甘い約束
甘い約束


一年でも、とりわけ憂鬱な朝が始まる。

目覚めた那岐はいつもの様に、差し込む日の光に背を向けるように寝返りを打った。
昨夜の甘い残滓を抱えたまままどろんでしまいたいと願う。
そうもいかない日常が那岐を起こしにくる前に、自発的に起き上がる決断をするのもいつものこと。
窓の外ではむかつくほど能天気な青空が広がっていて、今日という日を賑やかしく迎えることを物語っていた。
那岐の希望とは裏腹に。
ご褒美でもなければやっていられない。

いつもは洗面所で会うはずの千尋が、那岐が自室を出た辺りで突進してきた。
そのまま無言で約束された代物を差し出す。
甘い約束。
「焦がしたりした奴じゃないよね」
少々の嫌味もお約束。
「大丈夫。昨日見ていたでしょ」
散々つき合わせて、味見までした。
それをラッピングして持ってくるんだから良く分らない。
呆れた那岐を尻目に楽しげに朝飯の支度に戻っていく千尋を見送りながら、那岐は包みを傾ける。
ずっしりとした手ごたえ。量より質を物語っていて、色めいたものは感じられない。
けれど、
『二人が一番好きだよ』
千尋の意思表示。
こっそり、笑顔をこぼして、包みの中のチョコレートを早速一つ頬張った。
今日のご褒美終了。

包みを片手に風早も起きてくるのは、もう暫くしてから。今日の朝支度に時間のかかる千尋と、眠気を取るのに時間のかかる那岐より、少し遅く起きて来る。
目に見えて機嫌のいい風早を那岐は少し羨ましく思う。
風早の様子を見ながら、那岐は千尋の作った味噌汁を啜った。
始終にこやかな風早は万人受けするのか、チョコをくれる相手は千差万別。隣の幼稚園児から近所のおばさん方まで、毎年数多くの義理チョコを抱えてくる。
那岐より数は多い。だから一々相手にするのも面倒だろうとは思う。
抱えるチョコレートの中にはこっそりと本命も混ざっているのだろうと思う。それとは感じさせないように。
じっと視線を落として、対する自分への周囲の反応を思いかえした。
「漬物がどうかしました?那岐」
今日は一番の春とばかりに、呑気な笑顔の風早が漬物をじっと見据えた那岐に声をかけたが、反応は「別に」と捗々しくなかった。

那岐は面倒なことは嫌いだ。
だから進んで周囲に溶け込みたいなんてことは面倒事の一つでしかない。
周囲もそれが分かてて、お祭騒ぎに那岐を巻き込まないだけの気遣いを那岐にくれる。
クラスの女子が、男子全員に配る事でも企画しなければ彼を放っておいてくれる。
あとは勝手に机に忍び込まされている物を持って帰りさえすればいい。それだけならこんなに憂鬱な気分になったりはしない。
けれどいつも数人は必ず、空気を読まないで思いつめた顔をして那岐を呼び止める。
拒否するのも、受け取るのも面倒でしかない。
考えても仕方のない回避の方法をつらつらと考えながらクラスメイトと挨拶を交わした。
浮き足立ったクラス内、今年も、クラス女子一同からという名目で那岐にもチョコレートが配られた。
ふーんと那岐は考え込んだ。
そしていつもは興味なさそうに袋に突っ込んで帰るはずの包みをガサガサと開ける。
「千尋」
一緒に登校した千尋の名を呼んで、振り返った彼女の口に一つ放り込んだ。
「もって帰るの面倒だから半分食べてよ」
思いついた言い訳を口にしつつ、自分と千尋の口に変わりばんこにチョコを食べさせる。しょうがないなといった感じで、甘いものが好きな千尋はそれを拒否せずにむぐむぐと食べる。
箱を一つ開けて、最後に溶けたチョコレートの付いた手を那岐は舐めた。
先ほどまで千尋の口元にあったそれ、クラス中が黄色い声に包まれ、千尋が赤くなって那岐にコブシを振るうが構わなかった。

その年、仲睦まじい那岐と千尋の様子は学校中に広まり。涙するものは多数いたが、那岐の目論見どおりに周囲は彼をそっとしておいてくれた。


タイトルを裏切って、
甘さは皆無な事に書いてから気が付きました。

アイテムが味噌汁や漬物なのに違和感のない
葦原家が大好きです

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