1.ミリオンセラーになった牛乳批判本
 『病気にならない生き方』という本がミリオンセラーになりました。その中に「牛乳の飲みすぎは骨粗鬆症になる」、「市販の牛乳は錆びた脂」、「ヨーグルトを常食すると腸相が悪くなる」といった牛乳・乳製品に関するマイナスの評価が載っています。
 出版当初(2005年夏)、正直なところ、私は本の中で展開される牛乳バッシングにまともに取り合うのは無意味だと考えていました。臨床医でありながら「40年間、一度も死亡診断書を書いたことがない」と豪語する著者に、相当の怪しさを感じていたからです。
 牛乳バッシングだけではありません。肉はダメ、緑茶もダメ、白米は死んだ食べ物、胃薬を飲めば飲むほど胃は悪くなる、と牛乳・乳製品以外の食品や薬品に対する批判も書いています。いちいち取り合ってもいられない、そんな心境でした。
 ところが、知り合いの大学教授(酪農とは無縁の分野)が、「牛乳はからだに悪いんだって。ベストセラーの本に書いてあったよ」と真顔で言うのを聞いてしまったのです。いわゆるインテリと呼ばれる人までが、このオカルト本をありがたく信じていることに、ある種の危機感をもったのです。30刷りを超え、何百万人もの人々が読んでいる状況を考えると、知らん顔をしているわけにはいかなくなりました。
 2007年1月には、2匹めのどじょうをねらい、『病気にならない生き方2実践編』が出版されました。『実践編』においても「牛乳・ヨーグルトは避けたい」(188頁)と書いています。

2.怒りを抑えきれない酪農関係者たち
 札幌市で開催された、著者の講演会に行ってきた酪農家の話を聞きました。二千円の入場券をやっと手に入れての参加。会場は熱気に包まれ、「学校給食で強制的に飲ませる牛乳こそ、良くないのです」と著者が発言すると、拍手喝采だったそうです。「牛乳を飲めばがんになると言われ、オレは口惜しくて口惜しくて、からだがふるえてきた」と語ってくれました。
 大学名に「酪農」がつく日本で唯一の大学、酪農学園大学もじっとしているわけではありません。2006年夏から連続公開シンポジウムを企画開催し、牛乳と酪農について理解を深めてもらう取り組みに力を入れています。
 おりしも酪農業界は、2006年の生乳廃棄につづき、EPA交渉にも強い危機感をもっています。酪農家が汗水流して働いた、彼らの生産物である牛乳を、「がんの元凶」と言わせない、「産業廃棄物」にさせないために、ささやかではありますが、私の意見をまとめてみたいと思います。
 以下、『病気にならない生き方』に書いてある牛乳・乳製品の評価の何が問題なのか、述べていきます。

3.牛乳を飲みすぎると骨粗鬆症になる?
 『病気にならない生き方』には、「牛乳の飲みすぎこそ骨粗鬆症を招く」(73頁)と太字印刷で書いています。「牛乳は骨粗鬆症を招く」ではなく「牛乳の飲みすぎこそ骨粗鬆症を招く」と書いているところがミソです。「飲みすぎ」が良くないというわけです。
 牛乳を飲むと、血中カルシウム濃度が急激に上昇し、通常値に戻そうと恒常性コントロールが働いて、血中の余剰カルシウムを腎臓から尿に排泄してしまうという理屈です。「カルシウムをとるために飲んだ牛乳のカルシウムは、かえって体内のカルシウム量を減らしてしまうという皮肉な結果を招くのです」(73頁)と著者は書きます。余剰カルシウムが排泄されるのならば、体内のカルシウム量を減らすことにはならないと思うのですが、私には理解できません。
 著者はさらに、外国を例に挙げます。「牛乳を毎日たくさん飲んでいる世界四大酪農国であるアメリカ、スウェーデン、デンマーク、フィンランドの各国で、股関節骨折と骨粗鬆症が多いのはこのためでしょう」(73頁)と、とてもアバウトな表現です。

4.骨粗鬆症の原因は一つではない
 股関節骨折や骨粗鬆症は、近年増加している病気ですが、牛乳摂取との関連が特別強いものではありません。どんな食事を摂ってきたか、喫煙や飲酒の習慣はどうか、激しい運動をしているか運動不足か、睡眠時間はどうか、ストレスはあるかないかなど、様々な生活のしかたが複合的に関連しあっています。牛乳の飲みすぎが骨粗鬆症を招くとは、まともな研究者なら言い切れるものではありません。
 「牛乳を飲む習慣のない時代の日本には、骨粗鬆症はありませんでした。現在も牛乳を飲む習慣のない人や牛乳の嫌いな人に骨粗鬆症が多いという話は聞いたことがありません」(74頁)と著者は言います。牛乳を飲む習慣のない時代には、布団の上げ下ろしをし、しゃがむトイレで、どこに行くにも歩く生活環境でした。平均寿命も現在ほど長くはありませんでした。牛乳を飲む習慣だけで比較するのは無謀というものです。さまざまな生活条件の結果、骨粗鬆症が表面化しなかっただけのことです。
 高齢社会になり、医学も進歩し、食習慣も含め生活環境も大きく変わってきた現在、牛乳をことさら取り上げて骨粗鬆症に関連づけるのは、極めて不自然です。
 何かを食べすぎたり飲みすぎたりするのは、牛乳でなくても良いことではありません。いろんな食品をほどほどに適量食べることが大事なのです。

5.なぜ市販の牛乳は「錆びた脂」なの?
 「市販の牛乳は「錆びた脂」ともいえる」。第2章の目次の一つにもなっています。著者は盛んに「錆びた脂」(70、105、106頁)と言います。著者の言う「錆びた脂」とは、乳脂肪分が過酸化脂質になってしまうことを指しています。
 牛乳は87.4%が水分です(数値は五訂食品成分表の「普通牛乳」による)。炭水化物が4.8%、脂質は3.8%、たんぱく質は3.3%です。ほとんどが水分で、その中に4%前後の乳脂肪が入っています。このわずか4%の乳脂肪が酸素と結びつき、「過酸化脂質」に変化してしまうことを「ひどく錆びた脂」と、著者は言うわけです。
 乳脂肪は、「水中油滴型」といって油を中に取り込み、丸い形をしていて安定しています。水に親しみやすい性質(親水基)を外側に向け、水に親しみにくい性質(疎水基)を内側に向けて脂肪球を作っているのです。「水中油滴型」なので、加熱しても安定しています。ちなみに、「水中油滴型」の反対が「油中水滴型」と呼ばれ、バターやマーガリンはこの型です。
 脂肪が酸化されやすいかどうかは、脂肪中に含まれる脂肪酸の二重結合が目安になります。二重結合の多い不飽和脂肪酸の含量が多ければ、酸化しやすいのです。牛乳の脂肪酸組成は、他の動植物性脂肪と異なり、不飽和脂肪酸が少なく、酪酸を多く含んでいることが特徴です。だから、市販の牛乳がどうして「錆びた脂」なのか、理解できないところです。

6.牛の乳は本来、子牛のための飲み物なの?
 「そもそも牛乳というのは、子牛が飲むものです。」(108頁)と著者は書いています。もちろん、その通りです。人類は、地球上の野生植物を栽培し、品種改良を重ねて、食料にしてきました。動物も家畜化し、人間に代わる労働力にしたり、卵や肉を食料に、毛や皮を衣料にしてきました。
 哺乳動物の乳も本来は子育て用のものを人間が失敬して食料にしてきた、長い歴史があります。遊牧民族にとって牛乳や乳製品は生きていく上で貴重な食べものでした。日本人にとって、今や牛乳・乳製品は慣れ親しんだ数多い食品の中の一つとなり、牛乳を飲んだり、チーズやヨーグルトを食べたりすることで食事内容が豊かになっています。
 「自然界で大人になっても「乳」を飲む動物など一つも存在しません。それが自然の摂理というものです。」(108頁)牛乳を飲むのは自然の摂理に反するとの発言は、人類の叡智とも言える食料生産を否定することにもつながります。他の動物と比較すること自体、無理な話です。「自然の摂理」を持ち込むと、文明社会はこの世に存在しないでしょう。

7.市販の牛乳を子牛に飲ませると死ぬの?
 「市販の牛乳を母牛のお乳の代わりに子牛に飲ませると、その子牛は四、五日で死んでしまうそうです。」(70頁)ここまで書くと、いたずらに不安感をあおる、ホラー本そのものです。
 ヒトの赤ちゃんにとっても母乳、特に初乳は免疫物質をたくさん含んでいて必ず飲ませます。牛も同様です。酪農家は、生まれてすぐの子牛に初乳を与えています。子牛の成長に必要な初乳を与えるのは、酪農家にとっては常識です。
 もちろん、ヒトの母乳と牛乳の成分の違い、それぞれの初乳成分の特徴などは、栄養学を学んだ関係者にとっては常識的内容です。「市販の牛乳を子牛に飲ませたら」という発想は、著者の意図的なものを感じます。
 酪農の生産現場を知らない消費者が著者の表現を鵜呑みにして、不安に陥らないことを願うばかりです。

8.原因を一つに見るのは危険
 「レタスを食べるとよく眠れる」、「ネギを食べると頭が良くなる」、「みそ汁を飲めばガンにならない」、「納豆を食べればダイエットができる」など、これまで、さんざんいろんなことが言われてきました。
 売れる週刊誌、ベストセラーをめざす本、視聴率を競うテレビでは、センセーショナルな表現をして、あたかもAを食べたり飲んだりすることでBになることを強調します。強調した方が、人々はおおっと振り向き、週刊誌や本が売れ、テレビの視聴率が上がるからです。
 しかし、物事はそれほど単純ではありません。AをするとBになると短絡的に考えるのは危険です。私たちの体は精巧で複雑なしくみにできていますし、私たちの生活も、食事だけでなく運動や休養との関連もあり、さまざまな原因や誘因があって、Bになっていくわけです。その元をAだけに求めるのは無理です。
 日本人の食生活に浸透してきた牛乳・乳製品は、数多い食品の一つとして私たちの食事内容を豊かなものにしてきました。牛乳・乳製品を含めた、日本国内で生産される食料を食卓にいかしたいものだと思っています。

(『全酪新報』2007年5月10日・20日、6月1日号に掲載したものに若干の加筆修正を加えた。2007年6月3日記)

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