っていることも読みやすい理由のひとつになっています。専門書に近いからむずかしい、と感じる読者がいるかもしれませんが、糖尿病を隠さずミス・アメリカの栄冠に輝いたニコール・ジョンソンの写真や北里柴三郎の生誕150周年記念切手なども掲載してあり、読者の理解を助けてくれます。
著者は63歳の時に狭心症になり、心臓カテーテルで狭窄部位を広げる手術を受けています。70歳の誕生日には志賀高原でスキーができるまで順調に回復しておられます。その証拠に、「岐阜大学70」のゼッケンをつけ颯爽とパラレルターンをしている写真まで載せているのです(119頁)。面識はないのですが、著者の茶目っ気たっぷりの性格が伝わってくるようでした。
巻末には、114にも及ぶ引用文献の一覧が章別に載っています。興味や関心のある読者にとって、さらなる手がかりを与えてくれているのもうれしい限りです。
第10回(2009年11月1日号)井上ひさしの『四捨五入殺人事件』
農政問題をテーマにしたミステリー小説で、井上ひさしらしいユーモアと教養が随所に見られる本です。
新進作家とベテラン作家が記念講演会の講師として招かれ、東北地方のある市にやって来ます。ところが連日の豪雨で橋が流失し、宿泊先の温泉旅館が孤立してしまいます。いわば密室状態で温泉旅館の女主人加代が殺害されるという事件が発生するのです。
本のタイトルになった「四捨五入」の意味が後半に説明されます。「農民以外の人間は農民をいまだに虫けらと同じように考えている。国の方策如何で、必要になったり必要でなくなったり、農民は一や二や三や四にしかすぎない。決して五、六、七、八、九ではない」(185頁)。つまり農民は国の都合で切り捨てられる。「四捨五入というやつですよ」と登場人物に言わせています。国の都合で切り捨てられる農業といえども、東北地方の農民が力強く生きている姿に、気持ちの良さを感じてしまいます。
栄養士の仕事は、食生活のあり方をアドバイスしたり望ましい栄養指導を行ったりと食べることが中心となる内容です。しかし、調達された食品や食料がどのように生産されているか、生産現場の実態を知る機会は意外と少ないものです。第一次産業のあり方が国民の胃袋と大きな関係をもっていますが、農林水産業に関心を寄せる栄養士はそう多くはありません。
いきなりむずかしい農業関係の専門書ではなく、寝ころんで読める小説を糸口に農業問題にも関心をもってほしいと勧める次第です。減反政策の問題、機械化政策がもたらしたプラス面とマイナス面、農業が職業として確立できず出稼ぎや工場勤めで生計を立てている状況、不況で兼業収入が期待できなくなると離農を強いられてしまう現実。そして過疎化が進行すると、集落ごとなくなり農村が壊滅するという事態を迎えます。食糧供給としての農業だけでなく地域社会のあり方にも触れています。
小説は意外な展開で結末を迎えます。その重要な伏線となるのが、東北地方に伝わる豊富な餅の食べ方なのです。以下に引用してみます。
はじめに出たのが味噌餅だった。胡麻油と砂糖をふんだんに入れた油味噌で、搗きたて餅がよごしてあった。味噌餅の次が納豆餅、これはべつに珍しくはないが、三番手のうぐい餅というのが変っていた。これは、加代の説明を借りれば、
「春、鬼哭川でうぐいが獲れますけれど、これを囲炉裏棚のさげて燻製にし、身をほぐして甘露煮にします。そして、餅をその甘露煮でよごしていただきます。うぐいはこのあたりではご祝儀に欠かせないというぐらいおめでたい魚。そのうぐいでお餅をいただくわけですから、きっといいことがありましてよ」
というような餅。四番手はそねみ餅、これまた加代の注釈では、
「胡麻と胡桃でよごしてあるんです。あんまりおいしいので、これを作りますと隣近所からそねまれます。ですからそれで・・・・・・」
そねみ餅なのだそうである。五番手は大根おろし餅、そしてしめくくりに雑煮が出た。
(井上ひさし『四捨五入殺人事件』新潮文庫、1984年、67〜68頁より引用)
いろいろな種類の餅が出されますが、その順番がキーポイントです。井上ひさしらしいトリックが仕掛けられています。どんな結末となるのか、是非本書を手に取ってお読みください。肩肘はらない読み物として楽しめることをお約束いたします。
第9回(2009年10月20日号)山本俊一の『わが罪 農薬汚染食品の輸入許可』
著者の肩書きは、東京大学名誉教授で医学博士です。大正11年生まれの熱心なクリスチャンでもあると紹介されています。本書の扉を開くと「私は短い人生の中で大事件に遭遇したことが三度ある」と書き出しています。
著者にとっての三度目の大事件は、食品衛生調査会の委員長になったこと。「厚生省食品衛生調査会元委員長の告白」とタイトルの副題にもしてあります。昭和53年当時の厚生大臣に農薬汚染輸入食品を認めるよう進言した諮問委員長を務めた責任を感じておられる方で、このときの経験をまとめたものが本書です。発行は1998年。20年前の出来事を思い出しながら活字にしています。執筆のきっかけは、HIVウイルス汚染血液製剤の輸入を認めるように進言した委員長が叩かれた事件です。
「生を衛る学問」である衛生学を専門とする学者でありながら、ポスト・ハーベストを認めることに反対だったのに、調査会では少数意見で採択されず、委員長として認める決定を厚生大臣に答申してしまうのです。そのときの著者の心情が伝わる文章の一部を以下に引用します。
ポスト・ハーベストに対する私の態度は矛盾しています。個人的には「不認可」、委員長としては「認可」であり、従って、日本の国としては、「認可」であります。こんな男が、真相を曝露しても、「世の中というものは、そういうものさ」と、私の書生論(ママ)が鼻の先で笑われるのが落ちでありましょう。
さて、みなさん、これ以上、私のような悲劇的な人間を出さないためには、制度を変える以外にはありません。現在の食品衛生調査会は、厚生官僚によって牛耳られております。それは、他ならぬ、委員を決めるのが、厚生官僚だからであります。法制上は、さも調査会が決定しているように見えるのですが、実権を握っているのは、人事権を持つ厚生官僚であります。しかも、国民の健康を守るはずの厚生官僚は、大蔵省や通産省のような経済官僚の下にいて、その言いなりになっているばかりであります。
(『わが罪 農薬汚染食品の輸入許可』真菜書房、1998年、30〜31頁)
具体的な添加物名を挙げて、その必要性と有用性についても語っています。たとえば、赤色四〇号。日本はそれまでチョコレートには赤色二号だけが認可されていました。強硬なアメリカが赤色四〇号の認可を迫り、認めてしまいます。
「赤色四〇号」の添加物認可申請に便乗して提示されたナトリウム塩代替品が五品目認可されました。認可された五品目のうち三品目が「大企業の利益を守ろうとしていると言われても仕方がないもの」(87頁)だと著者は言います。
国民の健康を第一優先に考えて、国が食品添加物を認可しているとはいいがたい官僚政治の一端を教えてくれます。自らを坊ちゃん教授と称し、赤シャツ局長、タヌキ局長、野だいこ課長、山嵐課長と戯曲仕立てに書いたところに著者の悲哀が出ています。マイナーな出版社からの出版で入手困難かもしれませんが、こういう本こそ広く読まれてしかるべき本だとお薦めする次第です。
第8回(2009年10月10日号)磯部晶策の『食品を見わける』
管理栄養士国家試験の試験科目から食品学という名前が消えたのは、第20回(2006年3月実施)からのことでした。国家試験の内容が大きく変わった時期です。それに呼応して教育課程においても、食品学分野の科目数が減ってきています。
現在の国家試験が導入された当時(1987年)、栄養士養成施設の教育課程では、食品学は6単位ありました。栄養学の5単位よりも多かった時代です。
この20年で、食品学よりも栄養学の資質が栄養士に求められるようになってきたといえます。しかし、野菜や果物の種類も増え、さまざまな加工食品も開発され続けていますから、栄養士にとって食品学の基礎的な理解や素養が不要だとは言い切れません。むしろ、このような教育課程のカリキュラムだからこそ、自ら研鑽すべきだと思いますし、そういう栄養士にとって本書は最適の本ではないかと推薦する次第です。
本書の発行は、1977年と古いのですが、食品の概念とはなにか、よい食品とはどういう条件を備えているものかなど、現在も十分通用する、食品に関する基本的な知識や情報を与えてくれ、食品とはどうあるべきかというものの考え方を示唆してくれる本です。
著者はよい食品の条件を四つあげます。@安全であること、Aごまかしのないこと、B味のよいこと、C品質に応じてできる限り求めやすい価格であること、の四つです。貿易・食品に関するコンサルタントとしての豊富な経験から多くの具体例を挙げながら、よい食品とは何か、よい食品をつくるむずかしさを述べています。
著者の願いは、食品について特別な知識をなにも持たない子どもが、同じように特別な知識を持たない店に行って、特別な注文もつけずに買った商品が、安全でごまかしがなく、味もよく値段も手頃という食品だという状態に一歩でも近づくことです。
残念ながら、現実はそういう方向に進んでいるとは思えません。特別の知識をもつ消費者が、安全な食品を手に入れるために高額の代金を支払う仕組みは強まり、そこにつけこんで偽装食品を売りつける悪徳業者も後を絶たない状況が生まれています。
「いわゆる専門家情報」の問題点も指摘しています。たとえば栄養士の場合、栄養の専門家なのだからなんでも知っているだろうと消費者は期待してしまうわけです。栄養士側も期待に応えようと努力します。しかし、落とし穴があります。以下に引用します。
栄養士は給食の栄養指導や栄養設計をする専門職である。献立をつくるために、栄養計算やカロリー計算をしなければならないが、そのときに手引きとなる栄養(ママ)成分表には、食品の標準の分析数値は載っていても、大量生産システムからつくりだされる食品の内容を、そこから読み取ることはむずかしい。豚の腿肉を塩漬し燻製にした、本来のハムの分析数値を、さまざまな添加物を使って大量生産システムのなかで速製した最近のハムに当てはめても、正確な計算はできないだろう。このように食品の原型と現在市販されている同名の食品との隔差は、栄養士の専門分野の枠外にあると見なければならない。
しかし、医師も栄養士も、健康に深い関係のある専門職だけに、食生活については有力な相談相手になりうる人々である。ここで、誤解を避けるために一言付け加えると、「いわゆる専門家情報」の「いわゆる」という言葉には「にせ」というような意味は一切ない。消費者側が情報を受け取るさいに、食品にかんする専門家から出たと錯覚した情報のことであって、そのなかには取るべき情報もあり、捨てるべき情報もあるという意味では、ふつうの情報と考えてよい。(中略)細分化されていく専門分野を総合するための専門家が必要となってくる。食品の世界にも、この種の専門家の必要性が感じられているようである。
(『食品を見わける』岩波新書、103〜104頁)
30年以上も前に出版された本ですが、偽装食品が相変わらず蔓延する時代だからこそ、よい食品とはどういう食品をいうのか常に考える必要があると思っています。
第7回(2009年10月1日号)鈴木真砂女の『お稲荷さんの路地』
鈴木真砂女は、1906年千葉県鴨川生まれの俳人です。2003年3月に96歳で亡くなりました。老舗旅館の三女として裕福に育ちますが、その人生は波瀾万丈でした。最初の結婚は夫の蒸発で破綻し、三歳だった長女を婚家に置いて実家に戻ります。
ところが、旅館の女将だった姉が急逝し、姉の夫だった人と再婚します。父親の命令に逆らうことのできない時代でした。旅館の女将になりますが、50歳の時にすべてを捨てて恋に生きた女性です。
瀬戸内寂聴の『いよよ華やぐ』や丹羽文雄の『天衣無縫』、『かえらざる故郷』の小説のモデルとなった人で、テレビドラマ化もされましたから、彼女の歩んできた人生は多くの人が知るところとなりました。
50歳の時に銀座に小料理屋「卯波」を開業します。銀座1丁目のお稲荷さんの路地にある小さな店で、その店に切り盛りをしながら俳句作りをする日常やかつての出来事を思い出しながらまとめたものが『お稲荷さんの路地』という本です。
鈴木真砂女の代表句によく挙げられるのは以下の句です。
羅(うすもの)や人悲します恋をして
季節感あふれる食材や生活感のある俳句もたくさんあります。
鮨たべて口さつぱりと夏の月
品書きに鰤書き足して鰹消す
湯豆腐や男の歎ききくことも
栄養士はその職域によって求められる専門性は異なってきますが、共通するのはいかに多くの料理を知っているか、季節や食材に応じてどれだけたくさんの献立が立てられるかが、実力の土台となる。私はそう考えています。だから、ときには外食で新しい味を口にしたり、料理本やテレビの料理番組で意外な組合せの情報を得たりなど、日々の研鑽が大事だと思うのです。
鈴木真砂女は『お稲荷さんの路地』で「三種の神器」と呼ばれている料理を紹介しています。
数多い献立の中でわが店で、三種の神器と呼ばれている料理が三品ある。座敷を使って大勢の場合、料理はこちらまかせということもある。銀座でも高い店でないことはお客様のほうでよくご承知である。椅子席のほうも「たたきあげ」「和風シューマイ」「小芋」この三品が三種の神器である。「たたきあげ」は私の工夫で出来た小鯵の料理で、開店以来三十五年、毎夜欠かさず注文があり、売り切れの場合が多い。魚料理なので翌日に残らぬよう、その日のお客様の予約の人数を見て控え目に用意している。
お若い方は「和風シューマイ」に人気があり、たくさんの量ではないが、美味しくて一人で四回もお替わりした方もあった。二回はざらである。これはお客様が遅く見えてすでに隣の魚屋が店を閉めた後でもできる料理で、材料は蟹であるがこれは缶詰を使う。築地の仕入れ先から四ダースずつ買っている。缶詰であるからいつでも出来るわけだが、このほか葱と自家製のクリームで、シューマイの皮だけは市販しているものを使っている。
(『お稲荷さんの路地』角川文庫、1999年、73〜74頁)
小料理屋の女将が書くエッセイとして参考になるところも多いのです。また、明治、大正、昭和、平成と百年近く生きた人ですから、食に関する思い出から当時の食料事情を垣間見ることもできます。
さらに、吟行や句会で全国各地を飛び回っていた俳人でしたから、その土地の美味しい料理の話も出てきます。俳人らしい観察眼で読者を楽しませてくれます。
何よりも自由奔放に生きてきた明治女のたくましさに勇気づけられることでしょう。
第6回(2009年9月20日号)山口迪夫の『アルカリ性食品・酸性食品の誤り』
この食べ物は体によい。この食品を食べれば健康になる。この食べ物で病気を治そう。健康志向の強まるなか、健康を売り物にした販売戦略が考えられ、食品市場は消費者心理をくすぐるような言葉であふれています。「血液がサラサラになる」だの「毒がたまる」といった、感覚的には分かりやすいのですが、いかにもあやしげな言葉を使い、巧みな販売戦略が練られています。
消費者は、そういう言葉を警戒した方が良いですし、栄養士たる者が安易に使う表現ではないと私は思っています。むしろ栄養士だからこそ、感覚的であやしげな言葉を使わないで周囲の人々にわかってもらう能力が求められていると期待しています。
さて、「アルカリ性食品」や「酸性食品」という言葉があります。100年以上前の学説で、すでに否定され、学問的意味を失っています。食べ物によって体がアルカリ性や酸性に傾くことはないからです。しかし、未だに健康食品の宣伝文句などに「これぞアルカリ性食品」と食品の効能を説明する文章を見かけることがあります。「アルカリ性食品」や「酸性食品」という言葉を使って栄養指導を行う栄養士もたまにみかけます。
本書は、そのタイトル通り「アルカリ性食品・酸性食品の誤り」をわかりやすくまとめた本です。
使いやすく、何か夢や希望をかもし出してくれる言葉は、たとえ内容が間違っていても、息長く便利に使われるようです。いろいろ実益に結びつく場合はなおさらのことと思います。しかし、文学上の解釈や感性の問題ならいざ知らず、自然科学的に是非の判断が容易につく場合はそれを正すのが当然のことでしょう。アルカリ性食品・酸性食品の問題はその典型的な1例です。現在でも、市場の製品や栄養・健康情報に、また栄養学の教科書、専門書、啓蒙書にその言葉を見聞きする例は多いかと思いますが、そのような製品や出版物は「遅れているな」と判断して差し支えありません。
(『アルカリ性食品・酸性食品の誤り』第一出版、1987年、64頁)
上記は「おわりに」からの引用ですが、著者は学問の進歩によってすでに存在する根拠を失っているアルカリ性食品や酸性食品という言葉が、ゆがんだ形で生き続けていることを嘆かわしく思っています。
アルカリ性食品・酸性食品といわれるようになった起源。ミネラルは体内の酸アルカリ平衡の維持にそれほど関与していないこと。食物によって体が酸性やアルカリ性に傾くことはないこと。アルカリ性食品をめぐる問題点と今後の対応策を述べている本です。
食物バランスの栄養指導には、アルカリ性食品・酸性食品の表現が好都合だとする意見もあります。しかし、現代栄養学をバックボーンにして何をどれだけ食べたらよいのかをわかりやすく指導することこそ、栄養士本来の仕事でしょう。学問的根拠を失った言葉に依存することなく、対象者に応じた栄養指導あるいは栄養教育を現代栄養学の進歩と歩調をあわせて究める必要があります。どれだけわかりやすく栄養指導の対象者に伝えられるか、専門家としての力が問われます。
現代栄養学にもとづき各食品群の望ましい摂取量をわかりやすく指導することはけっしてむずかしいことではなく、あえて誤ったアルカリ性食品・酸性食品の理論を借用する必要は毛頭ありません。とくに専門的知識を十分にもたない消費者に対しては、誤解のないような説明をする必要があります。専門家が自己満足的な説明をするとき、一番迷惑をこうむるのは消費者で、このことは何もアルカリ性食品・酸性食品の問題にかぎりません。
(『アルカリ性食品・酸性食品の誤り』第一出版、1987年、56頁)
本書は、専門家としての栄養士を叱咤激励している本ともいえます。日々進歩していく学問世界と常につながっていきたいと思います。
第5回(2009年9月10日号)石田千の『月と菓子パン』
食べ物に関する名エッセイストとなれば、池波正太郎を思い浮かべる人が多いと思います。そこをあえてはずして紹介するのは石田千です。
石田千の『月と菓子パン』は、著者にとっては初めての本です。朝一番に原稿用紙三枚、そう決めて書きためたもので、日常生活のなにげない様子が静かに語られています。嵐山光三郎事務所で16年間助手として働き、表現の訓練を積んでいました。文章はもちろんうまいのですが、光っているのは日常生活を観察する視点です。
たとえば、「とうふや巡礼」。著者の住む近所に五軒あるとうふが素材です。とうふやによって味や硬さがちがう。おいしさがちがう。そういった、とうふの食べ比べだけではありません。神社の参道のとうふやは麻雀好きのおじいさんで、うわの空だからあぶらげが厚揚げだったり、もめんが絹ごしだったりする話。ちかくの人がパジャマ姿でやって来て湯のみに豆乳を入れていくとうふやの話。とうふの美味しさや味の評価だけではなく、とうふを作る人の生活、買いに来る近所の人々の暮らしにも目を向けているのです。
「カレー散歩」では、なんでもない日のカレーを作った昔の日々が語られ、「おでん秘伝」では、澄んだおでんの作り方が意外にも面倒ではないことを伝えています。料理を作ることや食べることを通して、著者の生活観や家族像が語られるのです。
少しだけ引用してみます。以下は、「いちばんうまい」と題したエッセイの一部で、食べ物を通して思い出す父親を描いています。
日曜は、昼まで寝ていた。起きていくと、父が台所のテーブルにいる。みな出はらってしまって、ひとりで昼食を食べていた。
となりに座って、ぼんやりお茶を飲んでいると、父が、この世でいちばんうまいものをいまから作ってやるという。
ああそう、とテレビのほうに離れていくと、できたぞうと、背中に声がかかる。テーブルにもどってみれば、それまで父が食べていた納豆の入っていた小鉢に、ごはんをいれてかき混ぜてある。納豆の糸だけのごはんなのだった。
食べたくないといったのに、うまいから食えと強要され、しぶしぶ食べたら、おどろいた。九人兄弟の大家族で育った父のひねり出した、知恵の味だった。
朝一番でバーバー銀巴里で頭を刈りあげてきた父は、満足して茶を飲んだ。半ズボンで、細くて青白いすねをしていた。
家族とはなれて、納豆丼で腹がふくらんで糸飯は食べられない。この世でいちばんうまいものは、ひとりでは食べられない。そう思って父が食べさせたとは思わない。(『月と菓子パン』新潮文庫、2007年、173〜174頁)
食べ物の思い出話に納豆飯を挙げるエッセイストは多いのですが、納豆の糸飯を挙げたのはこの人くらいではないでしょうか。しかも食事が家族や人々のつながり抜きには語れないことをさりげなく書いているのです。
栄養士はカロリー計算だけが得意と揶揄する人もいます。栄養士の作る献立は栄養的に満たされてもおいしくないという批判もあります。これらの批判が的を射ているかどうかは別として、栄養士は食べ物を通して食べる人、作る人の生活まで見る力が要求されると思うのです。この本は、食べることが人々の生活に根ざしているという視点をあらためて気づかせてくれるエッセイだといえます。
第4回(2009年9月1日号)高嶋光雪の『アメリカ小麦戦略』
1979年、家の光協会から出版された本です。すでに絶版になっていますが、栄養士必読図書の1冊。出版社か著者に是非復刊してほしいと手紙を出したくなるくらいです。図書館には置いてあると思いますので、是非借りて読んでみてください。
著者はNHK農林水産番組班のディレクター(当時)で、1978年にNHK特集『食卓のかげの星条旗―米と小麦の戦後史―』という番組を作ります。放映後「初めて聞く話だ」と反響が大きく、1冊の本に残すことになりました。
第二次世界大戦後、小麦を日本人の胃袋に浸透させたのは、余剰小麦を売り込みたいアメリカの戦略に日本も加担した、歴史的事実をまとめた本です。
本書は「ミラーズ・ドーターのミチコさんをご存知でしょう」から始まります。1960年10月、新婚まもない皇太子夫妻は訪米旅行に出かけます。最初の訪問地がオレゴン州最大の港湾都市ポートランドでした。著者らが取材でポートランドに行ったとき、商工会議所の事務局長からだしぬけに問われたのが、「ミラーズ・ドーターのミチコさんをご存知でしょう」だったのです。ミラー(製粉業者)のドーター(令嬢)は日清製粉の社長令嬢から皇室に嫁いだ現皇后のことです。
オレゴン州はアメリカ西部の代表的穀倉地帯です。第二次大戦後に大量に余った小麦の輸出先として日本が有望な市場として注目されていました。そこに皇太子夫妻の訪問。市民の熱狂的歓待を受けました。「美智子妃お手植えのバラ」が大事にされているエピソードから本書はスタートします。
伝統的な米食民族の国に小麦を売り込もうとするわけですから、様々な戦略が考えられ実行に移されました。丹念に歩き、資料や史料を探し、当時の関係者から話を聞いてまとめた労作です。
アメリカ農務省の意図、霞ヶ関の思惑など政治的背景が書いてあります。小麦キャンペーンのためにキッチンカーを出陣させ、学校給食にパンを導入する事業が展開していきます。「米を食べればバカになる」と粉食奨励を強化するあまり、米を悪者にする作戦もとられました。当時のマスコミの論調や学者たちの意見も紹介しています。
世の流れに乗って当時の栄養士たちも小麦粉を使った料理を推奨していったわけですが、私が栄養士必読の書だと思うのは、胸に刻んでおくべき教訓を与えていると思うからです。以下に、キッチンカーを推進した日本食生活協会の松谷副会長のインタビューを引用します。
「私たちは粉食奨励はしましたが、米の悪口を言った覚えはありません。米はたいへん優秀な食品です。ただし、米を腹一杯に食べなければ食べた気がしないという従来の満腹感というものに問題があったのです。私たちは栄養士として、バランスのとれた食事をすすめようと考え、そのためには、米だけに偏よることがいけないんだと注意しただけです。また米のご飯の場合、どうしても塩っからいものを同時にとり過ぎるきらいがありましてね。その点を注意しようと『米は塩を運ぶ車、粉食はタンパク質を運ぶ車』という標語は使いました。『米を食べたら頭が悪くなる』とか『短命になる』などとは私は決して申してませんし、指導もしませんでした。一二台のキッチンカーが一斉に全国各地を巡ったのですから、粉食奨励に熱心なあまりに口をすべらした栄養士が一人もいなかったとは断言できませんが・・・・・・。あの林先生の説などは、私どもよりむしろマスコミの皆さんの方が大々的にとりあげたのじゃないでしょうか」(『アメリカ小麦戦略』家の光協会、1979年、155〜156頁)
何が大事なのか大局的視点をもつこと。この食品は良い、この食品は悪いといった安易な評価はしないこと。時流に流されそうになったとき、栄養士の先達が過去に経験した苦い教訓を無駄にしてはいけないと思うのです。
第3回(2009年8月20日号)加納朋子の『てるてるあした』
『てるてるあした』は、2006年4月から6月まで、テレビ朝日とMMJの共同制作でドラマ化された原作です。
有名進学校に合格したのに、両親が借金取りに追われ、夜逃げをすることになってしまった15歳の女の子が主人公です。雨宮照代は両親と共に行動することは許されず、見知らぬ町「佐々良」ささらに独りで向かいます。
母親の遠い親戚と言われたおばさん、鈴木久代さんのところに身を寄せることになります。久代さんは元小学校の先生で、とても厳格。ガリガリに痩せていて魔女のような存在です。
心細さと空腹のなか、久代さんのところで出された最初の食卓は、照代の嫌いなものばかりでした。アジの開き、里芋にニンジン、大根の入った煮物、タマネギ入りの味噌汁、菜の花の和え物というメニュー。この家で暮らしていけるのか、将来の漠然とした不安がキライな料理も文句も言わずに食べざるを得ない状況と重なります。
不思議な出来事が次々と起こるなか、照代の母親の過去が少しずつ分かってきます。周囲の人々に助けられながら、照代自身も自力で生きていく方向を探り始めます。
以下の引用部分は、バイト先でカツ丼をごちそうになる場面です。
十五分ほどして、私の目の前にもうもうと湯気の上がるカツ丼が置かれたとき、不覚にも涙ぐみそうになった。卵は半熟で、タマネギは透き通っていて、トンカツはこんがりときつね色で、見るからに美味しそうだ。それがあっつあつのご飯の上に載っている。
「いただきます」と言うのももどかしく、私は割り箸を手に取った。いきなり分厚いカツにかぶりつくと、カリカリに揚がった衣の下から、じゅわっと肉汁がしみ出てきた。その肉汁と脂と甘辛味のしみたご飯を、わしわしとかき込み、口いっぱいに頬ばる。湯気のせいもあるかもしれないけど、本当に泣きそうだった。
「スゲえな。いつも昼にはなに食ってんだ?」
私の食べっぷりに呆れ声を上げ、大木さんは聞いてきた。
(『てるてるあした』(幻冬舎文庫、2008年、177〜178頁)より引用)
物語は、照代にとってはさらに厳しい状況へと進んでいきます。しかし、どんな逆境に置かれていようとも、死ぬ気でがんばるつもりがあれば、道は拓けるのだというメッセージを与えてくれる本です。ひと言でいえば、応援青春小説。読み終わったあとに、後味の良いさわやかな感情が残る本です。
小説の後半に鈴木久代さんが照代に宛てた手紙が出てきます。まさに直球そのものですが、本を読めと勧める久代さんの文面を紹介しておきます。
照代が将来何になれるのか、どんなことができるのか、私にはわからない。だけど口やかましく言うことはできる。勉強しなさい、本を読みなさい、とね。
本はいいよ。特に、どうしようもなく哀しくて泣きたくなったとき、本の中で登場人物の誰かが泣いていたりすると、ほっとするんだ。ああ、ここにも哀しみを抱えた人がいるってね。誰かが死んだとか、男に振られたとか、人生に絶望したとか、登場人物がどんなことに悩もうと関係ない。ああ、ここにも泣いている人がいると、単純にほっとするんだ。小説なんて絵空事で嘘っぱちだから、現実の誰かが泣いているわけじゃないって我に返ることだってある。それでもやっぱり、ほっとするんだ。泣きたくなるようなことがあったら、試してごらんよ。長い人生、そんな気分になることだっていっぱいあるだろうからね。
(『てるてるあした』(幻冬舎文庫、2008年、363頁)より引用)
第2回(2009年8月10日号)吉村昭の『漂流』
時は江戸時代。土佐を出発した船がシケにあい黒潮に乗って漂流してしまいます。流れ着いたところは無人島。鳥島です。仲間たちが次々と亡くなり、最後はたった一人になってしまいますが、12年ぶりに日本へ生還した奇跡の物語。たった独りで生き抜いた男、長平が主人公です。
これは本当にあった話です、吉村昭の小説は史実に基づいたものが多く、残された史料を丹念に読んで調べて書く、という手法を得意とした作家です。水もなく草も生えず木も育たない火山の島。アホウドリだけがやってくる島です。最初は火をつかうことができず、ただ生息しているアホウドリと貝を食べるだけ。
そのうち、雨水を貯める工夫をします。アホウドリの生態から保存食に加工することを発想します。生きていくために知恵を絞るのです。少し引用します。
「今は鳥がいるから良いが、来年四月には去ってゆく。鳥の渡りは、毎年狂いがないときいている。今年は鳥を干して食べたが、夏にはそれも尽きて大いに難儀した。そうしたことのないよう、今から支度をしておいた方がいいと思うのだ」
「今から?」
音吉が、いぶかしそうな表情をした。
「そうだ。鳥をとらえて、干物作りをはじめるのだ」
「そうか。ほかにすることもないのだから、干物作りをするか」
音吉が、同意した。
翌日から、かれらは、鳥を殺しては丹念に肉をひらき、それを岩の上にひろげて天日にさらすことをはじめた。その年の四月に作った鳥肉の干物は一人につき八十羽であったが、それが夏には残り少なくなったことから考えて、少なくとも二倍はたくわえておきたかった。
その作業は、長平たちの生活に好ましい影響をあたえた。一つの仕事を得たことで生活に張りができ、また来年一年飢えもせず過ごせることに精神的な安らぎを感じていた。
(『漂流』(新潮文庫、1980年、176頁)より引用)
栄養士的に解説すると、こんなふうにも読めます。
最初にアホウドリを食べたとき、火がなく焼くことも煮ることもできません。そのままかぶりついてみましたが、なんの味もありません。「菜や大根を塩でもむように、海の水でもみ洗いして食べたらうまいかも知れぬ」と、肉を海水にひたしてもみ、口に入れてみるのです。海水を使って調味するという味付けの原形を見ることができます。
アホウドリの干物ばかり食べていたのですが、仲間たちが食欲を失い、次々と死んでいきます。独りになった長平は、死因について慎重に考えます。手足の節々が痛み、洞穴の中で身を横たえてすごすことが多くなり、食欲もなくなり急速に痩せて死んでいった仲間たち。生きながらえるには、同じ失敗を繰り返さないことです。
長平は考えました。アホウドリの干物だけに頼るのは危険だと思うのです。アホウドリが去る来年の夏の食糧について思案します。
二百羽分の乾燥貯蔵は不必要。干物は百五十羽にし、残りは貝や蟹、海草を食べ、魚釣りにも精を出すべきだと。そうすれば、種類の多い食物を口にでき、しかも自然に磯歩きもして運動不足にならないと考えたのです。
一つの食品に頼ることの危険性を察知し、栄養補給だけでなく運動の大切さも理解していくのでした。
極限状態に置かれた人間が、どうすれば命をつなぐことができるのか考えるのです。栄養学の知識のない時代に周囲を観察し、何が必要か判断していくさまは、生きることを決してあきらめない強靱な精神力と知性の大切さを読者に与えてくれます。
第1回(2009年8月1日号)最初のごあいさつ
「栄養士は本を読め」という命令形のタイトルにしましたが、決して命令しているわけではありません。読書は強制されるものではなく、自発的に読んでこそおもしろさも楽しみも生まれるものだからです。
この企画を発想したのは、読書のおもしろさを他の人にも分かってほしいという純粋な気持ちからです。特に栄養士の方々に限定しました。どの分野でも同じことが言えるでしょうが、同業者とばかりつきあっていると視野狭窄に陥ります。世間知らずになったり、大局的な見方ができなくなったり、つまらないことで悩んだり。
そんなとき、読書は役に立ちます。時間や空間を超えて、自分の知らない世界へと連れていってくれます。思ってもいなかった視点を発見することもあります。自分の仕事を客観的に見ることができるきっかけが見つかるかもしれません。
栄養士に限定したのは、次のような理由です。私が栄養士(あるいは管理栄養士の)養成施設の教員だったら、こんな本を若い世代に読んでもらいたい、勧めたい、そういう本にたくさん出会ってきました。読書を通して、視野狭窄症が少しは改善され、物事を俯瞰して見ることができるのではないか、と思うのです。栄養士という職業をより一層充実したものにできる、そういう力を読書は持っていると思っているからです。
もちろん栄養士に限らず、学校の先生も専業主婦も看護師も、どんな職業の方々にも読んでもらいたいとオススメしたいものばかりです。特に食べることや栄養士に関することが書いてある本を中心に選びました。
次回以降、毎号1冊ずつ紹介したいと思います。