風早歳時記1
風早歳時記1


夕飯を終えると大抵は居間で銘銘寛ぐのが慣習になっているのだが、今日は何故か風早がソファに座り、一人でぽつんと新聞を読んでいた。
しんと静まり返った部屋は時計の音だけが響き、読むことに集中できずに何度も閉じたり開いたりを先程から繰り返している。
千尋は夕飯が終わってすぐに部屋に閉じこもってしまった。何だろう。何か悩み事でもあるのだろうか。こういう時いつもなら何があったのか教えてくれる那岐も、千尋と一緒に部屋に入りっぱなしで、出てこない。
「仲間はずれですか、寂しいですね」
呟いてみたが、余計むなしさが増すだけだった。
いや、自分が寂しいとかいうのはどうでもいいのだ。問題は千尋の様子がおかしいという事だ。何も問題がないのならいいのだが、心配である。
そんな事をつらつらと考えなら、もう小一時間経っている。


「風早。いる?」
ぴょこんと千尋が居間に顔を出した。その顔を見て風早は安心する。
良かった。どうやら悩みだとかではなさそうだ。その顔は沈んではいない。
「あ、あのね。今日…」
何か言いにくいことでもあるのだろうか、しどろもどろになりながら千尋は懸命に言葉を紡ぐ。
助けになればとにっこり笑って「何ですか千尋」と優しく先を促した。
「あのね。今日って母の日なんだって、で、でね、風早はお母さんじゃないんだけど、いつもご飯作ってくれるしね、何かお礼が出来ないかと思ったの」
そこまで言って言葉を区切った。そして、てててと風早の近くまで寄ってきて、おずおずと自分の後ろに隠した包みを風早に渡した。
「これを?俺にですか?」
ぶんぶんと一生懸命千尋が首を縦に振る。
なんだろう。感動して言葉が上手く出てこない。
震える手で包みを開けると、中には赤いハンカチが入っていた。
「あのね、本当はカーネーションを贈るんだって聞いたんだけど。それよりも何か使えるものの方が良いのかなって思って、風早男の人だし。でね、ハンカチならお小遣いで買えるから、白いハンカチ買ってね。赤いお花摘んできて染めたの。那岐にも手伝って貰ったよ。一緒に渡そうって言ったんだけど、面倒とか言って部屋に帰っちゃった。でもね、那岐はちゃんと赤く染まる花を教えてくれたり、染め方教えてくれたんだ。だから二人からだよ」
少し頬を赤くして、改まってお礼をいうのが照れくさいのか、それでも一生懸命千尋は風早に伝える。
「いつもありがとう」
彼はぺこりと頭を下げた千尋を目に焼き付けたいと思いながらも適わなかった。
慌てて、貰ったばかりのハンカチで目尻を拭って、千尋にお礼を言った。
「これは俺の宝物ですね」
そう言うと、千尋も照れくさそうに笑った。



「って言ったのに!!」
風早は盃からこぼれ出ようとする酒に気も留めずに、盃を持ったまま突っ伏した。
「そうは言いましてもね」
隣で飲んでいる柊は全く様子を変えぬまま、風早の盃からこぼれた酒を拭った。勿体無い。
「どうして千尋を迎えに来るなら。予告しておいてくれなかったんです。あのハンカチ前の日に洗濯して、アイロンかけて神棚にしまって持ってなかったのに。置いてきてしまったじゃないですか」
「……いい大人なんだから泣かないで下さい」
この場に那岐が居たら、神棚について突っ込みを入れただろうが、所詮は柊、疑問にも思わないらしい。
「私としては羨ましいとしか言えませんね。そのような仲むつまじい月日を紡いできたことに。その思い出だけで良いじゃありませんか」
宥めているとも付かない言葉の後、彼は盃の酒をゆっくりと煽った。



突っ込み那岐不在です。
というか季節をまるっきり無視です。

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