冬悟と藤古 3 |
水曜。快晴。憂鬱。 そんな単語を頭に思い描き、冬悟は大きく息を吐いた。 窓の外には小憎らしいくらいの青空が我が物顔で陽気を振りまいている。先程から冬悟は窓際の列の自分の席に座り、それを眺めていた。 既に放課後。殆どの生徒は帰宅するなり、部活に行くなりして教室を後にしている。残っているのは冬悟と数人の生徒のみ。そんな現状も認識することなく、彼女は自分の思考に埋没している。 体調が悪いということもなく、すこぶる快調だ。しかし、気は重い。 その体に突然衝撃が走り、重圧を感じた。 「相崎。どうした悩み事か。帰らんのか」 振って沸いて圧し掛かる友人を押しのけると、冬悟はずれた椅子や自分の体勢を整える。 何事かと文句を言いかけたその鼻面に、食いねえとばかりにポッキーが差し出された。 とりあえず食べた。 「瀬谷こそ何で残ってるの」 食べた手前怒るに怒れない。しまった上手いこと買収に引っかかってしまった。 そんな冬悟の態度に満足そうに頷き、どかっと音を立てて前の席に陣取った。 「私は委員会だったんだ。それとも何か?私を待ってたとか?」 まさかねと笑う瀬谷に同調の笑みを返す。自分と瀬谷とはそういう如何にも友達らしい間柄ではない。一緒に帰宅なんて余りせず、個人的に遊びに行ったりもしない。友達という言葉はくすぐったく、かといって全く関係ないと言ってしまえば何故か寂しい。考えてみると不思議な関係かもしれない。 することといえば、たまに会って話す程度。それでも十分だと思う。 「いくら顔をぶっさいくにして沈んでても、誰も助けてはくれんぞ」 いや、それ以上一緒に居たら私がキレるのもあるが。 痛い突っ込みを、引きつった顔でやり過ごしながら冬悟は結論付ける。 「別に、助けて欲しいなんて思ってない。誰かにどうこうできる話じゃないし。私の行動は決まっているもの」 「何だやっぱり悩み事か」 「悩み事というか何というか……」 「珍しくキレが悪いな。理由を聞いてやろうか」 「いや、いい」 別に瀬谷に話したからといって事態が変わるわけではない。どちらかというと弱みを握られるだけのような気がする。 「気合の足りない相崎は気持ちが悪いな。きっとエネルギーが足りないんだ。マックでも行こう。奢ってやるから、腹を満たせ」 ごめん。私今まであなたの事を誤解してた。尊大な物言いはするし、言葉は辛いけど、一般常識程度の機微と配慮は持ち合わせているだろうと。なんでよりによって腹を満たせ?私が大人しいのは空腹のためだっていうの。単にやることなくて暇過ぎただけよ。こんな事なら図書館で本でも借りてくれば良かった。明日提出の課題なんかも全部終わってしまってるのよ。それとも何?私がそんな人物に見られているの?絶対そんなことない。瀬谷だけだと思う、そんな事いうの。 という文句は腹の中に収めておくことにした。 奢ってもらうんだし? 先ほどまでの憂鬱はきれいさっぱり流して、いそいそと帰り支度を私は、やっぱりエネルギーが足りなかったのだろうか。 いいか、セット+αデザートのみだからな。奢るのは。 校門を出て駅へ向かう途中。そう念を押す瀬谷の前に一歩出ると、くるっと向き直る。 「奢っては貰うけど、別に悩みなんかじゃないからね。きっぱりさっぱり逃げてるだけだから」 言い切った私に瀬谷はニッと皮肉な笑みで答えた。 「そう正々堂々と宣言するやつも珍しいな」 「別に、後ろ暗いことなんかないもの」 「逃げてるのにか」 「そうよ」 大体、人の予定も聞かず。平日に伺うなんて勝手に決めないで欲しい。いや、勝手に言ってるだけだから逃げるのに罪悪感を感じなくて済むのも確かだけど。 とにかく9月は30日で終わる。手紙の感じからして、10月1日付で転入が決まっているのだろう。それまで5日間。平日は兎に角遅くなるまでまで何処かで時間を潰して、休日も朝から出かければ、凌げる。けー君も新しい学校に行ってしまえば、慣れるのに気を取られて昔の幼馴染なんかの事は構っていられなくなるに違いない。 「男か」 独り言のような呟きに、思わずギクリと動きを止めた。 「しかも多分昔…小学校くらいかな。いや、それより前か?」 金縛りにでも会ったような体を、精神力を総動員して無理矢理瀬谷の方角に曲げる。彼女はこちらを向いていない。思案するように右のコブシを顎にあてていた。 「千里眼?」 「いや、単に相崎が逃げなければならない人物像を思い描いてみただけだ。女相手に逃げる相崎は想像出来ないし、今時分出会う男にも押し負けはしないだろう。何か?昔の弱みでも握られたか?」 瀬谷は鋭いのか鈍いのかよく分からない。嘆息を落とし、首を振った。 何だ外れたのか。彼女はあまり残念がらずにそう取った。 「それはそうと、それ以外は奢らんからな」 「ちっ」 返事を誤魔化したつもりだったが、乗ってはくれなかったようだ。あからさまな私の反応に瀬谷は渋い顔をする。 「あと1品なら」 「やった。私スープも飲みたいの」 「……安くない」 「気にしない気にしない」 しぶしぶでも頷く瀬谷の姿を確かめようと、前へ回り込みかけた体が途中で止まった。 勿論自分の意思ではない。誰かが後ろから腕を掴んだのだ。ナンパか言い掛かりかといぶかしみながら仕方なく後ろを振り返った。 見えたのは喉だった。私よりも頭1つ高い背。視線を上げれば掴まれた手の強さとは裏腹な優しい眼差しがあった。着崩してもいない服装。どちらかというとしわも無く上品だ。茶がかった髪は少し長めではあったが整えられ、色の風合いからしても染めているのではなく、地色なのだろう。涼しい目元、柔らかな口。顔にも知性が宿っていて、先に想像した可能性のどちらでもなさそうだった。 「良かった行き違いになる所だった」 ゆったりと笑みを零す。それが如何にも幸せそうに見えるものだから。どちら様と聞くタイミングを逃してしまった。 |