秋芳は下駄箱のふたを開けたまま、ふむと考え込んだ。 少しばかり使い古された上履きの上にブルーの封筒が置いてある。文房具屋に行けば一枚100円くらいで置いてある色違いの封筒シリーズのうちの一つだ。秋芳自身には縁がないが女の子の好みそうな代物である。 おのずと内容は推察される。 二つに区切られた上履き入れと外履き入れ。上段の上履き入れのほうが狭い作りになっているが、その上履きの更に上に置かれた封筒に手を伸ばす。 (下の方が取り易いのに。汚れるのがいやなのかな) ならば下駄箱なんかに入れなければいいのに。秋芳はため息を吐く。 『今日の17時に来賓室したに来て下さい M・K』 マンガや小説ならば、呼び出しといえば体育館裏などであるが、実際は放課後の体育館付近は部活動などを行う生徒で人通りは少なくない。来賓室なら、そのくらいの時間には誰もよりつかない。しかも、この学校の来賓室は部屋が凹状になっていて内庭らしき場所に花壇が設けられていて他所から格好の死角となっている。それでいて、隣に職員室があるので悪しき目的――例えばタバコを吸おうという目的には使えない。となると内緒話には格好の場所といえる。 「なるほど」 「それ、ラブレター?」 「うわっ」 自分の思考に集中していた秋芳は背後からの声に思わず飛び退る。慌てて振り返ると、友人の直幸が覗き込むようにしてこちらを伺っていた。 「み、見たのか?」 「いんや」 「そうか」 秋芳はいつも朝一番誰もいない時間帯に登校しているので油断していた。しかし、内容まで見られていないのなら、まあ、良しとしよう。 「M・Kってイニシャルのところまでしか」 「やっぱり見てるんじゃないか!」 秋芳のコブシを軽やかに避け、直幸が意地の悪い笑みを浮かべる。 「こんなところで突っ立って読んでいる方が悪いだろう。んで?心当たりは」 さり気なく誤魔化す方向で話題を変えられたが、直幸の言い分にも一理あるのでその件については追求をしない。 それはさて置き、M・K。まゆみという名前の従兄弟ならいるが、姓は田口だ。それに彼女は小学生なので心当たりには入らないだろう。 「ない」 「ふーん。どんな子なんだろうな。明日教えろよ」 「というか、いかないよ」 いかないよ。秋芳は呆れた顔でそう言った。 「え?なんで。無視するのって失礼だろう。断るならちゃんと断れよ」 直幸はきちんとしないことは余り好まない。しごく当然のように秋芳を嗜める。 その言葉に反応して秋芳が直幸の両肩をぐっと掴むと、端に寄るように誘導する。そろそろ人目が気になる時刻になってきた。 「いいか、俺は常々思っていたんだが」 「ああ」 「ラブレターって卑怯じゃないか?」 その言葉の意味を考え、次に検証してみる。 「……どこが?」 「考えても見ろ。これには拒否権がない」 「………」 「面と向かってが恥ずかしいというのは理解できる。その為に顔の見えないときに文にして的確に相手に言いたいことを伝えようというのは配慮された行為だと思う。しかし、待ち合わせというのは相手の予定を聞いて自分の予定と照らし合わせて組まれるものじゃないか」 「確かに待ち合わせの場合はそうだが…」 直幸はそれでも納得できない思いで反論の言葉を捜す。 「何か?秋芳は今日用事でもあるのか?」 「特にはない!」 きっぱり言い放った秋芳に直幸は宥めすかすように言う。 「ならいいじゃないか。少しくらい融通つけてやれよ」 「何故だ。5時ということはHR終わってから一時間半も待たなければならないんだぞ。俺にだって時間と場所を指定する自由だってあるはずだ。そんなに待っていられるか」 段々説に力が入ってくる秋芳を落ち着かせるようにしゃがませて自分もそれに続く。 「仕方がないだろう。これにはイニシャルしか書かれてないんだから。変更の申し出なんて出来ないだろ」 「それだ」 びしっと指をさされて直幸はうろたえる。 「書類に責任の所在を明記するのは最低限のマナーだと思うぞ。イニシャルだけでは誰だか分からん。少なくともその時点でこのラブレターは信用に値する書類ではなくなっている」 「そんな堅苦しいこと考えなくても…」 「少なくとも名前、出来ればクラスが書かれていればこちらからアクションを起こすことも可能だが、この書類はそれらを拒否している。そして、無記名ならばうっかり書き忘れたということもあるだろうが、イニシャルということはそれらの情報を意図的に隠している。何故隠す必要がある、少なくともこれから直接会おうという人間に。これは悪意の産物と見なしても良いと思うが、どうだろう直幸」 「悪意って、ラブレターだよ」 もうそろそろ呆れてきたかもしれない。言葉に力が入らない。 「そもそも、これがラブレターだという証拠がどこにある」 「見れば」 「それは違う。俺が言いたいのは、確かにラブレターの形状はしているが真意がラブレターかという事だ」 「それ以外に何がある」 とたんに秋芳の表情が曇り怪訝な表情になる。 「場所柄呼び出してボコるということはないだろうが、いたずらの可能性は多分にあるだろ」 「……何か嫌な思い出でもあるのか?」 「来賓室なからなら下からの死角はいくらでもあるからな、5人くらい誰か隠れてて、うっかり来た俺を『本当に来たよ。秋芳のくせに自惚れてる』とかいって笑いものにするんだ」 「昔に何があった!秋芳。いくら何でも考えすぎだろうそれは」 「ないとは言い切れまい」 「う、確かに」 「俺にはデメリットを覚悟して手紙の主に会うだけのメリットが見えない」 きっぱりと言い切った秋芳は妙に清々しい顔をしている。 ちくしょー。言で勝ったと思って満足した顔しやがって。 このまま 引き下がるのも悔しいので直幸は最後の抵抗を試みる 「会うだけなら無料だよ」 「時間は減る」 「可愛いかもしれないじゃないか」 「興味ない」 「女の子を敵に回すと怖いよ」 「会えば敵にならんというものでもないだろう」 にべもない言葉の応酬。直幸はくじけそうになる。 「それでも無視はマナー違反だよ」 「お互い様だ。これはラブレターを貰ったことにして心のメモリーに納めておけば、青春の一コマとして後の自分の中で美しい思い出になろう。手紙も本望だろう」 「あー、相手がマナー違反だからって自分もいいって考え方は、少なくともオレは好きじゃないな」 「ふむ」 秋芳の言葉の勢いが止み。沈黙が流れる。 (あれ?) 首をかしげる直幸の視線の先で秋芳が考え込むジェスチャーをする。 「一理ある。では、こうしよう」 言うと、ペンを取り出し、ラブレターの下の余白に何事か書き込む。 『予定明日に変更希望』 「これを俺の下駄箱に入れておく」 「見るわけないじゃん」 「それは相手の勝手だろう。勝手にここに入れたんだから、勝手にここをチェックしていくくらいしてもいいだろう。そこまで面倒みきらん」 「まあ、秋芳の問題だから勝手にすればいいけど」 「そうする」 もはや秋芳に逆らう気力のない直幸は匙を投げる。 いいかげん足も疲れてきたので秋芳を促して教室へ向かうことにした。 「ところで、常々あんな事考えているのか?」 「ああ」 「……」 しかし、自分は何であんなに一生懸命秋芳を説得しようとしていたのか、すべてが無駄だったような気がして直幸は心で涙した。 予断だが、案の定翌朝には秋芳の悪評が女子全域に広まっており、行く先々で秋芳は女子に睨まれることになる。 当人はいたってケロっとしていたが、オレまでとばっちりを食うのは勘弁してもらいたいものだ。 |