冬悟と藤古 3


訝しみながら自分を捕らえた青年をジロジロと観察する。
それで改めて気が付いたのだが、その人は優しげな雰囲気だけでなく、結構きれいな顔立ちをしていた。すっと伸びた鼻梁。弧を描く眉。顔のライン。どれも絶妙なバランスを誇っているのだが、パッと人目を引くものではなく希薄で、ただ柔らか印象だけが残る。
残念なことに、それらは冬悟の興味を引くものではない。なかなか開放されない腕を気にしながらそれでも相手の一つ一つのパーツを吟味する。
おそらくは人違いだと思う。どれだけ記憶を手繰っても心当たりがない。
一瞬今日待ちぼうけをくらっただろう人物は脳裏に浮かんだが、こんな街中でかち合うとは到底思えない。あの頃より背も伸びたし顔つきも変わっている筈だし、なにより冬悟自身が彼の現在の姿を思い描けない。向こうもきっと同じ筈だ。
言葉も無く手元と顔を交互に見比べ、あからさまに困惑している私に彼はようやく気が付いてくれた。
「ああ、ごめんね行き成り。でも、今日会いに行くって言っておいたのに帰ってないって聞いたから。せっかくだから迎えに行こうと思ったんだ。この時間帯だったら部活じゃないよね。委員会か何かだった?」
名残惜しいとでも言うようにそっと手を解かれる。一先ずそれに安堵した。
しかし何だろう?この親しげな口調。嫌な予感はますます膨らんだが、それを必死に打ち消す。
「ええっと、誰かとお間違えじゃないんですか」
こっそり息を吐き、気合を入れると、作り笑いを浮かべて丁寧に返す。こちらから先回りして否定しないと、ともすればそのまま連れて行かれそうな雰囲気であった。
その言葉に彼は戸惑いの表情を浮かべた。
「僕が間違える筈がないじゃないか。とーこちゃん」
「やはりお間違えですね。そんな名前に心当たりはございません」
ぴくりともその笑顔を崩さないまま、しれっと否定して、冬悟は「では」と会釈をして背を向ける事に成功した。彼の言動から半ば正体は推察されたものだったか、それは忘却の川に流してしまおう。
「行きましょう。瀬谷」
少なくとも今日連れ立っていたのが彼女だったのは助かった。私が名前にコンプレックスを持っているのは……まあ、周知の事実かもしれないけれど、人の噂話を誰彼構わずに振れ回るな人じゃない。偽名まで使っていたのかとからかわれはするかもしれないが。
しかし、視線を向けると瀬谷はよく見せる意地の悪い笑顔を全開にしていた。
「何だ。迎えが来たんならしょーがないな。今日は勘弁してやろう。じゃあまたな、とーこ」
「ちょっと瀬谷!」
咎める私を振り切って、瀬谷はそそくさと去っていく。せめて便乗して消えようと後を追いかけたのだが、彼女はは素早く振り返り、にやりと笑った。
一瞬何があったのか分からなかった。
気が付けば驚きの面持ちで覗きこんでいる彼の顔が真上にあった。
ややあって、行きがけの駄賃とばかりに瀬谷に彼のほうに押され、よろけた私を彼が受け止めたのだと理解した。
「もしかして、先約だった?ごめんね」
スープまでねだったのがいけなかったのだろうか。聞きかじりの名前でわざと呼ぶまでしてのこの仕打ち。一つ分かることは、明日会っても瀬谷は奢ってはくれないということだろう。
「取り敢えず、何処か入る?」
一応はこのまま無視してぶっちぎって逃げ帰る事も考えた。(幸い脚は遅くない)しかし、家どころか学校まで押えられていれば、どこにも逃げ場は無い。
観念するしかなかった。



落ち着いた店内は、夕方になろうというのに騒がしくない。いや、夕飯時に満たない時刻だから逆に空いているのかもしれない。こじんまりした喫茶店。静かにジャズが流れ、入り口に程近いカウンターでは店主らしき人物がグラスの中にミルクを注ぎ込んでいる。
カランと音を立てて扉が閉まると、けして若くは無いウエイトレスが奥の席へ案内してくれた。
こういう店で力を入れているのは主に珈琲だ。冬悟はどちらかというと紅茶等だったが、折角ならとメニューにいくつか並んでいるうちの一つを選んで珈琲を頼んだ。ついでに軽食をとピラフを頼む。サラダも頼みたかったのだが、単価の高いサ店。バイトもしていない学生の身分ではちょっと辛い。
その様子を相手はニコニコと見守りながら、同じように珈琲とサンドイッチを頼み、メニューを木目のテーブルの脇に避けた。
視線を上げれば彼の背中越しに柱時計が見える。ガラスは茶色に曇り、その針は動く気配は見えない。所々にステンドライトが掲げられ、渋めの光彩を静かに彩っている。
こんなものかと冬悟は思う。実はいつか行って見たい店と思っていたのだが、意外に普通。外から見たときの憧れは多少なりとも裏切られた気分だ。折角だからとこの店を選んだのは彼女自身だから誰にも文句は言えない。
視線を戻すと、先程と変わらない面持ちで彼はこちらを見守っていた。

何か言わないのだろうか?

用があるから冬悟のところに来たのだろう?先程から本題に入る様子はない。用として考えられる部分は手紙で済んでいる気もするし、取り立てて直接会わなくてはいけない用事を思いつかない。彼の方は何が面白いのかその姿勢を崩そうとはしない。
「引越しの挨拶なら手紙で伺いましたが、日頭さん」
長の沈黙の後、結局冬悟が折れた。
「そう?でも直接会いたかったから。冬悟君にも会ったしね。折角だからと思って学校とか聞き出したんだ」
この場合の冬悟とは弟のことだろう。自分で仕向けたのだが混乱する。どこかでへまをやらないように会話には気をつけなくては。
それにしてもそうか、藤古が漏らしたのか。冬悟はテーブルの下に隠したコブシを硬く握り締めると共に帰ったら締め上げようと決意する。
「そうですか。それなら何も長居する必要はなかったんですね」
外面度100%の笑顔で嫌味を込めて非難する。取り立てて用が無いのなら早く開放されそうだ。それについては嬉しく思う。
「そうでもないよ。積もる話もしたかったしね」
後半は自然な笑みに変わった冬悟の顔は、そのままの形で固まった。 結局たっぷり2時間近く、10年来の知己と昔話を含めて喋る事になりました。


スタイル・容姿の形容に苦しみ、類似語辞典なるものを買ってみました。
これは一つの言葉について様々な類似語が書かれているのですが
―――全くの無駄に終わりました。
創作に耐えられる表現は数少なかったのです(涙)

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